(閑話)呼び止められない背中
長椅子に転がっていたダイナが、眉をよせて顔をあげた。おやと思う間もなく、バン! と大きな音を立てて碧の泉の扉が開く。
「ダ、ダダ、ダダイナァァァ!」
え? なにそれ、ダが多すぎない? 眠たげにぼやきいたダイナに、息を乱したひとりの男。どうやら、ダイナの知り合いらしい。
なにかあったのだろうか。男とダイナとを見比べていたトリトリートをよそに、焦って紡がれていく男の言葉に目を見張ることになる。
店に入るなり膝から崩れ落ちた冒険者は、はあはあと息をあげながら、なんとか立ちあがってダイナの肩をがしっとつかんだ。
「やや、やべえ! ほんとにやべえ!!」
「だから、なにがー?」
「や、やべえよ! お嬢やべえよ! 店がめっちゃ燃えてる!!」
「えっ!?」
思わずトリトリートは声をあげてしまった。
けれども、トリトリートがもう一度口を開くより早く動いたのはダイナだ。弾かれたように立ち上がると、長椅子が倒れたことも気にしないでその勢いのまま店を飛び出した。
「ダ、ダイナ!」
「おまえはここにいろっ」
めずらしく声をあらげたダイナの背中は、あっという間に町の雑踏へと消えていった。
はあはあと息があがったままの冒険者もへろへろの体だが、ぐっと唾を呑みこんで呼吸を無理やり整えると、また勢いよく店を出ていく。彼もまた小鳩亭に戻るつもりだろう。
小鳩亭が、燃えている?
残されたトリトリートは、碧の泉の入り口に立つ。背伸びをして空を見ても、炎や煙は見えない。見えるほど近くないが、町が騒然としていることが肌に伝わってくる。
いつも飄々としてやる気もないダイナが、あんなに必死になっていた。
かなたとダイナの関係をトリトリートが知るわけもないのだから、ダイナの様子には驚きと戸惑いしかなかった。
かなたたちは、無事だろうか。
心配でいても立ってもいられないのに、ダイナにとってかなたが大事な人であると見せつけられた気もして複雑である。そして、この緊急時にそんなことを気にしてしまう自分が嫌で、トリトリートは大きなため息をこぼした。




