27 救われた者 残された者
ゆっくりと瞼を開くと木製の天井が目に入った。
この天井には見覚えがある。そうだ、昨日もこの天井の下で眠っていたんだ。
そんな。本当にどうでもいい事を思いだし始めた時、徐々に覚醒していく脳がまるでフラッシュバックするように意識を失う直前の記憶を呼び起こさせた。
呼び起させて、寒気がした。
「エル!」
思わずそう声を上げて体を起こし、慌てて右手の刻印に視界を落とす。
そこには確かに刻印が刻まれていた。
……そう、刻まれている。
エルは……生きてる。
「……生きてる……エル」
その事実に思わず泣きそうになってくる。
あの時、絶対にエルを行かせてはならなかった。それはあまりにリスクが大きすぎたから。
だけどそれでも俺は生きていて、そんな事よりなによりエルが生きている。
エルはそのリスクを潜り抜けた。
……潜り抜けてくれたんだ。
「よかった。目、覚めたんだ」
俺が声をあげて起き上がったのを聞いて、近くにいたハスカが俺の元に歩み寄ってきた。
「ハスカ……」
……その衣服が血塗れな所を見ると、あの戦いからそう時間が経過していないであろうことが分かる。
衣服に付着した血液が直前まで行われていたであろう戦いの過程を生々しく伝えてくるが、とにかく無事な姿を見てほっとした。
「よかった、無事だったか」
結果的にあの戦場で俺は何もできなくて。
だから俺は多分何もできなかった先でまた何かを失うんじゃないかって不安なんだと思う。
そんな中でエルが無事で。そしてハスカも無事だった。
他の皆がどうなっているのかはこれから知らないといけないけれど、助けようと思った相手の一人と……命に変えても失えない大切な存在が生きていることが分かったんだ。
……その事実が、ほんの少しだけ気を楽にしてくれる。
そしてエルとハスカの無事が分かれば、次は他のみんなの安否だ。
「他の皆は大丈夫か?」
俺の問にハスカは少しだけ複雑な表情を浮かべながら答える。
「みんな無事。奇跡的って言えば良いのかな? アンタの回りにいた聖霊は誰も死んでない。皆生きてるよ。此処にいないのもそれぞれやらないといけない事があるから。私はアンタの番」
「……そうか」
その言葉を聞いて俺は胸を撫で下ろし深く息を付く。
……きっとハスカ達は無事でも他の所まで奇跡的に皆助かっているという事はないだろうと思う。それだけ都合のいい奇跡が起きる様な戦いではなかったと思う。だからこそハスカはそんな複雑な表情を浮かべているのだろう。
だけどとにかく……俺が助けたいと思った精霊は皆生きてる。
その事実を聞けて、肩の荷が下りた様に気持ちが楽になった。
「良かった……本当に良かった」
俺はそんな言葉を呟き、しばらく感慨に浸っていた。
そしてやがて、なおも複雑そうな表情を浮かべるハスカに問いかける。
「それで、エルは?」
刻印から伝わってくる感覚からはエルが近くにいない事が理解できた。
この森も随分と広大な事を考えると、ここから離れた所で何かをしているのだろうか?
そんな思いで問いかけた言葉だったのだが……その問いを投げかけられたハスカの肩が露骨にビクりと震えたのが分かった。
まるで踏み込まれてはいけない問いを聞かれたように。
そしてそれを見てしまえば、瞬く間に背筋に悪寒が走る。
だけどその感覚を押し殺して。色々な可能性を否定して、俺はハスカに問いかける。
「……どうした?」
「……」
その問いに中々ハスカは答えない。答えてくれない。
……それが答えの様に感じた。
生きている。この近くにいない。それは即ち。
「……ッ!?」
俺は明確に一つの答えに辿りついて勢いよく立ち上がり、ハスカの静止も聞かずに小屋の外へと跳び出した。
そうする事にきっと意味なんてなかったけれど、だけどもう何がなんだか分からなくて、とにかく外へと跳び出した。
刻印がその答えを出しているのに、この目でせめてこの周辺だけでも。少なくとも視界から居ない事が分かった小屋以外の景色を目にしたかった。
「……ッ」
だけどそこにいるわけがない。
傷付いた精霊が大勢いるその場所に、エルの姿はない。
そして近くにいたハスカ達のグループの精霊が。
いや、そうじゃない精霊も視線を向けてくるが、そのどちらも安堵や畏怖や恐怖といった今までそれぞれが向けてくれたような表情ではなく、うかつに声を掛けられない様な複雑な表情を浮かべている。
それもまた、改めて何が起きたのかを告げられている様だった。
「……エル」
「帰ってこなかった」
そして後ろから追いついてきたハスカがようやく重い口を開いた。
「話は聞いてるよ。エルがアンタを助ける為に何やろうとしたのかって事は。アンタが無事なのもそのおかげ。だけど……帰ってこなかった。全部終わった後、捜索しても見つからなかった」
「……」
そして拳を握り絞めて押し黙る俺に答えを突き付けるように。
自分の無能さを突きつけられるように、ハスカに背から言われる。
「多分、人間に連れ去られた」
そんな絶望的な言葉を。