八、 植物獣
「あれ、ここは…」
目を開くと、先の方にゆらゆらと光る光がいくつもあった。空を見るとすっかり暗くなっていて、月が強く輝いていた。
「ふぅ、やっと起きたか」
「もしかして私、ずっと寝てた?」
「ああ、ぐーぐーヨダレ垂らしてたな」
「うそっ」
「うそだ」
「…………」
こ、こいつは…。どこまでも意地悪なんだっ。
怒らない、怒らないっ…落ち着け…
「ね、ねぇ…テト。ここはどこ?」
「俺らが住んでいる所だ」
テトが住んでいる所…
もう一度、目を凝らして周りを見た。ゆらゆらと光る中には見たことも無い低い建物が何件も連なっている。
その建物をなぞる様に人らしきものが4、5人集まっているのが見えた。
「正確に言うと、俺の家はこの商店街を越えた所にある」
「しょうてんがい……?」
「あー……説明は後だ。とにかく行くぞ」
「あ、うん」
テトは再び歩き出した。さっきまで、足場の悪い所を歩いていたせいか、早く進んでいる気がする。
徐々に、徐々に、先ほど見た光が遠くの方へ後ずさって行く。
テトは一体どこへ向かっているのだろうか……?家では無い、恐らく。「しょうてんがい」という物の先には間違いなく向かっていない。じゃあ、ここは、どこ?
再び辺りは真っ暗になった。上を見上げると、かろうじて星と月が見えた。唯一見える光に私は安堵した。
「4回死んだな」とテトは言った。その得体の知れない恐怖に背筋が寒くなる。
私は今、一体どういう状況に置かれているのだろうか。分からない事が多すぎて、全く頭が追いついていなかった。果たしてテトとこのまま一緒に居ても安全なのだろうか。もしかしたら、私を殺しに来たのかな?だとしたらなぜあんな必死になって森を走り回ったのだろう。
私達は何から逃げていたのだろう。分からない。
誰が私を殺そうとしたのだろうか。テトは何者?なぜ今こうして私をおぶさってるの。聞きたいことが山ほどある。でも、今は聞けないよ…せめて、落ち着いたところで。
「着いたぞ」
「えっ、ここ?」
目の前には大きな木。暗くてよく見えないけど、木にはまた別の植物が細かく巻きついている様だ。
とても「着いた」という言葉が信じられなかった。
「レイ!居るんだろ?開けろよ」
テトが木に向かって大きな声で言った。しかし、木は何も反応しなかった。
「ったく、無視決めこんでんな…」
そういうとテトは木を思い切り蹴った。木全体が震え、つなぎ目が弱くなった葉や果実、虫が一気に地面に落ちた。周りが大分静かだったせいか、森全体が悲鳴を上げた様に感じた。
「ちょ、ちょっとテト…いくらなんでもそんなっ」
「構わない。こうでもしないと出てこないから」
木の震えが治まった。しかし、中からは何も出てこない。
「留守なのかな…?」
「分からない。入るか」
「えっ!ちょ、ちょっと」
私が制止する言葉を無視してテトは木に巻きついている植物を足で器用に退け始めた。まるで土を掘っている気分になるくらい植物はぎっしりと敷き詰められていた。入る者を容赦なく拒絶している様にも感じた。
大分進んだところでテトが植物の束を蹴った。すると、足が難なく刺さった。何回も続けていく内に、人が入れる大きさまで入り口が広がった。
中は外から見たら信じられない位明るく、一瞬目が眩んだ。
「なんだ。居るじゃないか、レイ」
「このクソガキ…何べん言えば分かるんだよ。入り口直すの大変なんだぞ!」
大分目が慣れて来たと思ったら、目の前に白衣を着た女性が椅子に座っていた。髪は短く前髪が長い。丁度左目が隠れていた。
この人もテトみたいに体中草が生えていた。葉と葉の間には黄色い花。これも見たことが無い。なんていう花なんだろうか。
「出てこないそっちが悪い」
「よく言うわ!こんな夜中に誰が出てくるんだ。ああ、もうまた閉めなきゃ……」
「まだ商店街は賑わってたけど」
「あそこは別物!あんな不摂生していたらお肌が崩れてしょうがない」
レイと言う人は自分の頬をやさしく撫でた。そして鏡を見てうっとりしていた。それを無表情で見ているテト。
えーと、何というかすごく対照的に思えた。
「それはどうでも良いんだが、こいつの足治してくれないか」
テトはそう言うと私の方に親指を突き立てた。突然話題が私に移ったので少し驚いた。
「どうでもいいとは何よ!って、あら…これは酷い」
レイという人は私の足を見るなり手を口に当て、眉を少し寄せた。そんなに酷いのかなと改めて見たら、ペイントしたかの様に真っ赤に染まっていた。元の色が何なのか分からなくなる位。
「何してんの!早く降ろしなさい」
レイさんの指示を聞き、テトは私をすぐ近くにあった白いベットの上に私を降ろした。そしてさっきまでレイさんが座っていた椅子に腰をかけ、近くにあった本を手にとった。
レイさんはというと壁中に広がる小さな引き出しを一つ一つ開け、中から一つまみずつ手に取り、持っていた籠に放り込み始めた。その表情は真剣そのもの。
「ねぇ、レイさんは籠に入れて何をしようとしているの?」
「……」
本に夢中で聞こえていないのか、はたまた無視しているのかテトは何も反応しなかった。せめて一言位何か言ってよ!
さっきまで意識していなかったせいか、足の痛みが急に増した様な気がした。その瞬間、喋る気力もなくしてしまった。
「あなたの足に効く薬を作ってるんだよ」
一通り籠に入れ終わったレイさんが、私の問いに答えてくれた。
「え、薬?」
「そう、こうやって集めた草をすり潰すの。で、出来上がった汁を布に浸してしみこませる。おっと、水も忘れてはいけない」
話している間にも、手はどんどん動いていた。鮮やか過ぎて思わず見とれてしまった。
「はい、出来上がり!さ、足出して」
「は、はい…」
恐る恐る右足を真っ直ぐ上げる。丁度ふくらはぎあたりをレイさんの左手が支える。そして水に浸してある布を足の裏に当てた。
「い、いったー……」
「ほら、我慢!そうしないと後でもっと痛いよ」
「それはいやです!」
「その意気だ」
レイさんは布で私の足に滲んだ血や土、草を綺麗にふき取った。そしていよいよ薬が浸された布を手に取った。
「ふふっ。貴方のお名前は?」
「と、十沢凜です」
「十沢凜……なるほどね、通りで」
レイさんはまだ本を眺めているテトに視線を向け、数秒見つめた後少し目を泳がせた。
その意味深な行動を気にする暇もなく、レイさんはゆっくりと私に視線を戻し、妖艶な笑みを浮かべた。
「凜ちゃん、分かっていると思うけど」
私はごくりと生唾を飲み込んだ。そう、きっと、絶対に。
「痛いわよ」
レイさんの動きがとても遅く感じた。徐々に薬がしみ込んだ布が近づいてくる。足の裏に布が触れた瞬間、世界が終わってしまったと錯覚する位、私の頭が真っ白になった。
「はっはっはっは」
「レイさん酷いです……」
「大げさだ」
笑い転げるレイさんに、痛くて半泣き状態の私。そしてそれを冷ややかに見るテト。
二人とも、酷すぎる……
「いやぁ、あんなに暴れだすなんて想像もしなかったよ。こいつが抑えてなきゃ薬ごと部屋に撒き散らしてたね」
「だ、だって、あんなに痛いの初めてだったんです。テト、ごめんね……」
私が見るなりテトは目をそらした。表情は変わって無いが、怒っているに違いない……
レイさんが布を足に当てた瞬間、私は痛さで暴れだした。それを見かねたテトが私の両脇を抱きかかえ、身動きが出来なくなり、ようやく治療が再開された。痛かったからとはいえ、迷惑極まりない。私は何度、テトを怒らせば気が済むのだろうと嘆いた。
「まぁまぁ、凜ちゃん可愛いじゃないか。いつも怪我したときはどうしてたのさ」
「えーと、お手伝いロボットを呼んで治療してもらいます。でも、こんなに大きいケガはしたことがなくて」
「あ、そっか。凜ちゃんは」
レイさんは言葉を止め、テトの方を見た。今度は目を合わせていた。テトが少し目を細める。一体この二人の間で何のやり取りがされているのだろうかすごく不思議だ。
「凜ちゃん、よく聞きなさい。あなたここがどこだか分かってる?」
「え、どうしたんですか急に」
「質問に答えて。あなたはなぜ、今、ここにいるか。そしてここはどういう所なのか」
どんどんレイさんの顔が近づいてくる。くっきりと開いた目に射られると心が乱れ、思わずそらしたくなる。
しかし、少しも私から視線を外さないのでそれは許されなかった。
「え、と……分かりません。家にいたら突然テトが現れて、ぎょっとして窓から投げられてそれから走ってここにいます」
「テトってこいつのこと?」
レイさんがテトを指差した。
「あ、はい。そうです」
「はぁー……なるほど、何の説明も受けずここに来た訳ね」
レイさんはすごい形相でテトをにらみつけた。今にも殴りかかるんじゃないかと思ってしまう位に。
「説明する暇がなかった。もう少しで凜は捕まっていた。運が良くて殺されていた」
テトが一つ一つ言葉を置く様に、話しだした。
どういうこと?
捕まるって、殺されるって?
しかも、運が良くてって何それ訳分からない。
「お前はアホか!口下手にも程があるわ。凜ちゃん怖がってるでしょ」
レイさんがテトをグーで小突いた。テトがレイさんを恨めしそうな顔で見ている。お陰で空気が和んで少し笑うことが出来た。
「この様子だと大方、説明不足過ぎて凜ちゃんが植物獣について端末で調べた。それによって政府が凜ちゃんを追ってる。それに気付いたこのガキが凜ちゃんをここへ連れて来た。そうでしょ」
テトがゆっくり頷いた。それを確認してレイさんは溜めていたものを吐き出すかの様に思い切り息を吐いた。
「全く。凜ちゃん、テトラって何だと思う?」
「えっ、テトの名前じゃないんですか?」
「やっぱり……テトラの文字は植物の獣と書くんだよ。つまり、私達の様に、体中に植物が生えた種族のこと」
「え、そうだったんですか!」
「だから、不用意にテトラの住む森で外の話はしない方がいい。私やこいつの前では大丈夫だけど、中には外の世界を忌み嫌うやつらもいる」
私は思わず自分の口に手を当てた。とてつも無く恐ろしいところに来たのかと直感的に感じた。
「じゃあ、レイさんやテトは人間じゃない。えっ、じゃあテトの本当の名前は?」
「そういうこと。あと、こいつの名前は……」
「いいだろそんなこと」
テトはレイさんの言葉を遮った。一瞬、寂しげな表情をした気がした。
「そういう事だからレイ。凜をしばらくここに匿って欲しい」
「分かった。凜ちゃんは私に任せなさい」
レイさんの言葉を聞くなり、テトは本を脇に置いて立ち上がった。
「なんだ、もう行くのか?」
テトはレイさんの問いかけに応じないで、さっきこじ開けた場所から出て行った。
「……行っちゃいましたね」
「全く、素直じゃない所は相変わらずだねぇ」
「私が怒らしちゃったからですかね……」
「大丈夫、それは絶対無いから。凜ちゃん、ご飯は食べたのかい?」
「あ、はい。食べました」
思わず嘘をついてしまった。食べてなんかいない。しかし、今日は食べる気になれなかった。余りにも色々な事が起こりすぎた。それを整理するのに費やしたい気持ちでいっぱいだった。
「そっか、じゃあ私はまた寝るから凜ちゃんもそのベット、好きに使ってよ」
つい惚れてしまうくらい、柔らかく笑うレイさんを見て心が温かくなった。と同時に安心したのか急に睡魔が襲ってきた。
「は……はい」
「ふふっ。大分疲れてるみたいだねぇ。ゆっくり寝な」
ひらひらと手を振って、レイさんは二階へ上がって行った。私はまだ痛む足を庇いながら、ベッドに横になった。
レイさんが階段に足を置くたびに軋む木の音。それがとても心地よく、一段、一段上がるたび、私は眠りへの階段を降りて行った。整理するのは明日にしよ……




