36.その手が紡ぐもの 3
迷いの森・防衛団にて
すでに向き合って三十分ほど経過しているにもかかわらず、相手の勢いは留まることを知らなかった。
笑顔をはりつけているかなたへ、相手はこんこんと先を続ける。
「だから、時期尚早だと言ったんです。なんだかんだ言っても、魔王様は目覚めてから二年ぽっちですし、記憶だってないんですよ? まだ状況把握も不十分で、体制も整っていないのに突っ走るから。まあ、魔王様らしいですけど」
「いやあ、それほどでも」
「褒めていません」
はっはっは。ですよねー。
「尻拭いをする身にもなってください。三十年もそんな無茶振りがなかったんですから、みんなついていくのに苦労しています」
「はい、すみませんでした。それで、ツェーは?」
「団長が力を使って魔力を無効化しています。罪状が定まるまで拘束したまま留置です。……言うまでもありませんが、あえて申し上げますが。魔王様は余計なことをしないでくださいね。彼の顔を勝手に見にいったり、勝手に処遇を決めたり」
いつも勝手に動いてすみませんねえ。
かなたはさすがに苦笑した。
「はいはい。……それにしても、アズさんにそんな力があったなんて知らなかったなあ」
火事の最中、ツェーの肩に置かれた手。
アズは自身の魔力をもとに、相手の魔力を封じる力ことを得意としているそうだ。あのとき、肩に置いた手からツェーの魔力を強制的に取り除いた。
加減で多少残したり、規制をかけたりもできるらしいが、アズはあまり細かいことは苦手なのだという。
魔術もこの魔封じと転移くらいしかできないとあっさり首を振るのだが、魔封じをできる魔族も限られているのだそうだ。
なんだかんだ、かなたの周りにいる魔族は特殊な魔術を使える者が多い。
だからこそ魔王の近くに控えているのかもしれないが。
「団長が外に出ていると不都合が多いとご理解いただけて安心しました」
「そうだねえ、苦労をかけてすみませんねえ。これからもよろしく」
「……少しはこりてください」
大きな大きなため息がこぼされた。
真昼間の黄金畑は夜とはまた違った顔を見せる。
客が少ないわけではないが、軽い昼食をとったり情報を交換したりと人が多かった。
かなたがそんな黄金畑にやってくることは滅多にない。どこか新鮮な気持ちできょろきょろしてしまったのを、イルディークが妙に微笑ましく眺めてきた。眉を寄せて見上げると、頬を染められたので無視することにする。
火事から一夜明けて、小鳩亭の片づけをサザレアに任せてからココとケットへ会いにきたところだ。店の今後を、彼らの家族へ説明するためである。
酒場を横切って奥にとおされると、ココの両親とケットの兄がいて挨拶もそこそこに椅子を勧められた。そうして、かなたは自身の正体を明かしてから、小鳩亭が火事になった経緯とこれから魔族の町でふたりに働いてもらいたいのだと伝えたところだ。
思ってもみなかったことを告げらえて、室内は異様な空気に包まれた。しばらくの重苦しい沈黙を破ったのは、むずかしい顔で腕を組んだケットの兄だった。
「反対だ」
「えっ! なんでよ」
きっぱりと言い切ったのに、上機嫌だったはずのケットが驚いて兄を見た。昨日倒れたはずの彼女は、エーデの薬を飲んで一晩寝たらすっかり元気になっている。
予想外だと言わんばかりの妹を、じろりと見た兄は呆れたように息を吐く。
「逆に、なんで大丈夫だと思ったんだよおまえは。魔族しかいないところだぞ」
「だって、カナタさんたちが一緒だよ? なんの問題もないじゃん」
けろっとケットがそう言うと、彼女の兄は不機嫌に眉を寄せた。彼は逆に腕を組み直してから、ちらりとかなたの顔を見るとケットとそっくりに唇をゆがめる。
「この人たちだって、魔族だろう」
「なっ!」
ケットの顔が真っ赤になった。羞恥ではない。明らかな、怒りだ。
ガタンと音を立てて椅子から立つと、ケットはぎゅっと拳を握る。
「どうしてそんなこと言うの!」
ケット、とかけられたココの声も無視して、ケットは強い瞳を兄に向けた。
「魔族だけど、カナタさんはカナタさんじゃん! 今までも一緒にいて、どうしてこの先はだめなの! 知ったからってなにが変わるって言うの!」
「この町にいることとわけが違うだろーが」
「昔争ってたからって、今はもう三十年も四十年も経ってるんだよ? いろんなことが変わってきてるのに、どうして比べるのは昔の魔族のことなの」
肩を怒らせて食って掛かるケットを、かなたはまじまじと見つめた。
本当に、かなわないなあ。内心でほほえんで、ゆっくりと席を立つ。ぽんとその背中を叩いてから、彼女の兄と、呆気にとられているココの両親に真面目な顔を向けた。
「わたしたちが魔族であることはかわらないし、だからこそ、今回店が火事にもなったことは否定しません。運よく、怪我人もでませんでした。でも、それは結果論でしかありません。わたしたちや相手が、魔族でなければふたりを危険な目に合わせることもなかったですし。だから、心配する気持ちも反対する気持ちもわかっています。それをふくめて、考えてほしくて今日はおうかがいしました」
普通にこの町で生活するよりも、危険が増すのは否定できない。
迷いの森に迎えたいというのは言ってしまえばかなたの都合だ。働くだけならこの町だってできるし、なにも魔族の巣窟に来てまでしなくてもよい。
けれども、昨日突拍子もなく告げた案に、ふたりは行きたいと言ってくれたのだ。
魔族の町だとわかったうえで、うなずいてくれたのである。
「わたしは、ふたりが来てくれればうれしいです。働くとかそういうことは抜きにして、ふたりのことが好きだから。もし本当に来てくれるとなれば、絶対に守ります。危険な要因をすべて退けることができなくても、怪我をするまえに、傷つく前に助けると誓います」
やるとなれば、全力で臨む。
すでに邸の重臣たちには受け入れの対応をさせているし、考えられる不安要素はひとつずつ潰していくつもりだ。
かなたの言葉に続いて、今度はココが口を開いた。
「危険を招いたのが魔族だとしても、助けてくれたのも、魔族だったよ。一瞬にして広がった火を、みんな必死に消し止めてくれた。あの勢いだと、隣の店も危なかったし、怪我人だって出ていたはずだよ」
父と母、そしてケットの兄を順に見て、めずらしくココは自身の胸の内を語った。
「おれは、カナタさんのところで働きたい。魔族も含めていろんな人たちが料理を楽しんでくれるあの店を、できるだけ続けたい。魔族のことはただ怖いとか嫌だなとか思っているだけで、実際に会ったり知ったりしたのは最近だった。今思うと、魔族だったんだなってお客さんもたくさんいるけど、みんな楽しそうに旅をして、食事をして、カナタさんと話していたよ。魔族だから、人間だからってなにかが違うことなんてなかった。それは、父さんたちだってわかっているんじゃないの?」
「う、うむ、まあなあ……」
恰幅のよい店主は、薄くなった頭を何度かなでた。思い当たる節があるのだろう。
ここぞとばかりにケットも兄に唇をとがらせる。
「兄ちゃんだって、パンを気に入ってくれた冒険者がいたって言ってたじゃん」
「うるせーよ」
ケットの家はパン屋だ。両親と兄夫婦が切り盛りしていて、今は兄だけが抜けて来てくれている。
ケットのつまみ食いでよく大規模な兄妹喧嘩をするけれど、情に篤くしっかりしているのだと日ごろケットから聞かされていた。
その彼は、睨むようにかなたを見つめた。
「こいつらの気持ちを【忌みし力】で操っているってことはないのか」
「兄ちゃん!」
「……貴様、いくらケットの身内とはいえ――」
「イル。大丈夫だから黙っていて」
今までずっと黙っていた男が我慢できずに低い声を上げたのを、かなたは振り返りもせずに黙らせた。わずかに息をのんだ気配があったが、そんなことも気にせずにケットの兄から目をそらさない。
「そういう魔術は使っていません」
きっぱり言って、首を振る。
今使っている魔術は、防音のための結界だけだ。
「ですが、こればっかりはいくらわたしが言っても、どう思うかはみなさん次第なので。――ひとつ言うなら、今、わたしはそんな魔術を使っていませんよ」
どう考えても、使いどきである。
しかし、見えないものを信用しろというのは酷だ。かなたは困ったように笑ってから、ようやくそこで唇をとがらせっぱなしのケットを振り返った。
「ケットも、ココも。自分の家族のことだと誰だって心配だし慎重になるんだよ。仲がいいならなおさら。わたしたちのように友好的な魔族がほとんどだけど、今回の火事みたいにそうじゃない魔族だっているからね」
簡単に決められないことだとは重々承知している。だからこその説明だ。
「今、答えをくださいとは言いません。急いでいないから、よく話し合ってください。どんなところか確認したいと言ってもらえれば、お連れしますし、ほかに護衛をつけたいといえば、それもかまいません。条件付きでもなんでも、まずはふたりの気持ちを聞いて、ふたりも家族の気持ちを聞いて、それからでいいです。ちいさなことでも聞きたいことがあれば、聞いて。ダイナに言づけてくれればすぐに来ます」
そこでケットたちを振り返る。
いたずらっぽく笑ってイルディークをちらりと見てからまた続けた。
「考えてみなよ。わたしがひとりで違うところに働きにいくってなったら、止める人がどれだけいると思う? 元に今、あれだけの魔族がわたしのお守りをしているんだよ?」
「……ああーくっそ!」
だから、家族のこういう反応は至極真っ当だ。彼らが反対するからといって、仲違いする必要もないを
そう思って言ったのだけれど。
苛立ったように声をあげたのはケットの兄だった。彼は乱暴に頭をがしがし混ぜて、ケットをまっすぐ見つめる。
「いいよ、行って来い。好きにしろ」
「兄ちゃん」
いきなりの言葉に、ケットは目をまん丸にする。それを無視して、彼は改めてかなたに向き合った。
「わかってんだよ、あんたたちがこいつらに無害なことくらい。今まで散々世話になって、一丁前にこいつが働いてるのも見て、感謝だってしてる。魔族だって聞いてつつけば、どこまでも潔いなんて、本当腹が立つなあ。こっちが悪者じゃねーかちくしょう」
がしがしとまた頭をまぜるものだから、あちこちに毛先がぴょんと跳んでいる。
不機嫌そうな声なのに、出てくる言葉はまったく違う色をしていた。驚くかなたを差し置いて、彼はココの両親を振り返る。
「俺は、ケットが行きたいならそれでいい。親父さんたち、どうする?」
「……ここまできて、反対すると思うか?」
ふう、と息を吐くと大きなお腹が揺れた。肩をすくめた店主の隣で、女将が息子を眩しそうに眺めた。
「自分で決めたのなら、行ってきなさい。そしてたまには帰っておいで」
パッとココとケットは顔を見合わせる。
ありがとう! と抱きついた妹を、兄は耳を赤くしてうるさそうに引き離そうとした。ぎゅうぎゅう腕を締めるケットに、いでででで! この馬鹿力っ! と悪態づいたけれど、それでも離れないから満更でもない顔でため息をつく。
泣き言こぼすんじゃねーぞ。拗ねたように言った彼は、やはりケットとよく似ていた。
黄金畑をあとにして、かなたはイルディークとともに小鳩亭に立ち寄った。
サザレアが冒険者たちに指示を出しているものといらないものの整理だとか、瓦礫の運び出しをしてくれている。周りの目を盗んで魔族冒険者が魔術で転移させているそうなので、それほど時間もかからず、思いの外早く終わったなくらいの速度で終わりそうだ。
「お嬢さんたちはどうします?」
リネンシャツにコットンパンツ、編上げブーツという動きやすそうな格好のに色気をにじませているサザレアはさすがである。
一緒に片付けている男たちの視線が胸と尻にいってしまうのもしかたなかろう。手を出そうものなら成敗するけど。
「ここが大丈夫なら、一度戻ろうかなと」
「それがいいですね。こっちはいくらでも手がありますから、早いところ計画固めて進めるほうが周りも動けますし」
かなたでなければできないことか、迷いの森には山積みだろう。
かといって、まったく片付けにいないのも不自然だから、頻繁に来るつもりではあるが。
「サザレアも、切りのいいところで引き上げてくださいね。急がなくていいよ」
「ええ、夕方にはそちらへ戻ります。――ダイナはどうするんです?」
店がなくなったから寝泊まりは迷いの森へ帰ることになる。表向きは碧の泉で厄介にやっていることにしているが、トリトリートにそこまで負担はかけられない。
サザレアはここが済めばかなた付きのメイドに戻るが、特別任務を受けているダイナも引き上げるのか否か。
「しばらくは残るって言ってたけど、どれくらいかは本人に任せるつもりでいるよ。でも、たぶんダイナは――」
「カナタ」
言いかけたところで、うしろからの声に遮られた。
振り返ったかなたはパチリとまたたく。そしてすぐににっこり笑った。
「オーウィンさん、こんにちは」
オーウィンが店の前に立っていて、その横でウェールズがようと手を上げている。イルディークが嫌そうに顔をしかめたけれど、気にせずにかなたは一歩店から出た。
サザレアが苦笑したのもわかったが、この男の反応をいちいちうかがっていたら話しがまったく進まないからいいのである。
「店を閉めると聞いた」
神妙な顔つきで、オーウィンが切り出した。
かなたは迷わずうなずく。
「はい。さすがに建て直せるほとお金もないので、また一から出直しです」
「どこの町に行くんだ?」
当然とも言えるこの質問なのだが、相手がオーウィンともなると迂闊なことは言えない。隣にいる男が気配だけでお気をつけください!! と注意してくるし、もとよりかなただって身の程をわきまえているつもりだ。
「うーん……今はまだなんとも。わたしが宿屋をやれるかもわからない状態で」
嘘は言っていない。
「だから、オーウィンさんたちとも会う機会がなくなってしまうかもしれませんね」
困ったように笑うと、オーウィンはぐっと拳を握った。
かなたを正面から見つめ、ひとつうなずく。出会ったころと変わらない、強く深い色の瞳。
「会いに行く」
よく響く声も、相変わらずだった。
まっすぐ、そのままかなたまで届く。
「俺は、いろいろな町を渡り歩くから。カナタがどこにいても、会いに行ける」
「どこにいるかも、わからないのに?」
問えば相手はやんわりと首を振った。
「会えないとは微塵も思わない。それとも、カナタには迷惑か?」
「……いいえ」
かなたは微笑んだ。
「会えるのを楽しみにしています」
次に会うときは、きっと、今とは違った関係での対面になる。
それがどんな結果になるのか。魔族の明暗がどう分かれるか、かなたにもわからない。けれども、間違いなく遠くない未来だろう。
別れのあいさつに差し出された手を、かなたは不思議な気持ちでぎゅっとにぎった。




