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地平線と彼方  作者:
本編
37/68

26.碧の泉にて2

 四日もすれば、客入りも落ち着きをみせる。

 この町の酒場といえば黄金畑というのが定説で、あとは碧の泉のような小さなところが数ヶ所あるが、基本的には黄金畑へ人が集まる。町と町を行き来する冒険者や商人たちが利用するといったら、やはり黄金畑だろう。

 小鳩亭の料理に興味を持っている人たちが、ちらほらと碧の泉へやってきて月が高く上がる時間まですごす。

 はじめほど多くはないが、途切れることもないためさすがだなとココは思った。

 料理の評判はよい。小鳩亭に泊まったことがある客が多いが、味に不満を言う人はいなかった。


「一応うちの店からも、料理だけならここでも出せるって案内はしてるよ。町の人たちにも広まってはいるみたい。まあ、地道にやっていけばある程度お客さんは確保できていくんじゃないなと」

「私があのまま店をやってたら、こうはいかなかったなあ」


 陽がかたむき始めた時刻。碧の泉の看板を出してそれほど経っていないが、お客がふた組席を埋めている。

 小鳩亭の仕事の合間を縫ってカナタが顔を出せば、トリトリートが駆け寄って頭をかいた。彼女はカナタを見習おうとしているらしく、カナタはああやっていたし! ととにかく何事にもカナタを基準に考えているようだった。

 気持ちはわからなくもないが、これからはそうもいかない。カナタもそれは感じていたのだろう。笑みをこぼしてから、まっすぐとトリトリートを見つめた。


「でも、今は見慣れない料理で人を呼んでいる状態だから、それをどうやって維持するかはトリトリートたちのやり方で変わってくるよ」


 きょとん、とまん丸の瞳がカナタに向けられる。カナタはやんわりと続けた。


「今、ココとダイナがいるでしょ。よく相談してやりやすいようにどんどん変えていっていいんだよ。ここは、トリトリートの店でしょう」


 料理は客寄せの手段のひとつ。そう言って笑うカナタに、トリトリートは腕を組んで考え込む。彼女はこれから、この店の主の立場でやっていかなければならない。

 焦らず、ちゃんと周りを見てね。

 ダイナとココにも目配せをして、カナタは手を振って帰っていった。




「あー……ようやくうるせーのがいなくなった」


 カナタが見えなくなると、ずっと黙っていたダイナが気だるそうに頭をまぜた。


「ダイナ、どこへ行くの?」

「あんたたちふたりでできんだろ」


 驚いたトリトリートの声に、ひらひら手を振って一番奥の席の長椅子にごろんと寝そべる。

 えっ! ダイナ、仕事……。

 店主がなにを言っても、もう彼は聞く耳を持っていないようだ。うんともすんとも言わない。

 今しがた、相談し合ってやっていけと助言されたところなのに。

 唖然としたトリトリートは、おろおろと長椅子とココを交互に見たが最後にはがっくりと肩を落とした。


 カナタがいたときと、そうでないときのあからさまな態度の違いは堪える。

 もともと、小鳩亭で料理を覚えていたときから、トリトリートはダイナのことが苦手そうだった。

 あとから加わったのに、自分よりもそつなく仕事をこなしていくダイナ。彼は誰に対しても遠慮がないし、言葉遣いが素っ気ない。それに加えて本人にやる気があるようにも見えない。うまくやってけるかなあ、と弱気なトリトリートの言葉を聞いたのはいつだったか。

 本気で寝に入ったダイナをまじまじと見たココは、彼に起きる気がないのを察してひとまず放っておくことにした。


「トリトリート。今はふたりでやってしまおう。大丈夫だよ」

「う、うん」


 眉を下げて長椅子を見てから、トリトリートは気を取り直してココにうなずく。

 ダイナの言うとおり、ふたりでこなせる仕事量だ。三人組の町の男が扉をくぐったのに、トリトリートが慌てて駆け寄った。ぽつりぽつりと席が埋まっていく。


「ふーん? 思ったよりお客入ってるじゃん」


 そんなとき、楽しげな声が響いて思わず振り返る。金髪を結えたエルフが瞳を笑わせてフロアを覗いていた。


「エーデさん」


 カウンターにいたココに、彼はいたずらっぽく瞳を細める。


「たまには場所を変えてみるのもいいかと思って。弾いてあげるけど、どうする?」


 トリトリートを振り返ると、彼女は戸惑った顔で交互に視線をめぐらせた。

 彼女にとってエーデとは、小鳩亭でのんびりお昼ご飯を食べるエルフなのだろう。気持ちはわからなくもない。

 ココも、小鳩亭が定休日のときにたまたまリュートを抱えた彼を見るまで知らなかった。カナタたちの仲間で、気ままに過ごしている小鳩亭の居候。そんな彼が巷をにぎわしていただなんて。


「エーデさんは吟遊詩人だよ」

「えっ」

「せっかくだから、お願いしてみれば? たぶん、これを逃すともう来てくれないと思うよ」

「ココはよくわかってるねー。感心感心」


 手近な椅子に腰かけて、ポロロと弦を爪弾いた。トリトリートにたずねたくせに、返事を待たないところが彼らしい。

 響いた音に、ふっと酒場の視線が集まった。リュート弾きだ。ああ、あの黄金畑の。ささやく声が聞こえたが、エーデの指がすべらかに動き出すとそれも消える。

 小鳩亭で気ままに過ごす彼からは想像できないくらい、繊細な音。

 カナタたちはあまり頓着していないが、整った目鼻立ちと蠱惑的な雰囲気があいまって、エーデにため息をこぼす娘は多い。演奏が終わるのを見計らって声をかけている女性の姿を何度か見たことがある。

 酒場とは、いろんな情報が行き交う。生活に役立つことも、ただの噂話も、なんでも。するとそこに小鳩亭の話がまざることだってあるわけで。


「まったく、お嬢には驚かされる」


 小鳩亭常連のビバリーが、冒険者たちに混ざってジョッキをかたむけた。先ほどひょっこり顔を出して、小鳩亭に泊まれなかったとぼやいていた。

 彼は相当店を気に入ってくれているらしく、大通りの宿屋に泊まるときの食事は碧の泉と決めたのだそうだ。ジョッキをぐびりとやって、トリトリートが仕込んだ鶏のトマト煮をつまんでいく。


「見た目は普通の娘さんなのになあ。なんてことない顔で、思ってもみないことをやってくれるんだ。――あの顔のいい兄ちゃんも気が気じゃないんだろうよ。いっつも心配そうに見てる」


 空いた皿をさげるココへ苦笑を浮かべてみせるものだから、ココもそんなイルディークの姿を思い浮かべて頬をゆるめた。

 常連だけあって、彼はよく見ている。カナタの中身と見た目が合っていないとの言葉が続いてうなずいてしまった。

 中身が大人っぽいこともそうだし、物事の見方が変わっているのもそう。

 小鳩亭や碧の泉で使っている保冷庫や洗浄器はほかで見ない器具だった。これはどうしたのかと聞いたとき、事もなげに知り合いに頼んで魔術を仕込んでもらったのだと言ったのだ。


 【忌みし力】として人々が触れたがらないそれを、便利だからとあっさり認めた。お客には言わなきゃわからないしと、くったくなく笑ったカナタにココもケットも顔を見合わせてしまった。

 こんな魔術は知らない。危ないものじゃなくて、ものを冷やすためだけ、洗うだけの魔術なんて。

 嫌だったら触るのわたしだけにするから、使いたいとき声をかけて。

 そう言われて、結局おっかなびっくり使い始めてそのうちに慣れた。


 カナタとかかわることで、今までとは違った視線でものを見ることができる。よいことばかりではないけれど、自分の視野が広がったことは確かだ。

 お客たちの話しにつられてココもしみじみ小鳩亭について考えてしまった。本当に不思議で変わった人たち。

 そのなかのひとりであるエーデは、宿屋の話題に表情を変えることなく流行歌を奏でている。町娘の恋の歌だ。明るい旋律にのせられて話はまだまだ盛り上がった。


「あのキレーな兄ちゃんは人形みてえだよなあ。にこりともしねーし」


 ビバリーの声に、隣のテーブルにいたドワーフが上機嫌に請け合う。そのまた横の冒険者も気さくに話に混ざった。


「お嬢ちゃんと並ぶと、本当愛想のかけらもねえよなあ」


 どっと笑いが沸いてジョッキが進む。

 どうやらあの不思議な店は、なにかと人々の記憶に残っているらしい。

 若いなりに店主として立っているカナタはもちろん、その彼女に寄りそうイルディークのことも。彼が話題になれば、自然と受付のサザレアにまで話は及んでいく。そう考えると、あの人たちは目立つ存在なのかもしれない。


「あの受付のねーちゃんは色っぺえ」

「たしかに! 艶っぽく笑われたらたまんねーな」


 エーデとは違う派手さがサザレアにはあって、たしかに男は視線を向けてしまう。女性らしい体つきに、厚ぼったい唇。こびずにちゃきちゃき仕事をこなすところもまた受けがよいらしい。

 それに比べて、愛想なく淡々と仕事をするイルディークは男視線だと評価が辛かった。のに、そこがよいと娘たちの黄色い声があがるからおもしろい。

 そのイルディークが、カナタ相手にはちょっとしたことで一喜一憂するなんて、お客たちは知らないだろう。それと同じように、カナタがイルディーク相手には子供っぽい一面を見せることも。


「こないだうちの娘があの兄ちゃん相手に頬染めてたっけ」


 大通りにある八百屋の親父が、おもしろくなさそうにこぼすのに、思わず耳をかたむけてしまう。町で買い物をするのはイルディークの仕事だから、彼の店にもよく行くはずだ。


「馬っ鹿。ありゃあ難しいぜー? おめえの娘っこじゃ無理無理」

「んだと? おれの娘を馬鹿にするんじゃねー!」


 がん! とジョッキが机にぶつかる。がははと男たちが笑った。


「あの受付のねえちゃんくらいの女でなくっちゃ」

「それか美人なエルフとかな! そのへんのちんちくりんじゃ見向きもされねえよ」

「てめえ! 今なんて言った!」


 がしゃーん! と食器が割れる音に、人の声もリュートの音も途切れた。

 その一瞬の間をはさむと、男たちの怒声が飛び交う。ふざけんじゃねー! 本当のことじゃねーか! んだと!?

 顔を真っ赤にした八百屋の親父が、同じく顔を真っ赤にした冒険者の胸ぐらをつかむ。

 はっとココが一歩踏み出すと、その脇を慌ててトリトリートが駆けた。驚く間もなく、彼女はその男たちの間に立った。


「お、おじさんたち、やめてよ。ここで喧嘩はしないで」


 あわあわと、それでも必死なその声にココはまずいと思った。

 怖いけど、ここは自分がなんとかしなくちゃ。そんなトリトリートの考えを察して焦る。怒った冒険者を前にひるまなかったカナタを見習おうとしているのだ。けれども、トリトリートに止められるとは思えない。


「あんだよ、じゃあトリトリート! お前はこいつの言うみてえにおれの娘を馬鹿にすんのか!」

「ちがうよ! そうじゃないけど――」

「こんな短気な親父なんじゃ、娘だってたかがしれてら!」

「てめえっ」


 振りかぶった拳が飛ぶのと、ココがトリトリートの腕を引いたのは同じ。そしてビバリーが踏み出したのも、いつの間にかそこにいたダイナが親父に足を引っかけたのも同時だった。


「……ったく、余計な手間とらせやがって」


 がくっと膝をついてころけた親父をよそに、ダイナが不機嫌につぶやく。びくりとトリトリートの肩がはねたが、ダイナは酔っ払いをぐいと立たせてため息をついた。


「お客さん、暴れるんなら外にして。うまい酒飲む気がねーなら場違いってやつ」

「なっ」

「あと、小鳩亭の兄さんはやめとけって娘に言っといたほうがいーよ。見た目はいいけど融通きかねーし優しくねーから、もっといい男にしなってさ」


 ぶはっとリュート弾きがふきだす。違いないと笑ったエルフが、楽しげに新しい曲を弾き始めたので酒場の空気が一瞬にしてほぐれた。

 親父が気まずそうに顔をしかめて、ぐっと言葉を飲みこむ。冒険者を睨みつけてから不機嫌にトリトリートを見上げた。


「悪かったな」


 ふて腐れた声だけれど、たしかな謝罪だった。目をまんまるにした店主はぶんぶん首を振る。

 今日は帰らあ。テーブルにお金を置いて親父が店を出ていくのを、ありがとう! と見送る。

 その店主をダイナが呼んだ。びくりと肩がはねたが、彼女はおそるおそるダイナをうかがう。

 さっきまで仕事もせずに寝ていたはずが、一瞬にして酔っ払いを抑えるなんて驚きだけれど。親父をあおった冒険者を小突いたビバリーも、興味深そうにダイナへ視線を向けていた。


「……自分で無理ならちゃんと呼べよ。じゃないと俺がいる意味ねーだろ」


 いつもと変わらない、淡々とした声。

 ココは割れたジョッキと皿を片付けながら、しょんぼりした背中とだるそうな背中を見守る。


「あんたが、できんならいいよ。でもできねーこともあるじゃん。それをかわりにやるために押し付けられたんだから。あとでカナタにうるさくされんの俺だってわかってる?」


 ココとダイナがいるでしょ。カナタは確かにそう言った。

 よく相談してというのは、こういうときどうするのかということも含まれているのだろう。


「あの人のまねしたって、全部がいいってわけじゃないの。あれは小鳩亭のやり方。正解は一個じゃないし、あれが正解とも限らない。あんたができるように、やっていくしかねーと思うけど」


 カナタだってあのあと、自分では対応しきれないからギルドに依頼を出すことにした。周りの手を借りることで解決することは多いのだ。


「むしろ、無茶しすぎなのカナタは。まねなんてされて困んの周りでしょー。あんなのひとりいれば十分」


 しょん、とうなだれるトリトリートに、ダイナはふうと息を吐く。

 たぶん強く言うつもりはないけれど、はっきりと言う分、ダイナの言葉はきつく聞こえる。トリトリートは言ってしまうと鈍いから、ダイナやカナタの意図を汲むことが苦手だ。けれど、まっすぐだから。

 容赦のない言葉に落ち込むけれど、自分なりにその言葉と向き合う。唇をかみしめてぎゅっと拳をにぎったその顔に、反省はあっても悲壮の色はなかった。


「わかった、気をつける」

「そーして」


 あっさりとうなずいてダイナは長椅子に戻る。機嫌よく鳴り響くリュートの音にわずかに眉を寄せたけれど、なにも言わずにごろんと寝ころぶ。それをトリトリートがじっと眺めた。

 このふたりもまたちょっとずつ歩み寄っていくのかなと、ココは小さく笑みをこぼすのだった。


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