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人の身にして精霊王  作者: 山外大河
六章 君ガ為のカタストロフィ

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32 雨の中、キミの言葉 下

 ……俺は一体エルにどんな言葉を掛けてやればいいのだろうか。

 考えてみてもエルに掛けてあげるべき言葉なんてのは見つからなかった。そして雨の中でエルを探していた時とは違う。もう、気休めすら浮かんでこなかった。

 事の背景が不透明であるのなら、いくらでも気休め位なら思いつく。それが掛けるべき言葉では無いと分かっていても、思いつく事には思いつくんだ。

 だけど……その不透明な背景が、今はもう鮮明に見える。

 どす黒い背景が、脳に焼き付いて離れないんだ。

 もう一体どういう事を言えばそれが気休めになるのかすら分からなかったんだ。

 だけどそういう事が言えないのはエルを探していた時と変わらない。あの時も俺が掛けてやるべき言葉なんて正解は思いつかなくて、そして気休めを言える状況では無かった。

 それはあの時も今も変わらないんだ。

 だけど明確な違いがあった。


「……ッ」


 思わず出てきそうになった、言うべき事でもなく気休めでもなく俺自身から溢れてくる様な、そんな言葉。

 それはあの時の様に手を差し伸べられる様な物ですらない。拙いながらも手を差し向けられた、あの時の言葉とは違う。そういう言葉。

 そして一度は堪えたその言葉も、自然と口にしてしまう。


「エル……俺は」


 こんな事をエルに聞いては行けないと分かっていても、止まらない。


「……俺はどうすればいい」


「……」


「……どうすればお前を救える?」


 その問いはただの弱音だった。

 そんな事をエルが答えられる筈がない。その答えなど持ち合わせている訳がないのだ。

 そんな相手に。救われるべき相手に。救ってやらなくちゃいけない相手に。そんな言葉を投げかけるのはもう本末転倒だ。

 つまりは何もできない瀬戸栄治から漏れ出した弱音だ。

 よりにもよって俺がぶつけていたのは、そんなどうしようもない物だったんだ。


 だけど。エルからは言葉が返ってきた。


「救われてますよ」


 一瞬何を言っているのか分からなくなる様な、そんな言葉。

 だってそうだ。そんな言葉がこんな状況で出てくるとは思わないだろう。

 だけどエルは言うのだ。


「……私はもう十分すぎる位に救われてたんです。幸せだったんですよ」


 そんな事をエルは微かな笑みを浮かべながら言うのだ。

 本当に一体何を言っているんだと、そう思った。

 だけどその声音から。表情から。言葉から。連想できる事があった。

 まるで余命を宣告された病人が自分の人生を思い返して振り返るように。エルの言葉はそんな風に聞こえてしまう。


 ……それは諦めだ。


 エルはこのどうしようもない状況をどうにかする事を諦めて、まるで死に間際にの様な事を言ってきているのだ。


「……違うだろ」


 救われている。十分に救われてた。

 その言葉を否定はしない。それは多分否定してはいけない。

 俺がどう思うかじゃない。エルが俺と出会ってからの二カ月間にそういった感情を見出したのなら、それは他の人間が否定しては行けない事だ。

 本人が幸せだったと思えば、それは他人がそれを薄い物だと認識したとしても、本人にとっては大切な物に他ならないのだから。それは否定しちゃいけないんだ。

 だけど……だけどだ。


「お前は、これからだろ」


 それでも此処で終わって良いわけがないだろ。


「お前が今まで幸せだったんなら……あんなにひどい境遇から救われたって言えるなら……それはそれでいいんだよ。寧ろそれは良い事だ。だけど……だけどな、エル。まだ始まったばかりだろ」


「……」

 

「これからお前はもっと幸せになんないといけないんだよ」 


 そうだ。まだ始まったばかりなんだ。

 そんな少し幸せを感じた時間があった程度で終わって良いわけがない。


「エルだってこれで満足してるわけじゃねえんだろ……だったら――」


 分かってる。この続きの言葉は無責任に他ならない。

 だってそうだ。今まで辛い事を耐えつづけてきたエルが打ちひしがれる程に、目の前の絶望は大きな物で……それに俺自身がどうすればいいのかも全く分からなくて。そこでこんな言葉を掛けるのはきっと無責任に他ならないだろう。

 だから多分、エルに訴えかけるだけのつもりなら、その先の言葉は口にしなかったかもしれない。

 だけど言わずにはいられなかった。


「諦めないでくれ。まだ終わっちゃいねえんだ……終わらせちゃいけねえんだよ」


 こんな言葉を言うのは簡単で、誰にだって言える無責任な言葉だ。そんな事は分かっている。分かっていたんだ。

 だから多分これは俺の願望だ。

 エルに生きていてほしい。幸せになってほしい。そんな感情の裏側にある願望。

 

 俺を一人にしないでくれ。

 これから先も俺の隣りで笑っていてくれ。


 そんな風に俺はきっとエルに縋りついていたんだ。


 それは情けない事なのかもしれない。エルに依存して。まるで自分の為にエルを助けようとしているみたいで、少しばかりそんな自分に嫌悪感すら沸いてくる。

 だけどそれでも良いと思った。


 エルに幸せになってほしい。そんな気持ちは本物だ。

 そしてエルに縋りつくほど、エルを必要としている感情もまた本物だ。

 そのどちらもが、原動力を失った瀬戸栄治という人間に気力を与えてくれる。


 自身の誇りを踏みにじれただけの力を与えてくれる。


 そして俺の言葉でエルの中で何かが変わったのか。もしかすると何も変わってはいないのかも知れないけれど。

 少しの時間を空けて、エルは言った。


「……エイジさん」


「なんだ? エル」


「……私、実は満足とか全然してないんです」


 ……知ってるよ。


「まだやりたいこと、一杯あるんです。テレビとかで見た場所にも言ってみたいし、おいしい物は食べたいし……もっとエイジさんの隣りに居たいんです」


 そしてエルはだから、と一拍空けてから俺に言う。


「……私を助けてください」


 その言葉にどう返するのが正解なのか。その答えを俺は知らない。

 どんな言葉にも俺は責任を持てなくて。エルに今更気休めの様な言葉を言える訳がなくて。

 だけどさ。出てきたんだ。

 弱音では無く。聞こえ方によっては気休めにしか聞こえないかも知れないけれど。

 それでも俺が確かに抱いた、エルに言ってやりたい言葉。

 俺が言いたい言葉。


「ああ」


 ただ、それだけの言葉。

 だけど俺は改めて決意したんだ。


 エルを助ける。何が何でも助けて見せる。

 例え何を犠牲にしてでも。見知らぬ誰かを勝手に天秤に掛けてでも。


 ……エルを救う。必ずだ。

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