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人の身にして精霊王  作者: 山外大河
二章 隻腕の精霊使い
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ex 彼女の選択

「先に行け! エル!」


 そんな声が聴こえたが、それを素直に実行できるかといえばそれは否だ。

 殴り付けた。精霊術の恩恵を一切得られていないその拳を、突然出現した壁に叩き付けた。

 だけど大きな亀裂の入った壁はびくともせず、殴り付けた拳の方が激痛を覚える。


「壊れろ……壊れろ!」


 何度も。何度も殴り付けた。壊れた先に何か出来るわけでもないのに。


「……ッ」


 やがて殴るのを止めた。別に手が痛かったから止めた訳ではない。確かに拳からは僅かに出血が見られるがそれで止めたりはしない。

 単純にほんの少しだけ冷静になった。それだけだ。

 そうしてエルは踵を返し階段を駆け上る。

 逃げる。そんな気は一切なかった。

 そもそも逃げられる気もしなかったのだが、仮に逃げられる立場にあったとしても、自分を助けに来た契約者を置いて逃げられる訳が無い。

 だから自分にできる事を探した。


(一体何をどうすれば……そうだ、鍵。鍵があれば……でもどこに? 誰かが持っていたとしたら、どうやって奪い取る?)


 結論から言って出来ることなど何も無い。

 思い付いたのは机上の空論ばかり。それこそ偶然入った部屋に鍵が置かれてでもいない限り自分では何をどうすることもできない。

 そして次の瞬間視界に移った物をどうする事も、同じ様に出来やしない。

 階段を登りきって地下二階まで上がってきたエルを、恐らくは地下三階へと向かおうとしていた一組のペアの視界が捉えた。


「……なんだよ。剣持ったガキ相手にする覚悟で来たってのに、何で精霊の方しかいねえんっすかね。……まあ両手足を見ればある程度状況は把握できるっすけど」


 その手に閉じた雑誌を持った、一時期エルを監視していた軽い口調の男。

 咄嗟に精霊術を使おうとするがやはりそれは使えない。使えたのなら今頃エイジと共に戦っている。

 故にここでの戦いは一方的だ。


「まあどういう状況だろうと、俺がやる事は変わらねえっすよ」


 そう言った次の瞬間、男の持っていた雑誌が光り出す。

 勢いよくページが捲れ、その中から何枚かが破れて宙を舞い目に見えて何かが起こりそうな。そんな光景を演出していた。

 だけどそれでも、エルの注意はそちらに向いていなかった。この状況下で敵の攻撃から目を逸らす様な何かがその奥に現れたのだ。


(あ、あの人……)


 ソレは血塗れの人間。

 無くなった片腕が原因なのか、バランス感覚という物を完全に失ったかのように動くその人間は、左右の壁に何度もぶつかりながらも確実に此方へと向かってくる。

 まるで録画した映像を早送りで視聴する様に。

 エイジを助けた隻腕の少年。シオン・クロウリーはそこに居た。

 エルの視線に男も気付いたらしい。連れていた精霊にエルを見張らせ、自身はその血塗れの人間へと視線を向けた。

 そして次の瞬間には攻防が始まる。


「ああ、上で殺す算段になってた奴か。でも此処に居るって事は一体上の連中は何やってんすかねえ!」


 その言葉と共に舞い上がっていたページが一瞬で紙飛行機へと形状を変え、そのままシオンに向かって直進する。


 そして距離をある程度詰めたその時、空中で粉々に飛散した。

 通路を塞ぐように紙吹雪が舞う。

 そうして淡く光った紙吹雪は、それぞれが意思をもった様にジグザグと隙間を埋める様に加速しつつシオンを貫かんとする。


「……結界じゃ厳しいか」


 か細い声でそう呟いたシオンは、正面に炎の壁を展開する。

 紙と炎。相性を見れば優劣は明らかだ。


「俺の攻撃がその程度で防げると思ってんですかねえッ!」


「炎を術式の中心核だと思っている時点で、もう越えられない」


 シオンの炎は紙の散弾を僅かに燃やす。

 それで炎の役割は終わった。


「さっさと失せてくれ。こっちももう限界なんだ」


 次の瞬間、飛んできた紙吹雪の散弾が急速に方向転換し、正確に術者の男だけに襲いかかった。


「なに……ッ!」


 本来人体を貫ける程の威力をもったそれは、貫けないレベルに大幅な劣化を遂げていた。

 まるで術者そのものが変わってしまったみたいに。

 それを操る人間が変わってしまったみたいに。


「っざけんじゃねえぞ!」


 男の周囲に再び紙が舞い、通路を塞ぐ程の大きさの紙の盾が形成される。

 これで受けきり盾を攻撃系の力に切り替える。それが男の策だろうとエルは読む。

 だが愚策。何をどう考えたって愚策にしか映らなかった。

 盾で防ぐほど劣化した攻撃は強くない。耐えられなかった攻撃では無い。

 そして……発動後もコントロールが必要な術のコントロールを奪われた時点で、同系統の術は絶対に使うべきでは無かった。

 接近したシオンが盾に触れる。小さな炎で僅かに焦がし次の瞬間には盾が強制解除され別の形へとなり得る。


 紙の剣。それがシオンの右手に握られていた。


 そしてその剣で男を切り裂く。

 返り血を浴びながら次の瞬間にはシオンの体が大きく傾いた。

 直後体が有った場所を、精霊の拳が通過する。

 動きからして、意図的に躱したのとは違う事は理解できた。

 ただよろけて、偶然攻撃を回避できた。ただそれだけ。


 ただそれだけでも、勝敗は決する。


 右手から紙の剣が消え、何も無い所目掛けて拳を突き上げる。

 直後精霊の顎を何かが捉え、突きあげる。

 綺麗に決まったそれは、精霊を昏倒にまで追い込み地に倒れ伏せさせる。


「……ッ」


 そして次の瞬間、その場からなんとか意識を保っていた男が逃げ出す。

 勝てないと判断した。だから逃げた。それをシオンが追う様子も無い。

 追える様子では無い。

 男が居なくなった事を確認すると、やや気が抜けた様にその場に崩れ落ちた。

 全身から血液が漏れだし、周囲の床を赤く染めて行く。

 それでもなんとか起き上がろうとしながら、シオンはゆっくりと口を開く。


「その枷……やっぱり、嫌な予感が当たったか」


 そしてちらりとエルの手に視線を向ける。


「刻印は……ある。まだ生きている、か」


 そしてゆっくりと起き上り、エルへと一歩近づく。

 思わずエルは後ずさった。

 血塗れの人間がフラフラと近寄ってくればそれは無理も無い話だが、それ以前にシオンは人間だ。

 契約者以外の、怖い人間だ。

 例え今、形的に助けられたとしてもそれ位では揺るがない。

 色々な条件が重なり合って信頼を寄せられたエイジとの差は、同じ助けられたでもあまりにも大きい。

 それは埋まらない。


「とにかく……外さないと」


 だからそんな言葉と共に何かをしようと手を伸ばして来たその手を、思わず撥ね退けた。

 少なくともエイジを助けてくれる様な人間だと言うのは、分かっていたのに。

 そのやろうとした何かが、一体何なのかは分かっていたのに。

 それでも委ねられなかった。


「……その反応は、知ってたよ。それを覆す必要だってない。拒絶したけりゃすればいい。僕はそれだけの事をやってきた」


 それでもシオンは再び手を伸ばして来た。

 思いのたけをぶつける様に、声を絞り出して。


「だから僕の事は信用しなくてもいい。キミに危害を加えるかもしれないクズだという認識でも構わない。敵だと思って貰って……構わない。だけどッ!」


 そこで高ぶった感情を曝け出す様に叫ぶ。


「助けたい相手を助ける為だったら、そのクズの手を掴む事位やってみろ! 信用できない? そんな事は知るか! それしかないなら藁でも掴め! その位の覚悟は決めろ!」


 目の前の男は信用できるか。否、出来ない。出来やしない。

 だけど実際問題この男の力を借りなければ。この枷を壊さなければ、エイジは助けられない。が、それを委ねるのはそれこそ自殺行為に思えてしまう。

 ……それでも。


「……」


 エルは震えた腕を差し出した。

 刻印からエイジの危機が伝わってくる。それを助けられるのは自分しかいない。

 だったら……覚悟を決めるしかないんだ。


 その様子を見て、ほんの少しだけシオンの表情が緩んだのが分かった。

 その表情すらもエルにとっては怖い物でしかないが、それでも、それでも腕は引かなかった。

 そしてその腕の枷にシオンの手が触れる。

 エルは思わず瞳を強く閉じ、次に待っていたのは枷が壊れる音と、激痛とまではいかない痛み。


「……ッ」


 思わず目を開く。確かに右手首に付けられた枷は壊れていた。だけど無傷でという訳ではない。

 痛み相応の怪我。例えるならばリストカット後の腕の様な切り傷。

 その傷と痛みは伝わってくる恐怖を助長させる。

 だけど……手を引かない。

 一度決めた覚悟は、そんな程度では折れやしない。


 寧ろ折れ掛っていたのはシオンの方だった。


 恐らくは全身が血塗れになる程の大怪我が、彼の手元を狂わせた。自分が完璧にできると思っていた事が完璧にできず、あわや取り返しのつかない事態に発展する所だった。

 その事実が彼の手を止める。

 きっとそれに色々な感情が拍車を掛け、まるで重石の様に圧し掛かっている。

 だが……そんな事はエルには関係が無い。


「……なんで手、止めてるんですか」


「……ッ」


 時間が無い。こんな所で立ち止まっている場合では無いのだ。

 故に募るのは苛立ち。


「精霊に好き放題するのは慣れてる癖に……今度はそういう風に私を苦しめるんですか?」


 その言葉を聞いてシオンがどう思ったかなんて事は知らない。

 知ろうとも思わないし知りたくも無い。その思考の先に最終的に存在するのは、自分達を虐げる事で……それに該当しないエイジだけが特別だった。

 だけど知りたく無くても、情報は五感を通じて頭に入る。

 故に少しだけ考えてしまった。


 何故そんな事を言われて、薄っすらと笑みを浮かべているのだろうかと。


 一拍程の間の後、再び手を動かし始めたシオンは確かに笑っていた。はっきり言って意味が分からない。全くもって理解に苦しむ。

 そして元より理解する気の無い疑問。事が進めば消え失せる。


 最後の枷が……外れた。


(……行ける!)


 精霊術は確かに発動出来た。

 だったらもう立ち止まっている理由などない。

 その手から風を発してこのフロアの階段の位置を割り出し、エイジの現在地に最も近い階段を見つける。

 後は……全速力でそこへ向かえ。


 そうしてエルは動き出す。


 その場に残ったのは血塗れで笑みを浮かべる、シオン・クロウリー。ただ一人だった。

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