本格ミステリとは
部室内はあちこちガタがきているせいか隙間風が音を立てている。季節は冬真っ盛りなので刺すような冷風が頬を伝うたびに心臓がキュッと縮まるようだ。
「…、ああやっと作者が戻ってきたようだ。では再開しよう。ミステリの話だったな。何回も言うようだけど『ミステリ』という範疇は広い。確たる定義もないし、このサークルが本格ミステリを趣旨としていることから本格ミステリに絞って話しを進めるぞ。」
「え~。僕の好きなハードボイルドの話もしたかったのに。なあ新人くん、聞きたくない?ハードボイルド。ミステリっていうよりサスペンス的な要素が強いんだけど、硬派な奴らがなんていうかこう…、とにかくハラハラドキドキの連続で…」
「デューク、そこまで。ハードボイルドの話がしたけりゃ、次君が話題を提供する番の時にすればいい。ルールを守らない人がどうなるか、君も知らないはずはないだろう…」
急にトーンを落として指をポキポキ鳴らしだすと、デュークと呼ばれた男はみるみる青ざめ震えだした。そしてその雰囲気に耐えられなくなったのか、派手な音を立てて立ち上がると、『いやだ!くすぐりの刑だけは勘弁してください!!』と叫びながら部室を飛び出して行った。急に凄みだしたから何か違法な私刑でもするのかと勘ぐってしまったが、ルール破りが『くすぐりの刑』とは。ホッとしたというか脱力したというか…。
「あの人、デュークっていうんですか?ハーフのようには見えないんですけど」
静かに座りなおす部長の方へ話しかけた。
「いや東郷っていう苗字なんだが、ほらゴルゴ13の通り名が『デューク東郷』だろ。憧れてるんだってさ」
へえ…。似ているのは名前だけだな。小さいし小太りだし、話し方も頼り無げだし眼鏡かけてるし機敏そうじゃないし。かといって頭が切れるってタイプじゃなさそうだしガサツそうだし。部屋も散らかってそうだし授業も遅刻しそうだし…。すでに妄想の域にまで達していたが、あまりに『デューク東郷』感が無いのが衝撃的だったのかあれよあれよという間に想像の深みはまり思い巡らせていた。
「君、そんなことを思ってちゃデュークが可哀そうだよ。あれでも似せよう似せようと頑張ってるんだから」
!!何もしゃべってないのに自分の妄想を当てられた!この部長読心術の心得でもあるのだろうか?
「あはは、その顔は『自分の心の中を読まれた!』って表情だね」
愉快そうに話す。
「…、ええ当たりです。何でわかったんですか?僕が…、その…、デュークさんのことデューク東郷に似てないなって思ってたの」
タロット女性が――のちに副部長だと知った――割ってきた。
「みんなそう思っているからよ」
無邪気に笑う副部長を見て、なるほどと納得してしまった。
「まあデュークのことはもういいじゃない。本格ミステリに話を戻すよ。基本的に『論理的かつ合理的』に謎が解かれていくミステリのことを本格ミステリというんだ。そして解くカギはすべて読者に晒されていないといけない。急に名探偵が天才的な閃きで解決したり、ポルダーガイストや魔法のような類は一切認められない。つまり作者が読者と同じ情報を共有しフェアに挑む真剣勝負の場といったところかな。このジャンルはミステリの中でも古典的な部類で百年ぐらい前から暗黙のルールみたいなものがあって…。一つ目はええと…、さくらちゃん、何だっけ?」
パソコン画面に食いつかんばかりに近づいて一心不乱にタイプしている小柄な女性に話しかけた。
「ノックスの十戒です」
タイプの音が小気味よく室内に響きわたる。視線は逸らさず部長の問いに答えた。
「ああ、そう『ノックスの十戒』だったね。さっきも言った通り第六感や密室に秘密の抜け穴があったなど、読み終わった後に怒りと脱力しか残さないような駄作は本格を名乗る資格はないってこと。これと比肩するくらい有名なのは…」
「ヴァン・ダインの二十則です」
さくらと言われた女性が抑揚のない声で言う。もちろんタイピングは続けたままで。一体何をしているのか?ここは謎の多いひとが集まっているようだ。
「それは覚えてたよ。今言おうとしたのに、さくらちゃん」
先に言われたことがよほど悔しかったのか、部長が拗ねたような口調で唇をかむ。
「…、まあいいや。その『ヴァン・ダインの二十則』はノックスの十戒をさらに詳しく分類したって感じかな。インチキな除霊などを使って犯人を脅してはいけないとか、陳腐な双子の替え玉トリックなどは使用してはいけない、とか。こういう決まり事を基本指針として本格ミステリ作家は日々勤しんでいるんだな。まあ意識的に破っている作者もいるけど。と、ここまでが本格の『さわり』というところかな。次により深い部分に入りたいんだが…」
部長の動きが止まった。さっきもこんな状況を見たな。
「紙幅の問題ですね…」
ため息交じりに問いかけた。部長も無言で頷く。
「君も分かってきたみたいだね、この物語の進め方が。長い間書いていると持たないんだよ、作者の集中力が。」
そうみたいですね…。どうしようもない、という感じで首を振りながら小さくつぶやいた。