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地平線と彼方  作者:
本編
32/68

23.小鳩と泉3

 ほっくほくの肉じゃが。三つ葉が彩りをそえている茶碗蒸しに、箸を入れると肉汁があふれる香ばしいハンバーグ。

 皿や器に盛られたそれと、ケットの焼いたバゲットと、あまい湯気をくゆらせる白米がテーブルには並んでいる。かなたが箸やフォークを配ると、料理を前にしたトリトリートは瞳を落っことしそうにしていた。

 茶を淹れるのはイルディークにまかせて、それぞれが席に着く。


 本当は今日の夕方まで休みのはずのケットとココも、新入りをまじえた打ち合わせがあるために出勤している。

 こういうことも含めて、これから彼らにはやってもらうことが増えるから、ちょっとだけお給料を上げないとなあ。

 かなたは店の売上をぼんやり思い浮かべて、それから幼馴染ふたりの顔を盗み見て、ケットがぶーたれているのにこっそりと笑った。


「……こんな料理だったんだ!」


 肉じゃがの器を両手で包み込んだトリトリートが、感心したように目を輝かせたのにサザレアとエーデが吹きだす。

 茶を配り終えたイルディークが、氷の瞳を彼女に向けると薄い唇を開いた。


「あの料理はお嬢様に対する冒涜だ」


 ぼーとく。

 きょとんとしたトリトリートへさらに口上を述べようとしている魔王様主義に、かなたはにっこり笑って釘を刺した。


「……イルディークさん、ちょーっと黙ってましょうか」

「お、お嬢様」


 がーん。見えも聞こえもしない効果音を響かせて固まった美形を無視するのは、もう何度目のことだろう。多すぎてわからない。なんだかんだいって、かなたが魔王の目覚めと祝われたあの日から二年の記念日はすぐそこだ。月日はいつだって駆け足である。

 初日からすごい宴会だったものなあ、なんて遠い目になったけれど気を取り直して。かなたは湯気に鼻をよせているトリトリートへ視線を戻した。


「たぶんこれが作りたかったんだろうって料理と、ケットのバゲット、この店限定白米、あと野菜スープね。お昼がわりに食べましょう。それで、こんな料理なんだって知っていって」

「わ、わかった」

「てことで、あとは食べながらにしましょうか。――お待たせしました、冷めないうちにどうぞ」


 待ってました、とケットが素早くフォークを握る。あまい湯気ごとじゃがいもを口に放った。

 メニューの選択としてはいいところいってるんだよなあ、トリトリートは。

 副菜の肉じゃが、豆腐サラダ、主菜のハンバーグ。ただちょっと、ちがう方向にがんばっちゃっただけで。

 彼女の料理からやたらとコーヒーの香りがしたのは、醤油の茶色を表現しようとしてたんだろうなと、あのあとでかなたは気づいてまた腹を抱えてしまった。

 そんな彼女を加えた小鳩亭を、どうしていこうか。

 それぞれが箸を進める様子を見ながら、かなたはハンバーグをのみ込んで話を続ける。


「一応、こっちが勝手に考えたことなんだけど。トリトリートさえよければ、ここで料理の基本を覚えるまで一緒に働いて、そのあと碧の泉でそれを使って商売したらいいかなって。ココと、あとひとりを派遣するから当座は三人態勢かな」

「あとひとり?」


 すでにハンバーグを空にしたケットが首をかしげる。ソースもきれいに拭いながら食べたらしく、彼女が食べ終えた皿は何度見ても気持ちがいい。


「うん、知り合いに頼んでみたんだ。頃合いになったら呼び寄せるつもり。たぶん、まあ、合わないってことはないと思う」


 くしゃくしゃ頭をかきむしるしかめっ面を思い出して、かなたは思わず苦笑を浮かべた。トリトリートとココの顔を見て、またひとつ苦笑をこぼす。まあ、うん、大丈夫だろう。たぶん。


「だいたいひと月からふた月の間がここ。それから三人でぼちぼちとやっていけば、お客さんが増えるころにはなんとか形になってるんじゃない? 本当は半年以上準備期間にしたいところだけど。トリトリートだって生活があるからね」


 ここで働いてもらう間も研修生扱いってことで給料を出すが、これでも彼女も店主だ。自分のやり方で、自分の店を作る。かなたはそのちょっとした手伝いをするだけ。でも、手伝いとはいっても全力投球。それがかなたである。


「ココは碧の泉に行っても困らないように料理の見直しと、ケットに仕事の引継ぎね。ケットはパンの作り方をわたしにも教えて。なるべく手伝えるようにしたいから。――イルディークさんとサザレアさんも分担をちょっと見直しましょう。あまりにも忙しくて手が回らないようだったら、こっちも増員を考えるけど」


 ひとり減の状態で今の客入りを想定してみて、なんとかなるだろうと判断した。大変にはなるが、できないことはない。

 ただ、毎日満室で食事も全員なんてことになったり、誰かが体調をくずしたりということも考えられるので、きちんと様子をみたいところだ。


「食材はうちに来る配達屋さんが同じように届けるように手配するから、なにがどれだけ必要か毎日まとめてください。そのへんのことはココもこっちでやってるし、もうひとりもできるはずだから心配ないとは思う。それもまた追い追いやりやすいように変えていきましょう」


 さて、こんな感じでどうかな。

 ぐるりと見渡すと、真剣な瞳が向けられる。いい顔だ。自分のやりたいことや目標がそこにあって、今にも駆け出そうとしている、そんな感じ。ここからの月日もまたきっとあっという間に過ぎていく。

 最後にトリトリートで目をとめると、かなたは強引に締めくくって笑みで飾った。


「じゃあ、さっそく明日からってことで。よろしくお願いします」




 翌日からココに厨房を仕切らせることにした。

 ココはケットの影にうもれがちだけれど、今までかなたが感心するほど真面目に料理に打ち込んでいた。レシピはもちろんのこと、手順やかなたがアドバイスしたポイントなどをさっとメモして、持ち歩いている手帳は彼の文字と絵で埋まっている。味覚の勘がよくて、和食なんかの素材を活かした料理の味付けもほとんど身につけているはずだ。


 かなたは極力口を出さないし、なにかに取りかかるときもココの指示を仰ぐ。

 メニューを決めるときもココと相談し、十日を過ぎたころになれば彼がかなたに相談しながら献立を立てるようになった。

 碧の泉に移ったとき、仕切るのはココになる。料理を覚えることでいっぱいいっぱいのトリトリートに余裕ができれば、今度は彼女がそれをすることになるのだけれど。


「満室になりました。――ココ。夕食は二十八人分の予約が入ってるわ。今のところ、朝も一緒ね」


 カウンター越しにサザレアが声をかける。手には予約を連ねた帳簿。ふっくらとした唇に笑みをのせた彼女に、ココは真剣な顔でうなずく。


「ありがとうございます。――ケット、パンの数はいつもどおりでやって。仕込みはちょっと多めの方がいいと思う。カナタさんとトリトリートは、メインの個数を合わせてください」

「はーい」

「は、はい!」


 夏野菜の揚げ浸し、小さいグラタン、コーンサラダ、香ばしく焼き上げたタンドリーチキン。

 メモを見てぶつぶつしているトリトリートに、ココの声が続く。


「トリトリート、主菜の鶏肉を任せるから、カナタさんに見てもらいながらがんばって。カナタさんはそれとお米をお願いします。おれはグラタンをやりますので」


 額に浮かんだ汗をぬぐう彼にかなたは笑む。


「うん、じゃあトリトリート。皮を下にしてどんどん焼こう。手順はわかる?」

「だ、大丈夫。書いてある」


 ココが今でもくたびれた手帳を使い続けているからだろう。トリトリートもポケットから引っ張り出した手帳をめくって、タンドリーチキンのレシピにそえられたポイントを反芻する。初めに献立の説明をしたとき、ココが教えたポイントだ。

 保冷庫からたれに浸かった鶏肉を取り出すと、あたためたフライパンの上にべろんと寝かせた。

 それを見ながらかなたは米櫃から炊くぶんの米を量ってざるに入れていく。冷たい水で手際よくといで釜へと移した。かなた個人としては硬めが好きだが、店では標準の水分量にしている。ふたをして火にかけた。


 振り返ると、こぶし大の鶏肉がよい音を立てていた。

 トリトリートはレシピさえあれば、料理の腕は悪くない。酒場をやっていただけあって魚もさばけたし、肉の血抜きも筋取りだってもちろんできた。ほとんどの料理がパンと卵、いも、そしてちょっとの野菜を扱うことがこの世界での常識だ。

 だからこそ、それ以外のものを食べようと思うことと、食材をどう使って料理するかを知ることが重要なのかもしれない。


「お嬢様、支度が整いました」


 食堂のテーブルにランチョンマットと取り皿、フォークやスプーンが並べられている。

 客室の清掃などはイルディークが担当していて、そちらが終われば受付を手伝いながら食堂も整えてくれる。掃除や洗濯は、ココたちの目を盗んで魔術使い放題のため、意外と手間はかかっていない。魔術が使えなかったらこうはいかなかっただろう。

 魔力の強さがそれなりなら、掃除も消毒も洗濯も一瞬で終わってしまう。便利だ。文明の利器をしのぐ便利さがそこにある。


 そう考えると、迷いの森以外でも魔族の生きる術なんてたくさんありそうなものだけれど。

 実際、制度申請者の報告ではそんな声も聞こえたし、それゆえのトラブルもある。

 いい感じになってた人間の子に、魔族だってばれて手のひら返された。魔術を使わないと周りの足を引っ張ることになってしまって、かといって魔族と知られてしまうわけにもいかなくてうまくいかない。届く報告書には、魔族の現状が赤裸々につづられている。まだまだ難しいことがたくさんだ。

 かなたはカウンター越しに覗き込んだイルディークに大きくうなずく。


「もういい時間ですね。お客さんがおりてきたらご案内をお願いします」

「客数も多いですし、サザレアにも様子を見ながら――」

「はあ? 満室だあ?」


 受付から聞こえてきた大きな声に、さっと視線が向けられた。サザレアの落ち着いた声も聞こえるけれど、それをさえぎるように男の声が続く。


「こっちがわざわざ来てやって、そんで門前払いってのはどういう了見だ? 俺は上級冒険者だぜ? そこの無名のやつ追い出せば問題ねえじゃねえかよ」


 また無茶苦茶言うのがいるなあ。

 かなたは内心で顔をしかめてから息を吐く。


「ココ、こっちはお願い」

「はい」


 うなずくのを背中で聞いて、かなたは受付へ足早に向かった。それをイルディークも追う。

 カウンターの前には、いかにも冒険者な男が立ちはだかって、サザレアに詰め寄っていた。かなたは迷いもなくそこへ割り込む。


「どうしましたか」


 怯まずに大きな体を見上げたかなたに、視線を移した相手は訝しげな顔をしたあとで鼻を鳴らした。


「なんだよ、嬢ちゃんはお呼びじゃねえよ」

「わたしが店主です」


 ガキは引っ込んでろ。そういう意味で小馬鹿にした笑みを浮かべた相手は、かなたのはっきりとした言葉に目を見開く。

 かなたは毅然と先を続ける。


「お客さんに優劣はありません。今日はもう部屋がうまっておりますので、申し訳ありませんがお引き取りください」

「ふ、ふざけるんじゃねえよ! ガキが舐めたこと言いやがって! 馬鹿にしてんのかっ」

「お嬢様!」


 すかさずイルディークが背に庇うが、かなたは首を振ってそれを制す。


「イルディークさん、下がってください」

「いいえ、そうはいきません。お嬢様にもしものことがあったら――」

「店主は、わたしです」


 もう一度首を振ったかなたに、ですがと彼は食い下がる。それでもその袖を後ろに引くと、彼は渋々とかなたの横に並んだ。

 そのときである。二階に続く階段から、怪訝そうな声が降ってきた。


「――なんの騒ぎだ?」


 踵を鳴らしておりてきたお客を、かなたはわずかに目を見開いて見上げる。

 ビバリーだ。昼過ぎにやってきて、今日から四日間の宿泊と食事を予約してくれた。相変わらずこの町に来たときには店を使ってくれている。

 彼の後ろから数人、こちらをうかがうお客たちの姿もあった。


「お騒がせしてすみません」


 潔く頭を下げたかなたに首を振って、ビバリーは胡乱な視線を向けてくる男をじっと眺める。そしてわずかに片眉をあげてみせた。


「上級冒険者、ねえ。そんな無茶なこと言ってるなら、俺が部屋を譲ってやろうか? さぞかしすごい依頼をこなしてお疲れなんだろうな」

「ビバリーさん」


 そんなことをしてもらうわけにはいかない。

 受付での会話は聞こえてしまっていたのだと、かなたは顔をしかめる。客室に防音効果が必要かもしれない。そのうちに魔術を仕込もう。

 思考を明後日の方向へ飛ばしかけたかなたをよそに、さきほどまで威勢のよかった相手は目を見開いて固まった。決してきれいだとは言えないが、旅慣れした軽装に身を包む冒険者をぽかんと眺めて息をのむ。


「ビ、ビバリー? まさか、あの、双剣の……」

「見たことない顔だが、俺も冒険者全員を知ってるわけじゃないからな。――それで、どうする? 泊まるのか、泊まらねえのか」


 一歩踏み出したビバリーに、男は二歩大きく下がる。頭がもげそうなくらいに横に振ってみせた。


「い、いえ、俺は別の店に行きますんで!」

「そうか。なら、さっさとそうしな」


 ひらりと手を振ったのを合図にして男は店から出て行った。扉の先の段差に突っかかったことも気にする余裕もなく、ものすごい速さで遠ざかっていく。尻尾を巻いて逃げる、を見事に再現していた。

 唖然としたかなたに、ビバリーは肩をすくめて笑ってみせる。


「お嬢、同業が悪かったな」

「いいえ、こちらこそありがとうございました」


 よくわからないが、小鳩亭第一宿泊者であって現在は自他とも認めるこの常連客のおかげで、理不尽な言いがかり騒動もまるく収まってしまった。

 体格は相手の方がずっとよかった。ラグビー選手のような厳つい男だったのだ。それなのに、剣を抜いたわけでもなく拳に物言わせたわけでもなく、話しただけ。もしかしてこの常連客はすごい人?

 まじまじとその顔を見つめても、見慣れた壮年の冒険者であること以上のことはわからない。

 ビバリーはかなたの言いたいことも察しているだろうが、それには触れずにぽんと頭に手を置いた。


「冒険者っていっても、ピンからキリまでいろんなやつがいるからな。お嬢がああやって前に出るのは立派なもんだけど、危ないことにもなりかねない。ここの面子はああいう対処が得意じゃないなら、ギルドに護衛頼むとか、そういうことも考えたらいい。この店はそれくらいしてもいいと思うぞ」


 すっと瞳が強くなる。

 けれども真剣なその光は、すぐに鳴りを潜めてしまった。ふっとやわらぐと大きな手がくしゃりとかなたの髪をまぜる。


「ちなみに、俺は喜んでその依頼を受ける」


 お嬢、今日の飯はなんだ? いつもそう言って笑うこの冒険者は、本当に小鳩亭を気に入ってくれているのだ。

 茶目っ気たっぷりに片目をつぶったビバリーに、かなたは思わず笑ってしまった。


「そのときは、よろしくお願いします」


 店をやってよかったなあ。

 一瞬にして空気の緊張がほぐれ、夕食のかおりに包まれる。サザレアに目を細め、イルディークの背を叩き、かなたは食堂に足を向ける。

 それを追いかけてきたビバリーの声は、いつもの台詞をつむいでいて。今日はグラタンとタンドリーチキンですと笑った。


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