【1】最近の猫は喋る
くるりくるりと無重力の中、浮いている感じがする。
(あれ、ここどこだっけ…)
何も思い出せなかった。自分が誰なのか、名前すらも…。
「…目が覚めた?」
ふと目の前に一筋の光が現れた。
自分を包み込むように、通り過ぎて行き…
気が付くと、見知らぬ場所に座り込んでいた。
「…森、の中…?」
立ち上がり、周りを見渡す。
先程、誰かに話しかけられた気がしたが誰もいなかった。
風の音と、鳥の鳴き声だけが聞こえる。
「……」
ここで、何してたんだっけ?
何も思い出せない。
「おはようございます」
「!?」
目の前で声が聞こえ、驚いでビクッとなる。
足元を見ると…猫が二本足で立っていた。
屈んで、目線を合わせてじっと見る。
「……」
「おはようございます」
猫が二度目の挨拶をした。
真っ黒で金色の目をしてる可愛いらしい猫だ。
日本では黒猫は縁起が悪いとされるが、喋る猫はどうなのだろう。
「まだ眠いですか?」
「はい。まだ寝ているようです」
目の前の猫が喋っているんだから、夢の中だろう。
「起きるまで待ってください」
「わかりました」
しばらく猫と無言で見つめ合う。
猫は素直に待っているようだ。
何分経っただろう。
いくら時間が経っても目が覚めない。
どうやら現実のようだ。
「まだ時間がかかりますか?」
「いえ、しっかり目が覚めました」
猫が喋ってる。それは目も覚めます。
「おはようございます。名前はわかりますか?」
「おはようございます。名前はわかりませんが、黒色なのでクロが良いと思います」
「私の名前ではありません。あなたの名前です」
「ふむ…」
思い出そうとする…が思い出せない。
無くなってぽっかり空いてしまったように自分のことが何も思い出せなかった。
「猫に名乗る名前はありません」
「つまり、覚えていないのですね」
なぜか猫は嬉しそうに目を細めて笑った。
「成功したようです」
「成功?」
「あなたの思い出、つまり記憶をとりました」
「まぁ、なんて恐ろしい泥棒猫…今すぐ返してください」
猫の脇を持って抱き上げる。
フワフワして、柔らかかった。
「待って。落ち着いてください」
「すごく落ち着いてモフろうとしています」
「記憶をなくしたのは理由があります」
もふもふもふ。
話に耳を傾けず、聞かなかったことにすれば普通の猫と変わりない。
「至高の幸せです。このモフモフに包まれながらなら死んでもいいです」
「あなたはもう死んでしまったのです」
「え?」
流石に思考がストップし猫を地面に落としてしまった。
ふにゃっと痛そうな鳴き声がした。
「ということは…ここは地獄ですね」
「違います。天国という発想はないのですね」
「性格と行いと頭が悪いのが自慢です。詳しく思い出せませんが、そんな感じだった気がします」
「そうですか。ですが、全部自慢しないほうがいいです」
その場に足を広げ座り込んだ猫がこっちを見上げる。
地獄でも天国でも無いとすると、ここはどこだろう。
「ここはあなたの住む世界とは別の世界です」
「?…よく意味がわかりません」
「本などによくある、ファンタジーの世界です」
考えて、首をかしげる。
たしかに猫が喋るぐらいだからファンタジーだろう。けど…
「人は死んだら異世界に行くのですか?」
「いえ。あなた方の世界では死んだら地獄か天国です。その後、同じ世界で転生します」
なら尚更わからない。
どうして自分はここいるのだろう。
「もしかして、地獄も入国拒否してしまいましたか?」
その質問に、猫は悲しそうな顔で答えた。
「いいえ。あなたは絶対に地獄行きだと言っていました」
「人気者ですね。嬉しくはないですが」
なぜ、猫は悲しそうなのだろう。
「ですが…私は…」
不思議に思っていたが、そんな心配はいらなかったようですぐに真顔に戻り喋り出す。
「私はあなたにやり直して欲しいのです。この異世界で」
「人生をですか?」
「はい。そして、天国に行くような立派な人になってください」
つまり記憶をとったのはやり直すため…
ダメな記憶を無くして一から頑張れということなのだろうか。
「拒否権はありますか?」
「あります。地獄行きですが」
一応希望は通してくれるらしい。
「…もし、その立派な人間になれなかった時は?」
「改めて地獄行きです」
「イエス、ノーでも結果は一緒ですか」
「心改めるという結果も考えてください」
悪い頭でじっくり考えてみる。
拒否すると地獄行き。もし異世界で生活し、そのまま一生を終えても地獄。
同じように見えるが…
「ここで生きた方が地獄行きを先延ばしできますね」
「私の話は聞こえてますか」
「ちゃんと右耳から左耳に通り過ぎてます」
「左耳を塞いでください」
ふぅっと猫がため息をつく。
疲れて来たようだ。