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メルデウスの御竜士  作者: 霧原真
第4話 林檎の花、ひらくまで
14/16

2.ウォルシウスとエグランティウス

 入寮からおよそ二ヶ月が過ぎた。


 候補生の生活は、噂どおり厳しいものだった。

 早朝、まだ夜も明けやらぬ刻限に点呼に応えて起き出し、ひととおり鍛錬を行った後に朝食を摂る。その後は午前中いっぱいみっちりと授業を受ける。午後には多少の自由時間もあるが、遊んでいる余裕はない。この時間を自分の学習に充てていかなければ、とても授業に追いつけるものではないからだ。個人で使える明かり用の油は限られた量しか支給されないので、夜中に自室で学習を行うのは無理だ。第一、日中の鍛錬によってくたびれ果てているので、たとえ際限なく油や蝋燭を使えたとしても、夜間に勉強などできそうにない。

 規律に従い、いかに自らを律することができるか。限られた時間の中で、いかに多くを学びとれるか。十四歳の少年たちは肉体と頭脳の限界に臨み、与えられた課題を自らのものとしていくことを求められていた。


 ラルは同室の候補生たちとそれなりにうまくやっていた。


 最初に打ち解けた相手は、アルセニウス・マルキウスだった。初対面の日に本人が言っていたとおり、アルスは家柄にこだわることなく、対等な付き合いをすることを好んだ。彼は明るく積極的で、ごく自然に相手を会話に引き込む。そんなだから、互いのことを愛称で呼び合うようになるまで長くはかからなかった。


 クラウス・セスティウスは口数少なく控えめだが、決して付き合いにくい相手ではなかった。ごく真面目で常識的なふるまいを好むものの、冗談を言えばそれなりに乗ってくるし、意外なほど愛嬌もある。


 だが、最後のひとり、ソールシウス・エグランティウスは、打ち解けやすい相手とは言いがたかった。

 ソールシウスは普通の候補生とは違う。エグランティウス一門の総領でありながら、なおかつ御竜士候補生でもあるのだ。これがどれほど特殊なことであるかは、候補生も教授陣もみなよく理解していた。

 ただ、そういった事情を差し引いても、ソールシウスは周囲に馴染めていないように見えた。

 授業中はもとより、寮の部屋に戻ってからも、彼が誰かと歓談するようなことは極めてまれだった。暇さえあれば勉強に鍛練、もしくは一門の長としての執務に励んでいるらしく、話しかける隙がまるで見つからない。別段、他人との関わりを拒絶しているというわけではないのだが、どうにも話しかけにくい空気をまとっているのは事実だった。


  ******


 授業でひとつの単元が終わるごとに、小試験が実施される。この試験の結果は候補生全員に告知されるので、候補生たちは集団の中でのおのれの位置づけを否応なく自覚させられる。

 科目ごとに多少のばらつきがあるとはいえ、試験の順位はほぼ定まっていた。

 いずれの教科においても、首位を取るのは常にソールシウス・エグランティウスだ。そして、アルセニウス・マルキウスとクラウス・セスティウスがそのすぐ後に続く。

 ラルはといえば、たいてい十位あたりをうろうろしていた。今年度の候補生はおよそ七十名。全体で見ればかなり上位につけているのだが、同室の面々と比べると、見劣りする感があるのは否めない。


(みんな、すごいよな……)


 嫉妬心や対抗心を抱くよりも先に、尊敬の念がこみあげてくる。

 同じ部屋で寝起きを共にしているからわかる。たしかに彼らは生来の能力自体が高い。だがそれ以上に、実に勤勉に学習に取り組んでいるのだ。

 特にソールシウスの勤勉ぶりには驚かされる。暇さえあれば勉強しているといってもいいだろう。

 単に学習熱心だというだけではない。候補生であると同時にエグランティウス宗家の当主でもある彼は、一門の総領としての責任をも背負っている。基本的には、当主としての仕事は彼の叔父が引き受けているのだそうだが、時として彼自身が決裁を行わねばならない案件もあるようだ。勉学の合間を縫ってそういった仕事を行っている姿を、ラルたちはすでに何度か目にしていた。


「あいつ、大丈夫かな」


 そんなソールシウスの姿を目にして、アルス――アルセニウス・マルキウスがぽつりとつぶやいたことがあった。


「ソールシウスのこと?」

「ああ。どう見たって忙しすぎるし、そもそも気負いすぎている。立場上、手を抜けないのはわかるが、無理がたたって病気にでもなったら、それこそ元も子もないのに」

「何かできること、あるかな」

「遊びに誘って乗ってくるような奴ならいいんだが、あいつのことだ。そんな暇はないと一蹴して終わり、だろうな」

「そっか……」

「まあ、本気で潰れそうになったら、眠り薬を盛って無理矢理休ませるとか、それくらいやるべきかもしれないが」

 本気とも冗談ともつかない調子で、アルスはそんなことを言った。

「実行したら恨まれそうだけど」

「だな。けど、体を壊したりすると、本当にばかばかしいことになる。そんなことになる前になんとかできたらいいんだが……難しいよな」


 そして、この会話の数日後、その出来事が起こった。


  ******


 三度目の歴史の小試験の結果が候補生たちに告知された。

 試験の結果は個々人に通達されるほか、上位三十名までの氏名が巨大な書字板に記されて、大広間に掲示される。この中に自分の名前を見つけることは、候補生たちにとって目標のひとつとなっている。


 ラルもまた、どきどきしながら掲示板を眺めていた。

 十位のところから順に上へ向かって視線を走らせ、六位のところに自分の名前を見つけて、ほっと胸をなでおろす。

 歴史はさほど得意ではないラルにしては、かなりいい結果だ。今回の試験箇所は例の英雄ラウレンティウスの時代だったから、できれば悪い成績は取りたくなかった。自分と同じ名前を持つご先祖様のことは、どうしたって意識してしまうものだ。

 一位はいつものようにソールシウス・エグランティウス。続いて二位にクラウス・セスティウス、三位にアルセニウス・マルキウス。同室の面々は、今回も上々の成績を収めたようだ。


「またエグランティウスか」


 苦々しい口調で言い放つ声を聞きつけて、ラルはふとそちらに視線を向けた。

 二、三人の取り巻きを引き連れた金髪の少年が、ゆがんだ表情で掲示板を見つめている。

 ルキウス・ウォルシウス。ウォルシウス一門の総領の甥にあたる少年である。

 ラルから見れば、敬うべき相手であり、粗略には扱えない存在だ。だが正直、ラルはこの少年にあまり良い印象を抱けずにいた。

 とりあえず礼を失しない程度の付き合いは保っているものの、積極的に関わりたくなるような相手ではない。


「入学して以来、ずっと首位。いくらなんでも少しおかしくないか」

「ですよね」

「自分が総領であることを利用して、あいつが評議会の上層部に手をまわしてるという噂、まんざらでたらめでもないのかもな」


(なんだよそれは!)


 思わず反論しそうになるのを、ぐっとこらえる。

 ソールシウスがそんなことをするはずがない。彼の成績は、彼自身の努力の賜物だ。日頃の態度をきちんと見ていれば、それくらいわかりそうなものなのに。


「なんでも今回の試験の前に、エグランティウスは灯油を割り当て以上に受け取っていたらしい。そのおかげで夜中にこっそり勉強できた。そういうことなんだろう」

「ああ、それでなんですね。あいつと同じ部屋の連中まで、妙に成績がいいのは。今回なんて、あのラウレンティウスですら六位に入ってる。部屋ぐるみでずるしてたってわけですか」


(何を言いやがる!)


 怒りで目が眩みそうになった。

 たしかに今回の試験の前に、ソールシウスは特別に配給外の灯油を受け取っている。けれどもそれは、試験勉強に使うためのものなどではなかった。ましてや、同室のラルたちまでもがその恩恵にあずかっていたなど……言いがかりにもほどがある。


「それは違います!」


 黙っているべきなのかもしれない。けれども、どうしても我慢できなかった。

 ラルはルキウス・ウォルシウスのそばに歩み寄って、言い募る。


「今回、たしかにソールシウスは余分に油をもらってました。けれどそれは、エグランティウスの総領としてやらなきゃいけない仕事を片付けるためです。ソールシウスは仕事が忙しくて、寝る暇さえなくて、勉強時間なんて、いつもより足りなかったくらいだった。それでも首位を取っている。なのにあなたは……」


 ルキウス・ウォルシウスはラルを一瞥すると、傲岸な調子で言った。


「ラウレンティウス・ウォルシウス、君はエグランティウスをかばうつもりか?」

「かばうとかそんなんじゃない。ただ本当のことをはっきりさせておきたいだけです」

「君にはウォルシウスの誇りはないのか。君自身の叔父上が――あのマルセリウス・ウォルシウス殿が命を落としたのは、あいつの父親のせいなのに」

「違う!」


 よりによって、その話を持ち出そうというのか。


 ラルの叔父マルセリウスとソールシウスの父ロサリウスはかつて親友だった。ふたりは同じ任務に赴き、そこで火竜と遭遇して、死闘の末にふたりとも命を落とした。

 事故だった。誰が悪いとか、誰のせいだとか、断じることができるような出来事ではなかった。

 けれども噂が立った。マルセリウス・ウォルシウスが死んだのは、ロサリウス・エグランティウスのせいなのだと。

 ラルは叔父が好きだった。天藍(てんらん)種の竜の主で『メルデウス最速の御竜士』とも呼ばれた叔父は、幼いラルにとって最も身近な英雄だった。だから噂を耳にした時、ラルはロサリウス・エグランティウスに怒りと憎しみを向けた。

 だがそんなラルに、父は静かに語り聞かせた。


 ――噂は噂でしかない。不確かな噂を鵜呑みにして叔父の親友を悪く思うなど、マルセリウス叔父が生きていたらどれほど悲しむことか。叔父を偲ぶというのなら、叔父の大切にした人をもまた、大切に思うべきなのではないか。


 最初のうち、父の言葉は受け容れがたいものだった。けれども時間とともに一方的な怒りは徐々に薄れてゆき、最後に残っていたのは――楽しかったころの思い出と、叔父への慕情と敬意だった。


 だが今、宗家に連なる少年が、忘れ去るべき忌まわしい噂を盾に取り、エグランティウスを体現する少年を糾弾しようとしている。


「『エグランティウスの御竜士』は災いをもたらす存在だ。もう二度と御竜士として認められるべきではないのに」

「なんでそんな……」


 偏見を真に受けるのか。そう言いかった。

 けれども、すんでのところでラルは言葉を飲み込み、歯を食いしばる。


 かつて『エグランティウスの御竜士』は『狂竜事変』と呼ばれる大惨事を引き起こし、メルデウスの歴史に暗い影を刻みつけた。

 けれども、それはもう七十年以上も前の話だ。

 ロサリウス・エグランティウスもその息子であるソールシウスも、直接なにか悪事を為したわけではない。なのに今もなお、先祖の悪名に苦しめられ、偏見に満ちた眼を向けられている。

 果たしてそれは正しいことと言えるのか。


「ウォルシウスはエグランティウスを認めない。同室のよしみだか何だか知らないが、ウォルシウスの一員としてふるまうなら誰を――いや、何を重んじるべきなのか、君はもう少しよく考えるべきだ」


 言い返そうとして口を開きかけたそのとき。


「ルキウス・ウォルシウス」


 ソールシウスが姿を現すと、ラルとルキウスの間にすっと割って入った。


「なんだ、エグランティウス?」

「今回の試験に関して、私には何ら後ろ暗いところはない。たしかに私は灯油の配給を余分に受け取っている。だがそれはエグランティウスの当主としての職務に必要だったからだ。私の職務に関しては、入学の折に学び舎と評議会の双方から了承を得てある。なにか不明な点があるというならば、直接上層部に問い合わせたまえ」


 滑らかな口調でそう言い放つと、ソールシウスは相手の返答を待たずに、足早にその場から歩み去った。

 あっけにとられたような表情で立ち尽くしているルキウス・ウォルシウスとその取り巻きに構うことなく、ラルはソールシウスの後を追う。


「ソールシウス!」


 ラルが呼びかけると、ソールシウスは足を止めて振り返った。


「ラウレンティウス・ウォルシウス、君が私を弁護する必要などない。かばいだては無用だ」

「かばいだてとか、そんなつもりじゃ」

「余計なことはするな。君は自分の家門の若君に礼を尽くしておけ」

「でも……」

「お節介はいらない」


 なおも言葉を返そうとするラルを振り切って、ソールシウスは再び歩き出す。

 その背中を、ラルはただ茫然と見送るばかりだった。


 お節介――そんなつもりではなかったのに。

 事実を見ようともせずに、ソールシウスを誹謗するルキウスの言い草が我慢ならなかった。ソールシウスは不正など働いていない。ただひたすら懸命に、それこそ血の滲むような努力を重ねている。そのことがきちんと知られるべきだと思った。

 だがそれは、ソールシウスにとっては余計なお節介だったのか。


(ああだめだ。こんなことで落ち込んでいてどうする。もうすぐ『交信』の補習の時間じゃないか。早く行かないと遅刻してしまう)


 ラルは右手の拳をぎゅっと握りしめると、うなだれていた頭を上げ、竜舎に向かって歩き始めた。

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