6 そして世界を否定する
言葉は無用だ。説得にはもう見切りを付けた。
常識が違う事による壁。その壁は改めて考えてもあまりに大きすぎて、多分俺ではどうにもできないし、多分誰にだってどうにも出来ない。つまりは無理だと、そう判断した。
だけど戦う事でなら。
言論ではきっと起こり得ない様なミラクルが起きてくれるかもしれない。偶然攻撃が当たらなくて、偶然こちらの攻撃が致命傷になるかもしれない。
そんな奇跡はきっとゼロじゃない筈なんだ。
だったら、それに賭けろ。
それ位の勝ち目はあるのだと思えたのならば、それに縋れ。
幸い俺の長所が背だけは押してくれる。
次の瞬間には、全速力で駆けだした。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
右拳を握りしめる。
視界の先に居るのは、先程の投石の反応でエルドさん達より一歩前に出ているルキウス。
だけど俺の体が、拳が、その座標に届く事は無い。
一瞬、目の前にルキウスが映ったかと思えば、次の瞬間には再び腹部に激痛。口から空気と声にならない声が漏れだす。
蹴り飛ばされた。恐らくはその一撃で相手が死なない様に手を抜かれた一撃で。
そう気付いた時には、走って居た方角とは逆方向に転がり地に伏せる。
「なぁ、てめえ、何してんのか分かってんの?」
一歩、一歩と近付きながらルキウスは俺に問う。
「折角人が見逃してやろうって思ってたのに、お前、自殺願望でも持ってんのか?」
……返事は返せない。まだ思う様に声が出ない。
そうして俺の元に辿りついたルキウスは、倒れている俺の背を踏みつけた。
「グ……ッ」
「ルキウス!」
見兼ねた様にエルドさんがそんな声を上げる。
こんな状況になっても、まだあの人は俺の事を心配してくれているようだった。本当に、多分。聖人というのはああいう人の事を言うのではないだろうか。
そしてそういう領域にまで達していないとしても、きっとルキウスも悪い奴では無かったのだろう。
「心配すんなよ。殺しはしねえさ」
ルキウスは俺を踏みつけながら、言葉を続ける。
「邪魔な物は踏み越えるし、石投げられたら蹴り飛ばす位の事はする。それを躊躇はしねえよ。しねえからこうしてる。だけど、越えちゃいけねえ一線位は、俺だって理解してんだ」
言いながらこれで満足だとばかりにルキウスの足が俺から離れる。
だけどルキウスはその場を離れず俺に言う。
「なあ。お前みたいな頭のおかしい奴に言ったって理解できねえかもしれねえけどよ……お前のやってる事は間違ってんだ。お前が何を考えて、何を思ってああいう訳の分かんねえ事を言っているのかは知らねえけど、お前の行動で正しい事をしている奴に迷惑が掛ってんだ。だからそういう奴の為にも……これからのお前の人生にも、そういう身勝手な行動は止めとけよ。今は意味が分からなくても、止めとけ」
それはまるで、更正した不良が荒れている奴に諭す様で……それを聞いた俺の胸には、どうしようもないやるせなさが沸き上がってきた。
聖人の様に手を差し伸べてくれるエルドさん。ああいう事があって、目に見えて分かる程にキレていても、それでも他人を諭して矯正しようとしているルキウス。そしてそんな二人と共に行動している二人もきっと同じだ。
きっと此処にいる連中は、みんな普通にいい奴なんだ。
そんな奴らが当たり前の様に精霊に酷い事をしていて、それがおかしいと思えていない。その事実がどうしようもなくやるせない。
やるせないからこそ、間違っているのはお前らの方なんだと言ってやりたい衝動に駆られる。だけどそれができないのはもうとっくの昔に理解している事だ。
だから諭されようと、目の前の奴がどういう奴かを知っても……俺に向けてくれた善意を踏みつぶしてでも、俺のやることは変わらない。
「だからお前は此処で寝てろよ」
そう言ってルキウスは輪の中に戻るために歩きだそうとした。
その足を、俺は左手でがっちりと掴む。
間違っている行動は止める。止めて、あの精霊も救い出す。
そんな決意を左手と……近くに落ちていた握りやすく、尖った石を持つ右手に込め……それを勢いよくルキウスの右足に突き刺した。
「……ッ!?」
痛みと突然の俺の行動に、ルキウスは声にならない声を上げる。
そしてそのまま反射的とばかりに、俺の体を勢いよくぶっ飛ばす様な力で右足を振り払った。
「……ッ」
ルキウスから引きはがされた俺は、再び地面を転がる。
「いい加減にしろよお前! マジで何考えてやがんだ!」
ルキウスは怒りを押し殺した様な声を発する。
爆発寸前。そんな様な感じだ。
それを聞きながら、俺はなんとかゆっくりと起き上がる。
「何を考えてる、か。んなもん、あの精霊を助ける事を考えて行動してるに決まってんだろ」
「てめぇ……まだそんな訳が分かんねえ事を……ッ」
「別に分かってもらおうなんて思わねえさ。もう思わねえ。お前たちのやろうとしている事が、この世界においてどうしようもなく正しくて、俺のやろうとしている事が間違っているんだって事は理解できたよ。その間違いを、受け入れてもらおうだなんて、もう思わない」
郷に入れば郷に従え。従えない俺はこの世界にとっての異分子で、やって居る事は全部間違いなんだ。
……だけどだ。
「……だからと言って。この世界的に俺がどう間違っていたって、んな事は知らねえんだよ」
拳を握って、きっと間違いじゃないそれを、俺は自分を奮い立たせるように叫ぶ。
「この世界の正しさ、俺にはどうしたって容認できねえ! 俺は俺が正しいと信じた事をやる! 否定されようが非難されようが関係ねえ! 俺はあの精霊を助けるぞ!」
そこから先にもう言葉はいらない。
言いたい事は全部言った。俺の神経も、覚悟も、研ぎ澄まされた。
あとはこの拳を届かせるだけなんだ。
「……やっぱもう痛みで常識覚えるしかねえな。お前、クズだった昔の俺より救えねえよ」
そう言ってルキウスは俺に右手を向ける。
エルドさんの表情は、再三の俺の行動にどうしていいのか分からなくなっている様だった。
つまりもう助けは入らない。
それでも構わない。それでも俺のやることは変わらない。
そう思った時だった。
風の流れが、変わった気がした。
次の瞬間だった。
「……ッ」
その光景に、思わず俺の足は止まってしまった。
一人だけ輪から外れていたルキウス。
まるでそれを狙い撃ちするかのように、側頭部に拳が叩きこまれた。
ただし、それは俺のではない。
……あの青髪の精霊の物だった。
突然の奇襲を受けたルキウスは、勢いよく吹き飛ばされる。
それはあの大通りで禍々しい雰囲気を纏ったあの女の子に、誠一が突き飛ばされた時の様に。
そして青髪の精霊の行動はそれだけでは終わらない。
殴り飛ばしたモーションから体を捻って、エルドさん達の方へと向き……右手を翳す。
そして放たれる突風。
突然の襲撃で体制を崩された様に、金髪と眼鏡の青年。そしてその場に居たドール化された精霊の一人が飛ばされたのは確認出来た。
だけど確認できたのはそこまでだ。
「……ッ」
勢いよく風に乗る様に、青髪の精霊は俺の方へ勢いよく飛んできたのだ。
……攻撃が来ると、そう思った。
だから俺は必死に身を守ろうとする。
そんな俺の体は……襲ってくると思った精霊に抱えられた。
そして視界の高度は一気に上がる。
「うわ……ッ!」
勢いよく風に乗る様に……というより風に飛ばされる様に、俺達の体は上空へと舞いあげられた。
何が起こって居るのかは分からない。
だけどこの状況で分かった事は一つ。
俺はこの精霊に助けられていた。