30 枷
「それでキミ達は、今日これからどうするか、決めているのかい?」
シオンがそういえばという風に、そんな事を聞いてくる。
「いくら枷で精霊として見られないからといって、それですぐに人の海に跳びこませるわけにはいかねえだろ。旅の準備は出来てるし、今日中には出発しようと思っている」
「まあ、賢明な判断だね。僕もそうするのが良いと思うよ。丁度今なら、この街出る人間は少ないだろうから」
人は増える一方だけどね、とシオンは言う。
そんなシオンに俺は尋ねる。
「お前はどうするんだ?」
「僕かい? 少なくとも、祭が終わるまではこの街に滞在しようと思っている」
「観光か?」
「まあね。あの子に、楽しい事を沢山見せてあげたい」
「あの子っていうと……あの精霊か?」
あの金髪の精霊を思い浮かべながら、そう返す。
シオンはそれに頷いてから、苦笑いしながら続ける。
「まあ、ああいう場に連れまわす事が正しい事なのかは分からないけどね。何せ人の祭に精霊を連れまわしているんだ。自分で言っていてなんだけど、間違っているんじゃないかなとさえ思うよ」
だけどね、とシオンは言う。
「僕はあの子を、精霊だとか人間だとか、そんな括りに囚われず、一人の女の子として見てあげたい。周囲には滑稽に見られても、誰にも理解されなくても、あの子を一人の女の子として接してあげたいって、そう思うんだ」
確かにそれが正しい事なのかは分からない。何か意味があるのかすらも分からない。
「……頑張れよ」
だけど、それを応援したいとは思えた。
「ありがとう。でも、頑張る必要なんか何処にもないさ」
シオンは笑みを浮かべて言う。
「彼女と一緒に、目一杯楽しめばいい。それが独りよがりの空回りだとしても、僕は笑ってやる。自分が楽しんで無くて、どうして誰かを笑わせてやろうって思えるんだ」
「そう……だな。そりゃそうだ」
その心意気は、きっと間違っちゃいないだろう。
あとはその心意気に、あの精霊が応えてくれるかどうかだけど……俺にはあの精霊が笑う表情を想像できない。それほどまでに感情の籠っていない無表情を彼女は浮かべていて、その表情しか思い浮かべる事が出来ない俺は、はっきり言って笑えない。
それでも笑ってやった。同調して、背中を押してやったつもりだった。作り笑いを浮かべても、そうしたいと思った。
素直にシオンのやろうとしている事を、応援してやりたかった。
「キミこそ頑張れ。多分僕なんかより、キミの方がこの言葉を受け取るにふさわしい」
「分かってるよ。まあ、頑張る様な展開にならなきゃいいけどな」
「本当にね……まあ、無理はしないでくれ」
「そうだな。無理をしなきゃならない様な状況がこなければ、無理なんかしねえよ」
「……そうかい」
シオンはそう呟いた後、ゆっくりと立ち上がる。
「行くのか?」
「ああ。彼女が目を覚ました時、その視界には僕が映っていないのが一番いいだろうからね」
だから、とシオンは言う。
「これでキミ達とはお別れだ。見送りなんかも、しない方が彼女の為だろう? 元々此処にはその枷を渡しに来たんだ。寧ろ長居しすぎだ位だね」
「……そうか。まあ仕方ねえな」
それが一番無難な選択なのかもしれない。
俺も立ち上がって部屋の外位までは見送る事にした。
部屋からでたシオンに、俺は言う。
「本当に、何から何までありがとな。お前が居なきゃどうにもならなかった」
どれだけ感謝しても感謝しきれない。それだけの借りが出来た。
「こちらこそ。キミの様な考えを持つ人間に出会えて本当によかったよ。おかげで少しくらいは希望が見えた気がした」
シオンは微笑を浮かべてそう言う。
「絶界の楽園。辿りつけると良いね」
「辿りつくさ。連れて行かなきゃならねえんだ。お前も……あの子、なんとかなればいいな」
「何とかしてみせるさ。例えどれだけ過酷な道だとしても」
「次に会った時、良い報告が聞けるように期待してる」
「エイジ君もね。無事にまた顔を合わせられる事を、願ってるよ」
そう言って、シオンは歩きだす。
きっとこれから、あの精霊と一緒に、祭を見に行くのだろう。
一方残された俺はといえば、エルが起きるのを待って、エルに枷を渡す。まずはそれからだ。
そう思って部屋に戻った時だ。
なんというか……シオンがいなくなったのは、絶妙なタイミングだったのだと思う。
エルが、ゆっくりと体を起した。
「あ、エイジさん、おひゃようございます……」
なんかすげえ朝弱そうな印象の口調と、ぼけーっとした表情のエルに、言葉を返す。
「ああ、おはよう……とりあえず、コーヒー飲む?」
カフェインの摂取を進めよう。それで万事解決だ。
いや解決……何が? 眠そうなのは眠そうなので別に良いのではないだろうか。すぐに出発するわけでもあるまいし……それに、なんというか……色々とありすぎたから、そういう表情を眺めていると、なんかこう……和む。
という事はアレだな……カフェイン摂取しない方が良いんじゃねえかな、うん。
「あ、お願いします」
「……おう」
まあ自分で聞いといて飲ませない訳にはいかないから、淹れるけどね。
「……一つ聞いて良い?」
「はい、なんですか?」
「エルって、甘党?」
「まあ甘いのは好きな方ですよ」
そう言いながら、エルはコーヒーに砂糖を入れる。あの……そのスティックシュガー、三本目なんですけど。いくらなんでも甘すぎやしませんかね。
「そもそも、コーヒーをブラックで飲める人の感覚がまるで分からないんですよ。どうやったら飲めるんですかね、アレ」
……あの、俺飲める人、というより基本ブラック派なんですが……。
というか甘すぎるコーヒーはもうコーヒーとは言わなくないか? マッ○スコーヒーとかアレ完全に違う何かだろ。なんでコーヒーの括りで纏められてんの?
でもまあ、絶対にエルはアレ好きそうだよなぁと思いつつ……尚且つ、どうやったらそんなに甘い奴飲めるんだと疑問に思いつつ、俺は答える。
「まあ人それぞれだろ。甘いのが好きな奴もいれば嫌いな奴もいる。ブラック派からすれば、どうやったら甘ったるいコーヒーを飲めるのか分からんって奴もいるかもしれない」
「まあ確かにそうですね」
そう言ってエルは一口コーヒーを飲み……僅かに首を傾げ四本目に手を伸ばす。これそろそろ止めた方が良いんじゃないかなぁ。
エルは微調整する様に少し砂糖を入れつつ、俺に問う。
「エイジさんはどっちですか?」
「どっち派っていうと?」
「甘いのか苦いの。どっちが好きですか?」
さて、この問いに俺はなんと答えるべきなのだろうか。
同調しておいた方がエルの機嫌が取れそうだけれど、こんな嘘はボロが出る。そしてボロが出ない様に苦行に身を挺するのは嫌だ。
俺は色々と悩んだ結果、最終的にこう答える。
「そうだな。俺はブラック派だ。あまり砂糖とかは入れようと思った事はねえ」
これから旅をする相手に、そんなくだらない嘘なんてつかない方がいい。
ついていいのは、そうする必要性がある嘘だけだ。例えば……あの森の中で、俺がエルに言った嘘の様に。
「え、いや、あの……なんかすみません」
「だから言っただろ。人それぞれなんだ。俺はブラック派でエルはなんかすげえ砂糖入れる派。それでいいじゃねえか」
「ちょっとまってください! なんか扱いに差がある気がするんですけど!?」
あれ……そうだったか。無意識の内に甘いコーヒーへの拒絶反応が出ていたのかもしれない。
「……まあいいや。俺ももう一杯コーヒー飲もう」
「この扱いは変わんないんですね……で、ブラックですか?」
「ブラックです」
俺はそう言いながら、コーヒーを淹れる。やっぱインスタントは飲もうと思ってから出来上がりまでが早いから良いよね。
そんな事を思いつつ、俺はコーヒーを淹れ、エルの元へと戻る。
そして一口。
……うん。やっぱりこれが一番しっくり来る。
そんな俺をエルはジト目を向けながら言う。
「……本当においしいですか?」
「うまいよ」
「じゃあその……一口、飲ませて貰っていいですか?」
「……え?」
エルの申し出に思わずそんな声が出る。
「今思えば、最後にブラックで飲んだのって随分前なんですよ。それからずっと甘いのを飲んでましたから……案外、飲まず嫌いみたいになっているのかなって」
……まあ確かにそういう事はある。
味覚は徐々に変わって行く。例えば小さい頃、わさびを食べられなかったけど、今となったら無いと物足りない必需品みたいになっている。
だから昔は無理でも今は大丈夫という事もあるかもしれない。
「分かった。飲んでみろよ。普通においしいぜ」
そう言ってエルの前にマグカップを置き……そして俺もエルに言う。
「代わりと言っちゃなんだけど、そっちの一口貰えるか?」
「え? これ凄く砂糖入ってますよ?」
「俺も、案外飲まず嫌いな感じがあるかもしれない。だから俺も飲んでみる」
何事も一概に、先入観だけで非難してはいけない。
「……はい。分かりました。どうぞ」
エルは微笑をうかべて俺の前にマグカップを置く。
そして俺は間接キスにならない様に反対側から砂糖たっぷりのコーヒーを口にする。それとほぼ同時に、エルも俺のブラックを口にした。
そして互いにマグカップを置いたタイミングで、エルが言う。
「エイジさん」
「なんだ」
「慣れない事はするもんじゃないですね」
「奇遇だな。同じ事考えてた」
結論から言えば、俺はやっぱりブラックが好きなのだった。
そんな風に互いに自分の好みを再認識した後、俺はコーヒーを飲みほしたエルに話を切りだす事にした。
寝起きにこの話をするのはアレだが、もう大丈夫だろう。
「そうだ、エル」
俺はシオンから受け取ったソレをエルに見せる。
「これ……さっきシオンから貰った奴。例の枷だ」
俺が見せたペンダントを、エルは緊張の面持ちで見つめる。
「これが……ですか」
「ああ。身に付けたら効力が発動するらしい。まあ一度付ければ取れなくなるらしい……ってのは、多分言わなくても察してると思う」
その言葉にエルは頷く。察しているから、ここまで緊張しているのだろう。
「……怖いか?」
「ええ、まあ……怖いです」
いざ直面すると、それは十二分に怖い事なのだろう。出来る事なら代わってやりたい。
でも、その怖さを俺は背負ってやる事は出来ない。
エルがそれを乗り越えるしかないんだ。
でも、その手助け位ならやってやる。
それが手助けになるかどうかも分からないけど、それでも俺は言ってやる。
「もしお前に悪影響を及ぼす様な物だったら、その時は俺がぶっ壊す。今度こそ、ぶっ壊してやるから。後の事は、任せとけ」
その言葉を聞いたエルは、一瞬の間の後、僅かに微笑んで、ゆっくりと手を伸ばし、そしてその枷を確かに握った。
そしてその枷を……ペンダントを。ゆっくりと自身の首へと掛けた。確かに掛けた。
そして枷の効果は発動する。




