3.老竜の導き
竜舎につくと、ラルはいつものように出席簿に記名して、竜舎の管理人から竜珠環を受け取った。
最初の一年間に候補生が学ばねばならない科目のひとつに、『竜との交信』と呼ばれるものがある。いずれ御竜士となった日におのれの竜とうまく心話を交わせるようになるために、学び舎で飼われている竜と心を重ねる訓練を行うのだ。
ラルはこの『交信』の補習を欠かさず毎日受けるように言い渡されている。
毎日、午後の自由時間に学び舎にある竜舎に向かい、竜珠環を嵌めて竜と心話を交わす。だが、これはかなり異例なことだった。
ラルほど多くの時間を『交信』に充てるよう指示されている候補生は他にいない。たいていの候補生は通常の時間割の中で行われる訓練だけで十分だと判断されているし、補習が必要な者でも、せいぜい三日に一度、訓練を受ける程度だという。
自分は並はずれて不器用なのだろうか。そう考えてみじめな気持ちになることもある。
だが、ラルはこの時間が嫌いではなかった。竜と心を重ねるのは心地よくて楽しい。この感覚をずっと得られるかと思うと、正式に御竜士になれる日が待ち遠しくてならない。
ただ、どうやら自分は竜の心に深く入り込みすぎてしまうらしい。
竜との心の同調をもう少し浅く保ち、竜と心を繋いでいる間も人間としての感覚をなおざりにせず、竜の意識と自分の意識をはっきりと分けること。それがラルに与えられている課題だった。
《どうしたのだ。今日はずいぶんと元気がないね》
竜珠環を嵌めると、年老いた金色種の竜アウレンディアが、柔らかな『声』で問いかけてきた。
アウレンディアは候補生たちを指導するためにこの学び舎で飼われている竜だ。いや、『飼われている』というよりは、住み込みで働いている教授のひとりであると言ったほうが適切だろうか。
候補生の訓練のために学び舎の竜舎で暮らしている竜はアウレンディアの他にも数頭いるが、彼女は一番の古株であると同時に、その指導の的確さにおいて、もっとも高い評価を受けている。
《うん……》
《何が起こったのか話してごらん。ああ、ちゃんと『言葉』でね》
竜と繋がっている間、ラルの感じているもの――感覚や情動は、おのずと竜の中に流れ込んでゆく。同様に、竜の感じているものも、ラルは自動的に受け取っている。使いようによっては便利な能力だが、制御もできないまま無制限に起こってしまうようでは不都合も多い。自他の区別がつかなくなるのは、決して好ましい状態ではないからだ。
この共感をある程度自分の意志で制御、あるいは遮断していくことが、現在のラルの課題だった。
ラルの感じたものごとをアウレンディアは知っている。けれどもそういった共感に頼ってしまうのではなく、ラル自身の『言葉』に置き換えて、改めて伝えなおすように。そうアウレンディアは言っているのだ。
《同じ部屋で暮らしている候補生に、余計なお節介はいらないって言われたんだ》
《仲たがいしたのかい?》
《仲たがいとはちょっと違うかな……そもそもそんなに仲がいいわけじゃないから。けど、嫌がられたんだ。そんなつもりじゃなかったのに》
《ああ、なるほど》
アウレンディアは苦笑のようなさざめきを返してきた。
《仲良くしたかった。だから手を差し伸べた。なのにその手を振り払われてしまった。そう感じているのだね》
ああ、そうなのかもしれない――
ルキウスの態度が腹立たしかった。エグランティウス家に向けられている偏見が許せなった。不正義は糺され、力を尽くす者は報われなければならない。そんな義憤めいたものに駆られていた。けれどもその根幹にあったのは、ソールシウスと仲良くしたいという思いだったのではないか。
同じ部屋で寝起きするようになって二ヶ月、他の仲間たちとはうまくつきあえている。けれどもソールシウスとは、どうにもぎくしゃくしたままだ。
無理もないことだと思う。
自分たちはウォルシウスとエグランティウスだ。しかも、ラルの叔父とソールシウスの父の間には浅からぬ縁がある。ソールシウスにとって、自分は平静な気持ちで向き合える相手ではないだろう。
それでも嫌われたくはなかった。お節介はいらないと突き放されるのではなく、ありがとうと言ってほしかった。
よかれと思って為したことであっても、必ずしも感謝されるわけではない。そんなことはわかっている。だとしても、できることなら歩み寄りたい。そう思っているのに。
《そんなに憂うことはないのだよ》
アウレンディアがやさしい声で語りかけてくる。
《大丈夫。好意を示してくれる相手を嫌い続けられる者など、そうそういるものではない。独善に陥って相手を自分の思うままにしようなどと思わなければ、ではあるけれど。お前の気持ちは届く。だから心を閉ざさないでおきなさい。そうすればきっと、うまくいく日も来るだろう》
《そうなのかな》
《そうだとも。私はここで、多くの人間の子どもたちを見てきた。ぶつかり合って、誤解しあって、けれども、その末に素晴らしい友情にたどりつく。そういうものなのだと、子どもたちが教えてくれた。必ずしもうまくいくとは限らない。だからといってあきらめてしまえばそこで終わる。あきらめなければ、うまくいく……かもしれない。そういうものなのだよ》
《かもしれない、なんだね》
《ああ》
《絶対うまくいく、とは言ってくれないんだ》
《私は嘘つきではないからね》
《そっか》
《さて、気持ちが落ち着いたなら、いつもの課題を始めようか》
《うん……そうだ、アウレンディア》
《なんだね?》
《どうもありがとう》
《どういたしまして》
済ましたような調子で老いた雌竜はそう返してきた。