21.小鳩と泉1
「え? 似た料理?」
テーブルを拭きながら、かなたは驚きに顔を上げた。
お客が出払って静かになった小鳩亭は、町の喧噪さえほとんど届いていない。しとしとと降る雨が窓を叩く音がしっとりと店を包んでいる。
少し遅めの朝食を終えた従業員と、起きてきた居候とが思い思いに椅子に腰かけ、まったりと食後の時間をすごすこの時間。
紅茶をかたむけたエーデが、そういえばと口を開いたのに、みんなそろって目を丸めた。
「そう、うちのと似てるんだって。味はよくわかんないけど、今まで見たことのない料理を出してたって、昨日酒場に来たお客たちが話してたよ」
「どこの店?」
口にスコーンのかすをつけたケットが首をかしげる。
「南門の近くに酒場ってある? なんか店を閉めたり開けたりしてて、とか言ってたけど」
「ああ、【碧の泉】ですね」
ココがなるほどとうなずいた。空にしたカップを置いて、彼はわずかに苦笑を浮かべる。
「たしか、親父さんが去年亡くなって。それから閉めてるはずだけど、もしかしたら娘さんがやり始めたのかもしれないですね」
「えー、でもなんでうちの料理に似てるのさ。絶対うちが人気だからってまねしてるんだよ」
「そうは言ってもケット。簡単にまねできるような料理じゃないでしょう」
前のめりに意気込むのをサザレアがなだめたが、だってさあとケットが唇をとがらせる。不満げに椅子を鳴らしたその横で、静かにたたずんでいたイルディークがかなたへと視線を向けた。
「お嬢様」
今日の雨のように落ち着いた声色に、かなたはうなずく。
「うん、そうだね。とりあえず偵察してみようか」
おもしろうだし、と好奇心にあふれた顔を隠しもしなかったけれど、じゃあ今度の定休日に行ってみようとすんなり話がまとまった。その店が気になるのはみんな一緒なのだ。
【碧の泉】は南門に続く大通りから奥に入ったところにある酒場だった。
ぱっと見て、あれこれお店やってるの? な雰囲気だけれど、窓からは明かりがこぼれているし、入口には蓮の葉からしたたる雫が波紋をえがく看板が下がっている。さびれてはいるものの、たしかに店は営業しているらしい。
どんな料理出してるのかな~めっちゃ楽しみ~!
うきうきした足取りのかなたを案内するのにココとケットが先を歩き、半歩後ろをイルディーク、横をサザレア、後ろをだるだるとエーデが続いた。
吟遊詩人の居候は、夜の営業よりこちらに興味があるのだそうだ。そういえば、全員そろって外で食事なんてことは初めてである。
かたむいている扉を押し開けてココが中を覗き込む。振り返ってかなたにうなずいてみせるので、足早にその入口をくぐった。
ええと、酒場……? だよね……?
一応、見た目は酒場だ。カウンターがあって、フロアにテーブルと椅子が配置されている。けれども、その席を埋めているお客は誰もいなかった。
日暮れからしばらく経つこの宵の口。大通りにある酒場はいつだって賑わっているのだけど。
蓮碧の町に酒場はふたつ。ここと、エーデがいる大通りの酒場だ。同じ町の中なのにこんなにも違いがあるのか。
「いらっしゃい! どうぞ、座って座って」
カウンターからひょこっと顔を出した娘が、かなたたちに気づいてぱっと笑みを浮かべた。
さっぱりとしたショートヘアで、背が高い。女子校にいたらおモテになったんじゃないだろうか、なんてかなたが思っていることは露知らず。彼女は相好をくずして一番大きなテーブルに案内した。
「とりあえず、ビールの人。はい、よっつね。あとはレモン水が……ふたつ。――料理はなにかおすすめがあるんですか?」
たぶん、ケットたちと同い年くらいなんだろうなと思いながら、かなたはそれぞれの顔を見ながら注文を連ね、それから期待のこもった視線を店主へ向けた。
すらっとした体に紺色のくたびれたエプロンを引っかけた相手は、大きく二回うなずいてみせる。
「うちはちょっと変わった料理なんだ。今、メニューを――」
「うーんと、じゃあお姉さんのおすすめでお願いします。ひとまず三品をふたつずつ」
「こっちで決めちゃっていいの?」
きょとんとするのに、今度はかなたが笑ってうなずく。
「続きの注文はそれ食べながら考えますね」
「わ、わかった! すぐに作るから待ってて。座ってていいからね、私が運ぶよ!」
うんうんと何度もうなずいてカウンターの向こうに駆けていくのを眺めていると、横のエーデがおかしそうに肩を揺らしていた。
犬みたい。頬杖をついて穏やかに言うのにかなたもつられる。たしかに。見えない耳と尻尾がありそうだ。
先に飲みものね、と手早くビールとレモン水をテーブルに持ってきた若い店主は、それを配るとカウンターに用意してあったものを続けて並べる。
「これは、あれだ。えーと、今日来てくれたお礼!」
サービスのお通しってことかな。
ありがとうと礼を言うと、いいのいいの! と手を振ってまたカウンターの向こうに引っ込む。瞳がきらきらとして、かなたの脳裏に柴犬の姿がちらついた。
ご主人! しっぽしっぽ!
くるくる回る柴犬を無理やり押しやって気を取り直す。
「それじゃ、今日もお疲れさまー。かんぱーい」
それぞれがジョッキとグラスを持ったところで、ごつごつ打ち鳴らした。ココとイルディークは水だけど。気にした様子もなくガラスの音を響かせる。
かなたは唇についた泡を横から拭おうとしてくる手をつねったあとで、テーブルに置かれた品を改めて見つめる。野菜と、白いものと、ハムが盛られていた。ドレッシングのようなソースもかかっている。生ハムサラダ?
「なんだろ、この白いの。とーふ? それにしては固いねえ」
ジョッキの半分くらいをあけたケットが、小皿にサラダっぽいそれを取り分けながら顔を近づける。鼻先がつくんじゃないかってくらい前のめるので、横のココがたしなめながらこぼれた髪がつかないようにすくってやっている。
「豆腐というよりは、まさかな予感だけどこれ」
「お嬢様?」
フォークでその弾力を確かめると、かなたはごくりと唾をのむ。
ひと口大にしてひょいと口に放った。
……うん、やっぱりこれ、あれだ。
「牛乳っぽくない?」
そう、牛乳寒天。
抵抗なくもぐもぐ口に運んだエーデの言葉にかなたの確信は強まる。うん、これ、牛乳を固めて、しかもちょっと塩まで入れちゃってるそんなものだ。
「ソースはなんでしょうねえ。いろんなものが混ざっていそうですけど」
ちびちびと味見するサザレアに、ココが首をかしげる。
「りんごと、イチジク? でも酢と、あとはコーヒーも入っていますね」
「カナタさん、これなんて料理?」
それでももっさもっさ口に運んで皿を空にしたケットが、ソースを口につけながらたずねた。かなたはフォークを置く。
「たぶん、豆腐サラダ」
「えー! だってこれ、とーふじゃないじゃん」
海外で日本料理を再現して、こんな不思議なところに着地してる店もあったよなあ。
しみじみと日本に思いを馳せていると、盆を手にした柴犬が笑顔でテーブルにやってくる。
「お待たせ! せっかくだから熱いうちに食べて!」
どんとテーブルに並べられる皿たちにかなたは身を乗りだす。
ポトフ? いや、これたぶん肉じゃが……?
ぎゅって寄せ集められた肉のかたまりは、ええと、ハンバーグかな。
あと、その器の黄色いものはプリンじゃなくて、キノコが入っているしおそらくは茶碗蒸し?
「遠慮しないでたくさん食べて」
だめだ、たえられない。
とっさに顔をうつむかれたかなたに、はっとしたイルディークが手を伸ばして支える。お嬢様、お気をたしかに。
違う、そうじゃない。かなたは唇を噛みしめてイルディークに手を振る。エーデを見ないようにして顔を上げ、必死にこみ上げてくるものを呑み込んだ。
「いただきまーす」
平静を装ってじゃがいもを口に運んだかなた。それに続いて他の手も伸びる。
もぐもぐとしているときは無言。いち、に、さん、と間をあけて顔を上げると、みんなで視線を交わす流れとなってしまった。
――コレジャナイ。
「試行錯誤してから向かった方向がすごいね」
耐えきれずに吹き出したかなたの横で、感心したようにエーデが言うのでよけいにかなたの笑いはおさまらない。
火がとおりきっていなくてじゃがいもがシャリシャリだ。そして塩っ辛いのになぜかコーヒーの香りがする。
「出汁や下味なんて、教えてもらわないと知らないでしょうし。蒸すっていう発想もなかなかできないと思いますよ」
「お嬢さんの味付けは独特だから、見た目だけじゃ似せるのは難しいでしょうねえ」
こんなにあっまい茶碗蒸し始めて食べた……!
ばしばしとテーブルを叩いているかなたをよそに小鳩亭従業員たちは冷静に料理と向き合う。
「はんばーぐだって、肉がなんか違うじゃん」
「ひかないで細切れを使ったからだろうけど、無理やり固めるっていうのはすごいな」
ぶーたれるケットにココはため息をついた。がんばって考えたんだなあ、とつぶやく彼の声にかなたはしばらく液体を口にふくむのを諦める。
新しい料理として受け入れられるものなのかどうか。
おいしければ問題ないけど、これはさすがにごく一部の人の口にしか合わないんじゃないか。その結果は今の閑散とした店内に表れている。うまくはいっていないらしい。
「おおーい、邪魔するぞ。トリトリート!」
もはやゼラチンでコーティングされた焼肉となっているハンバーグもどきをつついていると、大きな声と一緒に店の扉が開いた。
唐突に響くしわがれた声に、かなたの笑いも一瞬にして引っ込んだ。料理から顔を上げて目を丸める。
「ゾムじい!」
「おお? なんだ、カナタじゃねーか。おめえ、ここで晩飯か?」
この町の蓮の世話をしている、あのゾムがいつもどおりの怖い顔でそこにいた。
かなたは眉をあげたゾムにうなずく。
「そうそう、ちょっと気になって。ゾムじいもご飯?」
「わしはもう食ったに決まってんだろ。ちぃっと野暮用だ。そんで、おめえがいるなら話は早え」
「は?」
なんのことだとまたたくと、ゾムはずかずかとカウンターまでやってくる。
奥を覗いてまた声を張ると、慌てた柴犬がすぐに顔を出した。手が粉で真っ白になっている。なにを作っているのだろうとかなたはそれも気になってたまらない。
「わあ! ゾムじいさん! こんなところになんだい? もしかして、食べに来てくれたの!」
ぱっと顔を明るくした店主にゾムは眉をしかめて頬をかいた。口が相変わらずへの字だ。
「違わい。あれだ、おめえの料理がよお、他の店のと似てるって話が広まってんだよ。今まで食ったことねえもんばっかだって。そんで、その店のまねしてんじゃねーかってな」
「えっ」
ぴしりと固まった店主――トリトリートに、ゾムはかなたをちらりと見てからため息をこぼす。
「おやっさんの店をなんとかしてえのはわかるけどな。トリトリート、もしもおめえがわざと小鳩亭のもんをまねしてんなら、問題起こす前に筋とおせよ。ちょうど、そこにいんのが小鳩亭のやつらだ」
「えっ!」
「なんだ、知らねえで飯出してたのか」
相変わらずおめえはうっかりしてんなあ。
ぼりぼりと頭をかいたゾムの言葉はたぶんトリトリートには聞こえていない。彼女は目が落ちそうなほど大きく開いて、唖然とかなたたちを振り返った。
かなたは泡の薄くなったビールをひと口飲むと、苦笑してジョッキを置いた。
「うーん、てことはトリトリートはうちの料理をまねしてたことは認めるんだ?」
かなたにトリトリートはびくりと肩を揺らす。恐る恐る、上目の視線が向けられた。
しょんぼりと眉を下げて、色のあせたエプロンを握る手。ついていた粉でますます白くなってしまう。きゅーん、と小さな柴犬の鳴き声がかなたの脳内に聞こえた。
「まえから話は聞いてて、変わったご飯でお客さんが来てくれるなら、私のところもって思って。お客をとろうとか、そういうつもりはなかったんだ。でも、うん、そうだよね。まねするのは悪いとは思ってた」
「うちの店には来たことなかったよね?」
たぶん、もし来ていればココたちの反応も違っただろうし、ここまで印象に残りやすそうなトリトリートである。かなたもそうだが、受付けを務めるサザレアあたりにも覚えがありそうなものだ。
なにより、料理がこうはならないだろう。
「うん。小鳩亭は泊まらないとご飯食べられないでしょ? 私がひとりで行くのは変だから、いろんな人からどんなものがあったか聞いて、それを作ってみたんだ」
「そっか、じゃあ聞いたものをいろんな食材使って表現したわけですね」
うん、まあ、そうだろうとは思ったけど。
かなたは笑いがまたこみ上げてこないように料理を視界に入れないように努めた。するとトリトリートがおずおずと口を開く。
「去年、父ちゃんが死んじゃって。それまでは結構賑わってたんだ。母ちゃんはいないし、私にはこの店しかないから、前みたいにしたいなって思ってて。本当、悪かったよ。ごめん」
がっくりと肩を落として謝るトリトリートを、かなたはまじまじと眺める。
どうしたものか。
正直、料理をパクられるというのはおもしろくはない。が、この若い店主に嫌な気持ちは湧いてこなかった。彼女が潔く、どこまでも素直な人柄だからだろう。
「んー……ココ」
「はい」
かなたは黙って成り行きを見守っていた彼に視線を移す。
「軽くひとり立ちしてみようか。ここの料理全般やる気ある? もちろん、トリトリートがよければなんだけど」
「やります」
ココは迷いなくうなずいた。かなたは満足げに笑う。
「うん、じゃあ店に戻ったら体制考えよう。――てことで、トリトリート。よければ、うちの料理覚えて出して」
「えっ」
さらっと話を進めるかなたに、トリトリートはまた目を落としそうになった。かなたはそれに苦笑する。
「そのかわり、うちの店と提携しているって前提で営業してほしいんだけど。言っちゃうと二号店みたいな感じがいいかな」
「いいの? 私、勝手にまねしちゃったのに」
見えない耳がたれている。それに笑ってかなたはうなずく。
「てことは、うちの料理に興味持ってくれたってことでしょ。本気でやる気があるなら協力するよ。でも、手は抜かない。ちゃんとうちの料理が作れるようになってからお客さんに出して」
さて、またしばらく忙しくなりそうだ。
この話は改めて詰めよう。今のままだとお客に出せる料理には程遠い。
ほっと胸をなでおろして、トリトリートはきゅっと唇を引き結ぶとかなたに頭をさげた。
「よろしく、お願いします」
こちらこそ、とかなたがこたえるとえへへと笑って鼻をかく。手についたままの粉が容赦なくその鼻を白く色づけた。




