7 契約のカタチ
そう認識した次の瞬間だった。
「後ろ!」
俺はその光景に思わず叫ぶ。
地上から。何かが飛びだして来た。
それは一言で言えば……光の矢。
「う……ッ」
認識した次の瞬間には、光の矢は青髪の精霊の右肩を貫く。
「……ッ」
それでも青髪の精霊はそれを堪えるように俺を抱えたままで、右足の足元に風の塊の様な物を出現させ、踏み抜く。
そして訪れる加速。多分跳躍したのも同じ原理だ。
その勢いのままエルドさん達の居た所から俺達は離れ、森の奥へと進んで行く。
追撃は無かった。あの光の槍の射程圏外に出たのかもしれない。
やがて青髪の精霊はそのスピードを風を用いる事によって減速させ、地上へと降り立つ。
そのまま森の外にまで飛べば逃げられるかもしれないのに。なんでそれをしない?
そんな事を考えたが、その答えはすぐに出てきた。
……テリトリー。
詳細な説明を受けていなくても、なんとなく意味を理解できるその領域は、おそらくこの辺りまでなのだ。
これ以上進めば力が弱体化してしまう。
そう結論付けた所で、俺は地面に下ろされる。
……思いのほか優しく。
そんな青髪の精霊に俺は問う。
「なんで俺を連れだした? お前が助けてくれる道理なんてないだろ」
俺の問いに、青髪の精霊は右肩を左手で抑えながらこう返す。
「それはこっちのセリフですよ! 何を考えているんですかあなたは!」
本当に訳が分からないという風に、青髪の精霊は叫ぶ。
「私を騙す為にああいう事を言うのならあればまだ分かりますよ。でも同じ人間相手にあんな事を言って……人間なのに、人間の前で私を助けるとか言って……そこになんのメリットがあるんですか! あなたは一体何がしたいんですか!」
何がしたかったか。
それはこういう話を口にしている彼女が、どういう訳か聞いていたであろう俺の叫びの通りだ。
でも、聞かれたのならばもう一度言ってやる。
「お前を助けたかったんだよ。それが正しい事だと思ったからやったし……そういう事にメリットなんて求めねえ」
やりたい事をやっているんだ。寧ろやれている事が、俺にとってのメリットだ。
「お前こそなんで俺を助けてくれた? それこそメリットなんて何もねえだろ?」
「……ッ」
彼女は、中々口を開かなかった。
それは越えてはいけない一線を前にしている様で……きっと、越える事を躊躇っている。
そしてそれは越えられない。
「まあいいか。言いたくないんだったら、それでいいよ」
その理由を知りたかったけれど、結果的に助けてもらった。その事実があるだけで充分だ。
メリットはいらないと言ったけれど、だからといって目の前にあるソレを突っぱねるというのとはわけが違う。そういう風に助けてもらえた事は純粋に嬉しいし、活力だって沸いてくる。
そんな俺は近くに落ちていた、握りやすそうな木の棒を拾い上げる。
「……まあこんなもんでも、無いよりはましか」
それを握りしめ、一歩前へ。エルドさん達の居た方向へと足を進める。
だけど二歩目は止められた。俺の左手を青髪の精霊が掴んでいた。
「そんな物持って……なにをしようって言うんですか?」
「あの人達を止める」
俺は目的を口にする。
「正確には時間稼ぎみたいなもんだ。こんな木の棒じゃどうにもならねえ事は分かってるけれど、それでも俺が出て行けば一人くらいは足止め出来るかもしれない。そうなったら、逃げるにしろ戦うにしろ、お前がなんとかなる可能性が増えるとは思わねえか?」
「……それで、あなたはどうなるんですか」
「さあ……どうなるんだろうな。まああんまりいい状態にはならないと思うけど」
「それならどうしてそんな――」
「他に俺がお前を助ける為にできることなんて無いだろ? だからこうするんだ」
だから俺は戦うんだ。
「そう言う訳だ。手、離してくれ」
青髪の精霊の方に向き直りそう言うけれど、その手は離れない。寧ろ握りしめる力が強くなった。
「一つ、聞かせてください」
青髪の精霊は少しだけ不安そうな感情を表情に込め……そして俺の眼をしっかと見て、この問いを口にする。
「あなたにとって……精霊は、一体どういう風に見えていますか?」
その問いの答えを悩む必要なんてない。
「普通の女の子に見えるよ。資源だなんて思ってたまるか」
その回答に返答は中々返ってこなかった。
だけども左手を握る力は強くなった。もう痛いレベルではあったが、それを表情に出さない様に堪える。
そしてまるで決心したように、ようやく言葉は紡がれる。
「……いい……ですか」
消え入りそうな小さな声で。でも次はしっかりと意思の籠った声で、もう一度。
「あなたを、信じても……良いですか?」
不安交じりのその問いは、もしかすると答えが返ってこなかったあの問いの答えでもあるのかもしれない。
そういう事情がなければ……何故かあの場に隠れていた彼女が俺の言葉を聞いて、信じようと思ってくれなければ、俺を助けようとも思わなかっただろうし、そういう事情を口にする事は、人間に虐げられていた精霊には越え難い一線だろう。
俺をこうして止めてくれるのだって、きっとそういう事なのだ。
その思いに、どういう言葉を返せばいいのかを考える必要なんて無い。
ただ純粋に。沸き出てくる言葉を口にすればいいだけだ。
「こんな俺でよければ、信じてくれ」
この瞬間、俺は改めて心の底からこう思う。
この状況、必ず打開して見せる。
元よりそのつもりだけど、得られるとは思っていなかった信頼なんてのを得てしまったら……もう尚更止まれない。
「だから俺は必ずやって見せる。一人や二人位。いや、三人だって絶対に止めてやる」
「そんな自殺みたいな真似は、もうさせませんよ」
少女は俺の決意を否定する。
「なんで私が信じようと思った相手を、死なせる様な事を容認すると思ったんですか? させる訳がないじゃないですか」
そう言ってくれるのはありがたいけど……、
「でも他に何がある? 俺は精霊と契約していないから、精霊術なんてのは使えない。お前を助ける為にできる事っつったら、この木の棒振り回して時間稼ぐ事暗いだろ」
多分使えたら逃げるにしても戦うにしても、もっとやり様があるだろうけれども。
「だったら……使えるようになれば良いんですよ」
そう言った青髪の精霊の足元……いや、俺と精霊を中心として魔法陣が展開された。
「……しましょう。私と、契約を」
契約……その言葉には悪い印象しか持っていない。
それに至るために精霊達はドール化されているんだ。
だけど、この状況は違った。
契約を拒む精霊と契約する為にドール化する。そういった精霊契約との流れとはまるで違う。
精霊自身が、契約を申し込んで来たのだ。
「私と一緒に戦ってくれますか?」
そうして差し出された契約書に判を押す事に、躊躇いは無かった。
「ああ。戦ってやるよ。任せとけ」
そして次の瞬間だった。
「……ッ」
右手の甲に焼ける様な痛みが数秒走った。
痛みが去った後に右手の甲にあったのは白い刻印。
黒かったエルドさんの刻印とは、対極を成す白。
「契約完了です」
そう答える青髪の精霊の表情には、先程まで僅かに残って居た不安そうな感情が完全に消え失せていた。
「……良かった。無事に契約出来て」
「出来ない事もあんのかよ」
「はい。契約というのは、互いが互いの事をある程度信頼していなければできませんから。これで私は……あなたの事を、迷う事なく信じられる」
成程。もし俺が適当な事を言って騙そうとする話術師だったら契約は成功していなかった訳だ。つまり契約さえできれば……間違い無く、俺が味方だという証明ができる。
信じるっつったって、人間を信じるのはそれ相応の不安が付きまとっていた筈だ。それが、俺が信じてくれと言ってからも、まだ微かに残っていたあの不安そうな表情の正体。
それを払拭できて本当に良かったと思う。
そしてそれが払拭出来たからなのかもしれない。おそらく契約だとか、そういう事をやる前にやっておかなければならない事の話題を、青髪の精霊が切り出した。
「そうだ……あなたの名前、教えてください。まだ聞いてませんでしたよね」
「瀬戸栄治。お前は?」
「エルです。その、改めて……よろしくお願いします、エイジさん」
「こちらこそよろしく、エル」
こうして互いに窮地に立たされていた俺達は、一歩前へと踏み出した。
二人でこの状況を打開する。
これが多分、正しい契約の形だ。