32.川の流れのように3
馬車に揺られること半日。晴れた昼下がりに到着したのは、エルフの町といわれる【緑陰の町】である。
【樹香の町】も山に囲まれた場所にあったが、それよりも北側に位置してもっと奥深い場所だ。一気に標高が上がるため、かなたたちはそろって上着を羽織り、外套の首元をつめた。
季節は夏なのに、肌に触れる空気はひんやりと冷たい。馬車から降りた乗客は、口々に寒い! と声を上げていた。
「一軒、寄りたいところがあるんだ。宿を取ったら、みんなは先に町を回っていて」
馬車乗り場から歩き出してすぐ、かなたがそれぞれを振り返る。
横に控えていたイルディークが瞳を鋭くした。
「お嬢様、どちらへ?」
「腕のいい鍛冶屋がいるって聞いているからね」
この町にも魔族がまぎれている。彼は鍛冶屋として店を構え、冒険者の依頼はもちろん、町のエルフたちからも受け入れられていると聞く。本人からの報告書を思い浮かべたかなたに、その前を歩いていたアズが眉を寄せた。
「……カナタ、なるべくこの町は分かれずに行ったほうがいい」
そっと、周りには聞こえないように言う彼に、かなたは目をしばたかせる。
「アズさん?」
「昨日の冒険者が言ったとおり、ここではあまりエルフ以外は歓迎されない」
アズの顔色が冴えないのに比べて、しんがりをのんびり歩いていたエーデが呆れたように笑った。
「アズったら、心配しすぎだよ。昔とは違って、人間に嫌がらせするやつはいないと思うよ?」
「エーデ」
咎める低い声に、かなたは首をかしげる。
以前感知石を埋め込みに来たときは、設置だけしてすぐに違う町に行ってしまったから、かなたにとって緑陰の町にとどまることは初めてだ。
アズがあえて口に出すのだから、よほどのことなのかもしれないと思ったのだけれど。対するエーデはあっけらかんと笑っている。
「大丈夫大丈夫。エルフは自分たちにしか興味がないからね。彼らを侮辱しなければ、穏便に過ごせるさ。困ったら相手を褒めればそれですむよ」
「へ~。じゃあ、エーデさんに怒られそうなときは褒めればいいんだね!」
いいこと聞いたと歯を見せたケットに、一斉に呆れの視線が集まった。わずかに張りつめた空気がほころぶ。
エーデが意地悪く瞳を細めた。
「ケットの口からどんな褒め言葉が飛び出してくるのか楽しみだねえ」
「……なんでよ。あたしだって褒めるくらいできるもん」
ぶーたれた彼女に、エーデはおかしそうに肩を揺らす。本当だもん! じゃあためしに言ってみてよ。なんて言い合う彼らを前に、やれやれとアズがちいさなため息をこぼした。
鍛冶屋の看板を見つけたかなたは、宿の予約をサザレアたちにまかせて扉を開いた。
いわずもがな離れなかったイルディークと、護衛であるアズが一緒だ。
「おや、魔王様。予定どおりの到着で」
三人が揃って顔を出すと、竃の前に腰かけていた店主が顔を上げる。
「お久しぶりです」
「会うのは、迷いの森以来かあ。そういえば、そうだぜ」
優男の風貌が、くしゃっと人好きの笑みを浮かべた。彼は窓際にある木の机を指さす。
「注文もらったやつ。そこにできてるぜー」
おっとりした口調なのに、なぜか語尾が粋がる不思議な男なのである。報告書も毎回この口調どおりに綴られているからおもしろい。
冒険者たちの間でも、彼の腕は評判だ。こんなエルフの町に店を構えているが、彼曰くエルフのお客も多いらしい。いいことだなあと思う。
包丁を三丁、彼に鍛造を依頼した。ギルドに依頼を出して、この店に注文を届けてもらったのはふた月前のことで、完成したとの報せを受けてから取り置きしてもらっていた。
「そういえば、やっぱりエーデ様は一緒じゃないんだなあ」
研いでいた一振りの剣を傍らに置き直すと、彼はよいせと立ち上がった。腰にぶらさげたタオルでぐいと顔を拭う相手に、かなたは首を振ってみせる。
「いや、今ほかの人たちと宿屋に向かっていると思います」
「いるの?」
鍛冶屋は目を丸めた。その反応に、かなたのほうがきょとんとしてしまう。
「うん。みんなで旅行だから」
なぜ、エーデ? 首をかしげたかなたは、アズとイルディークの顔をそれぞれ見比べた。
イルディークは眉を寄せているし、アズも難しい顔をしている。馬車を降りたときのアズの言葉がよぎり、かなたは嫌な予感しかしない。
アズは普段から無表情だが、今の彼は考えをめぐらせているように見える。かなたの視線を受けてわずかに目元を和らげたが、店主に向かってうなずいた。
「あいつが自ら望んだ」
低い声に、店主はそうかと窓の外を眺めてからため息をついた。見えないはずなのに、町にいる姿を探すようなしぐさだった。
彼はゆっくりと視線をかなたへと戻す。
「おれが言うのも変だけど、あんまり長居しないほうがいいぜ」
「どうして?」
「ここは、人によってはとても居心地が悪いんだぜ」
困ったように眉を寄せて笑った彼は、かなたたちをテーブルへと促す。
「まあ、それはともかく。依頼の品の確認してくれよー。わざわざ来てもらったから、お代はちょこっとおまけしちゃうぜー」
軽い口調で不安を含んだ空気をからっとさせ、置かれている木箱の蓋をことりと開けた。
かなたが横からのぞくと、真新しい包丁が三丁収められている。よく切れそうだ。
手に取ると、ほどよい重さ。刃渡りもちょうどよい。
うん、とうなずくと、鍜治屋もうれしそうにほほえむ。かなたが用意したお代を受け取ると、どうぞご贔屓に~とまったり言って包みを手渡した。
「あ。あと、団長。怪我人が多いって聞いてるぜー」
かなたが荷物をまとめている横で、そういえばと彼が口を開けば、アズも重々しくうなずいてみせる。
「ああ。報告も入っている。おまえも気をつけろ」
「うん、まあぼちぼち」
怪我人。アズが言っていた放浪者の件だろうか。
かなたの視線に、アズは大丈夫だとやんわり首を振る。
「それじゃ、魔王様。道中気をつけて」
やわらかな声に見送られたのに応えたけれど、心に靄がかかったようにすっきりしない。傍に立つふたりを見上げても、硬い表情で先を促すだけだった。
ここでは言えないことなのだろう。かなたはそう見切りをつけて、宿への道を急いだ。くわしいことはわからないが、早く合流したほうがよさそうだ。
そう思って露店が並ぶ通りを足早に抜けていると、見慣れた姿たちがのんびりしているのが目に入った。走る一歩手前だった足を、かなたは慌てて立ち止まらせた。
「あれ、まだこんなところにいたの」
「お嬢さん」
振り返ったサザレアは、ちらりと店の前でゴソゴソやっているケットを見てから苦笑を浮かべた。
「ケットがあれこれつまんでるから、ちっとも進まなくてねえ」
「えー! あたしばっかりひどい! みんなだって一緒に食べているじゃん」
もぐもぐしながら抗議の声を上げたケットだが、手には串焼きと木の葉包みのなにかを持っていて説得力がまるでない。
みんなそろっていて、なにかあった様子もなさそうだ。
ほっとしたかなたは、串焼きを食べ終えて包みを開けようとしているケットの手をすんでのところで止めることに成功した。このままではいつまで経っても宿にたどり着けない。ひとまず気になることは後回しにして、ケットを急かすのが優先だろう。そういうことである。
宿屋は露店が途切れてすぐのところにあった。
開けっ放しの扉をくぐると、しわくちゃで小柄なエルフが迎えてくれる。かなたが思う以上に長い歳月をすごしたであろう彼女は、じろりとそれぞれの顔を見渡してため息をついた。
「お客さんは、六人ってことでいいね?」
「七人です」
あれ、全員いたと思ったけれど。
振り返って確認しても、顔ぶれが欠けた様子はない。
かなたの訂正に、エルフの女将は鼻を鳴らして頭を振る。
「いやいや、冗談でしょう。うちはそんなまがいものに貸すベッドなんてないよ」
「まがいもの?」
笑みを浮かべているのに、まったく瞳の鋭さは変わらない。
その視線をかなたの後ろに向けて、女将は一層声を低くした。
「――見たことある顔じゃないか。よくもまあ、のこのこ来れたもんだね。そんな姿をしてなんのつもりだい」
嫌悪感さえ漂う女将に、エーデはまったく表情を変えずに穏やかに笑った。女将の笑みもここまでだった。
森の緑によく似た瞳をエーデに据えて彼女はもう一度鼻を鳴らす。
「種族の恥さらしめ。即刻立ち去れ」
「いいよ。じゃ、明日の朝合流しようか」
「エーデさんっ」
散歩でも行くかのような口調に、思わずかなたは声を荒げた。
隣でケットが、女将と足を止めたエーデを見比べる。
「な、なんでエーデさんがそんなこと言われなきゃなんないの」
「エルフにはエルフの事情ってやつがあるんだよ。それこそ馬鹿みたいなやつさ」
気にした様子もなく、いつもケットをからかう調子で彼は瞳をおどけてみせた。
「いいじゃん、みんな馬車が長くて疲れたでしょ。ゆっくり寝なよ。明日の朝迎えに行ってあげるからさ」
じゃあね、なんて手を振ろうとするエーデをさえぎって、かなたはきっぱりと首を振る。
これでいいわけがない。
込みあげる気持ちをぐっと押し殺した。
「いいです、今日はテントを張りましょう。みんな、それでもいい?」
これか。
これがアズが懸念し、鍛冶屋が驚いた理由か。そして、またすべてではない。
彼らが知っていて、かなたが知らないなにかがあるはず。だが、それは今は置いておいて。
本当は、ここに数日滞在するつもりだったが、さらさらそんな気はなくなった。有無を言わせずにっこり笑んだかなたに、反論する者は誰もいない。
野宿は町から少し歩いた先にある森のなかに決めた。
ちいさな泉があって、見あげると木々の間からぽっかり空がのぞく。ところどころに焚火のあとがあるから、宿に泊まらない者がよく使うのだと想像がついた。
まがいもの。どういう意味だろう。今のエーデが魔術を使って、エルフの姿をしているからなのか。魔族とエルフの違いなんて、かなたには耳の尖り方くらいしか見分けがつかない。
本人はまったく気にした様子もなくて、相変わらず意地の悪い笑みを浮かべてケットをからかっていたけれど。
食事をとろうと酒場に行っても、エーデに向けられる視線は冷たかった。食事はわたしが作る。かなたはきっぱりとそう言って、酒場をあとにした。
食材の調達をするのに立ち寄る店でも、エルフたちはあからさまにエーデを避ける。それが重なるにつれ、かなたの笑みも濃くなっていった。頬がひきつる。
理不尽な態度に腹が立ってしょうがなかった。
もやもや感を腹に入れたまま、手荒く食事の支度をして火を囲む。
誰もが町でのことに触れずにここまで来て、妙に落ち着かない空気ばかりが漂う。会話も弾まない。かなたは自分がピリピリしているから空気が変わらないこともわかっていたが、このときばかりは大人げなくも直す気になれなかった。
隣に座って顔色をうかがってくるイルディークの高い鼻を、にっこり笑ってむぎゅっとつねる。お嬢様……! となんだか感極まったような声を出したのも、無視無視。変態ポイント加算。
そんな不穏なお食事タイムだったのだが、我慢できなかったのはケットだ。
きれいに空にした容器にフォークをガシャンと置いてから、唐突に声を荒げた。
「もおおおおお! あったまくる! なんなのあの町! しっつれいしちゃうっ」
ばたばた足を動かして石やら草を飛ばすのに、向かい側にいたアズがわずかに目を見開く。ブーツに小石がこつこつ当たっていた。一拍おいて拳大の石が転がってくると、靴底でうまく受け止める。
興味深そうに石とケットを見比べたアズの横で、まあまあと宥めの声を上げたのはエーデだった。
「ケットが言われたわけじゃないから、いいんだよ気にしなくて」
「友達が悪く言われたらムカつくに決まってるじゃんっ」
間髪入れずにそう返したケットに、エーデがほんのすこし目を見開く。それからおかしそうに相好をくずした。
「エルフはエルフに厳しいもんなんだよ」
くつくつ上機嫌に笑う彼に、ケットは信じられないと目くじらを立てる。
まだ気がすまないのだろう。今度は泉に向かって手近な石を蹴飛ばした。さすがにココがたしなめたけれど、あまり効果はないようだ。
唇をとがらせて、ちらりとエーデを尻目にした。
「エーデさん、さっきは自分のことにしか興味ないって言ったくせに」
「だからだよ。自分たちのことしか目に入らないから、ああなのさ。……まあ、ケットはそのままわからなくていいよ。そんな気持ちわかったところで特はしないし」
まだ笑ったまま、むしろいつもよりも機嫌よくしている様子に、ますますケットの唇はとがるばかり。
ありがとう。エーデはケットに微笑むと、ようやくそこでかなたを振り返った。
「カナタも。今日はもうひと眠りしなよ。きみがそんなに怒るとは思わなかったなあ」
「エーデさん、失礼ですよ」
ここまでなにも言わないでいたけれど、そんなかなたの心境だって彼はしっかりお見通しだ。だからこそ、かなたは笑みを引っ込めて眉を寄せた。
かなたのなかでエーデの存在が、ちいさいと思っていたのだろうか。あんな謂れのない嫌味を言われても気にならないくらいに?
お、お嬢様。隣でイルディークが心配そうな声をあげたけれど、今はそれどころじゃない。思い切り不機嫌をにじませると、穏やかな苦笑が返ってきた。
「きみが怒るなんて滅多にないものを見ちゃったなあ。よけいに、もう寝なさい。今日は満月だから、気も高まりやすいんだよ」
子守唄はまかせて、なんてほほえむから。かなたにはもうそれ以上言えなかった。
空の食器たちを片付けて、火の始末をして、寝る支度。
人手もあるから支度が整うのは一瞬だった。
変な顔のままケットとサザレアと連れ立ってたき火を離れる。おやすみとつぶやいてテントに戻ると、ぽろろんとリュートの音が夜に響いた。
やさしく奏でるその音は、ささくれ立ったものをじんわりとなでていく。テントのなかに、大きなため息がこぼれた。




