40.迷いの森へようこそ 4
ケーキはほどよく焼き上がった。
あまい匂いが鼻腔をくすぐり、丁寧に淹れられた紅茶から立ちのぼる湯気が上品に踊っている。さあ、張り切って切り分けよう。
自分のケーキの厚さがどれくらいになるのか、真剣な表情で前のめりになっているケットを、サザレアが呆れてたしなめているとき。
エーデが、森の木々を振り返った。かなたの側にいたイルディークも、傾けていたポットを唐突に置く。
パキン、と高く澄んだ音が耳の奥に響いた。
「魔王様、結界が」
森と町を覆っていたかなたの結界。
それは魔力を持たない者たちから、この場所を隠すためのものだ。――それが今、解かれた。
「困ったなあ、ちょうどこれからってときなのに」
肌で空気が変わったことが、かなたにもわかった。
邸の表にあたるこの庭は、森と町をつなぐ門がある。すなわち、外に一番近い場所だ。
アズの目配せで副団長が転位して姿を消した。各方へ知らせるとともに、防衛団を動かすのだろう。椅子から立ち上がったアズとイルディーク。さりげなく、ココたちの傍へ動いたサザレアとエーデ。
そんななかで、かなたは淹れたての紅茶をひと口傾けた。
「カナタ?」
門自体に張ってあった結界にヒビが入り、石造りの門と一緒にガラガラと大きな音を立てて壊れた、そのとき。
立ち込めた粉塵がテーブルまでこないよう、小さな結界が張られたなかで、かなたは勇者を迎える形となった。
「本当に会えましたね。お久しぶりです、オーウィンさん」
「……なぜ、カナタがいる」
結界が破られたとなると、来客の想像はたやすい。
動じることなく挨拶したかなたに、勇者オーウィンはあの樅の木色の瞳を真ん丸にして立ち尽くした。
かなたは、ようやく席から立った。
彼の後ろにいるウェールズも、リカちゃんもバービーも、ぐるりと見渡してから眉を少しだけ顰めて、オーウィンへ視線を戻す。
「ここがわたしの家なので。それにしても派手に壊しましたねえ。――オーウィンさん、他人のものを勝手に壊してはダメでしょう」
子どもをたしなめるような口調に、オーウィンは言葉に詰まった。
その素直さに、かなたは思わず苦笑してしまう。
まさかの再会だが、ある意味でいい機会かもしれない。
魔王であるかなたにとって、勇者という存在はどうがんばっても避けて通れぬ相手なのである。今ここで、話ができるのなら、それを無駄にするつもりはない。
「以前、わたしはあなたに言いました。魔族は存在するだけで罪なのかと。そろそろその答えもお聞きしたいなあと思いました」
初めて砂塵の町で会ってから、三年近くの時が流れた。
その間に、彼はなにを見聞きしたのだろう。
「勇者オーウィン。もう一度問います」
静かな声に、彼はかなたが誰であるのか、わかったはずだ。
あのときと同じく、両脇に大柄な男たちを従えた姿。
驚きは鳴りを潜め、まっすぐと向けられる視線にかなたはゆっくりと問いただす。
「魔族は悪ですか? あなたは、私たちをどうしたいですか?」
忌みし力を振りかざすから、居場所などないと言っていた彼の気持ちは、どう変わったのだろう。
対する魔王に、勇者はおもむろに口を開いた。
「なにも」
ピンと張りつめた空気に、こぼれた声。
あのときよりも低くなったそれは、深みを増した音で先を続けた。
「俺がなにか言ったところで、カナタたちはしたいようにすごすだけだろう? それを邪魔する理由はない」
おやまあ。ずいぶんと、見透かされてしまっている。
思わずかなたは声を上げて笑った。一瞬にして張り詰めていた空気がほころんだ。
「よかった。わたしもなるべく穏便にすませたいから、話が早くて助かります」
両脇に控えた護衛と側近に目配せをすると、彼らも威圧する視線を解いて小さくため息をこぼす。周りがなにを言っても、かなたが好きにすることをよく知っているからだ。
魔王様に対して扱いがひどいなあと思いつつ、かなたは鷹揚に笑む。
「魔族も、あなたが勇者だからという理由で傷つけるつもりはありません。魔王としてそれは禁じています。たくさんのものを見て、肌で感じて、旅を楽しんでください。それを邪魔するつもりはありません」
そう。争うつもりなど毛頭ない。
いくら魔族たちそれぞれが心中複雑な思いを抱えていたとしても、魔王であるかなたは勇者を排することをよしとはしないと決めている。
だから口を挟むだけ無駄。
勇者が魔王と争う気もないなら、威嚇するだけ無駄。
周りにそう理解されているのを重々承知しているかなたは、オーウィンにテーブルを示してみせた。
「それじゃあ、話もすんだことだし。せっかくなのでケーキをどうぞ。――イルディークさん、人数分のお茶をお願いします」
「かしこまりました」
こうなることだって予測済みだったイルディークは、それにもかかわらずかなたの言葉に思い切り顔を歪めて頷いた。
「……そんな、泣きそうな顔しなくても」
「嫌なものは嫌なのです」
「イルディークさんもずいぶん素直になったなあ」
感慨深く呟きながら、まだ戸惑っている様子のオーウィンたちをどうぞと促す。
早くケーキが食べたいケットが、座って座ってと急かすものだから抗えずにみんなして席へと収まった。
戻って来た副団長がその光景に鬼の形相をし、団員たちが必死でなだめているのが見えたので、あとで詰所に差し入れをしようとかなたはこっそり思う。そしてイルディークを振り仰いだ。
「和解に一歩近付こうとしているだけですよ。これからどんどん人の意識を変えていかないといけないし、道のりは長いんです。それなのにイルディークさんは、わたしを手伝ってくれないんですか?」
「そのようなことは決して!」
「それじゃあ、これからもよろしくお願いしますね。オーウェンさんたちとも協力して頑張りましょう」
食い込み気味の返事に気を良くして、かなたは途中だったケーキの切り分けを再開した。
カナタさんもうちょっと厚く! もうちょっと! ケットの声にドッと湧いた笑いがぎこちない勇者たちの空気を吹き飛ばす。
ふわっふわのスポンジに頬を緩ませ、おかわりの声が上がるまでそう時間はかからないだろう。
それからまた数か月。
外界順応制度が施行され、申請者たちが外で生活してから二年経った。
この日は魔王の邸のホールに魔族がずらりと集まっている。申請者たちによる結果報告発表会が開催されているのである。
「手紙、466通配達した! んー、うっかりなくしちゃったのもあったけど、探索魔法でなんとかなったかなー」
「おれは荷物の配達めっちゃ頑張ったぞ! あとうまい酒の銘柄も覚えた!」
「鍛冶屋で結構鍛刀したぜー。エルフにも好評だったぜ~。引き続きやるぜ~」
「洋服屋さんでなんとか生計を立てています。人間の友達も増えて、とっても楽しいわ」
「魔族バレ三連発してリタイア……ヤケ酒してるとこ」
「商人の護衛しはじめたら気に入られて、今は用心棒に納まっています」
「人間の女の子に魔族バレしてフラれて、絶望していたらドワーフの女の子が励ましてくれて、今のところ文通してる」
例のごとくシルジルが司会を務め、観客たちが声援やら野次を飛ばすなかひとりずつ報告と言っていいのかわからない報告が続く。
かなたは会場の前方に用意された【魔王様】の席札の席に座っている。後ろにはイルディークが控え、両隣にアズとエーデもいる。
ちなみに、隣のテーブルには【来賓:勇者様】という席札があって、オーウィンを始めとするその一行が在席していた。主に冒険者たちに対してだが、いろんな場面でお世話になったので招待状を送ったのである。
「おれは麦の収穫とか頑張った! いつだか魔術で竜巻出しちゃって畑壊滅状態にするとこだったけど、勇者様に助けてもらったぞ! あ、その節はどうもお世話になりました!」
どっと沸いた会場を、シルジルが必死になだめ、申請者リストへと目を戻した。
「えーと、次は――」
「あ、俺!」
がたんと音を立てて席を立ったのは、来賓席に納まっていたはずの銀髪の男だった。
シルジルがなにかを言う前に、彼は素早く壇上へと立つ。
「八十二番、ウェールズ。――勇者と友達になった!」
すげえぇぇぇ! まじか! ウェルすげえー!!
「魔族による勇者迫害の防止、魔王様への危害阻止を目的として冒険者を志願。まあ、そうすると一緒に旅するのが一番手っ取り早いかなってことで」
大歓声のなか、悪びれもせずウェールズはにっかり笑ってみせた。
「ちなみに、勇者にも仲間たちにもこの間バレた。けど、これからも一緒に旅をしてくぞー。あと、俺の名誉のためにもいっこ付け足すと、ここの場所は教えてないからな! ちゃんと勇者が自力で見つけたから、はい、勇者に拍手ー!」
勇者様やるぅ~~!
見つけられたの初めてじゃね? あのクソ勇者だって結界壊せなかったのになー
勇者様を讃えて、かんぱーい!!
割れんばかりの拍手と歓声で会場が揺れ、ひどすぎる賑わいにシルジルが慌てて声を張り上げる。
「ちょっとぼくの役目とらないでよね! まだ終わってないから飲まないで! 飲まない! 飲むな!!」
かんぱーい! 飲め飲め~!
やんややんやと盛り上がる酒族たちが、司会者の怒号に一斉にブーイングが上げたけれど、そんなことは酒屋の息子に通用しない。
まだ発表していない人がいるの! 投票だってするんだから! 酒はまだ飲むな……って飲むな!! 魔王様どうにか飲めないように規制してくださいよっ!
必死な叫びに、大笑いしながらかなたが魔術を使ったので、なんとか最後の発表者までつなぐことができたのだが、もう今すぐにでも飲みたいムードに包まれてしまい、わりと巻き気味に終わらせる者が多発した。
「はいはーい! 出そろったところで、ここからが本題! 最優秀賞を決めるよ! んー、簡単に言うと一番ね。誰の任務が一番すごかったでしょうってことで、全員投票用紙は持ったかな? こいつだ! て決めたら数字を書いて投票箱に入れてくださーい! 集計早くしたいから、魔術使ってねー!」
早くしろ、早く!!
シルジルが言い終わらないうちにガサガサ殴り書きして、たくさんの観客たちが投票箱に殺到した。紙だけ魔術で飛ばしたり転移させたりしている者もいるから、みるみるうちに箱に紙がたまっていく。
魔術で書かれた数字を判別して振り分け、判別できなかった分を仕分員が手作業で数えた。
すべてが終わるとササッと一枚の紙がシルジルへと手渡された。
今までの騒ぎが嘘のように静まり返る会場で、シルジルの声が朗々と響く。
「気になる結果は――ドラムロール!」
ドラララララララララ……ダンッ!
「勇者様となかよしになっちゃった、ウェルだぁー!!」
ウェルかあぁぁぁぁ!
うぇーい!! ピューピュー! ウェルすげぇぇぇー!!
ドッと湧いた歓声で邸ごと揺れた気がして、かなたは思わず声を上げて笑ってしまった。本当にお祭り騒ぎが大好きなやつらばっかりだ。
「記念に、僕が丹精込めて作ったダイギンジョウ【樹海の雫】を一年分プレゼントだよ! おっめでとー!!」
やりぃぃぃ! 酒いただき!!
ウェールズがガッツポーズをするのを尻目に、司会者の口は止まるのとなく滑らかに酒の説明へと移っていく。
「ちなみに、一年分っていうのは一日に二本計算だからあしからず。これ結構よっぱらうからねー! 足りないって文句は魔王様のところへどうぞ~!」
一升瓶である。一日二本も空けたら死ぬんじゃないだろうか。いや、でも魔族だしな。やっちゃいそうだよな。それで死人が出たとしても、武勇伝とかそういう扱いになりそうだなあ。
今までとは明らかに違う、色めき立った盛り上がりに司会者の説明にも熱が入っていく。
「制度挑戦者の人には参加賞ってことで一本ずつ、あとテーブルにもそれぞれ用意してあるから、おいしいと思った人は大いなる恵に買いに来てね! 本当、これ作るの大変だったんだから、しっかり味わって飲んでよね。どうぞご贔屓にー」
ちゃっかり宣伝も忘れないのがシルジルだ。
かなたからの依頼ときちっとこなし、こうして制度のまとめ役もこなしてくれた。
かなたからの視線にますます胸を張った彼は、最後に来賓席を振り返る。
「勇者様御一行もご出席いただきましてありがとうございました~! またのご来町をお待ちしていまーす」
周りの熱気にかき消されないよう、大きく張り上げた声でそう締めくくると、それに負けない大歓声が魔王の邸を揺らした。




