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人の身にして精霊王  作者: 山外大河
六章 君ガ為のカタストロフィ
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55 君ガ為のカタストロフィ

 エルの姿を視界に捉えてまず抱いた感情は安堵だった。

 エルが生きている事は分かっていた。エルがまだ自我を保っている事は分かっていた。そんな事は右手の刻印からも伝わってくる。

 だけどこうしてはっきりとエルを視界に捉えると、全ての事に実感が沸いてくる。

 エルがまだそこに居てくれる事に、多大な安堵感を抱かせてくれる。


 だけどそれでもそれは自然と薄れていく。


「悪いな、遅くなった。……体、大丈夫か?」


 エルの前に立って俺はエルにそう問いかける。


「ええ、まあこうしていられる位には」


 そう言う目の前のエルは衰弱しきっていた。今こうしてベットに座っているだけで、目に見えて無理をしているという事が分かる。


 そしてそんなエルに追い打ちを掛けるように、これからの事を告げなければならない。


「……エイジさん?」


 俺が言葉に詰まっているのを見て、エルが首を傾げる。

 ……立ち止るな。言うんだ。言わないといけないんだ。

 今こうして俺がそれを告げる立場になれたのだから、もう、踏みとどまるな。

 そして俺は軽く深呼吸して、そして言葉を紡ぐ。


「聞いてくれ、エル……俺なりに解決策、見付けてきたんだ」


 そう言うとエルが目を見開く。


「解決策って……ほ、本当ですか!? 私が、その……ああいう事にならないようにする為の解決策ですよね!?」


「ああ。だから此処までこれた。完全に無策なら多分エントランスで突き返されてる。どう考えたってお前を無理やり連れだそうとしている様にしか見えねえだろうからよ」


「……そうですか。良かった」


 衰弱しきっているエルの表情がほんの少しだけ明るくなるのが見えた。

 それがより言葉の続きを述べるのを難しくしてくるが、それでも引き返さない。引き返せない。


「……それで、それは一体どうすればいいんですか? エイジさんが此処まで来たって事は、今此処で何かするんですか? ……私の事で何もやらなくていい訳がないんですけど……私にできる事、ありますか?」


 エルにできる事。


「……俺の言葉に頷いてほしい」


「頷く?」


「ああ」


 俺が何を考えているのかいまいち読めていないエルに対して俺は、これから先の事を告げる。


「異世界へ戻ろう」


 その言葉を口にした直後、部屋には沈黙が訪れた。

 俺もすぐには何も言えなくて。エルもそれは同じで。


「……え?」


 ようやく出てきたのがエルのそういう言葉だった。

 そしてエルが反応を見せた事に促されるように、俺はようやく言葉の続きを口にする。


「……今この世界で俺達の問題を解決できる可能性は薄い。多分これ以上の進展は何もなくて、時間だけが進んでいくんだ。それは駄目だ。それだけは駄目なんだ。だから異世界に飛ぶんだ。向こうの世界ならエルの体内にSb細胞なんてのが生まれる事もない。ちゃんと自我を保っていられる……生きられるんだ」


 でも、生きられるだけだ。

 その選択は生きる代償に地獄に叩き落とすことに変わりない。

 そして再び言葉を失ったエルに気休めを言うように、言葉を続ける。


「当然お前を一人で行かせたりなんてしない。俺も着いていく。だから――」


 だから異世界に戻ろうと、きっとエルが納得するであろう事を何も言えていないままその言葉を復唱しようとした。


「エイジさん」


 だけどエルが俺の名を呼び俺の言葉を断ち切る。

 そして断ち切った上で俺に問いかけてくる。


「今、自分が何を言っているか、分かっていますか?」


 俺が何を言っているか。

 それを問われてしまえばもう綺麗事だけの発言はできない。

 正直に。エルが思っているであろう事を。今からやろうとしている事がどういう事かを言葉にしなければならない。


「……碌でもねえ事を言っていると思うよ。精霊のお前が異世界でどういう扱いを受けるかなんてのは知っている筈なのにこんな話持ちだしてんだから。本当に、酷い事を言ってると思うよ。だけどさ――」


「……そうじゃないんですよ」


 エルは俺の言葉を否定する。

 俺が何を言っているか。つまりはそういう事なのだろうとは思う。でもそれの一体何がそうじゃないと言うのだろうか?

 その疑問に答えるようにエルは俺に言う。


「向こうの世界は確かに酷い所ですよ。この世界の人達と違って精霊を資源と見る人達ばかりで……考えるだけで、思い返すだけで息が苦しくなりそうです。いなくていいんだったら、一秒たりともあの世界にはいたくないんです」


 だけど、とエルは言う。


「それでも此処で死んじゃうのは嫌ですし、それにお世話になった対策局の人に殺させるなんて事もさせたくないです。消去法でしかないですけどね、それでもあの世界に戻るってのは今私が選べる選択肢の中では一番マシなんじゃないかなって思いますよ。だから私の事はいいんです。もう、仕方ない事ですから」


 だとすれば、一体エルは何を否定しようとしていたのだろうか。

 向こうの世界は碌でもない世界で、精霊であるエルはその場所に居るべきでは無い。

 あまりにも大きすぎる問題点だが、それでもそれを許容できれば一体何を否定する事があったのだろうか。

 その事に対して思考を巡らせ、そして一つの答えに辿りつく。


 私はいい。ではその他は?


 俺は辿り着いた答えをエルに問いかける。


「まさか……俺の事か?」


 考えられる答えはそれ位だった。

 そしてそれに頷かれた事で、俺の仮説は確定する。


「……エイジさんは今、あの世界で自分がどういう立場に立っていると思いますか?」


 エルの問いの答えは何度も考えてきた事で、回答に詰まることは無い。


「テロリスト。間違いなく指名手配犯だ」


 国営の精霊加工工場に乗りこみ設備を再起不能まで破壊した上で精霊達を解放する。

 その歪な単語をこの世界の何かに置き換えてみれば、自分が非の打ち所しかないテロリストである事は明白だ。


「多分それは間違いないと思います。もう最初に異世界に居た時とは違うんです。もう、何もしなくても……エイジさんは狙われます。きっと、精霊以上に」


 だからエルの言う通り俺の立場は精霊よりも悪い。

 精霊を捉えるのが狩りの獲物だとすれば、俺はあの人間社会に限っては平和な社会の平和をぶち壊す極悪な犯罪者。もう、多分比べられる物じゃない。

 ……寧ろ下手をすれば俺の所為でエルを危険に巻き込む可能性がある。


 だけどエルがそんな事実を俺に突きつける奴かといえばそんな訳がなくて。

 今もそんな様子はまるで感じられなくて。

 そこから先に出てきた言葉は、ただの心配する言葉。


「だから次に向こうの世界に行ったら……エイジさん、殺されるかもしれないんですよ」


 世界中に敵しかいない。

 人間は精霊に対して激しい嫌悪感を示し、人間からは指名手配を受ける程の犯罪者。

 改めて考えなおしても、その先で自分がずっと生き続けているビジョンなんてのは見えにくい。

 だけど。


「俺の事なんて言ってる場合じゃないだろ」


「場合ですよ。そうじゃない時なんてないんです」


 ……一体どうやってエルに納得してもらうかと考えていたけれど、まさかここで俺自身が枷になるとは思わなかった。

 そしてすぐに何かを言い返せない俺に、エルは自分の掌に視線を落としながら言う。

 絶対に取らせては行けない選択を。


「だからもし異世界に行くなら……私一人で行きます」


「……ッ」


 考えた。

 エルが一人で異世界に渡った時の事を。

 ……その先の事を。


「駄目だそんなの! 一人精霊のお前があんな世界に行って良い訳が――」


 だからその言葉を撤回させようとした。

 そんな事は絶対に駄目で、なんとしても止めなくちゃいけないくて。とにかくとにかく、エルを説得しようとそう言い放って……そして、


「言われなくたって分かりますよ! 良い訳ないじゃないですか!」


 その言葉を遮るように、エルが声を荒げてそう言った。


「あんな世界に一人でなんて居られる訳がないじゃないですか!  怖いですよ、怖いんですよ!  誰かと一緒に居ないと気が狂いますよあんな世界! 誰かと一緒に居る事に慣れたら……この世界にも慣れちゃったら、もうあんな世界耐えられないですよ!」


 そして……その声とは対照的に、泣きそうな表情になって……そしてそんな表情と同じような弱々しい声で声を漏らす。


「だけどエイジさんに一緒に来てくださいなんて言ったら……そんなの、私の為に死んでくださいって言ってるのと変わらないじゃないですか!


 その言葉に、一体どんな言葉を返すのが正解だったのだろう。

 俺にはそれが分からなくて、どれだけ頭を回転させても何を言えばいいのかは結局纏まらなくて。

 だから最終的に無意識の様に出てきたのは、多分俺の本心だ。


「いいよ、お前の為なら」


 その言葉に対して、エルは目を見開く。

 そして一拍空けて……俯いて声を漏らす。


「……じゃないですか」


「……」


「良い訳ないじゃないですか!」


 エルは俺の言葉をそう否定する。

 だけど否定されても、それでもそれは俺の本心で、そして一度そういう風に本心を口にしてしまえば、感情のコントロールなんてのはうまく行かなくて、もう出てくるのは本心だけで。


 だから自然とその言葉を口にした。


 エルは異世界に一人で行こうとしている。

 それは止めなければならない。エルがどういう目に合うか目に見えて分かるから、エルの為にも止めなければならない。

 だからそうやって止めようとしている事の大半はエルの為で。その為なら自分を犠牲にする事なんて訳でもなくて。

 だけどその言葉が全てエルの為だったかと言われれば、多分俺はそんなに強い人間じゃない。


 ……もう、強くない。


「頼む、エル」


 そう言って、俺はエルを抱きよせた。


「……俺を一人にしないでくれ」


 もう、俺自身がエルと離れられないから。

 エルに依存しきっているから。


 もうエル無しでは生きられないから。


 だからもう俺は、エルの為ならなんだってできるんだ。

 エルの為に死んでやる事だってできるんだ。

次回エル視点です。

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