39.迷いの森へようこそ 3
「てことで、ツェーです。料理もできるし、あの店でわたしがやってた魔術くらいなら使えるからどんどんやらせて」
ものすごく、ものすごーく文句を言われたけれど、もう話は決まったのだからかなたは聞き耳を持たなかった。悪態吐きまくったツェーも、もはや覆らないことはわかっていたのだろう。わかっていても文句は惜しまないだけなのである。
旧小鳩亭でダイナを紹介したときと似たような状況だが、いかにしても隣の雰囲気が刺々しいものだった。むしろ棘だった。
クソが死ね!! と視線だけで罵声を浴びせているようなニューフェイスを、ココとケットはちらちら窺いながらかなたの言葉を聞いている。
「ただ、小鳩亭の料理は教えてはいないから、メニューについてはちゃんと説明するところから始めてね。雇用の内容はこのまえ話したとおりだけど大丈夫?」
「はい」
二階建ての一軒家を改装し、厨房に機材を取り付けたり食堂の家具をそろえたり。概ね準備の整った新しい小鳩亭は、一週間後に開店を控えていた。以前の食堂と同じくらいの広さで、社員旅行のときの意見を活かしてカウンターの一角にレジもある。
一週間でメニューのおさらいと仕事の分担を詰めるとのことだ。
頼もしくうなずいたココに、かなたは思わず笑った。そして、後ろに控えていたイルディークに目配せをすると、彼が差し出した包みを受け取る。
「そして、新しい門出に」
はらりと包みを解くと、ふたつの木箱。
テーブルに並べてから蓋を開けてみせた。真新しい包丁が、二丁。
「カナタさん」
「本当は、営業再開するときに渡そうと思っていたんだけど。ふたりともよく働いてくれたから、店主からの贈りものです。これからどんどん使っていってください」
緑陰の町で鍛冶屋に依頼した品である。
もう一丁はトリトリートに渡すつもりだったのだが、こちらもゴタゴタして渡しそびれている。これもタイミングを見計らって渡さねば。
顔を輝かせて礼を言うふたりに、かなたまでなんだか照れてきてしまう。
三人ではにかんだところをイルディークがほほえましくしている隣で、ツェーがくだらないと言いたげにフンと鼻を鳴らした。
***
あとは、彼らに任す他ない。
すでに受け入れ補助の話も、ツェーの魔力の制限も、服役に関する諸所のことも説明済みだ。周りが口を出すことはないだろう。
ということで、魔王様は現在傍観に徹しているのだという。
「ねえ。皮むき」
「うるせーっ」
「皮むき! しないと料理ができないの! 皮むき得意だってカナタさん言ってたよ? 手伝ってよ」
ツェー相手にも物怖じしないケットは、本当にすごいとしか言いようがなかった。
ムッと頬をふくらめて腰に手を当てた彼女は、まったくもっていつもどおりである。蓮碧の町にいたときと変わった様子が微塵も感じられなかった。
「食器の消毒もやってよね。ちゃんとしないとお腹壊しちゃうんだって」
「人間のくせに指図するな!」
ビュッ! と勢いよく風が巻き起こったけれど、一瞬で空気に吸い込まれる。
ケットに向かってしまった風圧も、ツェーとの間にできた見えない壁が弾き返してしまった。
反射的に目をつぶったケットだったが、カーテンの揺れが収まると相変わらずの調子で唇を尖らせた。
「だって言わないと、ツェーだってなにやっていいかわかんないでしょ! 料理がいつまでたってもできないのは困るから、あたしは何度だって言うよ」
「……チッ。そんなこと知るかっ」
どすどすと荒っぽく足を踏み鳴らして、ツェーはカゴに盛られたジャガイモを引っ掴む。
肉じゃが食べたことある?
あるわけねーだろっ!
こりずにツェーに声をかけるケットに続いて、それじゃあまずはツェーにも味を知ってもらわないとなんてココが言うものだから、ますますツェーの眉間に皺が寄っていく。
「……魔王様、いいんですかアレ」
こっそり小鳩亭を覗きに来た魔王に、思わず魔族冒険者のひとりが耳打ちした。
この町に人間がやってきた! と周りの住人も冒険者たちもそわそわしていて、まだ開店していないにもかかわらずひっきりなしに外から様子を窺っている。
「さすがにあれはヒデェよ。ツェーと人間が一緒なんて危険すぎる」
また別のひとりがそろりと窓から離れて魔王様に渋面を作った。
「大丈夫大丈夫。魔力に制限かけてるし、暴力もふるえないようにしてるし」
見事に先ほど防いでみせたじゃないか。護石がきちんと反応してくれていて安心した。
周りの心配なんてどこ吹く風で、魔王様がのんきなことを言うから、みんなして一斉に眉を寄せる。
「でもよう、ツェーだぜ? また店を壊しかねない」
「平気平気」
「魔王様ぁ」
「力任せだけが暴力とは限んないんですよ?」
「うんうん、わかってますとも。でもほら、カッとなってやった、今は反省しているって本人も言ってるし。更生の機会は誰にだって必要だよ、大丈夫大丈夫」
ひらひらと手を振って、魔王様はどこまでも軽かった。
さてと、そろそろ戻ります~なんて鼻歌交じりに腰を上げてしまうから、残された彼らはしかめた顔を見合わせて唸る。
「ダメだ、ちっとも本気で考えてねえな」
声をひそめると、いくつかの頷きが返された。
「このままじゃ、あの嬢ちゃんたち怪我して帰るだけだ」
「俺らでうまく守るしかねーぞ」
「魔王様の気まぐれでとばっちりなんてかわいそうだ」
まったく、我らが魔王様は肝心なところで楽観視をするからなあ。
のんびりしてるからなあ。
しょうがねえなあ。
「団長に相談して、見回り体制作るぞ。いつでも誰かが店に顔出してるくらいにしねーと」
「何人くらい集まるかな。おれ、やる。あと冒険者離脱したやつらにも声かけるわ」
そんな彼らの働きにより、ココたちの護衛兼ツェーの監視が、冒険者魔族たちを含めた形で防衛団の任務として確立されることになった。
副団長がものすごく仏頂面だったのが印象的だったと酒場で話題になったが、魔王にまで話が伝わったのかは定かではない。
***
周りがざわめきに包まれていたり、自分たちのことで落ち着きがなかったりするのを、もちろんココはわかっていた。
ツェーのことを抜きにしても、人間が魔族の町に乗りこんでいくのだからそうすんなりいくとも思っていない。むしろ、蓮碧の町で客として通ってくれていた魔族たちがいるし、かなたたちが目をかけてくれているから、思っていたよりもやりやすいとまで思える。
「……なにをたくらんでいる」
新しく小鳩亭という店を構えて、スーランが作ったあの看板を掲げて三日経った。
初日はかなたはもちろん、サザレアやエーデも駆けつけてくれ、作った料理を頬張っていった。宿屋ではその日のメニューを作るだけだったが、客の希望にこたえての料理となると勝手が違う。これは碧の泉で働いていてよかったとしかいえない。
まったく、かなたはどこまでわかっていてやっているのだろう。
苦笑したココの隣で、低い声がこぼれた。
「たくらむ?」
穏やかでない言葉に目を丸めると、緑色の瞳が険しさを増した。
「俺があいつに危害加えると、誰だって思うだろうが」
食堂には、お客たちにおすすめメニューを発表しているケットがいた。
ちょうどエーデが顔を出したらしく、ビーフシチューが一押し! とゴリ押しが始まったのだが、ケットちゃん俺もそれにする! 俺も俺も! と周りの客たちも便乗し始めた。
人見知りをしない彼女は、すでに周りの魔族たちに可愛がられているようだ。
ツェーがケットのことを言っているのだとすぐにわかったココは、どうしたものかと困ったように笑ってみせた。
「みんながそう思っていたとしても、実際使うか使わないかはツェーが決めることだから。それに、万が一のときは、カナタさんが危険な魔術も暴力も使えないようにしてくれてるよ」
「馬鹿が。そんなもの、絶対と言い切れるか」
鼻を鳴らしたツェーに、ココは切り分けた牛肉を鍋に入れて蓋をする。
怖い魔族、という認識がないわけではない。けれども、ココはツェーの背後にあるものを聞いたときから、彼に対して必要以上に警戒する必要はないとも思っていた。
たしかに反抗的ではあるものの、基本的に話は聞いてくれる。
そしてわかりにくい気遣いがちょこっとだけ言動に現れるときもある。今がちょうどそれだ。
「魔術を使えるのも人間に恨みがあるのも、ツェーだけじゃない。恨みがあるからって絶対危ないってわけでもない。おれもケットもそう思ってる」
もっと警戒しろと言いたいのだろう、ツェーは。
自分のことも、魔族しかいないこの町のことも。だから、人間の非力な女の子が、あんなに気安く魔族とかかわるべきじゃないのだと、あえてココに言っているのだ。
「大丈夫。ツェーが思っているほど、ケットは弱くないよ」
ツェーはしかめ面のまま押し黙った。
うまく伝わっただろうかと、ココが言葉を足そうか迷っていると、ケットの元気な声が飛んできて一気に厨房の空気を換気した。
「ビーフシチュー、四つよろしく! ツェー、とろっとろに煮込んでね」
煮込む時間や火加減などは、この店ではツェーの腕にかかっている。
一度じっくりことこと煮込んだそれを食べてもらったら、過程を察したらしい彼が魔術を使って作るようになった。時間がかかる他の料理もついでだとばかりに覚えてくれたので、格段に料理がしやすくなったのだけれど。
それを知っているのは、ココとケットだけなのが惜しい。
「おい、ツェー! おまえ、いくら魔王様の計らいっていってもわきまえろよな。うまいもん作るの邪魔なんてするなよ!」
「そうだそうだ。陰気臭い顔してねーで、ちゃんとココ坊の言うこときけよっ」
だから、始めからツェーに厳しい町の人たちからこんな声が飛んできてしまうことがあった。
ツェーが睨みを利かせてうるせー! と怒鳴ることも、ココがやんわり間に入ることもあるが、なによりも早いのがケットだった。
厨房を飛び出すと、驚くお客なんてそっちのけで腰に手をあてる。
「ちょっと! うちの店員に文句言うなら帰って!」
慌てたのはお客のほうだ。
まさかこんな反応をされるだなんて思ってもみなかっただろう。
「ケ、ケットちゃん」
「ツェーはうちの店員なの! 一緒に働いてんの! それに文句ってことは、うちの店全部に文句だからね! そんなお客さんはいりませんっ」
にこにこしているケットしか知らない彼らは、あまりの剣幕に思い切りたじろいだ。
そしてまた彼女の言っていることにも驚きを隠せなかったらしい。言葉を詰まらせると、気まり悪げに頬をかいた。
「ご、ごめんよぅ、ケットちゃーん」
大きな男がしょぼんと肩を落とす。
周りもそれに続いてパシンと手を合わせ、頭を下げた。
「俺たちが悪かった!」
「たしかに、言いがかりはよくなかったよな。悪かった」
「わかればよろしい!」
ケットが得意げに胸を張ったところで、むっつりしたツェーができたぞとシチューを置いた。男たちがしかめた顔で、悪かったとツェーにも言っているのをココもホッと胸をなでおろす。
一部始終を黙って見ていたエーデが、悪戯っぽく瞳を細めた。
「すごいな。ある意味、カナタより強いんじゃない? ケット最強」
たぶん、そのまえのツェーとの会話も聞こえていたのだろう。
ココに向かって片目をとじてみせたエーデに、ココも笑って頷きを返した。きっと大丈夫だ。なんとかするし、なんとかなる。そう思わせるには、十分だった。
***
小鳩亭が町に根付くのは、思いのほか早かった。
彼らが引っ越してきて数か月たつ今では、見慣れぬメニューも浸透しているようだ。普段魔族が使わない食材もあるから、農家と契約して栽培してもらったり、ギルドに依頼して取り寄せたりと、魔族たちとの連携もなんとかなっている。
そうなると、かなたは別の計画に着手することになるのだけれど。
「森までは入れるんですよね? じゃあ、そこになにか作ったらどうですか」
キャベツをきざむ手を止めずに、ココがさらりと言った。
トンカツめっちゃおいしい~! なんて頬をおさえているシルジルに機嫌をよくして、ケットが得意げに油と戦っている。じゅわあああと油の立てる音と香ばしいにおいが店のなかをいっぱいにした。
「町の外、森のなか、かあ」
「それなら今までと変わることはないし、そこからだんだん変えていけば、抵抗も少ないんじゃないですか」
「たしかに。なるほどなあ」
魔族が外の世界に出るばかりでなく、他の種族が魔族の町にやってくることも進めたいと思っているかなた。
第一段階としてココたちの引っ越しがあったのだが、次はどうしたものかと悩んでいるのである。
一気に受け入れをすると混乱を招くため、町の結界を解放することはしない。それ以外でなにかないだろうかと思ってと、カウンターで呟けば若い店主から返ってきた言葉に感心させられてしまった。
唸ったかなたに、ココはようやくここで顔を上げた。
「作るとしたら、また食事ができる場所ですか?」
「うーん、それも考え中。掴みは大事だからね」
これは、なにかいいことが思いつきそうだ。
昼に寄っただけだったが、さすがはココである。かなた好みをよくわかっていらっしゃる。
空になった皿を重ねたかなたは、支払いを済ませているイルディークの後ろから厨房を覗き込んだ。
「ちなみに、今日の仕事が終わったあとにお茶会しない? ロールケーキ焼けるようになったから」
「行く! 行くからあたしの分たくさん作っておいて! カナタさんお願いー!」
「はいはい」
ココに言ったつもりだったが、耳ざとく聞きつけたケットが勢いよく食いついた。相変わらずだなあ。食に対して前のめりなケットに笑ってから、その向こうでツーンとしている男にも首をかしげる。
「ツェーは? 来れそう?」
「馴れ合いなど無用だ」
ツーン。
一刀両断されるとは思っていたから、別にいいんだけど。いいんだけど、もうちょっと魔王様にも絡んでほしいんですけど。久しぶりの会話が五秒で終わってしまった。
けれども、かなたが口を開く前にツェーを振り返ったのはケットだ。
「えー! ツェーも行こうよ」
「行かない」
ツーン。
ケットが相手でも、そこは譲らないのか。けれども、ケットがそれで退くかといったら別らしい。
「……ふーんだ。じゃあおみやげ持って帰ってきてあげるから、明日一緒に食べようね」
唇をとがらせたケットは、上目にツェーを見つめた。すると、ツェーはふんと鼻を鳴らす。でも、それだけ。異論も反論もなく、そっぽを向いて話を終いにした。
ココをうかがうと、微笑ましげにしているからいつものことらしい。意外と彼らもうまくやっているのだろう。
内心でほっとしたかなたは、にっこり笑ってココへ視線を戻した。
「三時頃で大丈夫かな? イルディークさんに迎えに行ってもらうから」
「魔王様……!」
なぜ私がお傍を離れなければならないのです! 相変わらずの言い分を声高に主張するのに、かなたは真面目な表情でまっすぐ視線を向けた。
ぴたりと口をつぐんだイルディークへ、厳かな口調で口を開く。
「重大任務をさずけます。信用できるイルディークさんにしか頼めません。――誰からも危害を加えられることなく、無事にふたりを庭まで連れてきてください。よろしくお願いします」
「かしこまりました! しかと!」
一瞬にして顔を輝かせ、胸を張ったイルディークであった。
「……イルディーク様はちょろいなあ」
「シルジル。口に出したらダメだよ」
もぐもぐトンカツを食べながらのシルジルに向かって、かなたは人差し指を口に当てた。すっかりイルディークの扱いを身に着けたのだから、うまく動いてもらうことにしよう。
そうと決まれば、かなたはおいしいロールケーキを焼くことに専念せねばならない。
このあとは宰相と打ち合わせをすれば時間が空く。何本焼けば足りるだろうか。ケットもいるし、多いに越したことはない。
しっとりとしたクリームを巻き込んだふわっふわの生地は、当てたフォークがゆっくりと沈むはず。それに合う紅茶はなにがいいだろう。
それじゃあ、またあとでね。機嫌よく手を振ったかなたを、イルディークが慌てて追いかけた。




