トカトカ国の修学旅行記?「牛・縄・レダ・朱鷺を求めて」(言葉遊び200文字童話詩)
相次ぐ国難に亡びゆくトカトカ国。消滅後に発見された修学旅行の手記か⁉
400字詰め原稿用紙1万枚を200字におさめた、超コンパクトな『失われた時を求めて』。
最後に<評価する>という秘孔を突いてもらえれば、私はもう死んでもいい?
抹茶オーレに八ツ橋を浸して
三年坂を歩いていたら
石畳につまずいてコケそうになった
するとかつて猫に伴われておけら詣りをした記憶が
まざまざと甦ってきた
これを特権的瞬間とかいうらしい
坂は鳥獣たちで賑わっており
別名産寧坂とかいうので
岩田帯を締めたメス牛は
安産祈願を兼ねているのだろう
縄におけら火を移した火縄を
手にぷらぷらさせている
レダは朱鷺の姿になったゼウスと交わり
カイオウとラオウとケンシロウを身ごもっている
プルースト『失われた時を求めて』を未読の方は、以下は読まないでくださいな。
お前あの世界一長い小説をほんとうに読んだのかだって?
じゃあネタバラしてやろうか。
シャルリュス男爵はホモだぜ。
(あとがきはさらに続く)
今回、私は『失われた時を求めて』を200文字におさめるなどと称して、ギリシア神話と「北斗の拳」を戯れ事として並べたてましたが、別に故なきことでもないのです。
「北斗の拳」が漫画あるいはアニメで発表されたとき、「お前はもう死んでいる」というケンシロウのセリフが、何故ああも一世を風靡したのでしょう。それは、秘孔を突かれた相手が意識はあるのに生物学的に死んでいるという、あの言葉の不思議な浮遊感が、見る者の心を捉えたからでした。
この浮遊感こそ、「北斗の拳」とおなじくホモソーシャルな世界観を描いた『失われた時を求めて』における、プチ・マドレーヌの挿話もしくはサン=マルコ寺院でのエピソードに畳み込まれた、特権的瞬間に相通ずるのではないでしょうか。
そしてそれらを遡行すれば、時空を超えて神々や人間の栄枯盛衰に干渉するゼウスを全知全能の主神と崇める、ギリシア神話に辿り着くのではないでしょうか。