ミッドガルドⅣ
「……なに?ミッドガルドにヴァルハラの犬共が潜入してきただと?」
「はい。スラム街の中でも特に力のある、新人類の一人である女連れの“絶剣”のローランと接触したようです。奴ら、首都内部に潜入して来るのが目的のようで……。エインへリアルはディルムッド・オディナ、フィン・マックールの孫のオスカー、あとはハーゲン様が会ったという暁・エリアルの三人です」
そこは、白いオフィスビルのような場所であった。綺麗な大理石の壁、部屋はそれぞれ一つずつ扉のすぐそばに人相認証システムを応用しており、特定の地位にあってさらに特定の登録されている人物でなければ入ることもできない部屋が存在してもいる。タイタス・スローターを背負うハーゲンは自分より地位が下の斥候を管理している職員から報告を受けた。旧人類の願いと夢が紡ぎあげたもの、伝承によって生み出された英雄を再現した存在・それがエインへリアル。
異能として、その英雄が持っているとされる能力を持ち、外宇宙からの侵略者・アウスヴィやアウスヴィの尖兵ともいえるクリーチャーと戦い、旧人類の守護者。
それがエインへリアルである。
「“絶剣”のローランと言えば、万物一切を切り捨てることができ、さらに不壊の名剣デュランダルの持ち主でもあり、金剛石のような肉体を持つ英雄・ローランと同様のミュータント。スラム街では、その頑健な肉体と腕っぷしの強さでそれなりの地位を築いているというのは聞いているが、女連れとは聞いていないぞ?」
「はい。その女というのが、ローランが最近拾ってきたようで……」
報告の内容はこうだ。
スラム街でいつも通り、その日の食事の調達にローランが出かけると、件の女がギャングに絡まれていたという。ミッドガルドのスラム街はミッドガルドシティに比べ治安が悪く、強盗・殺人・強姦・追いはぎ上等という無法地帯でもある。そんな場所に女が一人でいればどうなるのか、想像に容易く、そのまま放っておければどうなるのかと結果が分からないほどハーゲンの頭は鈍くはない。
ローランはギャングに絡まれている女を発見次第、まるで彼女と知り合いであるかのように親しみある声色で声をかけ、肩に手を回して見せたという。ギャングの言い分としては、ミッドガルドに初めてきたという女を親切に案内してやるという名目で自分たちと来るように迫り、女に侮辱的な言葉をかけられたので傷ついたのが本音だそうだが。
そこでローラン、彼らに指を突き付けてこう言い放ったという。
「それでも、女一人を男が大勢で絡むとか男らしくねえ。気に入ったってんなら、てめぇで努力して男磨いてどうにかしやがれ!」
至極真っ当なことを言っているようだが、ハーゲンはほくそ笑んだ。エインへリアルにいる“英雄譚の主人公”特有の高潔さに。こういった高潔な英雄はいつもロクな最期を迎えず、背後からの一刺しで死ぬことも少なくない。つい最近に出会ったシグルズ・オルムこと、暁・エリアルという大蛇殺しのラグナルの息子で竜殺しのシグルドの孫もその心に輝かしい英雄としての精神を持ってはいるものの、くすみがみられている。おそらく、過去にあった出来事が原因でその輝きが薄れつつあるのだろう。
ならば僥倖、とハーゲンは笑う。ハーゲンにとって最も至福の時は英雄が絶望し、墜ち行く瞬間。
逆に気に入らない瞬間はディオスクーロイの兄が見せた、英雄としての輝きである。
「ハーゲン様?」
「構わない、続けてくれ」
ハーゲンのオフィス、ハーゲンが少しものを考えているように見えているのか、部下の職員はハーゲンの顔色を窺う。エインへリアル殺しの戦法にタイタス・スローターを振り回すさまはまさに脅威、自分が恐れられていることを気づいているハーゲンはあくまで愛想良く笑うのに務めた。
ローランの経歴に戻ろう。
それから、ローランに痛いところを突かれたことで激昂したギャングたちはローランを囲んで袋叩きにしようとした。ローランと同じミュータントの男がその集団の長だったが、頭が足りず、少なくともローランでも対処できるほどに烏合の衆であった彼らはすぐさまローランによって伸されてしまったという。ほとんど切り札に相当するという、ローランの武器・“名剣”デュランダル。そのデュランダルを使わずして勝利したことからも、ローランはそのままでも非常識な実力を持っていることに間違いはない。
鮮やかに勝利を決め、自分を守ってくれたローラン。そんなローランに女は惹かれてしまったのか、以降、ローランとともに行動することが多くなったという。しつこく絡み、ローランに愛を囁く女の存在はエインへリアルが来る前からすでにミッドガルドで目撃されているんだとか。ローランはそっけなく返すことも、天然を出すこともあるそうだが、悪いようにはしていないところからローランのヒトの良さが窺える。やはり、ローランもまた“英雄”の名前を冠するだけのことはあると言えるか。
「それで、その女の名前を聞いても構わないか?まさか、聞いていないというのはあるまいね?」
「ええ、その女の名前というのがサーリアと言いまして」
職員から名前を聞くと、ハーゲンは口端を吊り上げて嗤った。ローランに、英雄に押し付けるにはちょうどいい厄災と言えるだろう。その正体に気づいたとき、英雄は、“絶剣”のローランは輝きを失わずにいられるだろうか?
――――覚えておけ。私が死んだあと、私の遺志を継いだ子がお前を倒しに向かうことだろう。
銀髪の竜殺しが遺した言葉、その意図は自分が死んでも意思は必ず残っているだろうという意味が含まれている。
――――後悔はあるか、だと?ふざけるんじゃねえ、ンな弱音を吐いてちゃあ、俺の親友と俺の息子に笑われちまうだろうがよ
クリーチャーの皮で作った皮ズボンが特徴的な槍使い、大蛇殺しのラグナルが残した言葉。維持を貫き通そうとした様子は義父のシグルドに通ずるものがある。娘を渡すのにふさわしい、とヴァルハラの大英雄が認めた男、少なくとも、英雄にとって自分と似ているところがあると見たのだろうか。彼らはどんなときも武器を持って勇敢に立ち向かう。
竜殺しのシグルドであれば、その手にある一品仕様の魔剣グラムで血を大量に出血しながらも、諦めずに立ち上がる。
大蛇殺しのラグナルであれば、先端が炸裂する大槍を構え、その先端を満身創痍の身体でハーゲンに槍を向けながら。
「ありがとう、下がっても構わないよ。自分の業務に戻ってくれ」
「はっ、失礼しました」
そう言って職員はハーゲンの部屋を去る。ハーゲンは職員が去って行った後、テーブルにあるポータブル・プロジェクターの電源を入れる。やがて、小型の正方形から光が放たれ、液晶画面が浮かび上がる。
『ハーゲン君ではないか、なにかね?』
「突然の連絡、申し訳ありません。というのも、報告しておきたいことがありまして」
『報告?忌々しいケイローンの教え子、ディオスクーロイの片割れのカストールを殺したことであれば、すでに私の方に届いているよ。実に兄弟思いのお兄さんであったようだね、カストールという英雄は。そして、――――実に愚昧である』
液晶画面に映ったのは軍服に身を包む、赤髪の壮年の男性であった。胸元には文明崩壊前で言うところの反転したアルファベットのA、これは彼らの組織の紋章といったところか。ハーゲンの仕事に満足しつつ、壮年の男性はハーゲンの言葉を待つ。
「サーリア、という女について教えていただけませんか?」
『――――なるほど、あのヴァルハラの忌々しい犬共を掃滅させねばならぬ時が来たようだ。ハーゲン君、時間を設けよう。私と君が顔を合わせ、話す会談の場が必要だ』
サーリア、という名前を聞くと壮年の男性は笑った。ハーゲンは笑う男性の様子を見ていると、どうしても背筋が凍るのを感じる。彼はそう言ったイメージがないのに、なぜか氷という印象をこちらに与えてくるのだ。
「閣下の時間の合う日で構いませんよ」
『気を遣わせたようですまないね、ハーゲン君。では、この日はどうだろうか?』
ハーゲンは彼の言うことをただ聞いていることしかできなかった。