雨の日の願い事
こんにちは、葵枝燕です。
今回は、久々に長めの単発ものです。ジャンルは、[恋愛(現実世界)]です。
簡単に言うと、「素直じゃない女の子の話」ですかね。簡単すぎますが。
それでは、どうぞご覧ください。
石部麻里菜は、空を仰いだ。そして、目を少し細めながら呟く。
「梅雨入りしたんじゃなかったのかよ」
麻里菜の視界には、青く澄みきった空が拡がっていた。白い雲がいくつか浮かんではいるが、それでも太陽の勢力を封じるには足りていない。どこをどう見ても、快晴の空模様である。
麻里菜は、憎々しげに太陽を睨んだ。そうして、足元に転がっていた小石を、軽く蹴飛ばしてみた。小石はニ、三回跳ねたあと、近くの草むらに消えていった。
麻里菜は、梅雨を心待ちにしていた。雨が降るのを楽しみにする人は、あまりいないだろう。しかし、麻里菜は違った。元々雨が嫌いなわけではないし、それに何より雨の日にやりたいことがあったのだ。
「マリ、残念だったね」
長い黒髪をさらりと揺らして、そう声をかけてきた多野日花里に、麻里菜は眉間に皺を寄せながら答える。
「うっさいよ」
麻里菜の発した言葉は乱暴そのものだった。しかし、日花里は何も気にしていないようだった。いや、実際のところ何とも思っていなかった。ただ、日花里は心の中で溜め息を吐いただけだった。
「いや、私も少しは憧れるけどさ。でも、もっと積極的にいけば?」
「あたしなんかがそんなこと、したってしょうがないでしょ」
放り出すように麻里菜は言う。その言葉に、日花里は困ったように微笑んだ。
「梅雨だったら」
麻里菜は呟く。窓際の麻里菜の席からは、晴れ渡った空がよく見えた。それを見ながら、落胆に満ちた声で続ける。
「雨、きっと降ると思ってたのにな」
「楽しみにしてたもんね、マリ」
日花里がクスリと声を漏らす。それにちらりと視線を走らせて、麻里菜はまた外を眺めた。
何度見ても変わらない青い空が、ただただそこにいる。雨など降る様子はない。
「ほら、でも降るかもよ?」
「日花里、天気予報見てないの?」
尖った声が飛び出した。それさえも軽く受け流すように、日花里がウインクをする。
「天気予報なんて、そんなに当てにならないもんよ?」
「あっそ」
そう返して、麻里菜は机に突っ伏した。もうすぐ授業の始まる時間だったが、真面目に受ける気など最初から麻里菜にはない。そしてそれを、日花里も知っていた。
「じゃ、私、戻るね」
無言のまま、麻里菜はひらひらと左手を振った。それを見て、日花里はまた微笑んだ。
(ほんと、素直じゃないんだから)
そんなことを思いながら、日花里は麻里菜から背を向けた。
授業の間、麻里菜はずっと考えていた。
(どうやって、黒木と喋ったらいいのかな)
その名前を出しただけなのに、麻里菜は心臓が早く動き出すのを感じた。
黒木司は、麻里菜の隣のクラスの男子生徒だった。そして麻里菜は、その司が好きだった。しかし、積極的に行動することには躊躇っていた。
その理由を話したとき、日花里は言った。「そんなに気にすることないんじゃないの?」と。それでも、気にせずにはいられなかったのだ。
髪の毛を茶色に染め、言葉遣いも乱暴で、授業中も寝ているような“不真面目”な石部麻里菜。制服の第一ボタンまできっちり留めて、学年で一番の席次の持ち主である黒木司。あまりにも、タイプが違いすぎた。
見た目の問題がここまで大きいものなのだと、麻里菜は痛感していた。きっと自分は黒木司には似合わないと、そう思っているのだ。
それでも、司への想いはそう簡単に消せるものではなかった。
「マリ……マリってば!!」
肩を叩かれ、ようやく目を覚ます。顔を上げると、日花里がいた。
「……何?」
「外、見てみなよ」
言われて、外へ視線を向ける。それを見て、麻里菜の表情が僅かに動く。
「この調子だと、帰りには土砂降りかもね」
空を覆い始める、黒い雲。微かに、雷の音が聞こえる。小さな水滴が時折、何粒か降ってくるのが見えた。
「願い、叶いそうだね」
「うっさい」
刺々しく呟いた麻里菜の横顔に目を向け、日花里は朝と同じように微笑んだ。
(ほんと、全然素直じゃないなぁ)
そう思いながら、日花里も外を見た。
(ま、そういうとこがマリのかわいさ、だよね)
そんな思いを心の中に閉じ込めて、日花里は暗雲立ち込める空に手を合わせた。
意地っ張りな友人の行く末を願い、機会をもたらす雨雲に感謝しながら。
「今日の天気予報、一日中晴れじゃなかったのかよ」
「朝は晴れてたのにねー」
「傘持ってないんだけど」
「よかったー、折り畳み持ってて」
「この勝ち組め! うちらもいれてよね」
昇降口は、予報外れの雨に見舞われた生徒達の思い思いの声に溢れていた。その中に、麻里菜もいた。いつも一緒に帰っている日花里とは途中で別れた。なんでも「描きかけの絵を仕上げてくる」のだと言う。日花里は生徒会と美術部に所属しているが、要領のいい器用な彼女に“描きかけの絵”があることに麻里菜は驚いていた。
生徒達は、誰かの傘に入ったり、意を決して走り出したり、「小降りになるまで図書館で時間潰そうか」と引き返して行ったり――十五分もすると、昇降口からは殆どの人がいなくなっていた。麻里菜は、靴を履き替えて、立ち上がる。そして、深く息を吸った。
ガラスでできたドアの向こうに、絶え間なく降り注ぐ雨を眺めている一人の男子生徒の姿があった。見間違えるはずがなかった。
「黒木」
名を呼ばれ、男子生徒が振り向く。僅かに驚いたような表情を見せたが、それだけだった。
「石部さん」
麻里菜は、心臓が破裂するような気がした。思いもしなかったのだ、黒木司に名を知られているなどとは。
「何で、あたしの、名前」
「石部さん、いつも席次十番以内だから。掲示板に貼られてる席次の人は、大体把握してるから」
少し俯きながら、司は言う。
「そう、なんだ」
それだけ返すのがやっとだった。それでも、麻里菜は嬉しかった。
(黒木が、あたしの名前を知ってた)
今なら空を飛べるかもしれないと、柄にもないことを思った自分に顔が熱くなるのを感じた。手で風を送りながら、少しだけ落ち着きを取り戻す。
「黒木、帰らないの?」
「帰りたいんだけど、こんな土砂降りだと……」
雨空を見上げながら、司は言った。この雨の中、濡れてまで帰りたくはないようだった。
麻里菜は肩にかけた鞄に目をやった。中には、薄い黄色の折り畳み傘が入っている。こんな日になることを夢見て、梅雨入りが発表されたその日からずっと忍ばせていたものだった。
たとえ、周りから不釣り合いだと言われてもいい。今日だけは、司の隣にいたいと思った。
いつもの麻里菜ならきっと、声をかけることもしなかっただろう。それでも、この日の麻里菜はいつもと違ったのだ。
「駅まで、一緒に行かない? その、黒木が、いいなら、なんだけど……」
振り絞った言葉に、たどたどしく台詞を付け足す。
(断られたらどうしよう!?)
心臓の音が、自分の耳にも届いた気がした。大きく大きく脈を打つ。
長いように感じた時間だった。しかし、実際には一分の時間さえも経っていなかった。
「いいの?」
司の声が、麻里菜に届く。
「折り畳み、だから小さいけど。それでもいいなら。駅までなら、その……あたしも電車だし……」
言い訳じみた言葉だと、麻里菜は思う。それでも、この瞬間を夢見ていたのだ。
「助かるよ。ありがとう、石部さん」
「う、うん」
麻里菜が差そうとした傘を、そっと司が取る。麻里菜は驚いて司を見た。司は恥ずかしそうに笑いながら、
「俺が差すよ」
と、言った。麻里菜の表情は変わらなかったが、その頬にさっと朱が入った。それでも、普段感情をめったに表に出さない彼女にしては珍しい表情が、そこには確かにあるように見える。
麻里菜と司は、小さな薄黄色の折り畳み傘の中で、身を寄せ合った。土砂降りの雨の中、二人は校門に向かって歩き出した。
校門を出ていく二つの人影を見ながら、多野日花里は鉛筆を動かしていた手を止めた。そして、自分以外には誰もいない空間で、一人微笑んだ。
(まったくもう、手がかかる二人だこと)
友人である少女と、生徒会で顔を合わせる少年が、実は互いに好意を持っていることには気が付いていた。そんな二人と多かれ少なかれ接してきたのだから、気が付くなという方が少し無理があるくらいだ。
(ま、あとはなるようになる、かな)
そう感じた日花里は、また鉛筆を動かし始める。そこには、小さな傘の中で寄り添う一組の男女が描かれていた。
(マリに見せたら、不機嫌になるだろうなぁ)
そんなことを考えると、口元に浮かぶニヤニヤとした笑いが止められなくなった。眉間に皺を寄せ、「何なの、その絵」なんて言い放つ、友人の姿が頭に浮かぶ。
土砂降りの雨音の中で、日花里は紙の上に鉛筆を走らせ続けていた。
『雨の日の願い事』、いかがだったでしょうか?
この話における主人公は麻里菜さんですが、一番頑張っているのは日花里さんな気がしなくもない感じです。日花里さんはお節介焼きなんだと思ってます(面倒見がいいともいえるかもしれません)。
さて、そんな麻里菜さんの言葉遣いのモデルは、私自身だったりします。私の通った中学と高校は、県屈指のヤンキー校のようなものでした。なので私は、見た目大人しい割に言葉遣いは悪い方だと思います。それを、麻里菜さんの言葉遣いにしてみました。
いつもなら、結局叶わないまま終わるっていう結末にしそうなんですけど、珍しくハッピーエンド(?)ですよね、多分。
実は、これを書いている間にこちらでは梅雨が明けました。どうしようか悩みましたが、まだ梅雨のところは多いと思うので、投稿しました。
それから、もう一つ梅雨ものを考えているのですが、まだアイディア段階です。書き始める頃には、夏になっているかもしれません。それでも、時季を無視して投稿するかもしれません。けれど、来年に回すかもしれません。とにかく、せっかく浮かんだアイディアですから、頑張って形にしたいと思っています。
結末を急ぎすぎ、少し雑になってしまった箇所がいくつかあると思います。多分、私自身読み返しながら改稿を重ねていくと思います。でもとりあえず、結末まで無事書けたことが、今は嬉しいです。
読んでいただき、ありがとうございました!!