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メルデウスの御竜士  作者: 霧原真
第4話 林檎の花、ひらくまで
13/16

1.林檎寮 二〇一号室

 夏の終わりのその日、ラウレンティウス・ウォルシウスは初めて『林檎寮』の門をくぐった。


 学び舎のはずれにある学寮の前に立ち、ラウレンティウス・ウォルシウス――ラルは、これから一年間暮らすことになる建物を見上げていた。

 門の脇には林檎の木が何本か植えられている。剪定や手入れはほとんどされていないのだろう。幹はまっすぐに天に向かってそびえ、枝の間に見え隠れする青い果実は多くはない。


 候補生の学寮は全部で四棟。それぞれ『林檎寮』、『鈴懸寮』、『杜松寮』、それに『木蓮寮』と呼ばれている。前庭に植えられた樹にちなみ、この呼び名がついたのだという。


 自分に割り当てられた寮が林檎寮であることに、ラルは因縁めいたものを感じていた。

 林檎はラルにとってなじみのある木だ。生まれ育った館の庭にも大きな林檎の木が生えていたし、故郷の果樹園で育てられている果樹も林檎が多かった。

 それにこの林檎寮は、今は亡き叔父マルセリウス・ウォルシウスが候補生時代に過ごした寮だという。尊敬してやまない叔父と同じ寮に配属されたことが、ラルはひそかに誇らしかった。


  ******


 事務室の受付は入寮の手続きを行おうとする候補生で込み合っていた。

 ようやく手続きを済ませると、ラルは自分に割り当てられた部屋へと向かう。


 二階へ続く階段を上りきり、向がって右へと進む。廊下の一番奥、東端の角にその部屋はあった。


 ラルは扉の前で足を止め、その表面をじっくりと眺めた。

 とりたてて装飾らしい装飾のない、素朴で頑丈そうな木の扉だ。ラルの目線よりも少し高い位置に小さな金属の板がはめ込まれていて、そこにはくっきりとした読み取りやすい字体で『二〇一』と刻印されている。


(間違いない、この部屋だ)


 ラルは大きく息を吸い、丸い取っ手に手を伸ばす。

 そしてそのまま押し開けようとしたが、ふと思い立って、左手の甲で扉の表面を軽くコツコツと叩いた。


 寮の部屋は四人部屋、ひとつの部屋に四人の寮生が割り当てられている。これからの一年を同じ部屋で暮らしていく仲間が先に入室しているかもしれない。


「どうぞ」


 扉の向こうから、くぐもった声が聞こえてきた。

 ラルは扉を押しあけて、室内に足を踏み入れた。


 こぢんまりとした部屋だ。

 入ってすぐの所には、左右の壁際に二段式の寝台が配置されている。寝台の奥には、これまた壁に沿わせて左右に二つずつ、机が並べてあるようだ。

 奥の突き当りには硝子の嵌め込まれた窓がひとつ。その窓の脇には栗色の髪の少年がひとり、窓枠に左手を乗せて静かにたたずみ、こちらを眺めていた。


「この部屋の人、かな? はじめまして!」


 ラルは明るい調子で声をかけると、窓際に立つ少年の横に歩み寄り、右手を差し出して握手を求めた。少年は柔らかな笑みを浮かべて姿勢を正すと、自らも右手を差し出して握手に応える。


「ええ、この二〇一号室に入ることになっています。あなたもですか」

「うん、そうなんだ。僕はラウレンティウス・ウォルシウス。これから一年間、よろしく」

「クラウス・セスティウスといいます。よろしくお願いします」

「他の人はまだ来てないのかな」

「そうみたいですね。ただ、荷物はもう着いているみたいですが」


 そう言って栗色の髪の少年は、部屋の中央に寄せ合うように置いてある旅行鞄を指差した。

 鞄は全部で四つ。うちひとつは間違いなくラルのものだ。


「寝台や机の割り振りは各自で決めるようにと聞いています」

「うん」

「みんなが揃う前に勝手に場所を決めてしまってはまずいですよね。なので、まだ荷物を解くわけにもいかなくて」

「ああ、そうだな。でも、今日の夕刻までには入寮しないといけないんだ。追っ付け他の人も来るんじゃないかな」

「そうですね」


 ラルは四つの旅行鞄を改めて見直した。

 一年間の生活に備えるための荷物には見えない。ちょっとした旅行の際の荷物とそう変わらないだろう。寮に持ち込むことを許されている私物はごく限られているのだ。

 四つの鞄の大きさはどれもさほど違いはない。だが、その材質や状態はそれぞれに異なっている。


 最上級の竜革で仕立てられたまっさらな鞄、やや使い古した感はあるが、やはり同じくらい上質のものであることがうかがえる鞄、そこまで上等ではないものの、明らかに新品であることがわかる鞄、そして、安価な牛革で、いかにも使い込まれた感が漂っている薄汚れた古い鞄。

 自分の鞄が一番安物で、しかも古ぼけていてどうにもみすぼらしい。そのことに気付いて、ラルはそっと心の中で溜息をついた。


(仕方ないよな。僕のは兄さんたちのお下がりだから)


 ラルの家は一門の中では末席に近い。かろうじてウォルシウス姓を名乗ることを許されている、傍系の一家だ。王国の北東部に『風が丘』と呼ばれる小さな封土を領有してはいるものの、子だくさんなことも相まって、決して裕福ではない。


(みんな、ずいぶんとよさそうな鞄を使っている。いいところの出なんだろうか。お高くとまった、話の合わないような連中じゃないといいけど)


 不安が胸にこみ上げてきた。

 ふと顔をあげると、栗色の髪の少年と視線が合った。


「ええと、クラウス・セスティウス?」

「はい」

「セスティウス一門のひとなんだね。セスティウスのひとと知り合いになるのは初めてだ」

「あなたはウォルシウスの方ですね」

「うん。といっても、ぎりぎりウォルシウス姓を名乗るのを許されているような、だいぶ端っこのほうの家なんだけど」

「名前はたしか」

「ああ、ラウレンティウスだ。でも、長ったらしいし、なんだかちょっと偉そうだから、ラルって呼んでくれると嬉しいかな」

「ラウレンティウス・ウォルシウス。いにしえの英雄と同じ名前ですね」

「……だね」


 誉れ高きラウレンティウス・ウォルシウス――およそ二八〇年前、御竜士の歴史がはじまった直後に火竜退治の英雄として名を馳せた伝説的な御竜士である。

 自分の名前からまず連想されるもののことを思うと、誇らしさと同時に、なんとも言えない気恥ずかしさがあった。実際、年の近い次兄には、何度となく名前をからかいのネタにされてきたものだ。


「うちで伝統的に、長男はアリアス、次男はマルセリウスって名づけることになってるんだ。けど僕は三男で、そういった一家に代々伝わる名前は品切れだった。なのでおじい様が有名なご先祖さまにちなんで名前を選んでくれたんだけど……正直、名前負けしてるっていうか、名乗るのがちょっと恥ずかしいっていうか」

「歴史の重みのある、いい名前じゃないですか」


 クラウス・セスティウスは媚びたふうもなく、さらりとそう答えた。


「あ、うん。そうだね……ありがと」


 ラルが礼を述べると、クラウス・セスティウスははにかみながら軽くうなずいた。


(あ、なんかこいつ、いい奴っぽい)


 まだわずかな言葉しか交わしていない。それでもなんとなく感じ取れるものがあった。

 クラウス・セスティウスは折り目正しく丁寧な口調で話すが、気取って取り澄ましているような感じはしない。同室の仲間としては、ごく付き合いやすい相手のような気がする。


 扉が開く気配があった。

 ラルとクラウスは、はっとして部屋の入口に視線を移す。

 入口には背の高い金髪の少年が立っており、ラルたちのほうをまっすぐに見つめていた。


「この部屋の人かな? 僕らもこの部屋に割り振られたんだ」


 ラルが訊ねかけると、新しく現れた少年ははきはきとした調子で答えた。


「ああ、同室の者だ。アルセニウス・マルキウスという。よろしく」

「僕はラウレンティウス・ウォルシウス。よろしく」

「クラウス・セスティウスといいます。どうぞよろしくお願いします」


 自分の名を告げながら、ラルは新たに姿を現した少年を観察する。


 上背のある少年だ。きっぱりとした物言いにひきしまった表情。決して尊大ではないが、どことなく命令を下すのに慣れているような印象を受ける。


(マルキウスと名乗ってた。水の竜の一門のひとか)


 同室の面々は、どうやらみんな、違う家門の出身らしい。偶然ではないだろう。故意にそう割り振られたに違いない。


 異なる竜を持つ者同士は、ともすれば対立関係に陥りがちだ。候補生としての最初の一年間をともに過すことによって、互いの間に少しでも理解と友情を育んでおきたい。そういった理念に基づいて、このような教育の在り方が考え出されたのだと聞いたことがある。


「あと一人はどんな人かな」


 思いついたことを何気なく口にすると、クラウス・セスティウスが無言で頷き返してきた。


(気の合う相手だといいんだけど)


 狭い部屋で一年間、顔を突き合わせて暮らすことになるのだ。候補生の生活は忙しく、自室で寛ぐ時間などさほど取れないと聞くが、不快な相手と同じ部屋で過ごしたいものではない。

 クラウス・セスティウスはなんとなく大丈夫そうな気がする。さっき現れたばかりのマルキウスの少年も、そんなに悪い感じはしない。

 ラルが考えを巡らせていると、アルセニウス・マルキウスが口を開いた。


「たぶんマルキウスの人間ではないだろう。単純に割合から言ってもマルキウスの候補生は少ないが、俺と同じ部屋になれば、たぶん、無駄に気を遣わせることになるだろうから」

「気を遣わせるって?」

「俺はマルキウス宗家の者なんだ。だからマルキウスの者が同じ部屋で暮らすとなると、どうしてもさ、上下関係っていうか、そういうのがちらついて、お互いやりづらいだろうし」

「そうか。君、あ、いや、あなたはマルキウス宗家の……」


 ラルは納得していた。

 アルセニウス・マルキウスは一見気さくそうだが、どことなく大身の子息にふさわしい風格のようなものを具えている。

 一門の者たちにとって、宗家は仰ぐべき存在だ。

 ラルにしたところで、もし自分がウォルシウス宗家の子弟と同室になったとすれば――気づまりで仕方ないに違いない。


「ああ。だからといって変に気を遣わないでくれないかな。黙ってたってどうせすぐにばれるだろうから、今、話した。けど、候補生は出自の差なく対等、それが基本だろう? 外の世界での上下関係とか、そういうのはいったん取っ払って、同じ仲間として扱ってほしいんだ」


 本心だろうか。

 口では対等にと言いながら、その実、特別扱いされなければ気の済まない面倒な貴人は少なくないものだ。

 ラルはそっと少年の様子をうかがう。

 アルセニウス・マルキウスは屈託のない、まっすぐな表情をしている。態度も率直で気取ったところはない。ほのめかしで人を従わせようとするようないやらしさは――ないような気がする。


「うん、そうだね」


 ラルもまた、屈託なく答えた。

 いちいち疑っても仕方ない。もともとそういった気遣いはあまり得意ではないのだから、変に裏を読もうなどと思わず、言葉どおりに受け止めよう。


 そのときだった。

 扉を叩く音が聞こえてきた。

 アルセニウス・マルキウスが振り返り、「どうぞ」と声をかける。

 その声に応えるように扉が開くと、ひとりの少年が部屋の中に歩み入ってきた。


(あ……)


 ラルは思わず声をあげそうになった。


 見知った顔だった。

 背の高い、やや痩せた少年だ。肩のあたりで切り揃えられたまっすぐな髪は、炎のような赤。端正な相貌に輝く鋼色の瞳は、怜悧で隙がない。

 候補生の試しの日にたった一度、薄暗い控えの間でたまたま行き会っただけだ。なのに彼の印象は強烈で、忘れられるものではなかった。


「同室の方々か? ソールシウス・エグランティウスという。一年間、よろしく頼む」


 赤毛の少年は扉を閉めると、はっきりとした声で自分の名前を告げた。


「エグランティウス……」


 唖然とした様子で、アルセニウス・マルキウスが少年の名乗った姓を繰り返す。

 だがすぐに、気を取り直したように、ソールシウス・エグランティウスに向きなおった。


「俺はアルセニウス・マルキウス。一年間、よろしく」


 アルセニウスに続いて、ラルとクラウスも自分の名を告げた。


「クラウス・セスティウスです。どうぞよろしく」

「僕はラウレンティウス・ウォルシウス。よろしく」


 名乗った後で、ラルは付け加えた。


「また会えて嬉しいな、ソールシウス・エグランティウス」


 部屋にいた少年たちは一斉に驚いたような視線をラルに向けた。

 そして話しかけられた当のソールシウス・エグランティウスはと言えば――


 ソールシウスは無言のまま、じっとラルを見つめている。

 その表情には特に変化は見られない。だがその視線の鋭さに、ラルはたじろぐ。


「ああ、そうだな――ラウレンティウス・ウォルシウス」


 しばしの沈黙の後、ソールシウスは平静な調子でそう答えた。だがその声はどこかこわばっているように、ラルには思えた。


(怒らせてしまったんだろうか。でもなぜ)


 ラルは戸惑っていた。

 自分とソールシウス――いや、ウォルシウスとエグランティウスと言ったほうがいいだろうか――の間には因縁がある。そのことを知らないわけではない。けれども、本人同士はほとんど初対面と言っていいような間柄だ。なのにこんな、敵意とも怒りともつかないような緊張感を伴う何かをぶつけられるのは、なんだかとても――理不尽な気がする。


「これで四人全員そろったな。じゃあ、寝台と机の割りあてを決めて、さっさと荷物を解いてしまおう」


 アルセニウスが明るい声で呼びかけると、場に漂う緊張した空気がふっとやわらいだ。


「そうだな」


 ソールシウスがアルセニウスの言葉に同意したのをきっかけに、四人の少年は部屋の中央に寄り集まると、共同部屋における私的な空間の割り振りについて話し合い始めた。


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