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テトラの森  作者: 茶ノ机
16/18

十六、 記憶

 光が治まったと思ったら、目の前に木で描かれた一本道とその先には空に刺さる位高い灰色の壁がそびえたっていた。

 見たことある風景。えーと、どこだっけ。思い出す間も与えられず、私の意思とは無関係に視界が動いた。

「富士山麓駅」と書かれている看板が上の方に見えた。なぜ、急に駅に戻ったんだろう。

 私の手が誰かに引っ張られていく。この後ろ姿、きっとお母さんだ。自然豊かな風景とは合わない、かかとの高い靴を履いている。

 でも、なにかおかしい。お母さんってこんなに背高かったっけ?視線のすぐ先には後頭部ではなく、腰が見える。引っ張られている手もやけに短い。

 そうか、私が縮んでいるのか。手も紅葉のように小さい。

 「なにちんたら歩いているの!早く来なさい」

 こっちを振り向いてやっぱりお母さんだと思った。毎日、毎日聞いていた怒鳴り声。その度に心を締め付けられていたのを思い出して、目頭が熱くなった。

 「そうわめくなよ。小さい子供相手に」

 この声はお父さんだ。小さい私の視界が動いて、また確信する。

 「身勝手なこと言わないで。私なんかいつも自分の時間割いて、この子の相手しているのよ」

 「だから預けに来たんだろ」

 そうだ、思い出した。私は五歳のときから西区に行くまでずっと、おじいちゃんの家に預けられていたんだ。

 これはその時の記憶。お父さんとお母さん、二人とも私が原因で毎日喧嘩していた。


 目の前の映像が変わった。今度は森の家、二階のリビングだ。

 「羅臼、孫の凜だ」

 今度はおじいちゃんの手を握っていた。

 「おお、この子が。お顔を見せてくれるかい?」

 おじいちゃんの後ろに隠れているせいで誰が話しているのか見えない。

 「ほら、凜。前へ出なさい」

 おじいちゃんが後ろへ回り、私の両肩をがっちり押さえた。身動きができない。

 目の前に現れた人は、おじいちゃんよりも大分皺が深く、髪の薄い人。背中も少し曲がっていた。何より特徴的だったのが首や腕から生えている葉っぱや花。間違いない、この人はテトラだ。

 私の肩に置いているおじいちゃんの手の力が強くなった気がした。いや、恐らく私の体が後ろへ下がったから強く感じたのかもしれない。

 「凜ちゃんに怖がられてしまったみたいだね」

 「すまんな、羅臼。見慣れていないもんで」

 「構わんよ、まだ子供だ。凜ちゃん初めまして。私は羅臼剛。おじいちゃんの友達だ」

 にこりと優しく笑い、皺が更に深くなった。

 小さな私が「とさわりんです」と自己紹介する。

 おじいちゃんの友達にしては、随分老けているなと思った。あっ、私の手が伸びた。羅臼さんの葉に少し手が触れた。

 「遠慮せずに、ほら」

 羅臼さんが小さな私の目の前に自分の腕を持ってきた。今度は両手が伸びて右左と撫でるように触れている。

 かさかさと葉がこすれる音が聞こえる。

 「どうやら気に入ったようだな」

 「ああ、そうみたいだな」


 また映像が変わった。今度は家の外に来ていた。相変わらずおじいちゃんの手を握り、目の前にはあの羅臼さんと顔は見えないけれども小さい足が二本見えた。

 「凜ちゃん、今日は私の孫を紹介しよう」

 羅臼さんはおじいちゃんがやったみたいに後ろへ回ろうとしたが、二本の足はそれを拒絶するように更に後ろへ回り「いや、いや」と言った。まだ顔は見えない。

 「止まりなさい!」と羅臼さんが言う。

 何度か同じやりとりを繰り返して、ようやく羅臼さんが抱え上げ、治まった。無駄な抵抗なのにまだ諦めず足はじたばたと動いている。

 「ほら、ちゃんと自己紹介しなさい」

 「エージ……」

 それだけ言って明後日の方向を見てしまった。

 小さい私が「はじめまして、りんです」と自己紹介をして右手を出しても一切応じない。

 白い肌に端正な顔立ち、そしてこの素直じゃない性格。間違いない。テトだ。顔なんか幼さを除けばパーツはそのまんま。私は昔、テトに会っていたんだ。

テトは抱えられたまま、私はおじいちゃんに手を引かれ、二階へ上がった。部屋のドアが開けられ、テトが放り込まれる。そして私は自ら入った。

「二人とも、しばらく遊んでなさい。お夕飯が出来たら呼びにくるから」

「はーい」

「…………」

 小さなテトは相変わらず無言だった。羅臼さんが頭を一撫でしておじいちゃんと一緒に部屋の外へ出て、ドアを閉める。

小さな机に可愛らしい色をしたベッド。きっとここは私の部屋だ。そこで小さな私とテトで二人きりでいた。

 私がベッドの上に座り、テトが地べた。お互い何も喋らない。

 「ねえ、エージくん」小さな私が沈黙を破った。

 「なんだよ、なれなれしいな」

 やっと口を利いたと思ったらそっぽを向いたまま、小さなテトが答えた。本当、昔から素直じゃなかったんだね。

 「なにそのたいど!てかさっきからなんなの!?りんなにもわるいことしてないよ」

 おおー……我ながらよく言ったな。エージは初めてこちらを見て目を丸くしていた。

 「おまえ、だれにむかっていってるんだ」

 「え?エージくんにだけど」

 「またなまえで……よくきけ。おれはおうじなんだ。てとらのなかでいっっっちばんえらいんだぞ!」

 顔を真っ赤にして地団太を踏むエージ。これがあんなにもクールに成長しちゃうなんて時間はなんて残酷なのだろう。

 「しらない。てとらってなに?」

 「からだに草や花がはえているしゅぞくだ!」

 エージは腕に生えている小さな紫色の花と薄緑色の葉をゆびさした。

 「へー、そうなんだ。じゃあエージくんのおじいちゃんもてとら?」

 「あたりまえだろ。てとらはひとをたすけたんだ。だからてとらのおうじはえらいんだ」

 両手を腰に添えて大いに威張るエージ。もうかわいすぎ!

 「ばっっっっっっかじゃないの!?」

 小さな私の渾身の罵倒にエージは鳩が豆鉄砲を食らった顔をしていた。

 「エージくんのどこがおうじなの!?もっとね、おうじさまはかっこよくてクールなの。あんたはどれい!」

 顔がくっつくんじゃないかという位距離を縮め、エージを追いつめる小さな私。おいおい初対面でこれはないでしょう。

 何も抵抗ができず、エージの顔が縦に動いた。おーい、これでもう奴隷確定じゃないか。いいんかいエージくんよう。悔しそうに拳が震えているぞ。

 もしかしたら、これがトラウマになって今のテトが出来上がってしまったのかな……ということは私のせい!?

 それよりも、私の空想の中の王子様はどうやらクールでかっこいいらしい。そうだったけっけ?

 この日から、小さな私とエージは奴隷と主人の関係がずっと続いたようだ。ごはんを作らせ、おんぶをさせて森の中を案内させたり、喉が渇いたら水を汲ませたり。

とにかくこき使っていたようだ。よくめげなかったなとしみじみ感じると共に、申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。

 「こら奴隷!朝ご飯はまだか」

 「今つくってるだろ、ちょっとくらい待てよ凜!」

二人とも、視線が少し高くなり手足が長くなっていた。 まだ少し私の方が背が高い。そして主従関係も相変わらずだ。

 「まずっ……毎日作ってるのに何で上達しないんだか」

 「作ってもらってその態度かよ」

 「奴隷だから作るのは当たり前でしょ」

ははは、私ってばなんてうそつきなんだろう。エージの料理、本当は日々上達してきておいしくなっているのに、それを素直に言えないでいる。

 「……」

 「あれ、今日は言い返さないの?」

 「そんな気分じゃない」

 「めずらしい、なんか変なものでも食った?」

 「うるさいなぁ!放っておけよ」

 あーあ、言っちゃった。切れるぞー……昔の私。

 「ご主人様に向かってその態度は何だぁ!!」

 「……凜には分からない」

あれ、今日のエージはおかしいな。いつもなら言い返して結局昔の私になぎ倒されて終わるのに。

 「えっ、何?どうした」

 「人間に戻れない気持ち、凜には分からないんだ!!」

 エージの目から涙がぽろぽろと流れている。昔の私は言葉が出ないで右往左往するばかりだ。

 「こんな植物、いらない。いやだ、ぜんぶ抜いてやる。なんでっ、オレはテトラなんだ……」

 エージは自分の腕に生えた藤の花をわしづかみして、その手を思い切り上に上げた。痛いのか、うめき声をあげる。抜けた所から赤い血が一筋流れる。構わずもう一本、二本と無理矢理抜いた。まだ腕に残っている紫の花が赤く染まる。これ以上見てられない。早く、止めてっ。

 記憶の中の私は思いもよらない行動に出ていた。荒れ狂うエージになんと張り手を食らわしていた。綺麗な弧を描き、斜め前へ吹き飛んでいく姿が目に入った。

 「何勝手に花抜いてるの!ばかっ!エージのばかっ!!奴隷の分際で……許さないんだから!」

 床には透明な滴が数滴落ちていた。ああ、私も泣いているんだ。大好きなエージのこんな姿を見て。

 藤の花を全部拾って私はエージを抱きしめていた。エージは私の胸の中ですすり泣く。私の背中に腕が回ったのを感じた。それで更に私の涙腺がゆるみ、また泣いた。

 こんな時にもエージの花からは血のにおいに混じってすごくいい香りがした。

 「どうして、こんなことしたの?」

「……じいちゃんに聞いた」

「何を?」

「テトラは元々人間だって。でも、壁の中で生活しているとテトラになるって」

「じゃあ壁の外に出ればいいじゃない」

「それは駄目なんだ」

「何で?」

「みんな殺されるって」

「誰に?」

「オレや凜、じいちゃん達を監視してるひとたち」

「じゃあ何でこの家にはこれるの?」

「家は大丈夫ってじいちゃんが言ってた」

「ふぅん、そっか。じゃあいいじゃん」

「凜はいずれここから遠くに行くんだろ?」

「うーん、そうだね。十三になったら学校行かなきゃいけないから」

「じゃあ駄目だ」

「遠くへ行けるようになりたいの?」

エージが頷き「花も草も全部、無くなればいい」と小さく言った。

 「私、エージの花好きだよ。綺麗でいい匂い、名前も素敵」

 「名前?」

 腕を解いて顔を向き合わせた。エージの目と鼻は涙のせいで真っ赤になっている。

 「『藤の花』と『富士山』字は違うけど、おなじ『ふじ』だからなの」

 「ぜんぜん意味が分からない」

 「『ふじ』は私を救ってくれた」

昔の私がぽつりと言った。心苦しい記憶が蘇る。

「私のお母さんは毎日「富士の山で死ねばいい、毒ガスを吸ってしまえばいい」と言って私を叩いたの」

思い出した。だから私は富士山の近くにある森の家に連れてこられたんだ。ある日、「おじいちゃんに預けてしまえばいいんだ」とお母さんがつぶやいてから。そこから何も躊躇せず、ここへ連れてこられた。本気で私のこと死んで欲しいと思っていた。

「でも、私はここに来ても死んでない。叩かれてもしない。ね、これで分かった?」

この時のエージは悲しんでいいのか、喜んでいいのか分からない表情をしていた。

「いい?だから私に断りなく花を抜くなんて許せない。『ふじ』は私の全てなの。もし抜いてしまったら必ず私の所に持ってくること!」

「うん、わかった」

だからテトは毎日レイさんの家に花を持ってきていたのか。

「それと、奴隷なんだからあんたは一生私を守ること」

「うん、」

「あと、私の言うことに逆らわないこと。そして疲れたらおぶって馬になりなさい」

「え、」

「口答え無用。はい、約束」

「あ、うん」

エージと私の小指同士がそっと絡まる。

どさくさに紛れてなに約束させてるんだか……

 「凜、俺からも約束」

「なに?」

「学校行っても絶対森に戻ってきて」

「分かった。休みの度に戻ってくる」

私は胸が締め付けられそうになった。

彼の行動全ての理由がこの記憶の中に詰まっている。それに気付かないで私は何度テト……エージを傷つけたのだろう。最後に交わした約束。記憶を取られていたとはいえ、私は一度たりとも守らなかった。

自分の名前を言わなかったのも、どうしてエージは約束の事は言わず、私を守ってくれたのか。きっと思い出して欲しかったに違いない。


画面が変わった。真っ暗い一本道。天井がすぐそこにある。私はその道を四つんばいになって進んでいる。前へ前へいくら進んでも手をつく場所が濡れていた。私は今、泣いているのか。だってここは、明らかにさっきテトと通った場所。森の家に入るために通った抜け道だ。

通気口の鉄格子を外した。絵葉書で開けたドアは無くて、ガラス張りの部屋がすぐに見えた。中には骨になる前の動物達と、エージのおじいちゃん、羅臼さんが居た。

「おや、凜ちゃん。どうしたんだい、涙なんか流して」

ガラスのせいですこしくぐもっていたけど、全てを包み込むような優しい声が聞こえた。

「羅臼さん、エージに何を……!?」

「うん、どうしたんだい?」

ようやく気付いた。羅臼さんの手、顔、腕、足が崩れ落ちてしまっている。植物も水気を失ってしぼみ、茶色に枯れている。

「なんで……どうし、て」

「凜、なぜここへきた」

「おじいちゃん……」

すぐ後ろにおじいちゃんがいた。あのホログラムと同じ白衣を着ている。

「絶対にここへ来てはならないと言ったはずだ!」

「でも……」

そう、おじいちゃんに口をすっぱくして言われていた。地下二階には決して来てはならないと。でもじっとしていられなかった。エージが羅臼さんに何を聞いたのか、羅臼さんは何をはぐらかしたのか。誰がエージをテトラにしたのか、テトラは何なのか。全て私は知りたかった。

そして私は知っていた。この地下二階におじいちゃんと羅臼さんがいつも入っていくのを。

だから鍵が無くても入れる秘密の抜け道を使ってでも忍び込んで真実を知りたかったんだ。

「十沢、落ち着け。やつらに気付かれる」

ガラスの中に居る羅臼さんが言った。

「ああ、分かってる」

「それと、凜ちゃんはもう知っている。テトラが元々人間だってな」

「なっ、お前」

「私がエージに打ち明けたからな」

「何を勝手なこと……」

「私にはもう時間が無い、分かるだろう?こんなに肌がボロボロになってしまった。もう隠し切れない」

羅臼さんが自分の腕を触った。また、肌が崩れた。

「あの、羅臼さん」

皺を深めて笑った。またそこから肌が崩れ落ちる。

「なんだい、凜ちゃん」

「羅臼さんはなぜ、エージに本当の事を言ったの?」

「それは、君達を見たからだ」

「え、それはどういうこと?」

喋る度に羅臼さんの体が崩れていく。

「凜、やめなさい。羅臼、痛むか?」

「いや、大丈夫。全然痛くない、むしろ穏やかだ。どうやら成功みたいだな」

「ああ、なら良かった」

おじいちゃんの声が微かに震えているのが分かった。

「頼む十沢。最後だ、言わせてくれ

「分かった」

「凜ちゃん、聞いてくるかい?」

「うん、聞く……でも、どうして、さいご?」

 声が震えて上手く出ない。視界も涙でぼやけて上手く映っていない。突然迫り来る羅臼さんの最後に私は頭が追いついていないみたい。

「私達はテトラを生み出した。だからこの世から消すのも私達の役目だ。だから私は今回も自分自身が実験台になった」

「わかんない、わかんないよ……」

「凜ちゃん、エージのことは好きか」

「うん、好き。羅臼さんも好き。私はテトラが好き」

「そうか、好きか。十沢聞いたか」

「ああ、聞いたさ」

「よかった、本当によかった」

羅臼さんの目からも涙がひと筋流れる。もう立っていられなくなって、その場に体ごと崩れ落ちる。

「十沢、一つ、お願いがある」

「なんだ」

「手紙を書いてデスクにしまった。私が死んだ後読んでくれ」

「分かった」

「今まで本当にありがとう。手崎と一緒に、最後まで研究ができて私は幸せだ」

「ああ、お前は最後まで最高の研究者だ」

「ありがとう。凜ちゃん、エージをよろしく……」

羅臼さんはそれきり何も言わなかった。おじいちゃんは動かなくなった羅臼さんを見て泣き、「凜、一人にしてくれ」と言った。今までに聞いたこと無い位細い声だと思った。

記憶の中の私は来た道を戻り、玄関から家に入り、自分の部屋に戻っていた。ボロボロになった羅臼さんを思い出して泣いていた。

どうしよう、エージになんて伝えよう。まだエージは羅臼さんが死んでしまったことを知らない。ましては実験のために死んだなんて夢にも思わない。

同じことが頭の中をぐるぐる回る。でも適切な回答が出てこない。気付いたら窓の外は暗くなっていた。

その時、部屋のドアノブが動き開いた。

「凜、やっと見つけた。ずっとどこ行ってたんだよ」

「エージ……」

「なっ、何で泣いてるんだ?痛いのか?」

「ううん、なんでもなっ……」

また涙が出た。説得力ゼロだね、全く。エージは気の強い私が泣いてるものだからすごく動揺している。自分の裾を私の目にあててくれたり、頭を撫でてくれたり。

何とまあ優しいんだろうか。

「何があったんだ、誰が泣かしたんだ?」

 エージが真っ直ぐな目で私に問いかけた。一瞬目を離して考えたけどいい案が出ず、結局本当の事を言おうと思った。

「ええと、羅臼さんが……」

「じいちゃんがどうしたんだ?」

「凜、それ以上言うな」

いつの間にかおじいちゃんが部屋に来ていた。さっきまでの弱々しさが消え、何か決意を持ってきた様に感じた。

おじいちゃんは強引に私の手を握り、部屋の外へ連れて行った。

「え、何?どこへ行くのっ?」

「いいから早く、ついて来るんだ」

階段を降り、玄関の外へ出た。エージも後ろからついてきていた。

「さぁ、これに乗れ」

玄関には青く、丸い形をした黄色いオートカーがあった。まるで私を待ち構えていたかのように、ドアが開いている。

「いや……」

「いいから乗れっ!」

おじいちゃんは無理やり私を押し込み、ドアを閉めた。

オートカーは素早く宙に浮いた。エージが私の名前を呼んだ。しかし、おじいちゃんが必死にそれを止める。その姿が段々と小さくなっていった。

私はどこへ行くのだろう。


真っ白な部屋が辺りに広がる。家具も無く、まるで生活感が無い部屋。どこか見覚えがある……

「凜ちゃん、待ってたよ」

どこからか声が聞こえた。

「誰?」

「僕は手崎明。君のおじいさまの友達だ」

それにしてもやけに声が高い……。

壁にいつの間にか黒いドアが現れた。ドアノブが動き、開く。

中からは私の背丈よりも少し高い男の子が出てきた。

この人も私は知っている。手崎くんだ。

「おじいちゃんの友達?」

「正確に言うと、おじいさまと一緒にテトラを生み出した研究仲間だ」

「え、でも、何で……」

「僕が子供だから驚いているのかい?」

さらりと図星を言われて驚いた。昔の私は素直に頷く。

「まぁ、無理もないか。君のおじいさまと見た目が明らかに違うからね。うーん、どこから話そうか……」

手崎くんは「そうだ」と言って指を鳴らし、ドアの向こうから白と黒の巻貝を一つずつ持ってきた。中身は無く、殻の状態だ。それを二つとも床に置いた。

「ここに二つ、貝がある。白は手崎明、黒は孫の手崎亮だ」

手崎くんはペンでそれぞれの貝に名前を書いた。

「私は元々白い貝にいた。しかし、この貝は老いと共にいずれ使い物にならなくなる」

手崎くんは白い巻貝をつぶした。破片が床に散らばった。

「これだと、白い貝で得た経験・知識はどうなる?」

「なくなっちゃう?」

「そうだ。そこで僕は考えた」

今度は散らばった破片を集め黒い巻貝の中に入れた。

「ほら、これで黒い貝は白い貝の経験・知識をも得られる。僕は手崎亮であり、私は手崎明でもあるんだ。私が発明したメモリーマイグレーション技術だ。分かるかな、この素晴らしさを!」

「ううん……難しい」

「はっはっは。前置きはこれまでにして、さて始めるか」

「え、なにを……?」

「今から君の記憶を一部、ここにエクスポートする」

「な、なんで……いや、」

「理由は分からないが、君のおじいさまの頼みだ。さて、しばらく眠ってもらおうか」

手崎くんの手が私の目を覆った。抵抗しようと暴れるが力が入らない。訳が分からないまま、私は目の前が暗くなった。


花の香りがした。何度も記憶に現れた香り。なぜ、懐かしく感じたのか。なぜ、おじいちゃんを連想したのかようやく分かった。記憶は取られても、花の香りは覚えていたんだね。

「大丈夫か?」

目を開くと、成長したエージの姿が目の前にあった。胸がいっぱいになって何から喋っていいのか分からない。とにかく、涙が出てきた。

「おい、何で泣いてるんだ?」

「ごめん、ごめんなさい。エージ……」

「凜、俺の名前」

エージは記憶で見た時と同じように、鳩が豆鉄砲食らった様な顔をした。記憶と重なって思わず笑った。

「うん、全部思い出したよ、昔のこと。私ってば、エージのこと、奴隷扱いしてたんだね」

 私はエージの手を借りて起き上がる。いつの間にか外に出ていた。森の家が遠くの方に見える。

「ああ。毎日毎日、料理作らされてた」

「レイさんに特訓してもらっていたのも、私のため?」

「……そうだ」

エージは恥ずかしそうに顔をそらした。すごく嬉しい。だって、テトが想っていた料理の子は私だったんだもの。私は昔の私にずっと嫉妬してたんだ。

「ありがとう。約束をずっと守っててくれたんだね」

私はエージの手を握り、頬を寄せた。腕に生えている花の香りが脳を突き刺す。

「毎日、毎日。花を抜いて、痛かったでしょう?」

「別にそんなことは無い」

「うそ。だって、血が出てたじゃない」

また涙が流れた。エージの手に落ちて腕まで伝った。

「痛くない」

「もう、だからエージはばかなんだ」

「うるさい」

「約束守れなくてごめんね」

「もう一度会えた、それでいい……」

エージが一つ咳をした。手で口を押さえる。しかし、勢いに負けて、指の隙間から赤い液体がはみ出した。

「え、エージ……なんで?」

私はエージが羽織っているマントを引っぺがした。右の横腹の服が裂け、血が滲んでいる。量が多くお腹の半分が赤く染まっていた。

私と別れた後?それとも、外に連れ出す間?分からない、分からないけどエージはこんなになるまで私を守ってくれた。どうしよう、このままじゃエージが死んじゃう。そんなの嫌!まだ、話したいことがいっぱいある。もっともっと一緒にいたい……

「大丈夫だ」

「嘘!だってこんなに血がっ」

「だから、痛くないって」

もう一つ咳をした。今度は手が間に合わなくて、血が飛び散った。

「喋らないで!今、キリン号出すからっ」

私はポケットに忍ばせたキリン号を取り出した。キリン号は自動的に乗り物サイズに戻った。

エージを担いで乗せ、次に私も乗った。キリン号は私の心を読んでくれたのか、すぐに出発した。頭に思いついた場所は一つ、レイさんの家。

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