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地平線と彼方  作者:
おまけ
66/68

謹賀新年

(宿屋開業前のとある日)


 自然と意識が浮上して瞼を上げると、そこは――真っ暗だった。

 かなたはぼんやりとしながら体を動かす。肌に当たるのはすべすべと気持ちのよいシーツだし、軽いのにあたたかな羽毛布団に毛布。ベッドにいることは間違いない。

 のろのろと上体を起こし眠気で重い目をこすると、徐々に頭がはっきりしてくる。

 寝足りないというわけでもなく、感覚としてはそろそろ起きる時間のはずだ。それなのに、真夜中と違わぬ暗闇。

 そのとき、すぐそばに人の気配があってかなたは息をのむ。相手はそれに素早く手を伸ばし、かなたの口をふさいだ。

 冷たい、大きな、手。


「――しっ」


 耳元で囁く声にびくりと肩が跳ねた。耳に唇が寄せられ、その吐息が耳朶をくすぐるほど近い。


「極力、お声を出すことはお控えください」


 後ろからもうひとつの手が伸びて腰を抱く。背後から抱え込まれる体勢でかなたの動きを封じているのが誰だがわかると、かなたはこの異様な状況に眉を寄せた。声をひそめた囁きは息を詰るものがあり、緊迫した空気が黒い部屋のなかを支配している。

 真っ暗闇に映るものはないもない。窓からうっすら朝の日が差すはずなのに、今朝は不自然なくらい遮光されている。かたわらを見上げても、相手の輪郭をとらえることができないくらいに暗いのだ。

 かなたはうなずくことで返事をし、口にそえられた冷たい手にそっと触れた。すると、その意をくんで手が外される。


「なにか、あったんですか」


 声を押し殺して尋ねると、ポッと灯りがともった。白くて長い指の先に、微量の魔力が集まっているのがわかる。そうして生まれた光によって、暗闇にマネキンの顔が浮かんだ。思わず悲鳴を上げそうになったが、すんでのところでぐっとこらえた。軽くホラーである。整いすぎた顔も考えものだ。

 若干引いたかなたに、イルディークは真顔で首を振ってみせた。

 指から丸い光が離れてふわりと二人の頭上を照らす。かろうじて互いの顔がわかるくらいの、心もとない灯りの下で一拍の間を開けるとイルディークは先を続ける。


「本日は、新年の初日にございます」

「はあ……」

「ですから、こうして忍ばねばなりません」


 意味がわからない。

 廊下や他の部屋の気配を探るように感覚を澄ませると、メイドも料理人も、もちろんエーデも邸にいる。その誰もが、いつもと違ってひそやかな動きを心がけているように思えた。なぜ、そんな警戒しているんだ。かなたはあやしい気配がないか探るが、結局首をかしげるにとどまる。

 元旦は息を殺す掟でもあるのだろうか。眉を寄せてまたたいたかなたに、イルディークはどこまでも真剣だ。


「魔王様はお目覚めになって初めての年明けですから、わからなくてもしかたがありません」


 他の誰にも聞こえないよう抑えられた声は硬く、差し迫るなにかを物語っている。かなたはごくりと喉を鳴らして続きを待った。


「本日から三日は、とにかく気配を押し殺してください。でないと、呪われてしまいます」

「は?」


 思わずこぼれた間抜けな声を、イルディークがさっと手を伸ばして封じる。

 灯りで光る瞳は痛いくらいまっすぐだ。


「呪われるのです」


 大事なことなので、もう一度言いました。

 イルディークはかなたが不安にならないよう、子供に言い聞かせる口調でやんわりと言葉を足していく。


「呪いがかけられてしまうのです。それは体を蝕み、じわじわと死に導く呪いで、この世で一番の使い手が無差別に術を施すとされています。私どもも解き方は存じませんし、身をひそめるしか手立てがないのです」


 万が一呪われたら大変です。治癒魔術のできる私でも太刀打ちできるか……。

 柳眉を寄せて憂い、必死にかなたに言い聞かせるイルディークなのだが、もうこのときのかなたはすっかり脱力してしまっていた。心配してくれているのも、真剣なのもよくわかった。でも、でも、ちょっともの申させてくれ。


「イルディークさん」

「はい」


 額に手をあててはあとため息をつく。かたわらの男を呼ぶと、折り目正しく返事がされた。


「ここで人を呪えるようなことができるのは、魔族ですよね?」

「さようでございます」

「その、魔族で一番魔力が強いのって、誰でしたっけ?」


 きょとん。

 わずかな灯りの下で、魔王の側近はまばたきをひとつ挟む。そして迷うことなく答えを紡いだ。


「もちろん、魔王様です」

「魔王って、それ、わたしじゃん。わたしを誰が呪うんですか」


 きょとん。

 またたく相手に、かなたはどっと疲れが押し寄せてくる。

 そもそも、魔族が呪いを恐れるってどうなんだ。どう考えても呪う側だろう。恐れてどうする。恐れられているんじゃなかったか。


「一体、誰からそんな話を聞いたんですか」


 イルディークは少しだけ視線を上げると、記憶をたどってぽつりとこぼす。


「ええと、たしか先のお后様から」

「それ絶対騙されてるよ!」


 適当に話作ってるよそれ! そしてみんなの様子見てにやにやしちゃってるよ! 仕掛け人楽しそうだな……!

 お后様って、王様の奥さんだから……てことは、あれー?

 記憶にないけど、身内じゃん。魔王のお母さんじゃん。

 かなたはぼすんとベッドに頭を埋めた。




 いくらかなたが安全を説いたとしても、イルディークをはじめとする魔族が呪われる三が日を信じ切っていればくつがえすことはできない。

 魔族はノリがいいのと、結構信じやすい人が多いのでお后様のこの布教は意図してやっていたに違いない。

 いや、しかし、でも。なんて腕を組んで考え込んでしまったイルディークを尻目に、かなたはぱちりと部屋の灯りをつけた。目に痛い。


「ま、魔王様っ! 万が一のこともございます!」

「遮光ばっちりなんだから大丈夫ですよ。外の光が入らないなら、中の光も外にもれません」

「で、ですが」


 絵に描いたようにおろおろするイルディークは、かなたの言葉で呪いに疑問を持ったけれどまだ半信半疑だ。ひとまず追い出して着替えをすませると、廊下に彼以外の気配がしてかなたは手早く顔も洗って髪を結ぶ。


「カナタ、部屋を明るくしてはいけない」


 ……そうだった、他にも真面目な人がいるんだった。

 廊下に出るとかなたの部屋の明るさが際立つ。はっと息をのんだ相手が、ぱちんと指を鳴らして灯りを消してしまった。さっと暗闇に包まれる。


「アズさん」

「イル、お前らしくもない。なぜカナタについていないんだ」


 アズの重厚な気配は灯りがなくても容易に察する。咎めの色を含んだそれに、かなたは手を伸ばしてぽんぽんなだめた。


「とりあえず、居間にいきましょう。わたしは大丈夫ですから」


 大きくてごつごつした手を取って居間に向けて引くと、私も! 私も失礼いたしますっ! と空いていた手をイルディークにつかまれた。足元にお気をつけください、と添えた彼にかなたは容赦なく変態ポイントを加算する。本年初のポイントであった。


「いくらカナタの魔力が抜きんでたものであったとしても、それに匹敵する力を持った魔術が発動する可能性も捨てきれない」


 真っ暗な居間に最低限の灯りを浮かべて、生真面目にアズが言った。

 テーブルには湯気の立つ食事が用意されている。いつもならばメイドたちが運んでくれるのだが、この三日間に限っては転移魔術ですませるらしい。暗いなかで配膳することは難しいのと、やはり気配を消して過ごさねばならないためなのだそうだ。


「アズの言うとおり、なんらかの条件によって魔術が発動するよう仕掛けることもできます」

「それが歴代の魔王様のどなたか、なんてことだとしたら、さすがのお前も安全ではない」


 アズの加勢を得て、イルディークも三が日・呪い・危ない! に思考がかたむきなおっている。かなたは小さく舌打ちをした。

 これ以上言っても無駄なので、ひとまずかなたは三日間をおとなしく過ごさなくてはならない。

 不満気にスープをすすったかなたの正面で、うっすらした気配がにやにやと上機嫌をアピールしてくる。それにまたかなたは眉を寄せる。


「エーデさん、なにか言いたいことでも」


 医者は護衛が部屋を訪れるときにすでに廊下にいた。模範的な過ごし方だというかのように、気配も消して、最低限口も開かない。けれども、まとう感情の色はサービスでわかりやすくしてくれているらしい。

 真面目ふたりのお説教にぶーたれているかなたに、エーデはくすりと笑みを落とした。


「とくに、なーんにも」


 にやにや。

 薄い灯りの下で、楽しげな瞳が照らされる。

 抵抗することなく静かなたたずまいで過ごすエーデは、かなたのこの状況を心底楽しんでいる様子に見える。

 ……絶対、この人仕掛け人側だ。

 かなたは察すると唇をとがらせるしかない。コーヒーをかたむける相手に、じと目を向けるがなんのその。諦めなよ。空気がそうしゃべる。この愉快犯めっ。


「エーデさんは、お后様と仲がよかったんですか」


 苦しまぎれに小さく述べると、ぴたりとパンをちぎる手が止まる。

 わずかに見開かれた目がかなたをとらえた。けれども、すぐにいたずらっぽく細められ、ちぎったパンを口に放った。


「さーあねえ。どうかな」


 ふっと周りの空気が色を変えたような気がして、今度はかなたがきょとんとした。エーデは変わらず上機嫌である。

 暗さではっきりと表情が見えないけれど、ひどく優しい声色だったように思えて。

 仲がよかったんだろうなあと結論づけたかなたに、にっこり笑った彼が隙ありと林檎を取り去ることで返事とした。やられた……! 悔しそうにテーブルを叩くと、魔王様お静かに! とめずらしく強めのお叱りを受ける羽目になる。


 食事を終えてイルディークが淹れた紅茶を前にするまで、かなたはこの三が日について考えを巡らせていた。

 日本の正月といえば、雑煮、初詣、初日の出、お年賀回り、年賀状、帰省、新年会などなど。

 そうだ、餅を食べなければ始まったような気になれない。パンを食べている場合じゃなかった。

 しかし何度も言うが、まだ日本米は開発途中で、ましてもち米など生産していない。日本食がまた遠のいた気がしてため息がこぼれる。そのうちに、絶対に、日本米は成功させてもち米にも取りかかってやる。餅つきを年末にやったら盛り上がること間違いなしだ。ただし、食べ慣れない人にとっては危険でもあるが。


「下手をすると死を招く食べもの」


 かなたの声に、三対の目が一斉に向けられた。

 すごい勢いで振り返った三人に、かなたがびくりと肩を揺らす。エーデは興味深げだが、他のふたりは驚きと警戒が混ざっているように思える。つい声に出してしまっていたが、その言葉だけでは大変不穏な印象を与えてしまう。

 にやり、とかなたは口の端を持ち上げた。呪い、わたしが作っちゃえばいいのか。


「わたしがいたところの話ですが。――一度にたくさん食べると呼吸困難を引き起こし、ほとんどの場合死に至る食べものがありまして」

「ま、魔王様っ」

「年明けに煮込んだそれを食べる風習のおかげで、お年寄りと子供を中心に毎年命を落とす人があとをたちません。が、わたしはあの食べものが好きなので来年の年明けにはぜひ――」

「見損なったよカナタ。そんな危険物を作ろうとするなんて」

「馬鹿なことはやめろ」


 棒読みなエーデはさておいて、泣きそうな顔のイルディークと眉間にしわを寄せたアズの反応に、かなたはにやにやを一層深める。

 三が日、追いかけっこをするのもおもしろいかもしれない。

 魔王に見つかると呪いの食物を食べさせられる。絶対に、見つかるな。

 気配を消し、息を殺し、魔術を駆使して逃げまくる。そんな魔族たちを全力で追えば、危険時の回避能力の底上げになるんじゃないだろうか。そして意外と餅ってうまい、に話が変わっていったらいいのだけれど。

 一年かけて計画を練ることにしよう。

 冗談ですようと笑ったかなたを、それから三日間イルディークとアズがきっちり見張った。暗くて過ごしにくいと文句を言いながら、かなたは即席で作ったかるたで気をそらし、徐々に徐々に灯りを増やしていくことにした。



2014/01/03

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