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メルデウスの御竜士  作者: 霧原真
第4話 林檎の花、ひらくまで
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4.林檎の花、ひらくまで

 補習を終えて寮の部屋に戻ると、同室の三人が寄り集まって何事かを話し合っていた。

 珍しいことだ。他のふたりはともかく、ソールシウスは普段おしゃべりに興じるといったことはほとんどない。それなのに、ソールシウスを中心に据えて話していたようなのだ。


「お、戻ったな」


 ラルに気づいて、アルスが声をかけてきた。


「ん、なんか、思ったより元気そうか?」

「うん?」

「いや、もう少し落ち込んでいるんじゃないかと思ってたんだが」

「ああ、うん、そうだね。『交信』はわりと好きだから」

「なるほど。ならまあ大丈夫か」

「大丈夫って何が?」

「いや、こっちの話だ。じゃあソールシウス、俺たちはいったん談話室に行く」


 そう言うとアルスはクラウスに目配せして、連れだって部屋の入口へと向かう。


「どういうこと?」


 戸惑いながら尋ねるラルに、クラウスが答えた。


「ソールシウスが君と話したいそうです。さっきの大広間でのことで」

「あ……」

「ふたりで話したほうがいいと思うので、僕たちは席をはずします」

「え、でも」

「ああ、身構えなくていい。別に変な話じゃないから……ないよな?」


 アルスがソールシウスに向かって念を押すように問いかけると、ソールシウスは表情を変えずに無言でうなずく。


「じゃあまた後で」


 そう言い残して、ふたりは部屋から出て行った。


(なんだろう、いったい)


 さっきの大広間での出来事と関係があるのだろうか。だが、いったい何をどうしようというのだろう。


「ラウレンティウス・ウォルシウス」


 沈黙を破って、ソールシウスが言葉を発した。


「アルセニウス・マルキウスに指摘された。先ほどの私の言動は、配慮に欠けたものだったと」


 ああ、アルスが働きかけてくれたのか。

 ラルは納得していた。アルスは以前から、同室の候補生たちの関係を取り持とうと腐心していたのだ。


「我ながら情けないが……どうやら頭に血が上っていたらしい。事実を述べるにせよ、もう少し言い方というものがあったはずなのに。

 ルキウス・ウォルシウスに対する言動も問題だが、ラウレンティウス、君に対してもだ。あんな言い方をすべきではなかった」

「えと……」

「ルキウス・ウォルシウスは君から見れば属する家門の宗家に近い位置にある者。反目するのは得策ではない。君は彼に楯突くべきではなかった」

「あ……うん。それはそうなんだけど」

「ウォルシウスのエグランティウスに対する反感は根深い。『エグランティウスの御竜士』を目指す人間に与するような行動を示しては、君自身がウォルシウスの主流派から睨まれることになる。私に同情を示すような真似は慎しむべきだ」

「その……つまり君は、俺が不利にならないように配慮して、『お節介はいらない』って……」

「……配慮して、というわけではないが」


 ソールシウスは口ごもるように語尾を濁すと、そのまま押し黙って考え込むような様子を見せた。


「候補生の試しに臨むにあたって、現役御竜士の推薦が必要なのは知っているな」

「ああ、もちろん」

「私が候補生を目指したとき、一番難儀したのは推薦人の確保だった。『エグランティウスの御竜士』が再び誕生することを望む人間は少ない。推薦人を見つけ出すのが難しいことは最初から覚悟していた。そして、探しに探したすえ、ようやくふたり、私を推薦してもよいと言ってくれる方が見つかった。

 ひとりは亡き父の友人だった人物。そしてもうひとりは――マルセリウス・ウォルシウス殿の兄にあたる方だ」

「え……それって、俺の」

「そうだ。君の父上、アリアス・ウォルシウス殿だ」


 知らなかった。

 父はそういったことは一切、今までラルに語ってこなかった。

 けれども思い返してみると、ソールシウスと試しの場で出会ったことを話したとき、父は特に驚いたようなそぶりを見せなかった。彼が候補生の試しに臨むことをすでに承知していたからなのだろう。


「結局私は、父の友人だった方に推薦を依頼したが、アリアス・ウォルシウス殿の申し出にはとても……感謝している。だが、あの方の好意に甘えるべきではない。そう思ったのだ」

「ソールシウス、その……そこまで身構えなくていいと思うんだ」


 さえぎっては悪いだろうか。そう思いつつも、ラルはつい言葉を差し挟んでいた。


「君はエグランティウスの総領だから――一門全体を背負っているから、軽率な行動は取れないだろう。けど、俺や父上……あ、いや、俺の父は、そこまで重いものを負ってるわけじゃない。だから父の申し出に、君が責任というか負い目というか、そんなの感じなくたっていいんだ」

「だが……」

「あのさ、ソールシウス。俺たち、友達に……なれないかな?」


 ついに言ってしまった。

 こんな直截的な言い方をするのは、ラル自身も気恥ずかしくて仕方ない。

 だが、ソールシウスを相手にするなら、これくらいはっきりした言葉を使わないと、歩み寄るきっかけさえつかめないような気がする。


「ウォルシウスとかエグランティウスとか、そういうのはひとまず脇に置いて、ただ同期の候補生として、普通に友達になる……それって、無理だろうか」


 ラルはソールシウスの顔をうかがい見る。

 ソールシウスはぎゅっと眉根を寄せてこちらをじっと見つめている。


「やっぱり厚かましいかな。身分とか立場とかを抜きにしたって君はすごい奴だから、俺みたいな凡人がこういうことを言い出すのは、その、分不相応なのかもしれないけど」

「……誰が凡人だって」

「え?」

「『交信』の補習を毎日受ける必要がある、そんな人間のどこが」

「……ああ、そうだよね。なんでこんなに飲み込みが悪いんだろうって自分でも思うよ。人並にすぐこつを覚えらたらいいのに。凡人じゃなくて、落ちこぼれだったね」

「……それは本気で言っているのか?」

「え?」

「制御が難しいほどの高い親和性を示す奴が、落ちこぼれだと」

「……えっと?」

「……もういい!」

「あの……俺、なんか変なこと、言ってしまった?」


 ソールシウスは息を吐き出すと、うんざりしたといわんばかりの口調で、早口に言い立てた。


「実際に御竜士となった後、一番必要なものは何だ。家柄か? 学科の成績か? 違うだろう。竜と深く通じ合える資質、それこそが御竜士を目指す者なら皆、求めてやまないものなのに。それを十二分に授かっていながら、君は!」

「あ……」

「落ちこぼれだなど、とんでもない。まったく……」

「ご、ごめん」

「謝るな。ただ、しっかり自覚して、そして今後はうかつなことは言わないでくれ」


(そうか。『交信』の補習を多く受けなければならないというのは、そういう解釈ができることだったのか)


 嫌味でも何でもなく、ラルは今の今までそのことに思い至らなかった。

 幼い頃からあまり注目されることなく育ってきた子どもだった。だから自分が評価される対象だという考え自体がなじまなかったのだろう。


「ところで、友達になるという話だが……具体的にはどういう関係を求めているのだ?」

「えっと、改めてそう聞かれると困ってしまうんだけど……うーん、そうだなあ……普通に話しかけられる関係、かな。とりあえず」

「普通に話しかけられる?」

「ああ。今はどうしてもさ、身構えてしまってるから。そういうのをもう少し減らせたらいいなって。たとえば、そうだな、アルスと話すときみたいに」

「ふむ……」

「それと、こういう考え方はそんなに好きじゃないんだけど。

 俺はマルセリウス・ウォルシウスの甥で、君はロサリウス・エグランティウスの息子だ。叔父たちが亡くなった時のことについては、その……嫌な噂があるだろう?

 俺はあんなのでたらめだって思ってる。あんな噂、早く消えればいいのに。

 叔父には子どもがいなかった。だから甥である俺は、親兄弟を除いては叔父に最も近い肉親ってことになる。その俺がエグランティウスの人間に何ら含むところがないと身をもって示せば、噂が消えるのも早まるんじゃないかって」

「なるほど。それでアリアス・ウォルシウス殿は、私の推薦人になろうとおっしゃってくれたのか」

「えっと?」

「君ひとりの考えではないのだろう、さっきのは」

「あ、うん……そうだね。たぶん」


 指摘されてみて気づいた。

 たしかにソールシウスの言うとおりだ。これはラルの中からひとりでに生まれ出たものではない。おそらくは父アリアスに導かれて、この考えにたどり着いたのだろう。


 噂を耳にしてただ怒りに駆られていた幼い日、父は静かにラルを諭した。

 そして候補生の試しの日に控えの間でソールシウスと出会ったことを話すと、父は感慨深げにラルに語った。


 ――彼はロサリウス・エグランティウスの息子だ。もし学び舎で彼と再会できたなら、仲良くできるといいな。


 そうか。父がそう願ったからこそ、自分はエグランティウスの息子と仲良くありたいと思ったのかもしれない。

 ただ、それはきっかけに過ぎない。知り合ってみた結果、ソールシウスがどうしようもなく嫌な奴だったとしたら、親しくなりたいなどとは思わなかったはずだ。


「友達か……そうだな、努力してみよう」


 友達になるのに努力が必要なのだろうか?

 疑問に思ったのが顔に出たのだろう。ソールシウスはわずかに首を傾けて、考え込むような様子を見せた。だがやがて正面に向きなおると、意を決したように言葉を発した。


「率直に言おう。アルセニウスに指摘されたのだが、私はその……同年輩の人間とのごく普通の付き合い方というものが、よくわかってないらしい」


 いつもと同じ冷静でよどみのない口調。けれどもその表情にはどこか、当惑のようなものが混じっているような気がする。


「弁明するならば、学ぶ機会がなかったのだ。私がエグランティウスの総領となったのは十一歳の時だ。周囲にいるのは老獪な大人ばかり。だからこそ、候補生でいる間に学ぶべきなのだろう。ごく普通の、年相応の在り方というものを」


 そう語るソールシウスは、いつになく不安そうに見えた。

 いつも自信にあふれ、一段高いところからみんなを見下ろしているように見えていた。だが実際には、彼もごく普通の少年と同様に、戸惑ったり、不安を覚えたりしているのだろうか。


「だから、手伝ってくれないか」

「うん?」

「友達と呼べる存在になれるかどうかはわからない。けれども、そういった存在であれたらと思う」


 ラルは一瞬ぽかんとして、ソールシウスの顔を見返した。

 ソールシウスは生真面目な表情を崩さずに、息を詰めてこちらをうかがっている。


(えっと……)


 ――普通の付き合い方がよくわからない。だから手伝ってほしい。友達と呼べる存在になれるかどうかはわからないけれども。


 あまりにも不器用な言葉の数々。けれども煎じ詰めて一言で表すならば、それはつまり。


 ――友達になろう。


 ようやく理解が追いついた。

 ラルは破顔して、大きくうなずく。


「ああ、そうだね!」


 ソールシウスがほっと息をつく。その表情がふっと和らいで、一瞬、輝くばかりの笑顔が現れた。

 けれども、その輝きは一瞬で消え去った。すぐにソールシウスは表情を改め、いつもどおりの生真面目で厳しい顔つきに戻る。


「……ありがとう」


 そう述べると、ソールシウスはそそくさとラルから離れて、自分の机の前へと移動した。


(えっと……怒ってはないよな)


 たぶん喜んでくれているはずだ。照れているのかもしれない。そう思いはするものの、ラルはいまひとつ確信が持てなかった。


 ふと窓の外に視線を移すと、暮れゆく秋の空に向かって伸びる林檎の枝が目に入った。

 枝にしがみついている林檎の実は赤く色づき、黄昏どきの光の中でほのかに輝いている。

 故郷の果樹園では、これくらいの時期ともなれば、とうに収穫が終わっているはずだ。寮の庭に生えている林檎は収穫を目的としたものではないから、今もこうして枝に実が残ったままになっているのだろう。


(ずいぶん窓から近い位置まで枝が張り出してるんだ。花がひらく季節にはきっときれいだろうな)


 思えば今まで、窓の外に枝を伸ばす林檎の木を眺める余裕すらなかったのかもしれない。ソールシウスほどではないにせよ、ラルもまた、学び舎での生活に馴染むのに必死だったのだ。


(けど、林檎の花が咲いて散る頃には、俺たちはここを離れてゆく)


 今ここに集っている候補生たちも、夏が過ぎれば各々の専門に分かれて、別の場所へと移ることになる。

 自分たちがこうして一緒に過ごす時間は、そう長いわけではない。青かった林檎の実が色づき、厳しい冬を越え、春の訪れとともに白い花を咲かせ、その花びらが舞い散るまで――せいぜいその程度の期間に過ぎない。


(その頃までには、もう少しソールシウスとも打ち解けられるだろうか)


 だったらいいのに、と、ラルは思う。

 ウォルシウスとエグランティウスの確執、叔父たちの友情と死。

 そういったものが、ずっと彼との交流を妨げてきた。今だって、消えてなくなったわけでは決してない。

 けれども立場だとか家名だとか、そういうものを取り払って、同じ場に居合わせた候補生としてまっすぐに向き合うことができたなら。ラルはそう願ってやまない。

 もしかしたら今日、ようやくそのとば口を探り当てることができたのかもしれないのだ。


 空は金と茜の入り混じった黄昏の色に染めあげられていた。太陽を覆う雲の隙間から、放射状に光の筋が地上に向かって降りてくる。

 残照の中に現れた奇跡のような光の筋。あれはきっと、希望ある未来を約束する(しるし)に違いない。


 空の端が薄墨に染まるまで、ラルはしばしの間、影と光によって織りなされる雲の輝きに見入っていた。

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