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メルデウスの御竜士  作者: 霧原真
第3話 海の彼方にあるものは
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2.父との対話

 マルキウス家の館は港湾都市エディテリアの郊外に建っている。

 エディテリアの港から館に着くまでのおよそ半刻、マグヌスは終始目をつぶったままぐったりとしていた。だが馬車が止まるとしっかりとした足取りで降り立ち、すぐに父の執務室に赴いて、経緯の報告を行った。

 思ったよりは元気だったのかと思ったのも束の間、マグヌスは夕刻に熱を出し、そのまま寝ついてしまった。


(やっぱり無理してたんだ。でもなぜ)


 アルスは少し不思議だった。

 兄もまた、自分と同じように船が好きのは知っている。

 幼い頃は叔父が港に戻ってくるたびに、一緒に叔父の船に乗せてもらったものだ。

 四歳の年の差は幼い子供にとってはかなり大きい。嫡男と次男という立場の差もある。同じ部屋で寝起きしているものの、ともに遊ぶような機会は意外なほど少なかった。そんな中で、海と船と海竜への憧れは、兄弟が共有する数少ない事柄だった。

 だから、帰港した叔父の船を訪ねたいと思う兄の気持ちはよくわかっているつもりだった。だが、兄は病みあがりで、実際には気軽に足を運べるような状態ではなかった。

 兄は冷静で頭がいい。自分の状態を把握していなかったとは思えない。なにか、無理を押してでも行かなければならない理由があったのだろうか。



  ******



 波止場で話をしてから三日後、ステファヌス叔父がマルキウスの館を訪れた。

 館の者たちへの挨拶もそこそこに、叔父は父の執務室に向かうと、そのまま長い間話し込んでいた。

 航海中の出来事を家長である父に連絡するのは、ごく当然のことだ。だが明るい気質の叔父は、まずは休憩がてら館の者たちと歓談して、海の向こうの国々でのほら話めいた冒険譚を聴かせてくれるのが常だった。今回のように、ろくに挨拶や休憩もしないまま、まっすぐに父の執務室に向かうなど、これまでには考えられなかったことだ。


 午後の学習をしている時だった。家令がアルスを探しに来て、父リベリウスが呼んでいると伝えた。

 何の用事だろう。

 父は普段、アルスに声をかけることはあまりない。世継ぎである兄は父のそば近くで近侍のような勤めを果たしているが、アルスは正餐のときに父と顔を合わせる程度だ。

 執務室を訪ねると、父は机の前に座り、眉間にしわを寄せて書状に目を通していた。


「アルセニウスか」


 アルスの存在に気づくと父は顔を上げ、読んでいた書状を巻き取って机の上に置いた。

 父の容貌はステファヌス叔父とよく似ている。だが、その瞳に宿る光はまったく違っていた。叔父の瞳は明るい夏の海を思い出させるが、父の瞳はさやかに晴れ上がった冬の空のようだ。冷厳で、逆らいがたい力を具えている。


「もう少し近くへ来なさい」


 言われるままに机の手前まで歩み寄る。その間、父は厳しい表情でアルスを眺めていた。


「この夏でお前も十三歳になった。これを機に確認しておきたいことがある」


 重々しい調子で父は問う。


「アルセニウス、お前は御竜士を目指すつもりか」


 何を今さらわかりきったことを。

 問いの意味を測りかね、アルスはきょとんとしたまなざしで父を見返した。


「……そのつもり、なのですが」

「思いとどまる気はないか」

「なぜです?」


 意味がわからなかった。

 五竜家に生まれた男児はみな、御竜士を目指す。一門を取り仕切る総領となる者を除いては。

 そこに思い至ったとき、アルスは嫌な答えに辿り着いた。


 ――総領となる者は通常、御竜士にはならない。だから兄マグヌスは候補生にはならなかった。

 今、父はアルスに御竜士になることを思いとどまれという。それはつまり……


「父上は、兄上を世継ぎからはずすおつもりですか?」

「いや、それは考えておらん」


 父は表情を変えず、淡々とアルスに答えた。


「マグヌスを廃嫡するつもりはない。あれは賢明で誠実だ。総領たるにふさわしいと私は思っている。問題があるとすれば、そうだな、あまり頑健ではないが」


 たしかに兄は昔からあまり体が丈夫ではなかった。だが、病弱というほどでもない。今も寝込んではいるが、あれは単なる風邪で……


(まさか)


「その……まさかとは思うのですが、兄上は何か性質(たち)の悪い病気なのですか? 命が危ぶまれるような」

「いや、単なる風邪と疲労だ。きちんと休息さえ取ればいずれ治るだろう。医師の見立てが間違っていなければだが」

「ではなぜ」


 しばしの沈黙の後、父は答えた。


「エルディアスという国の名を聞いたことはあるか?」

「大陸の中央にある……帝国を名乗る新しい国ですね」


 その名はアルスも聞き及んでいる。

 アルスたちの住むメルデウス王国は、大陸の東に浮かぶ島ラドレイアにある。

 ラドレイア島の民は大陸沿海部の国々とは商いを通じて交流を持ってきた。だが内陸部の国とはあまり付き合いがない。エルディアス帝国についても、名前こそ知られてはいるが、その実際の姿について詳しくは知られていない。


「三月前、エルディアス帝国はヴェレニア王国の都を陥落させ、おのが属国とした。そしてつい先日、シルウェン共和国が帝国に恭順の意を示したという」


 ヴェレニア王国は大陸の南西にある小国だ。海を通じてメルデウスとも交流がある。

 シルウェン共和国はそのヴェレニアにほど近い位置にある。メルデウス王国にとっては最大の交易相手であり、叔父の船も航海のたびにシルウェンの港に立ち寄っていると聞く。


「今までエルディアス帝国は海を持たなかった。だが今、ヴェレニアを落とし、シルウェンを掌中に収め、帝国は海を手に入れた。我々は今後、否が応でも帝国とつき合っていかねばならなくなる。帝国は武力をもって他国を従えてきた。我々もまた……いずれ覚悟を迫られる日を迎えるかもしれない」

「戦争に……なるってことですか」

「わからん。海を越えて戦を仕掛けるのは容易なことではない。だが、決して楽観はできない」


 海を越えて軍勢が攻めてくる。

 そんな事態が起こるとは、ほとんど考えたこともなかった。

 歴史の本には昔の海戦に関する記述もある。けれどもここ数十年、島内に存在する他の国との諍いならばともかく、メルデウス王国は――いや、ラドレイア島は――大陸からの侵略を受けるという経験を持っていない。

 しかし今、ラドレイア島を取り巻く状況は大きく変わろうとしている。


「帝国が海を手にした今、我らマルキウスは、このメルデウスで大きな意味を持つようになる。マルキウスは水竜を統べる者。海から来る者と対峙するのは我らの役割となるはずだ」


 父は冷静な表情のまま語り続けている。だがその声はわずかにうわずり、震えていた。

 おそらく恐怖ではないだろう。武者ぶるい、とでも言えばいいのか。

 抑え込まれた興奮が隠しきれずに漏れ出している、そんな印象をアルスは受けた。


「戦ともなれば、総領、もしくはそれに次ぐ者が、前線で指揮を執ることが望まれる。マグヌスは頑健ではない。戦場の厳しさにあれの体がどこまで耐えられるか。しかしアルセニウス、お前なら」

「私が兄上に代わってマルキウスの――いえ、海竜の御竜士たちの指揮を執る者となるべきだ。そういうことですか?」

「そうだ。マグヌスは後方を取り仕切り、お前が前線に出る。この形が理想的だと私は考えている」

「でも、それならなおさら、私は御竜士を目指すべきではないでしょうか」

「いや、それは違う。

 忘れてはいないか、アルセニウス。我らマルキウスの竜は海竜だけではない。水の竜すべてだ。塩気のない真水に生きる竜もまた、我らの竜」

「あ……」


 失念していた。

 マルキウスの竜は海竜。そういった先入観が確かにあった。

 将来自分が絆を結ぶのは海竜であり、その竜とともに大海原へ乗り出す。今ステファヌス叔父がそうしているように。

 だが実際には、マルキウスには河や湖に生きる淡水竜と絆を結ぶ者たちも存在している。


「マルキウスの頂点に立つ者は海と真水、双方の竜に力を及ぼすことが望まれる。だが御竜士はただ一頭の竜に縛られてしまう。ならばむしろ御竜士にはならずに、状況に応じて複数の竜珠環を使い分け、異なる竜に指示を下せるようにしておいたほうがよいのだ。たとえその絆が御竜士とその竜の間に結ばれるものと比べて浅く不確かなものであろうとも」


 父の言うことは理解できる。だがアルスは釈然としなかった。

 エルディアス帝国は海の彼方の国だ。帝国とメルデウスが戦う時にまず戦場となるのは、海の上であるはずだ。エルディアス帝国への対策を第一に考えるならば、海竜と強い絆を持つ指揮官こそが必要とされるのではないか。

 さらに続けて父は言った。


「それに、御竜士は危うい。竜が命を失えば、御竜士もまた命を落とす。逆もまた然り」


 呟くような声だった。しかしその言葉はアルスの胸に鋭く突き刺さった。


 ――竜が命を失えば、御竜士もまた命を落とす。


 メルデウスの人間ならばみな知っていることだ。だがあえて口の端にのぼらせることはめったにない。


「頂点に立つ者はたやすく死んではならない。導き手が失われれば、多くの者が惑うからだ。だからこそ、通常、一門を束ねる総領は御竜士にはならない。

 アルセニウス。これは命令ではない。お前が御竜士になることを望むなら、その思いを妨げはしない。だが、いったん御竜士として竜珠の絆を結べば、他の道はすべて閉ざされる。だからよく考えるのだ。マルキウスにとって、いや、お前自身にとって、何が最良の道であるのかを」

「父上、私は……」


 やはり御竜士になりたいのです。

 そう答えるつもりだった。だが、いざ声を発しようとしたその時、アルスを押しとどめたものがあった。


 ――真っ青な顔で波止場に立っていた兄。

 苦痛を訴えることなく、自らに課せられた責務に忠実であろうとする兄。

 もし自分が御竜士になるという選択を行えば、兄マグヌスはさらなる重荷を背負い込まなければならなくなるのだろうか――


 アルスのためらいを感じ取ったのだろう。父はちいさく頷いて、静かな声で言った。


「迷うのはもっともだ。今すぐに答えずともよい。候補生の試しが行われるのは来年の春。それまでに答えを出せばいいのだから」

「はい……」

「もうさがってよろしい」


 それは許可というよりは命令だった。

 アルスの動向に構うことなく、父はアルスから視線を外し、横に置いてあった書状を広げて読み始めた。

 無言のまま一礼すると、アルスは父の前から足早に立ち去った。

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