2. 次兄の言葉
「どこに行ってた? 勉強を怠けるつもりだったのか?」
勉強用にと割り当てられている小部屋に戻ったラルに、次兄マルセリウスが責めるような口調で問いかけてきた。
「違うよ。アリエラ姉さんが戻ってくるのを、見張り塔で待ってたんだ」
「姉さんか……」
顔をゆがめ、吐き捨てるように次兄は呟く。
次兄はラルより五歳年長の十三歳、家族の間ではマルセルと呼ばれている。兄弟のなかではラルと一番年が近い。少しくすんだ金の髪に榛色の瞳という取り合わせも、ラルと共通している。だが、この次兄のことがラルは少し苦手だった。
「それじゃ、やっぱり怠けてたんだな。姉さんを待ってたなんて、理由にもなりゃしない」
「どうして? 姉さんは御竜士になって帰ってきたんだよ。しかも姉さんの竜は瑠璃紺種なんだ。すごくきれいな飛竜だった」
「それがどうしたって言うんだ。姉さんが勝手なことをしたせいで、俺たちの未来までもが潰されてしまったかもしれないのに」
マルセルの口調はずいぶんと乱暴だった。
アリエラが御竜士になったことをよく思っていない人間がいることは、ラルも理解していた。だが、次兄がこれほどまでに怒りを抱え込んでいるとは思いもよらなかった。
「兄さんは、アリエラ姉さんのことが嫌なの?」
「嫌っていうか」
さもあきれたと言わんばかりに、マルセルは大きく息をつく。
「お前、何もわかっちゃいないな。まあ、ガキだから仕方ないけど。
女が御竜士になるってのは、破廉恥なことなんだ」
「破廉恥?」
言葉の意味がわからず、ラルはきょとんとした顔で聞き返した。
「恥知らずで、慎みがない。そういうことだ」
「どうして?」
「どうしてって……ああもう、これだからガキは」
うっとうしそうに呟くと、マルセルはゆっくりと言い聞かせるように話し始めた。
「いいか、ラル。御竜士は竜珠を通じて竜と心を繋いでいる。いついかなる時も、だ。そして、竜は人間とは違う。竜には、その、なんだな……さかりがつくっていうか、子供を作ることに夢中になる時期がある」
「うん」
そのことはラルも知っていた。愛読している『竜種全書』には、そういった竜の生態に関する知識が数多く記されている。
「さっき言ったろ。御竜士と竜は常に心を繋いでいるって。だから、竜がそういう時期に入ったときには、多少なりとも御竜士もその影響を受ける。で、女の御竜士がそういう状態になるってのは、なんというか、その……まずいだろ」
弟の顔から視線を逸らし、妙に言いにくそうにマルセルは言った。
「そういうものなの?」
「そういうものなんだよ」
首をかしげているラルに、むきになったような口調で、マルセルは答えた。
「御竜士はほとんどが男なのに、そんな中に、そういう状態になった女がいるってのは、ああ、うん、その、なんだな。
で、それでもかまわない女っていうのは、なんというか……とにかく、恥知らずな人間だって思われても仕方ないんだ」
目を泳がせながらしどろもどろにマルセルは語る。口の達者な兄にしては珍しいことだと少し不思議に思いながら、ラルはその話に耳を傾けていた。
「五竜家の娘が御竜士になるなんてのは破廉恥なことだ。それでみんな反対してたんだ。なのにアリエラ姉さんは」
「でも、父上は反対していないよね。本当に何かよくない、大変なことになるなら、父上が止めてたんじゃ」
懸命に言い募るラルの言葉を遮って、マルセルは言った。
「だから、実際にどうかってのは、あんまり関係ないんだ」
「どうして?」
「事実よりも、噂とか評判とかのほうが怖い。そういうものなんだよ」
「でも……」
「他人事じゃないんだ。姉さんのせいで、俺たちまでとばっちりを食らうかもしれないんだから」
「どういうこと?」
「候補生になるための試しを受けるには、誰か御竜士の推薦が必要だ。それも親や兄弟じゃなくて、もう少し関係の遠い人の推薦が。
誰かが推薦してくれないと、俺たちは候補生の試しに挑むことすらできない」
兄の言葉にラルは頷く。
「けど、一門の偉い人たちは姉さんのことをよく思っていない。ウォルシウス家の評判に泥を塗ったと思っているはずだ。
うちなんて、傍流の小さな家にすぎない。なのに一門の反感を買ってしまった。もしかしたら俺は……いや、俺だけじゃない。ラル、お前だって、候補生の試しを受けられないかもしれない」
「試しを受けられない?」
信じられない言葉だった。
十四歳になったら候補生の試しを受ける。それはすでに決まったも同然のことだと思っていた。
「試しを受けられなければ、候補生になれない。当然、御竜士にだってなれない。
お前、竜が好きだろう? 御竜士になりたいんだろう? だけど、姉さんのせいで、それが駄目になるかもしれないんだぞ」
知らなかった。思いもしなかった。
呆然とするラルに構うことなく、マルセルは言葉を続ける。
「姉さんは勝手だ。それくらいのこと最初からわかっていたはずなのに、自分のわがままを押し通して、弟たちの未来を潰したんだ」
嘘だ。信じられない。
自分が候補生の試しすら受けられないかもしれないなんて。しかもその原因が、大好きなアリエラ姉さんにあるだなんて。
「ああもう、泣くなよ」
うんざりしたような、それでいてちょっと困ったような声でマルセルが言った。
「泣いてなんかない」
それが強がりなのは自分でも知っていた。
じんわりと目からあふれ出た水滴が、頬をつたい落ち、あごの下を濡らして、ぽとりと膝の上に落ちる。
もうそんなに幼いわけでもないのに。よりによってマルセルの前で泣いてしまうなんて、恥ずかしくて仕方ないというのに。
「あのな、ラル」
なぐさめようとしているのだろうか。マルセルの声はいつになく優しかった。
「別に、絶対無理って決まったわけじゃない。けど、そういうことがあるかもしれない。そのことは覚悟しといたほうがいいぞ」