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人の身にして精霊王  作者: 山外大河
三章 誇りに塗れた英雄譚
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9 新聞

 昼食時のおいしい店は混む。それは何処の世界もきっと変わらない。

 だからまあ、人が並んでいる店に入るのが一番良い。それでおいしい物に有り付ける。


「どんぐらい掛るかな?」


「まあ気長に待ちましょう」


 ……思い返せば、しばらく前まではこういう事も出来なかった訳だ。

 人の列に並ぶ。店内に溢れる人の中でこうして待機するなんて事を、今のエルは普通にやれている。

 表面上そこに怯えた様な様子は無く、話しかけられればぎこちないものの、人に溶け込む分にはもうなんの心配も入らない。一月でここまでになった。

 ……それだけこの世界の人間の人間に見せる態度が、精神的な意味で良い方に作用したのだろう。例えそれが偽りで、枷の一つを壊してしまえば再び歪んだ物へと変わるとしても、今向けられている視線は、人間不信の精霊が溶け込める程優しい物だ。


 俺はそっとエルに視線を向ける。

 まだ完璧とは言えないけれど。例えば仮に何かがあって、俺が居なくなったとしても。エルは無事に此処から先の旅を続けて行けるだろう。

 もっとも行けると思うだけで行って欲しい訳じゃない。こんな楽しい時間を手放したくは無い。本当に余程の何かが起きない限り、そんな事には絶対にならないだろう。


 ……何かって。何なのだろうか?


 俺に何か不幸な事でもあった時だろうか。

 人間なんていつ何時何があるか分からない。今、俺は精霊術を扱えるし、肉体強化を使っていればそう簡単に死んじまう事は無いだろう。だけど常に不測の事態は起こり得るし、やはり未来なんて読めたもんじゃない。

 だけどそれでも、その何かが起きない様に予防線を張っておくことは出来る訳で、楽しい旅を続けて行くためにも色々な情報なんてのを仕入れた方が良いのだと思う。

 知識の有無で様々な事が左右されるからな。


 ……思い立ったが吉日だ。


 俺は待合席に座りながら、近くの棚に置かれていた今日の新聞を手に取る。

 ……今思えば、この世界に来て初めて新聞を手にした気がする。

 元よりあまり新聞は見ない。高校に行く前に朝のワイドショーを少し見て、残りはインターネットのトップページに表示されるニュースを見るだけ。あまり自分から触れる機会も無かった。今じゃテレビの番組表ですらテレビで確認できるしな。


「……よし、読めるな」


 まずはそれに安堵する。色々と新聞は小難しい事が書かれてある印象があるが、俺の語学力はその文章が小難しいという事を読みとれる程度には発達してくれた様だ。


「もう完璧ですね」


「いや、まだ分かんねえぞ? どっかで詰まるかもしれん」


 そんな会話を交わしながら、俺は軽く新聞に目を通して行く。

 なんというか……平和的なニュースばかりだ。

 俺の居た世界の新聞は、あまり読まない俺でも三面記事なんかに碌でもない事件の事が書かれたりしている事は分かっている。考えてみれば、毎日何処かで胸糞悪い事件が起こっていて、その内の何かが新聞に載っている訳だ。

 それがこの世界の新聞には無い。本当に平和な紙面。

 俺達の世界の新聞からそういう暗い側面が取っ払われた様な。そんな紙面。


 ……この様子じゃ、本当にあんな事は滅多にないんだろうな。


 アルダリアスのホテルで受けた、一般人も巻き込んだ襲撃事件。ああいう類の事件が起きれば恐らく報道される事を考えると、本当に何も起きていないんだ。

 ……この調子なら、その何かが起きるなんて事は無さそうだな。

 実際この一カ月、何も起こらなかった訳だし。

 そんな調子で、パラパラと捲って行く。

 そしてそのページも流し読みし、次のページをめくった瞬間だ。


「あ、二名でお待ちのセト様。お席の方空きましたのでどうぞー」


 店員が順番待ちの名簿に書き込まれた俺の名前を読んで来た。


「呼ばれましたよ、エイジさん」


「ああ」


 俺はそう返して新聞を棚に戻し、立ち上がる。

 何度も言うが本当に平和な記事だった。読んでいて不快になる様な事がまるで無い。

 ……最後に一瞬だけ見えた、ページを除けば。


「……どうかしましたか? エイジさん」


 テーブル席で正面に座るエルが、そんな事を聞いてくる。


「いや、何でもないよ。とりあえずさっさと注文しちまおう」


 ……何でもないのかどうかは、殆ど何もわからないまま片付けてしまったから分からない。だけどきっと何でも無くは無いのだろうという予想は自然と立てられた。

 少なくとも見出しだけは覚えている。


『精霊加工工場。ようやく再稼働』


 ……そんな見出しが何も無いとは、流石に思う事が出来なかった。





 昼食でドリアを食した後、俺達は今日の宿を探し始めた。

 その途中で本屋の前に差し掛かったところで俺はエルに了承を得て、その中で新聞を探した。


「あ、それ買うんですか?」


「まあ中途半端に読んじまったし……目の前で立ち読みしてる奴が店主に嫌な目線を向けられてるのを見る限り、立ち読みする訳にもいかんだろ」


 ……雑誌はともかく新聞位立ち読みさせてやれよと、嫌な視線に気付き逃げ出した客に同情しつつも、先程と同じ新聞を購入して店を出る。


「それにしても、中途半端に読んだ続きが気になるって事は、余程興味を引く様な事が書かれていたんですかね? そういえばあの時も少し難しそうな顔してましたし」


「そんなんじゃないよ。ただ読みかけの物を中途半端で止めるってのもなんだかなって思ってさ」


 嘘だ。俺はそんな細かい事は気にしない。漫画などを読んでいても、つまらなければ中途半端でも読むのを止める。故に真っ赤な嘘。

 本当の事をエルの前で言える訳が無い。

 例えそれがどんな内容であろうとも。エルにとっては望ましくない記事である事には間違い無い筈だから。


「マジメですね」


「マジメなんです」


 そんな嘘交じりのやり取りを交わしつつ、俺達の宿探しは続く。





 そして宿を見付けた俺達が、まず何をしようかという話になって出てきた結論は、一旦シャワーを浴びようという事だ。

 一応此処まで短距離ながらも歩いてきた訳で、別に風呂に何度入っても減る物じゃない以上、入っておこうという風になった。

 そんな訳でエルは今シャワーを浴びていて、俺は部屋に一人で居る形になる。


「……さて」


 流石にエルの居る前であの記事を読もうとは思わなかった。読んではいけないと思った。

 だったらタイミングは今だろう。

 とりあえずエルが戻ってくる前に、あの記事を読み切る。

 そして俺は新聞を開き、件の記事に視線を落として読み進めて行く。


 徐々に徐々に。嫌悪感を蓄積させていきながら。

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