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地平線と彼方  作者:
本編
62/68

41.迷いの森へようこそ 5

二話同時更新です。


 大いなる恵に訪れたかなたは、ものすごくいい笑顔で相手を見つめた。

 なんとも言えない顔をしてたたずむ彼に、ぐっと握った拳をこれ見よがしにかざす。


「うん、ダイナ。ちょっと歯を食いしばろうか」


 一週間前に魔王様にお目通り願いたいだなんて親書をよこしたこの男に、なにかあったんだろうなとは思った。急ぐならすぐ会うと返事をしたが、そうでもないと言うので本日になったわけだけれど。

 まさか、こんな状況だとは思いもしなかった。

 エーデがうしろで膝を叩きながら肩を震わせている。さすが、仕事が早いよね! 要領もいいって評判だし! もしかしてアズの指導の賜物ってことなの? あー、だめだ、お腹痛い……! 遠慮なく笑う男を睨んでから、かなたは頬をひきつらせたまま一歩前へ詰める。

 目の前には両頬を腫らしたダイナと、不自然なくらい笑顔の女将。そして、おろおろと挙動不審になっているトリトリートがいた。

 久しぶりに会う彼女は元気そうだ。それはよかったのだけど。そのトリトリートのお腹は大きく膨らんでいたから、大いなる恵がこんな状況なのである。


「トリトリート。あんたがそんな馬鹿な男でも許してくれるかは別なんだよ。あたしは自分の馬鹿息子を叱ってるだけだから、今はこっちに譲ってくれ」


 そう言ったときの女将は、さぞかしかっこよかっただろう。

 世話になっているお嬢さんになんてことをしたんだと叱りつけてから、怒りの一撃がお見舞いされたらしい。ふたりが納得しているなら言うことはないが、そちらのご両親に話はとおしてあるのかと聞けば、なんとまあ、身寄りもなくひとりだと言う。もう一発平手が飛んだのは言うまでもない。

 シルジルが親切に詳細まで説明してくれたので、女将に続いてかなたも拳を握ったわけだけれど。

 赤くなった頬へ、お見舞いするか、どうするか。


「ちょ、カナタ」


 めずらしく焦りをにじませたダイナが一歩下がると、その後ろはカウンター。


「暴力は嫌いだし、トリトリートが悲しむこともしたくないけど、それとこれとは別だなあ。わたしの気がおさまらないもの」

「おーぼー!」


 逃げ場をなくした男に、かなたは笑みをひっこめた。

 その瞬間、昼間の酒場が一瞬にしてしんと静まり返る。


「……そんなこと言えるの?」

「……言えません、すみませんでした」


 潔く頭を下げたダイナに、トリトリートが慌てて声を上げた。


「カナタ! ダイナが悪いんじゃなくて――」

「走らないっ」


 駆け寄ろうとしたのを一喝すると、ぴたりとトリトリートの足が止まる。そこからしゅんと肩を落とし、上目遣いでかなたを伺いながらしずしずダイナの横へ並んだ。相変わらず仕草が柴犬である。

 ダイナ貴様! 魔王様がお怒りになるなんて滅多にないことなのに、あまつさえ拳まで受けようとするなんて!! とか後ろで気持ち悪いことを言っているやつがいるが、かなたは丸っ切り無視してトリトリートを見つめた。


「トリトリートは、いいの? 住み慣れた町とも、お父さんのお店とも離れちゃって」

「うん、いいんだ。たしかにさみしいけど、でも、ここにはカナタたちだっているし。私がちゃんと自分で決めたんだよ」


 にっこり、曇りなく笑ってみせるから。かなたは拳を下ろすほかない。トリトリートがそう言うなら、頬をつねるだけで許そう。

 いででででで……! 情けない悲鳴が響くと、なんて羨ましい!! とか言ってる変態がまだいて、イルディーク様も相変わらずだなあと暢気なシルジルの呟きがこぼれた。

 かなたはダイナから手を離すと、涙目になっている彼と、それに寄り添うトリトリートを見比べて、ようやくにっこりと笑った。


「まあ、なにはともあれ。――トリトリート、迷いの森へようこそ」


 えへへ、ありがとう。照れたように笑ったトリトリートを、女将も末っ子も微笑ましそうに眺めているから、これはこれでよかったのかもしれない。

 情けない顔を引っ込めたダイナは一歩前に出ると、ずっと黙って成り行きを見守っていたアズへと団員の礼をし、迷いなく口を開いた。


「団長、ケジメつけたいので。脱退します」


 アズはまっすぐと相手を見つめ、低く尋ねる。


「辞めることがケジメになるのか?」

「魔王様からの特任を拝命されたのに、結果として私欲に走りました。が、後悔していないので団員と名乗れません」

「なるほど。それならば受け取ろう」


 思いのほかあっさりと話がとおって、正直、拍子抜けだとダイナはめずらし驚きを隠せなかった。

 するとアズがちらりとかなたを見て、にやりと口の端を上げる。


「だが、そんなおまえに魔王様から話があるそうだ」


 は? 思わずダイナがきょとんとした。

 いきなり話を振られたかなたはかなたで、まさかアズに見透かされていると思っていなかったために内心ものすごくびっくりしてしまう。

 アズはわりと鈍いのだと思っていたので、認識を改めなければならないかもしれない。

 かなたはやられたと思いながら、それでもダイナに向かって平静を装ってみせた。


「魔王様ハローワーク~」

「……なにそれ」


 不審そうな相手を、ここぞとばかりに丸め込む。

 それがたった今、防衛団を辞したダイナを前にした魔王様に課せられた任務であった。


「無職になったダイナに、素敵な仕事を紹介します」


 のちにシルジルが言うことには、そのときのかなたの笑顔が素晴らしすぎて夢にまで出てくるとのことである。そんなかなたを相手にしているわけだから、ダイナは文句をひとつも言わずに耳をかたむけたに決まっていた。




***




 かなたの名前が書かれた守護石。

 森の中に配置されたものは全部で五つある。そのうちの一番邸に近い石の周りを広場にして三か月ほど経った。広さを例えるならば、コンビニエンスストアとその駐車場くらいだ。

 二階建ての建物が一軒。あるのはそれだけ。

 入口の看板は【迷いの森冒険者ギルド】である。


「……めちゃくちゃ暇なんですけどー」


 開業から一週間。

 魔族の町にもギルドはあるが、町の中だけの機能しかない。今まで外の世界とはかかわりを持たないことが原則だったからだ。

 今回のギルドはその町のギルドとは別。外の町々のギルドと同じ役割を担うこととなる。

 従業員しかいないフロアで、新米ギルドマスターがやる気の欠片もなく突っ伏した。


「いいじゃん、暇なの好きでしょ」


 冒険者たちの揉め事に対応できて、事務仕事もできて、人も使える。

 店主を誰にするか考えているとき、適任者が浮かんではいたものの別任務を与えているし、そもそも防衛団員だし……と思っていたところに、まさかの帰還と脱退。それを逃すかなたではない。そしてまさか、アズにその考えを見抜かれているとは思わなかったけれど。

 晴れて再就職を果たしたダイナにかなたは苦笑した。この数日、冷やかしの魔族しか来ていないのも確かだ。


「でも、そろそろ動きがあると思うんだよねえ。ギルド協会にはちゃんと認定してもらったし」


 もちろん、外の町々にあるギルドを束ねている協会である。

 半信半疑な様子だったが、最近冒険者魔族がいることなんてバレバレだったので、新たなギルド申請もとおったのだった。


「噂も依頼もばら撒いたっつっても、その結果がこれじゃん。だいたい、こんな森に入ろうなんて思ってる冒険者がいねーよ」

「そんなこと――」

「お嬢?」


 かけられた声に、しんと、一瞬の沈黙が降りた。

 驚きに振り返ると、壮年の冒険者がひとり。旅慣れた様相の男は、一振りの刀を腰に佩いていた。実はもう一振りを扱うのだと、冒険者の間では知れ渡っているのだとか。

 そんな冒険者が立っていた。


「ビバリーさん」


 小鳩亭第一号客は、この日また新たな一号を獲得することになりそうだ。

 かなたは思わず駆け寄って、満面の笑みを浮かべた。


「うわあ! すっごい、こんなことあるんですねえ! ――ようこそ、迷いの森ギルドへ」


 ビバリーの驚き顔は、そう長くは見せてもらえなかった。

 こともあろうか、彼は妙に納得したようにうなずいて、悠々とあたりを見回した。お嬢がいるなら、うまいものでも食えるのか。いつもの調子で尋ねてみせるのだから、まったく、この人にはかなわない。

 もしかしたら、かなたたちが魔族であると予想していた可能性もある。今このときようやく答え合わせができた。そんな表情で、しかもその事実を受け入れてくれているのだから、やはりたくさんの冒険者たちが一目を置く人間である。

 そうこうしていれば、ギルド開業を聞きつけていたオーウィン一行だってやってきて、なんだかあの宿屋の食堂みたいになってきた。


「カナタ、ここにも食べ物置いてくれよ。蓮碧で食べられなくなっちゃったから、最近楽しみが減ったんだ」

「似たような料理を出す店はないの?」

「二軒できたが、まだまだ"似たもの"だな」


 ウェールズの不満声にビバリーまで苦笑を浮かべる。ということは、彼らはその二軒とも試した口なのだろう。

 なんかちょっと味が違うんだよなあ、そうそうホクホク感とかさあ、なんて食レポを始めるふたりを眺めていると、オーウィンがそっとかなたに視線を向けた。


「俺も、カナタの料理が食べたい」


 相変わらず、直球である。かなたはくすりと笑った。


「あら、勇者様がそんなこと言っていいんですか?」

「カナタはカナタだから」

「なるほど」


 たしかに、森の外で食べられる場所がなくなってしまっている。迷いの森ではココたちがいるから不自由しないのだけれど、森に入れない人たちにとっては食べたくても食べられないわけだ。

 このギルドの広場で提供できれば、調味料や材料も含めて魔族の商売につながる。

 さすがにかなたがやるわけにはいかないが、ふむ。

 魔王様! 私も! 私も食べたいです!! 真横でうるさく主張する男もいるわけだが、それをさらりと無視してかなたはうなずいた。


「前向きに検討します」


 よろしくお願いします! ふたりの冒険者がきれいにそろって頭を下げたので、ギルドのなかはドッと笑いが湧いた。

 まだまだやることは途切れない。みんなしてかなたを暇にさせる気がないのだろう。そしてかなたも、立ち止まってはいられないのだからちょうどいい。

 あたたかな笑いのなかで、かなたは目を細める。




 魔王様、聞いたぞ! ギルドに人が来たらしいじゃねえか!

 魔王様~小鳩亭に今から行ってくるよ~

 ツェーに舌打ちされたんですけど!! 魔王様なんとかしてくださいよぅ。

 副団長が魔王様を探してましたよ。

 魔王様、また外にお出かけですか?

 おれも外に行ってみたい! 魔王様、いいでしょ? 制度またやってくださいよう。

 魔王様!




「うれしそうですね」


 邸に戻って、居間の大きな窓から外を眺めていた。

 今日の仕事も終わり。清々した気持ちで伸びをしたかなたに、イルディークがそっとほほえんだ。

 ちらりと視線だけ隣へ向けてから、かなたはぶらんと腕を下す。


「イルディークさんだって、似たような顔してるくせに」


 笑い含みに返せば、思いのほか落ち着いた声がぽつりと零された。


「……あの地平線の向こうに、あんな世界が広がっているとは思いませんでした」


 息を、のんだのは。かなただ。

 見あげると、イルディークはさきほどのかなたと同じように、窓からとおくを眺めている。その顔は、いつかのような頑なさも、悲痛さも、感じさせない穏やかなもの。

 たまらなかった。

 かなたは、込みあがるものを押し込めて、ゆっくりと息を吐き出した。


「なかなか悪くないでしょ」


 おどけたように言ってみると、くすりと静かな笑みが返された。

 薄い水色の瞳が、まっすぐとかなたを見下ろしている。


「そういうことにしておきます」

「イルディークさんも言うようになったなあ」


 まったくもう。

 唇をとがらせて、かなたは窓の向こうに目を戻した。

 夕陽が染め上げた空は深い森の、そのずっとずっと向こうまで鮮やかに色づいている。

 橙と桃色、藤色。彩が複雑に混ざり合った空と、黄金色に照らされた大地との間に沈んでいく陽はまぶしくて。

 また新しい朝を迎えれば、泣いたり笑ったり、賑やかな一日が始まる。

 夜に包まれながら、そんな明日を思い描いてかなたはゆっくりと目を伏せた。


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