19.風車の町の勇者2
上弦の月から七日を数えると月は満ちる。
勇者ご一行が小鳩亭に泊まったのは十四夜。翌日が十五夜、つまり定休日だ。
定休日の朝は、宿泊客の朝食、部屋の清掃まではいつもとかわらないが、お客が出払えばケットとココが家に帰り、翌日の夕方まで休みになる。
朝ごはん作れば休み! 朝ごはん作れば休み!
厨房組はそれを合言葉にもりもりメニューを作っていく。
今朝はケットのバゲットときのこ雑炊。温野菜サラダ、厚焼き玉子、じゃがいもパセリ、豚の角煮、玉ねぎスープ。
バケットと雑炊はカウンターに置き場を作っておかわり自由になっている。この日は雑炊にしたが、基本的には白米が出され意外にもうけがよい。
普通の食事処では出てこない料理がめずらしいとのことで、おかずのおかわりはもちろん、前回食べたアレアレ! お金出すから食べたい! なんて声も出始めた。
「ココ! 雑炊は?」
「いけます」
「補充お願い。バゲットはどうかな」
「待って待って! あと五分!」
「焼けたらよろしく……って、ケット! なんでもぐもぐしてるの!」
ぎゃあ! 見つかった!
パンのかけらを頬ばっていたらしいケットは、悲鳴を上げて窯の前に戻った。
まったく、とかなたが腰に手をあてるとえへへと笑う。ココのたしなめる声がかけられ、ごめんなさいと言う流れはもはやいつものこととなってしまった。
朝食は、早朝に出ていったひと組以外みんな注文してくれている。テーブルに案内した組から順に料理を出していくので、見計らってかなたが厨房に声をかける。
このところはすっかりケットたちも料理に慣れて、かなたがつきっきりでなくても十分間に合う。
受付にサザレア。かなたとイルディークが食堂への誘導と料理の配膳をする。イルディークが折を見て客室の片づけもするから、状況によってサザレアがフォローに回ったり、ケットが出てきたりと臨機応変に動けるようになってきている。
欲を言うなら、受付カウンターが食堂の入り口にあったらもっといいのに。そうすれば食堂の様子も見ながら受付の仕事ができる。
もう少し小鳩亭の経営が安定してきたらリフォームも考えよう。事前にスーランに相談してみようか。ああ、でも建物の設計や大工業は彼の専門から外れるかもしれない。話をしてみて誰かを紹介してもらうかな。かなたは店のこの先を考えてはにやにやした。
「んー、いいにおい。朝飯はなんだろ」
「おはようございます」
ゆったりとした歩調で食堂に顔を出したのはウェールズだ。その後ろには彼の仲間たちもそろっている。
荷物は持っていないようだが、身支度は整っているのだろう。眠そうな顔はしていなかった。
かなたが笑顔で迎えたのだが、すっとイルディークがその前に立って空いているテーブルをしめす。
「そちらのお席へどうぞ」
声は素っ気ないものの、それでも言葉と物腰は丁寧。見ているとため息がこぼれるくらい、彼の動きは洗練されていた。
これでもうちょっとやわらかく対応してくれれば言う事ないのに。無愛想でもそれほど不快に思われないので、プレスマイナスゼロだなとかなたはひとまず口をはさまずにいる。が、勇者を前にすると輪をかけて相手を寄せつけないようにするのには、さすがにかなたも苦笑してしまった。
それでもかなたはその場を彼に任せる。変にかなたが出ることで、イルディークの心労を増やしたくなかった。
昨日からずっと彼は気を張り詰めている節があって、ふとしたときに顔を上げるとかなたを心配そうに見ている水色の瞳があった。
魔王を狙う勇者が目の前にいるのだから、気持ちはわからなくはないが。
底が見え始めた鍋を抱えて厨房に戻ると、ココが気づいて大きくうなずく。窯の横に置いたそれに、今まで火にかかっていた雑炊が継ぎ足された。むわんと真っ白な湯気があがっていいにおいだ。
米をつぶさないようによく混ぜ、ココがそれを食堂に持っていった。
勇者たちの食事を用意するため、かなたはそれぞれの料理を盛りつけるとできた順に盆にのせていく。まずはスープとサラダ。その次に角煮などのおかず類。持っていきやすいように支度をする。
そうこうしているうちに、イルディークがカウンター越しに顔をのぞかせた。
「お嬢様、パンをよっつお願いいたします」
「はーい」
「カナタさん、焼きたてあるよー」
パンを盛ったかごをケットが差し出す。きれいな焼き色と香ばしいにおいがとてもおいしそうだ。あのふくらみを割ったら、ほのかにあまい湯気がたつんだろうな。
ケットがお代わり用のかごから四人のパンをわけている間に、先に用意しておいた盆をすかさずイルディークが腕にのせる。
皿とバター、ナイフと、焼きたてのバゲット。表に回ったかなたがそれを抱えてイルディークのあとを追った。
「パンとご飯はお代わり自由ですので、あちらのテーブルからお取りください」
音を立てずに器をおいて、自分のものが終わると後ろに控えたかなたの分も請け負う。
テーブルにすでに準備してあるナイフやフォークたちをウェールズが手早く配った。彼は食べたくてたまらないらしい。朝から食欲旺盛なのはいいことだ。
目の前に並べられた見慣れぬ料理に、リカちゃんが目を丸くした。香りたつ湯気にバービーも睫毛を震わす。
その顔には自然と微笑みが浮かんでいて、厨房のカウンターに戻ったかなたはその様子に口元をほころばせた。
勇者オーウィンは、じっと配膳された料理を見つめた。
ウェールズが戸惑った様子もなく真っ先にフォークを持って、厚焼き玉子を割ると口に放る。うまいうまいと目を細めた彼を見て、オーウィンもそっと料理に手をつけた。
とろっとろの角煮。フォークの脇が押しつけられると、なんの抵抗もなくほろりとくずれる。たれと一緒に肉汁があふれて、フォークを伝うそれごとかたまりを口へ運ぶ。
一瞬止まった口。驚きに見開かれた瞳。
「……うまい」
こぼれた声に、かなたは思わずガッツポーズである。
今回の角煮は本当にとろっとろなのだ。肉自体もよいものを仕入れることができたし、味がしみてやわらかさも抜群。
味見してもらったときにケットがどんどん食べてしまって大変だった。あれは味見じゃない。軽く二人前くらいは平らげている。怒らねばならないのに、あの笑顔でおいしいおいしいと言われると強く言えなくなるから困る。
厨房の奥にいるにも関わらず、ウェールズがそんなかなたを目ざとく見つけて口の端を上げていた。
にやりとした笑みにかなたは満面の笑みを返す。それにイルディークも視線を向けてきたが、眉を寄せただけで表立ってはなにも言わなかった。
オーウィンたちは、少し遅めの朝食だった。
彼らのあとにふた組がテーブルについたのでその食事の支度と、すでに食事を終えたテーブルの片づけ。するとお客が宿を発っていくのでサザレアが鍵を受け取ったり帳簿に退出のチェックを入れたり、部屋割り表の書き込みを直したりと慌ただしくなる。
出立の時間は町の門の開閉に合わさざるを得ないから、どうしても時間が重なるのだが小鳩亭は最大で宿泊者は三十六名。
表通りの大きな宿屋に比べればさしたる数ではない。連泊したりゆっくり宿を出たりするお客もいるからなおのことだろう。
「お嬢。ちなみに、夕飯はなんだ?」
「今日はシチューの予定ですよ。野菜と肉を牛乳で煮込んだものなんですけど。ビバリーさん、前にグラタン食べませんでしたっけ? あんな感じのどろっとしたソースで」
「へえ……そりゃあ楽しみだ」
テーブルを拭いていたかなたに、壮年の冒険者は親しげに笑う。
彼は記念すべき小鳩亭第一宿泊者であるあのビバリーだ。あれ以来、気に入ったらしく蓮碧の町を訪れるときには必ず泊まってくれる。今回は三日の連泊と聞いている。出立は明日だ。
ビバリーとの会話が聞こえたのだろう。隣のテーブルだったウェールズが空になった皿を前に顔を上げる。
「毎日部屋が埋まっちゃう?」
「いえ、そんなでもないですね。昨日は久しぶりに満室でしたけど、まだまだ頑張らないと」
「ああ、店が新しいんだったな」
わりと馴染んでるから忘れてた。ウェールズのつぶやきにかなたは笑いながら肩をすくめる。
重ねた皿と器を盆にのせていると、オーウィンがじっとこちらを見ているのに気づいた。
顔を上げたかなたは内心で首をかしげたものの、相手は勇者でもあるが今は小鳩亭のお客である。
日本人必殺愛想笑いでにこっとすると、オーウィンはわずかに目元を赤くして目をそらす。それにかなたは面食らってしまった。思っていたのと違う。
「どうかしましたか?」
またたいてからたずねると、オーウィンは視線を一度さげたが、それでもゆっくりと口を開いた。
「……いや、声が」
「え?」
「声が、きれいだ」
「お嬢様っ」
まっすぐな深緑色がかなたをとらえ、真面目な顔で言うものだから、今度ばかりは呆気にとられてぽかんとしてしまう。ええと、なんだろう、この状況。
思わず止まってしまったかなたは、飛んできた声と一緒に勢いよく引っ張られる。
今まで黙ってこちらをうかがっていたイルディークが、さすがに耐え切れずに動いたらしい。彼はかなたを自分の後ろへ押しやると、険しい顔で厨房をしめす。
「ここは結構ですから、ココたちの手伝いをしてください」
有無を言わせぬ厳しい口調に、かなたは素直に従った。
置き去りになった盆と台拭きを手早くイルディークが片づける。失礼しますと素っ気なく述べて、彼も厨房へと踵を返す。
オーウィンは急き立てられて辞したかなたを見つめ、冷たい一瞥をよこしたイルディークも見ると、冷めきった茶に手をつける。茶器をすっかり空にすると、部屋に戻るべく席を立った。
厨房からはそんな彼を氷の瞳が追っていて、勇者の退出を見届ける。
ウェールズはまじまじとそんな様子を眺めると、そろそろ行くぞと女性ふたりに声をかけて口元に笑みを浮かべた。
にっこり笑ってかなたにも手を振ってきたので、気づいたかなたも小さくこたえた。
ぐっと眉を寄せているイルディークの背中をなでてから、かなたは片づけを進めていく。洗い物の山と格闘したり、お客の世話をしたり。全員が出払うと、椅子を全部テーブルにあげて食堂の掃除をする。
受付に鍵を返して出ていくお客に、できるだけかなたはありがとうと声をかけるようにしている。
目の前の仕事を片付けながら受付を気にしていると、サザレアの横で帳簿をのぞいていたイルディークが階段を見上げてその表情を硬くした。かなたは苦笑して受付へと向かう。
ウェールズを先頭に、勇者一行がおりてきた。イルディークの横に立つと、気づいたウェールズがにっかりと明るく笑う。
「鍵返すだけでいいんだっけ?」
「受付にお願いします」
ちゃりんと音を鳴らしたそれを、彼はサザレアに差し出した。ありがとうございます、とサザレアが完璧な営業スマイルを返す。両手で鍵の保管箱に丁寧におさめた。
ふっと、影が落ちる。顔を上げるとオーウェンがじっとかなたを見つめていた。
かなたが口を開く前に、彼はまっすぐと瞳をのぞきこむ。
「あなたの名前を訊いてもいいだろうか」
落ち着いた声にかなたはまたたいた。イルディークがこちらを痛いくらい注視しているのもわかってはいたが、そのままかなたはにこりと笑んだ。接客は笑顔が基本である。
「かなたです」
カナタ、カナタ。
みっつの音を二回小さく繰り返すと、彼は大きくうなずく。
「カナタ。俺は、オーウィン。――また、来る」
「はい、またのご来店をお待ちしています」
お嬢様っ!
イルディークのとがめるような声があがったけれど、気にした様子もなく彼は小鳩亭の扉を揺らす。からんころんと鐘が鳴って、じゃーな~! とウェールズが手を振った。
ありがとうございました、とほかのお客と同じように見送れば、あっという間に賑やかさが遠ざかる。
ころんと小さくこもった鐘の音が余韻を響かせ終わると、雪がふった朝みたいな静けさがそこにあった。首をかしげて肩をすべった髪の音まで聞こえてしまうくらい、とてもとても静かだ。
かたわらの背中に手を伸ばす。
町にまぎれた勇者たちを、微動だにせず氷の瞳で追っているおとこに、かなたはそっと触れて微笑んだ。
大丈夫大丈夫。
やわらかく言い聞かせてその背中をなでる。さらりと布の立てた音と、てのひらの体温に、ようやくイルディークは強張りを解いた。
笑うかなたの手を取って、長い睫毛を伏せながら指の付け根に口づけを落とすと、小さく小さくため息をこぼしたのだった。




