03.目覚めの宴3
エーデの手つきには迷いがなかった。
かなたの着ていたワンピースの肩ひもをほどき、肌をあらわにする。
胸の音を前から拾うエーデは、かなたがこれまでかかったことのある医者とかわらないもの。事務的であり、かといって冷たくもない。
それにもかかわらず、かなたは声を上げずにはいられなかった。
「……エーデさん」
「うん、いつものことだよ」
名前を呼んだだけなのに、エーデはすべて察しているようだった。すかさずの返事にかなたの顔が引きつる。
「いや、いつものことじゃ困るんですが」
「もう治らない病気ってやつだね。いちいち気にしてたら日が暮れちゃうよ」
まったく動じることなく、エーデはかなたを無視して後ろを向くように言ってくる。容赦がない。
不治の病? 魔王様が? 息をのむ気配がしたが、彼もかなたも綺麗に無視した。
黙々と診察を進め、我関せずと意思表示をしている医者にかなたは口をとがらせる。それでも医者は知らん顔である。
これほど見事にポーカーフェイスを保てるところは見習いたい、が。事実エーデ自身は他人事なのである。
かなたは諦めのため息をつくと、目をすがめて傍らの男を振り返った。
「……イルディークさん」
「はい、魔王様」
折り目正しく返事をしたイルディーク。
彼は片時もかなたのそばを離れず、それどころか熱心に視線を向け続けている。主に、かなたの体に。
自意識過剰だと思ったのだが、エーデの様子からかなたは自分の思い違いではないと確信したのである。真面目な顔つきで言葉を待つイルディークに、かなたは表情を出さないように努めた。
「部屋から出ててもらってもいいですか」
「な、なぜです! 魔王様のお体が健やかであると確認しなければ動けません」
がーん。また見えも聞こえもしないはずの効果音を拾った。
一気に湿った熱気をまといだしたイルディークに、かなたの確信はますます強くなっていく。
この人、絶対裸体目当てだ。変態だ。いや、ある意味で正常な成人男性の反応だけど。でもやっぱり変態だ。もうその認識は覆らない。
眉が寄り、声が堅くなるのはしかたがない。誰が悪いって、イルディークだ。
「エーデさんは、お医者さんだからいいとして。イルディークさんが一緒になって見るのはおかしいでしょう」
「魔王様、なにをおっしゃいます。私は魔王様がお休みの間、毎日欠かさず清拭をすみからすみまでいたしましたし、床ずれもなさらないよう抱きかかえて向きも変え、御髪のお手入れももちろん。お召し物もすべて手洗いで――」
「うわあああ、へんたいー!」
「ま、魔王様、あんまりです」
たまらずに叫んだかなたと、効果音を響かせながら哀れっぽい声を上げたイルディークに医者が診察そっちのけで吹き出す。体を半分に折り曲げて腹を抱えると、遠慮の欠片もなくげらげら笑った。
恨みがましくかなたが見やってもエーデには堪えた様子がまったくない。
かなたはエーデを無視しようと決めた。うるんだ瞳を向けてくるイルディークには見えないよう、手早く体の向きを変える。
それにまたイルディークが悲痛な面持ちで固まっていたけれど、澄ました顔で知らんふりを決め込んだ。鳥肌が立った腕をさすりながら胸を隠した。
ひとしきり笑ったエーデがようやく心音を拾い終えるのを見計らうと、かなたはワンピースの肩ひもをきっちり結んでひと息つく。
エーデはそのままの流れで脈を取り、目や舌も覗いてあっさりと検査が終わった。
綴りにさらさらと文字を書きつけながら、温度の変わらない声で医者はいくつか質問を重ねてその文字を増やしていく。
「体に違和感があるとか、痛みや気分が悪いなんてことは?」
「とくに、ない……というかむしろ体なんて軽いくらいなんだけど。肩こりもなくなちゃったみたい」
肩に鉄板が入っていると思うくらい硬かったのに。
軽く肩を触りながらそう言うと、ふーんと生返事がなされ、文字を書く手もぴたりと止まった。綴りを閉じ、医者はようやく視線を上げる。
「魔王様がどういう生活をしていたとしても、ここでその体はずっと寝ていた状態なんだ。だからとりあえず異常がなくても、徐々に慣らしていく方がいいね。無理するとなにが起こるかわからないよ。なにせ、魔王様だし。自分の力を自覚してない状態で暴走させるってこともありえる話だからねー」
エーデは使った道具を鞄に片付けると、未だかなたの傍らで固まったまま動かないイルディークを振り返った。テーブルのかごから取った桃を、彼めがけて投げつける。
「終わったよ。ほら、魔王様の健康を預かってる僕のために桃をむきなよ」
顔にぐしゃっとお見舞いされるのかと思いきや、イルディークは事もなげに桃を掴むとようやく悲しみに染まりきっていた顔を上げた。
どっかりとソファーに座り直したエーデに眉を寄せたが、かなたをちらりと上目にうかがうとナイフに手を伸ばす。
「魔王様もまだあまり召し上がっていないのですから、エーデに遠慮など無用です。ただいま切り分けますのでお待ちください」
さきほど切った桃は、今エーデがひょいひょいと口に運んでいってしまっている。
その皿を取り上げるように引き寄せたイルディークは、こりずに伸びてきたフォークをぴしゃりと叩き落とした。
はあ、どうも。日本人特有の曖昧な返事をしたかなたは、次々と切り分けていくイルディークの慣れすぎた手つきに微妙な気持ちになる。けれども、ノーと言えない日本人はすすめられるがまま、その一切れを口へと運ぶのだった。