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人の身にして精霊王  作者: 山外大河
六章 君ガ為のカタストロフィ
221/426

ex 例え立ち上がる力がどこにもなかったとしても

 激痛の中で思い返す。

 エイジに見付けてもらった。

 エイジに手を差し伸べてもらった。

 自分自身の誇りを踏みにじってでもこの手をエイジに引いてもらえた。

 それで本当に救われた様な、そんな気持ちになれたんだ。


 だからこそ。救われたからこそ。


 あの状況下で天野宗也ではなく瀬戸栄治を狙う様に……こんな酷い状況になってまで手を差し伸べてくれた大切な人を再び殺しかけた。 


 その事実はより深く精神を抉ってくる。


 気が付いた時には意識を失っていて、目を覚ませばエイジの蟀谷を掴んで壁にビルの外壁に叩き付けつつ精霊術で追撃を仕掛けるような、そんな状態だった

 あの時天野宗也に攻撃を止められていなければ、あのままエイジを殺していたかもしれない。

 いや、殺していたも同然だ。

 自分達の肉体強化が耐久性に特化した様な物だから、瀬戸栄治は生き残った。

 だけどそうでなければ薄っすらと記憶に残る最初の蹴りで。もしくはビルに叩き付けた所で。それで死んでいたかもしれない。殺していたかもしれない。


 その事に、もう耐えられなくなった。

 エイジの首を絞めて逃げだした時はなんとか踏みとどまっていた何かが、決壊した様な気がした。


 実際に必死になってエイジが回復術を使ってくれていても。

 あんな目に再び合わせたのに、まだ自分の事を受け入れてくれていても。

 救おうとしてくれていても。


 自分自身が今の自分を許容できなくなっていた。


 フラッシュバックする。拒もうとしても。拒もうとしても。思いだしたくない光景が、感覚が蘇ってくる。

 エイジの首を絞めていた。

 エイジに蹴りを入れた。

 エイジを壁に叩き付けた。

 エイジを風の槍で貫こうとした。

 そしてそれに追い打ちを掛けるように、あの森でエイジを半殺しにまで追い込んだ一撃が。

 次々にフラッシュバックしリピートする。

 それで済めばまだ良かったのかもしれない。


 目の前で必死に回復術で自分を治療しているエイジを。

 きっと自分の身に起きた事をしっかりと把握していて、それでも自分を助ける為に戦ってくれている宮村茜と土御門誠一を。

 その三人を自分が殺す様な光景までもが浮かびあがってしまったのだ。

 だからだろうか。


 皆が必死になって自分を助けようとしているのに……当の自分はもうこのまま消えたほうがいいんじゃないかとも思う様になった。死んでしまったほうがいいのではないかと思う様になった。


 差し伸べられた手を握り絞めて、離してほしくないと心の中で叫んで。

 だけどそれでも、伸ばされたその手から暖かさが消えてしまうのが怖くて。冷ましてしまう自分が怖くて。

 だから死にたくなくても。離れたくなくても。助けてほしくても。抱きしめてほしくても。死んだ方がマシなんだと思う程に自分が怖くて。


 そしてその恐怖が全てを支配していく。


 それでも、自身を取り巻く環境があとほんの少しくらいまともだったら、もう少し位は夢を見られたかもしれない。


 だけど実際に耳にした自分に纏わりつく事情は、もはやどうしようもないという程に絶望的なものだ。

 自分が何事もなく平和に暮らせていた。幸せだった日常の裏側の話。

 自分に何事もなく接していた人々が。目の下に隈を浮かべる程に研究に打ち込んでいた霞が。その日常の裏側で戦っていた話。

 薬は効かない。元凶の片鱗すらも掴めない。

 つまりは現状どうする事もできない。いずれは大切な人にもう一度牙を向く。



 大切な人を殺めてしまう。



 耳にしたそうした情報が、まるで余命宣告でも受けているような気分にさせた。


 そして。


 そういう気分にさせる程にどうしようもない状況が齎す感情は、理不尽に対する怒りでも焦りでも、自暴自棄なヒステリックでもない。


 ああ、もう駄目なんだという諦めだ。


 ようやく掴めた幸せ。それをここまで徹底的に追い詰めるように壊されれば、もう抗う気力なんてのは沸いてこない。もう抗う活力なんてのは沸いてこない。全部全部へし折られた。

 この怪我がなければ、もしかすると渇いた笑みでも浮かべていたかもしれない。


 だけど、それでも。もうなんの気力もなかったとしても。


「……エイジさん」


 目の前で。大切な人が今にも泣き出しそうな表情を浮かべているのを見れば。


「……なんて顔してるんですか」


 それをなんとかしたいと思う。なんとかしてあげたいと思う。

 それが自分の所為だとは分かっているけれど。

 故に自分にはどうする事も出来ない事だけれど。

 それでも。


 せめて目の前の大切な人には笑っていてほしい。

 幸せでいてほしいんだ。


 そんな中で、言える様な事というのは中々見つからなくて。

 エイジも泣きそうな表情で口を閉ざしたままで。

 気が付けば周りから自分とエイジ以外の人間がいなくなっていた。


 だとすればそれはありがたいなと思った。


 こうしてエイジと話せる機会があと何回あるか分からないから。

 もしかするともうこれが最後かもしれないから。


「エル……俺は」


 そんな中で話を切りだしたのはエイジの方だった。

 微かに震えた声でエイジは言う。


「俺は……どうすればいい」


「……」


「……どうすればお前を救える?」


 エイジから絞り出されたそんな言葉。そんな問い。 

 もしその答えを自分が持っていたとすれば、きっとまだ何も諦めてはいなかったと思う。

 そしてもしも自分が何かを知っていたのなら。それを伝えると、きっと瀬戸栄治という人間は必死になって戦ってくれる。

 今まではそれが正しい事だと思ったからだったのかもしれないけれど。

 きっと今は他ならぬエルという精霊の為に動いてくれる。

 それはとても嬉しい事だと思う。


 だけどそんな何かは持ち合わせていなくて。絶望的な程に何も思いつかなくて。

 だから目の前のエイジの泣きそうな表情を変える事は出来ない。


 だけどどうやったら救えるのか。どうやったら救われるのかと考えた末に、一つエルの中で辿り着いた答えがある。


 それは何度も何度も感じた事で、もはや今更という気がする事だ。だけど大切な物は失ってから気付くという言葉があるように、大切だと思っていた事も失うと分かればより鮮明に見えてくる。

 それを伝えたかった。自分が思った事を言葉にして伝えたかった。


「救われてますよ」


 間違いなくエイジの求めた答えとは違っていて、こんな言葉を伝えるのは身勝手かもしれないけど。

 

「……私はもう十分すぎる位に救われてたんです。幸せだったんですよ」


 諦めて。改めて今までの記憶を思い返すとやはり自分は幸せだったなと思う。

 悲観的な話かもしれないけれど、精霊なのに幸せだったのだ。

 一体なんの為に生まれてきたのかも分からない。ただ生まれてきて、人間に虐げられる。考えたくはないけれど、何度考えたって現実的に精霊はそういう立場に定着してしまっている。


 そんな精霊であるにも関わらず、幸せな気持ちに浸れた。


 あの森でエイジに助けられてから二ヶ月と少し。

 人間にとって二ヶ月という期間はとても短い物なのかもしれない。一年の六分の一。長い人生の一瞬。

 だけど精霊にとってはあまりに長い。それだけの間自分という存在を残して生き残れる精霊は全体の何割だろうか。

 そしてそれだけの期間の多くの時間を幸せだと感じて生きた精霊は何割だろうか。

 もしかすると自分一人なのかもしれない。


 一体エイジと出会ってからの二か月に精霊何人分の幸せが詰まっていたのだろう。


 それだけの時間を精霊が送れたんだ。


 それはきっと救い以外の何物でもない。

 十分に。十分すぎる程に長い夢を見られたのだ。


「……違うだろ」


 でもその事をエイジは納得しないだろう。

 だってそうだ。エル自身納得はできないのだから。

 いろんな事を諦めた。だけど諦めたからといってそこにある願望が消えるわけでは無い。

 今尚眩しい光景として映っている。ただそこの手を伸ばす事を諦めただけで、もしも伸ばして届く様な物だったら、腕が千切れそうになるまで手を伸ばし続けるだろう。

 だから。


「お前は、これからだろ」


 そんな言葉一つで心は揺れる。


「お前が今まで幸せだったんなら……あんなにひどい境遇から救われたって言えるなら……それはそれでいいんだよ。寧ろそれは良い事だ。だけど……だけどな、エル。まだ始まったばかりだろ」


「……」


「これからお前はもっと幸せになんないといけないんだよ」 


 そんな事を言われると、届かないと分かっていても、その願望が強くなっていく。


「エルだってこれで満足してるわけじゃねえんだろ」


 当たり前だ。確かに今まで自分は幸せだったと思うけど、その先を求め出したら止まらない。

 だってそうだ。まだやりたい事もあったし見てみたい景色もあったし食べたい物もあったし。


 ……なによりまだ一緒にいたい人がいる。


「……だったら諦めるな……まだ終わっちゃいねえんだ。終わらせちゃいけねえんだよ」


 だから本当は、諦めたくなんて無いのだ。


 ああ、そうだ。諦めたくはないんだ。


(やっぱり……いやだな)


 一人で考えていれば。抱え込んでいれば。多分諦めたままだったと思う。そのまま何も変わらない。

 だけど人間を、そして精霊を、絶望の淵から引きずり上げる魔法の言葉というのはきっとどこかにある。

 結果論で言えば瀬戸栄治という人間はその魔法の言葉を持ち合わせてはいなかった。だけど……深く心には響いたのだ。

 それは特別な言葉では無い。

 だけどエイジの言葉からは助けたいという感情が。

 そして自分を求める感情が。強く伝わってくるのだ。

 それは絶望の淵から引きずり上げる程の効力を持ち合わせてはいない。

 だけど、伸ばされたその手をこちらから掴もうとさせるだけの力はあった。


 きっと、今はそれで十分なのだ。


「……エイジさん」


「なんだ? エル」


「……私、実は全然満足とかしてないんです」


 ひとたびそんな事を口にすると、もう止まらなくなる。


「まだやりたいこと、一杯あるんです。テレビとかで見た場所にも言ってみたいし、おいしい物は食べたいし……もっとエイジさんの隣りにいたいんです」


 だから。例えこの状況がどれだけ絶望的でも。

 自分の願望を伝えよう。例えそれが身勝手な考えだとしても。破滅的な考えだとしても。

 大切な人に、縋りつこう。


「だから……私を助けてください」


「ああ」


 エイジは静かにそう答えた。

 そう答えるエイジの表情からは今までの辛そうな表情は薄らいで、変わりに浮かんできたのは決意の表情。

 それを見てると何となく、大丈夫だと、そんな事を思った。

 状況だけで考えればきっと何一つ前進していなくて、寧ろ緩やかに後退すらしていて。とてもそんな楽観的な事は考えられない状況だけれど。状況だった筈だけど。

 確かにそう、エルは思った。


 きっと今も現在進行形で、目の前の大切な人に救われているんだと、そう思った。


そろそろ話進める。

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