ex そして彼女はその手を伸ばす。
枷を外したシオンを振り返る事無く、エルはエイジの元へと急ぐ。
一分一秒でも早くエイジの元へと辿りつく。頭の中にはそれしか無い。
故に彼女は止まらない。例え目の前に新手の敵が出てこようと、その足を止めない。
否、止める必要もなかった。
相手は精霊と人間のペア。一体二の戦い。
だが……一人だろうが二人だろうが彼女は止まらない。否,止められない。
なぜなら彼女は正規契約の恩恵で、実質的にSランクの精霊と同等の力を振るえる。そして……長年手足の様に精霊術を使ってきた経験がある。
そして……今度は逃げるためではない。脅威を退けるためでは無い。
明確に誰かを助ける覚悟を備えた彼女は……そう簡単には止まらない。
例えばあの森の戦いの様に不意打ちでもうけなければ。そうでもなければ、数の暴力でもなければ。
たかが二人では……止められない。
敵の精霊が右手に水の塊の様な物を出現させ、その手をすくい上げる様に振り抜くと、水の塊が地面からエルの身長程の鮫の背びれの様な形状へと変わり、急速に近づいてくる。
それを敵に接近しながらギリギリの所で回避。そして次の攻撃を出させぬうちに懐に潜り込み、右手から風を噴出。その推進力を生かした裏拳を放つ。
その裏拳は咄嗟に右腕を出して防御態勢を取った精霊の腕をいとも容易くへし折り、勢いそのままに壁へと叩き付けた。
これまでもたった一撃で何人もの敵の意識を奪ってきた彼女の拳で壁に叩きつけられた精霊は、それだけで意識を失ってしまう。
そしてそれでは終わらない。
攻撃の隙を突こうとした契約者の女が、エルに水で出来た剣を構えて飛びかかって来ていた。
そんな女が剣を手にした右手に、エルの裏拳に大きな推進力を加算させていた風を用いて作られた鋭利な何かが突き刺さっていた。
女の攻撃の手が緩む。
だけどエルの手は緩まない。
裏拳を振りきり、真後ろに向いた右手から風を噴出。同時に右足で跳んだ。
流れるように女の顔面にエルの膝が叩き込まれる。
そして再び地に足が着くと同時に女が倒れ、エルは再び走り出す。
いや、再びではない。引き続きの方が正しい。
だって一瞬たりとも止まっていない。走っていた一瞬の出来事なのだから。
(お願い……間にあって……ッ)
必死に祈りながら、エルは辿りついた階段を跳び下りる。
もうエイジは目と鼻の先だ。
必死の思いで階段近くの曲がり角を曲がる。
その先にエイジが居るはずだ。
そしてそこには確かにエイジが居た。
契約の刻印は消えていない。だけどそれは間にあったと言っていいのだろうか。
だって視界に移ったのは、今まさに剣でエイジが切られた瞬間だったのだから。
「……ッ」
叫びそうになった。
エイジの名を、ただ叫びそうになった。
だけどそれを手で抑え込んだ。
視界の先。エイジの隣に移るのは、間違いなく自分を監視していた三十代前半程の男だ。
あの男の精霊術は少なくとも一人や二人といった少人数には効く事が分かっている。実際にエルは喰らった。エイジはどういう訳か動けたけれど、確かに術に掛ってはいた。
つまり今、自分の存在に気付かれればその時点で詰む。
この状況を打開できなくなる。
(……堪えないと)
今やるべきなのは、此方に気付かれる前にあの男を倒す事。
足元に風の塊を作った。
そして脳内で思い浮かべる。踏み抜いた後の理想のプロセス。
きっと今にも意識を失いそうなエイジを助けるための最善の策。
それを浮かべ、エルは踏み抜く。
文字通り一瞬で、男の元へと辿りついた。
精神攻撃一転特化型と自ら直接戦闘が苦手だと言った男の元へ。
(……沈めッ!)
その横を通り抜ける様に、首に全力の蹴りを叩きこんだ。
想定外の衝撃に男は勢いよく吹き飛ぶ。多分もう男の意識はそこにない。
だからといってその攻撃が想定外だったのは男に限っての話だ。
エイジと行動していた際、階段の前で立ちふさがった連中は、エルの存在に気付いている。
故に既に対抗策を取るように、術式を展開しかかっていた。
その連中をまとめて相手にする事ができるか。
答えは否だ。出来る訳が無い。
それが出来るとすれば、エルを剣にしたエイジ位のものだ。
だから……これがエルが取れる最後の行動。
全力で正面に向かって風をぶっ放した。
あくまで牽制。一瞬の時間稼ぎにしかならない。
だけどそれでいい。
その風でエル自身の勢いを殺し、そして再び反対方向へ動けるようになる一瞬。その一瞬を稼ぐ事さえできればそれでいい。
そうしてその一瞬を得て、エルはその手を伸ばす。
もう起き上がれない。意識すらも消滅しかかりながらも、ゆっくりと手を伸ばしたてきたエイジの手を確かに取るために。
次の瞬間。一つの精霊術が紡がれる。
そして彼女は剣となり、彼は再び動きだす。