十八、 白紙
白。目の前に広がっている景色に名前をつけるならそれが一番似合う。何も無くて、ただ白い部屋。出口も入り口も見当たらない。ふかふかなベッド、丁度良い枕。肌触りの良いタオルケットも全部白。白は汚れやすいから私はあまり選ばない。とすると、ここは間違いなく私の部屋じゃない。森の家?いや、それも違う。お父さんも確か、白いものは持たないはず。何を持っていたかなんてここ数年会ってないから覚えていないけど。
寝返りをうつ。もう一つ白いものを見つけた。ベッドと同じ高さのちょっとしたデスク。見事に何も汚れの無い白さ。その上に唯一白じゃないものを発見した。
透明で細長いガラスの瓶。見る角度によっては青色にもなる。その中には水が半分ほど入っていて、紫色の細かい花が沢山ついている植物が刺さっている。花一つ一つから甘い香りが漂っている。いや、それだけじゃない。
気品があり、脳を直接突き刺した。どこか懐かしい感じもする。不思議な花。
私は体を半分起こした。しかし景色は相変わらずの白。ベッドのパイプまで白。なんというこだわり。ここまで来ると、ガラス瓶と花がとても異質なものに思えてきた。
「おや、凜ちゃん起きたのかい?」
誰もいないのにどこからか声が聞こえてきた。でも、この声、話し方。どこかで聞いたことがある気がする。
「誰?ここはどこ?」
「これは皇子様が喜ぶね、もうすぐそこに来ると思うから待ってなよ」
「え、皇子?何のこと?」
私の問いに答えないまま、音声は途絶えてしまった。ここはどこ、今のは誰?皇子って何のこと……?頭がまだボーっとする。出来る事ならまた目を閉じて夢の中へ行きたい。もしここが夢だったとしたら覚めて戻れるのかな?でも、どこへ。出来れば森の家がいいな。
壁に一つ黒い線が現れた。その線は次第に横へ広がり一定の大きさで止まる。良く見ると、扉の様なものが出来上がっていた。
ドアノブが動き、扉が開いた。中からは肌が白く端正な顔立ちをした私と同い年か少し上位の男の人が入ってきた。片手にはお盆を持ち、その上に器が乗っかっている。
器を落とさないように慎重に片手で扉を閉める。そしてゆっくりと私の方へ歩いてきた。
「あなたはさっきの人?」
「違う」
そう言ってお盆をデスクの上に置いた。私を横切った時、微かに紫の花と同じ香りがした。
器の中には真っ白なペースト状になったご飯に卵が散らばっていた。
「これ、あなたが?」
「ああ、凜のだ」
器にスプーンを刺し、私の手元へ持ってきてくれた。どうして私の名前、知っているんだろう。
「あ、どうも」
器もまた白く、肌触りが良い。しっとりとした焼き物みたい。スプーンも木で出来ていて、手にフィットした。
少しすくって口の中に入れた。ほんのりと丁度良い塩味と卵のさりげない食感。ゴマの香りが口の中に広がる。
初めて食べた味に、感動のあまり「おいしい……」と口に出していた。男の人は「そうか」と一言いって後ろを向いてしまった。私、何かしてしまったのかな。
スプーンが進み、一口、また一口と口の中へ入れる。器はあっという間に空になっていた。
「ありがとう、エージ」
あれ、私、今、誰の名前を言ったのだろう。
私の言葉を聞いて男の人がこちらを振り返えった。目を見開いて、とても驚いているようだ。
「凜……今なんて言った?」
「ご、ごめんなさい。え、あれ……なんで私、泣いてるの」
目から出ている涙が止まらない。なぜ?知らない名前が勝手に口から出て、涙も勝手に目から出て。もう訳が分からない。
慌てて涙を消そうと両手で両目を手で拭っても勢いは止まらない。すると、男の人が私の手首を掴んだ。そして全身が温かいぬくもりで包まれる。
「なに、エージ。あ……どうして」
「いいんだ」
それだけ言って腕の力が少し強くなるのを感じた。背中が徐々に濡れている気がする。ああ、この人も泣いているんだ。
花の香りが一層強くなる。懐かしく感じるけどなぜ懐かしいのか、私には分からない。
きっと、一生。




