24.小鳩と泉4
なんだかんだとひと月が経ってしまうと、粗削りながらも形にはなってきた。
ちょっとおぼつかないトリトリートだが、レシピがあればきちんとひとつひとつこなして料理を作っていく。ココも全体を見れるようになっているし、あとはもうひとりが加わってからの三人での動き方か。
小鳩亭に残るケットは、相変わらずかなたの目を盗んでもぐもぐやっているけれど、パンだけでなく料理の下ごしらえも身につけている。
あと、味見役としては大活躍だ。そっちはいつだって申し分ない。もう少し出番が少なくてもよいくらいだ。
ということで、そろそろもうひとりを呼び寄せるか。
そちらを発つ準備をして、でき次第来てください。
場所【蓮碧の町】東門近く、宿屋【小鳩亭】。 かなたより
【大いなる恵】の女将を通して手紙を届けたため、もうそろそろ来るだろう。
あの店で一番頼りになるのは間違いなく女将で、その次がサザレアだ。一番手から渡され、行き先には二番手がいる。ここで渋ることが自分の首を絞めるのだと、あの男にわからないはずがない。
昼に行く。
素っ気ないが几帳面な文字が届いたのは、今朝のことだ。手紙を出して二日。さすが。
女将と長女の圧力を褒めたらいいのか、召集される側の洞察力及び判断力を褒めたらいいのか迷うところだけれど。
今日から人が増えるから、と昼食をとりながら報告すると食堂の空気がそわそわしだした。もうひとりがどんな人なのか、これまでにあまり触れてこなかったから無理もない。
あの無気力な甘党と、彼らの馬が合ったらいいなと思っていたら、からんころんと鐘が鳴った。
受付にいたサザレアと並んで、かなたはにっこり笑う。
「……今日から、よろしくお願いします」
一歩入るなりげんなりした顔で、噂のもうひとり――ダイナは小鳩亭にやってきた。
面倒くさいとそこかしこから語りかけてくるくせに、形だけでもきちんとあいさつをするのは腐っても防衛団員の端くれだからか。
アズの教育指導っぷりにすてきポイントを加算しながら、かなたは心のなかで惜しみなく拍手を送った。
「久しぶり。そして来てくれてありがとう」
「こちらこそ、すてきな脅しをアリガトウ」
棒読みで感謝の気持ちは微塵もない。かなたはそれでもいい笑顔を返した。
「いやだなあ、脅しなんて失礼な。ちゃんと約束どおり和菓子のレシピも材料も用意したじゃないですか」
「そーですねー。ものにつられた馬鹿は俺だっけねー」
「はいはい、拗ねない拗ねない。みんな食堂にいるから、サザレア姉さんも行きましょう」
上機嫌のかなたにうながされ、ダイナは渋々と足を進める。後ろに二番手が続いているから逃げる気はないようだ。さすが。
「休憩中にすみません。ちょっとお時間もらいます」
かなたたちの声は食堂まで届いていたから、入っただけでさっと視線が集まった。
ダイナが入り口に一番近い椅子に荷物を置く。それを呼びつけてテーブル脇に立つと、エーデがにやりと笑った。巻き込まれちゃってかわいそうに。視線だけでそう言うのをかなたはあえて無視したし、ダイナは遠い目をして答えとした。
そんなやり取りに気づかずに、ケットとトリトリートが空気をいっそうそわそわさせる。興味津々な視線を受けて、かなたも浮かんでしまう笑みを抑えながら口を開いた。
「今日から一緒に働いてもらう、ダイナです。料理ももう覚えてるから」
「ちょ、」
「え? 覚えてないの?」
きょとんと振り返ると、ダイナが苦虫をかみつぶす。鳥の巣頭を面倒くさそうにぐしゃぐしゃなでて視線をはずした。
「……覚えてきました」
にんまり笑ったかなたに、彼はいろんなことをのみ込んで口をつぐむ。それにまたかなたが先を続けた。
「ですよね。まさかなんにもやってないはずないよねー。――てことで、今日からしばらく、わたしのかわりに厨房に入ってもらうから」
「えっ!」
勢いよく、かなたへたくさんの視線が走る。驚きに見開かれたそれらのなかで、氷の瞳があからさまな不満の色をたたえた。
「お嬢様、聞いておりません!」
腰を浮かせたイルディークに、かなたはあっさりとうなずく。
「うん、今初めて言いましたからね。そうだなあ、期間としては十日くらいあればいいかな? 感覚つかんだら、もうトリトリートとココとダイナは【碧の泉】で酒場を再開させるつもりでいてください」
「えっ! そんなに早く?」
トリトリートの声に、なんてことないと笑うかなたは相変わらず強引に話を持っていく。
楽しそうにそれぞれの顔色を見ているエーデにも気づいていたけれど、ややこしくなるのを避けるために無視無視。
とにかく、今はダイナが来てからの体制の話だ。
「その間、わたしに碧の泉の調理機器の調整させてもらえたらなと思ってるんだけど。十日もあればダイナは大丈夫でしょ?」
「十日でやれってことだろそれー」
顔をしかめたダイナは、ぼさぼさの黒髪を混ぜてため息をつく。テーブルの顔にさっと視線を走らせると眉を寄せた。
「いいよ、それで」
もうかなたの考えは変えられないと察したらしい。やはり、ダイナはこうでなくちゃ。言わずとも伝わるってすごい。
「うん、お願いします。――トリトリート、お店を勝手に変えることはしないけど、保冷庫とか洗浄器は必要でしょう? 手配して入れさせてもらいたいんだけどどうかな」
「もちろん。でも、いいの? 私そんな準備ぜんぜんしてなくて」
きゅーん、と鼻を鳴らして耳をたらした柴犬。
そんな幻になごんだかなたは軽く手を振る。
「とにかく料理覚えることが先決だからね。いいんだよ、わたしがそういうふうにしたから。配置場所とか、建物にも関わるところを決めるときは声かけるし、勝手には進めないから安心して」
そうしてようやく、小鳩亭の厨房を仕切る顔へ目を向けた。黙って話に耳をかたむけていた彼に、かなたは隣の男をぽんと叩いて示した。
「てことで、ココ。人数は変わらないし、ダイナはわたしと同じことができると思ってかまわないから、そのつもりで」
「はい」
気持ちがよい、ふたつ返事。
頼もしいなあとうれしくなる。かなたはそのまま隣を振り返った。
「ダイナはさっそく今晩から頼むね。部屋は客室を用意してあるから荷物置いて、それから道具と場所の説明をしようと思うけどどう?」
「じゃー、それで」
いいよなんでも、めんどくせー。
ごにょごにょと本音をもらしたダイナだが、それでも憮然とした顔を引っ込めてテーブルにふらりと手を振った。
「ま、よろしく」
この人と、これから一緒にやるのかあ。
正直な視線を柴犬から向けられて、むずがゆそうなダイナにエーデとサザレアが忍び笑いをこぼしたけれど。
それに気づけるダイナはげんなりしたし、気づけないトリトリートはよろしく! と張り切った声を上げるのだった。
「さっきの話だけど」
二階の一番奥をふたり部屋に仕切って、そこにダイナを案内したかなた。
当然のようについてきたイルディークと三人で、宿屋のなかを確認していく。四人部屋が各階にふたつ。それが三階分。部屋にはベッドのほかに、小さなシャワーとトイレ、机と椅子がある。
「さっき?」
荷物を置いて、あとは食堂と厨房のなかを見せようと部屋を出たかなたは、ダイナの抑えた声に首をかしげた。
うしろをうかがうと、変わらずの面倒くさそうな顔。
「あんたが単独行動するってやつ」
「ああ、あっちの店の準備する話ね」
ほかの人たちに聞かせるわけにもいかないため、その場で足を止めるとダイナは今日何度目かになるため息をこぼした。
「魔術使うからってことなんだろーけど。ひとりで動くのはやめろよ。誰かつけねーと。あんた自分が狙われてるってわかってんの?」
「んー、まあ、そうだねえ」
「寝すぎで平和ボケすんのはいいけどさー。団長にちゃんと言った? あの人あんたの護衛でしょーが」
「アズさんも忙しいだろうから」
「忙しいっつっても、護衛が仕事なの。団長がいなくても大丈夫なように、副団長やら支団長がいるんだし。頼んでだめだったらまた違うやり方考えればいいだけでしょー。はじめから決めつけて言わないのはちげーってこと。見ろよ、イルさんのこの顔」
傍らを見上げると、絶対におひとりにはさせません!! と目を爛々とさせている男がいて、今度はかなたがげんなりする。
やっぱりだめか。かなただってイルディークが簡単に許してくれるとは思っていない。
本当によく見てるなあ、この外見に反して。こっそりと感心したかなたはまじまじとダイナを眺める。
「……ダイナって」
もっさりした黒髪、ひょろりとした細見の体、野暮ったい眼鏡。
やる気も感じさせないし、面倒事には首を突っ込まないと空気で語っているくせに。ある意味で天邪鬼だなあ。なんだかんだ、こうして心配するんだから。
「そういうはっきり言うところ、シルジルと似てるよねえ」
ああ、シルジルがダイナに似てるのか。この男の背中を見て、あの末っ子が育ったのか。
目を細めたかなたの言葉に、ダイナはいっそうその顔をしかめた。
「あえて言うことがそれかよ」
口をへの字にした相手にかなたは笑って肩をすくめる。
彼の言うことはもっともなのは十分承知している。かなたはあまり自覚がないけれど魔王なのである。
しかたがない、アズには言うだけ言ってみよう。イルディークを一刻も早く引きはがさねば。
かなたから絶対に目を離さないと誓っているらしく、現在進行形でものすごくぴったり張り付いてきている。歩幅まで計算されて、ぶつかりそうでぶつからないところが憎たらしい。というか、さすがすぎて気持ち悪い。
ひとまず、空気空気と念じながらダイナを厨房へと案内することにした。
食堂と受付の位置関係、厨房の道具と、機材の場所。
それぞれを見せて回ったところで、今晩の夕食の献立を準備する。ココに託して、もちろんダイナも働かせて、さっさとかなたは退散することにした。なんとかなるだろう。
目を光らせているイルディークにはアズのところに行くと宣言し、渋る彼に食堂の準備を押しつける。そうして、まっすぐと迷いの森の防衛団に来たかなたを、旅支度をすませたアズが出迎えた。
「ダイナのくせに仕事が早いなあ」
アズにはすでに報告がされていたというのだから、まったく。
万が一、かなたが黙って単独行動をしたときを思って早々に手を打ったらしい。さっき話したばかりなのに、いったいいつ団長へ連絡したのだろうか。本当、あのだるだるした見た目に反して抜かりない。
「あれでいてまめな男だからな。料理も、きちんと覚えていただろう」
だんちょー、味見お願いします。そう言って幾度となくアズを訪ねてきたそうだ。それを思い浮かべると笑ってしまう。あんなにやる気なさそうな様子だったのに。
「だからダイナに頼んだわけですよ」
「いい人選だ」
アズがふっと眉間のしわをゆるめる。
訓練しているだけではもったいない。それでいて昇進は望んでいないのだから、のんびりまったり過ごしてしまっているんだ。そんな彼を忙しくさせてしまうのは申し訳ない気もするけれど。
ダイナはダイナで、実は忙しいのが嫌いじゃない。それをかなたもアズも察しているからこうして無茶な仕事を頼んでしまうのだ。
「それで? 今日はなにをするんだ」
アズもそれを察して、かなたの顔を覗き込んだ。大きな体を折り曲げるのは、クマがのそのそしているようにも見えなくない。なんとなくかわいい。
「店の護衛の件をギルドに相談するのと、あとはトリトリートの店に保冷庫とか作っちゃおうと思って。それくらいだから、アズさんに来てもらうまでもないと思ってたんだけど」
「俺も手伝えることはやる。それに、やはりどんなときでもお前がひとりでいることはよくない。周りの気持ちも汲んでやれ」
「はい」
ここは素直に従っておくことにしよう。しおらしく返事をすると、大きな手がかなたの頭をぽすんと叩いた。
結局、支度ばっちりだったアズを伴って蓮碧の町へ戻ることにした。
もうちょっとしたら厨房の様子をのぞくとして。まずは、ギルドに顔を出して護衛の件を相談してみようかな。アズもいるから行きやすい。
ビバリーのおかげで、あれから不躾な輩の来店はない。かといって、このまま波風立たないということもないだろう。彼に勧められたように護衛の依頼をする方向でいる。
朝晩二食つきの宿泊をする冒険者に限る、との但し書きを添え、その日数も要相談という形はどうかと小鳩亭で話をまとめてみた。揉め事が起こったときに、ちょっと手を貸してもらうってことで十分なんじゃないか。
楽観視しているつもりではないけれど、それほど切羽つまった状況ではないとかなたは思ったのである。
アズに頼めたら一番よいが、さすがに団長を迷いの森から出してしまうことは避けたい。
ほかの防衛団員を呼びつけることも考えたが、これ以上魔族を増やすのは危ない気がする。ダイナがいる間は、その役を彼が担えばいいからいいとして。やっぱり世界の仕組みに頼る方が自然だろうなあ。
「カナタ」
人ごみにまぎれて、ぽつりと聞こえた声に振り返る。
深い森を思わせる瞳がそこにいて、思考を巡らせていたかなたは思わず息をのんだ。
「オーウィンさん」
勇者が、まっすぐとかなたを見つめている。また背が伸びたようだ。きれいな栗色の髪をなびかせて、旅装束に身を包む勇者。人ごみのなかでも、不思議と目を向けてしまう存在感があった。
彼はかなたの傍らにいる大きな影をじっと見て、ほんのわずかに眉を寄せる。
「今日は、店にいないのか」
「はい。しばらくみんなに任せてるんです。オーウィンさんは、今日はおひとりなんですか?」
「大通りの酒場で落ち合うことになっている。……さきほど、店にいったら満室と言われた」
「ああ……それはまた、せっかく来てくださったのにすみません」
「いや、繁盛しているのはいいことだ」
ちらりとアズとかなたを見比べるので、苦笑する。少し警戒の色が見えるのは、アズが大きくていかついからなのか、それとも。
かなたは彼の意識を自分に向けるように話を続ける。
「品物の仕入れをしていて、手伝ってもらっているんです。酒場でうちの料理を出してもらうことになってて」
「酒場で?」
「大通りの【黄金畑】じゃなくて、南門の方にある【碧の泉】ってところなんですけど」
「碧の泉」
勇者は記憶に刻むように言葉を反芻してうなずいた。
「あと十日もすれば開店する予定で。うちに泊まれなくても、せめて料理だけは食べれたらいいと思ってたら、そこの店主が協力してくれることになって」
「そうか」
たぶん、使ってくれる気があるのだろう。口数は少ないが、興味を持った様子にかなたは不思議な気持ちになる。勇者は魔王の作った料理を気に入ってくれているのか。
ひとまず、まだかなたたちの正体はばれていないはず。何事もないなら、普通に宿屋や酒場として利用してもらうことは大歓迎だ。
「ウェールズさんにもよろしく伝えてください」
料理を気に入ってくれていた仲間を思い浮かべて付け足したかなたに、勇者は無表情であごを引いた。
「ああ。――また、小鳩亭にも行く」
「ありがとうございます」
素直な言葉ににっこり笑みを返す。すると、まっすぐ向けられていた視線がたじろいだ。
横でアズが苦笑する気配があったが、オーウィンはすぐに立て直し、また、と言って踵を返す。その背中が雑踏まぎれていくのを、かなたは静かに見送った。
からんころんと扉を鳴らすと、待ち構えていたイルディークが微笑んだ。
「お嬢様。お帰りなさい」
彼のまとっていた空気が、ふっとなごむ。ずいぶんといない間は気をもんでいたらしい。心配しすぎと言ったところで、彼のこの過保護なところは治らないだろう。もう習性みたいなものだ。かなたは肩をすくめる。
「とくに変わりないですか?」
「ええ、本日も満室となりましたが、滞りなく――」
ぴたりと動きを止め、イルディークはじっとかなたを見つめる。一歩大きく踏み出し、かなたにぴったりとくっつく。止める間もなく、背をかがめて首筋に顔を寄せた。
くんくんくんくんくん。
「……イルディークさん、なにしてるんですか」
かなたの体をこれ見よがしに嗅ぐ。あまりにも唐突で奇怪な行動過ぎて、かなたはどうすることもできなかった。ドン引きしながら、なんとかそう尋ねると、彼は姿勢を正してかなたをまっすぐと見つめた。氷の瞳をぎゅっと鋭くして口を開く。
「お嬢様。なにか私に隠し事があるのでは」
なにその嗅覚。
勇者のにおいでもついていたのか。どうなのか。というか、においかいでわかるのかそれ。かなたはさらに引いた。
彼の言わんとすることは、たぶんオーウィンに会ったことなのだろうけれど。なんでわかったんだろう。ある意味で怖い。変態だ、変態がいる。知ってたけど。
かなたは内心で舌打ちをしてから唇をとがらせた。
「……隠しているつもりはないけど、言わないでいることだったらあるかもね」
「お嬢様……!」
しーらない。ふーんだ。
かなたはあえて知らんぷりしてイルディークの横を足早に通り抜ける。
お嬢様!ご入浴を!
イルディークさん変態!
店の奥に向かいながら続くそんな会話に、受付のサザレアが声を上げて笑った。




