18.風車の町の勇者1
開店半年に近づくと小鳩亭も薄っすら存在を認識され始めた。
ひと組、ふた組、まれに閑古鳥……のひと月目を越えると、料理に好感を持った旅人や冒険者たちが足を運び、その話を人づてに聞いた新たなお客も尋ねて来ることもあった。
興味本位ではあっただろうけれど、それでもじわじわと客足は伸びて、今日の予約状況はあと四人部屋がひとつの空き。三人組もいたから二十人までもう少しというところか。
朝食がすめば調理組は厨房と食堂の掃除。宿屋組が空いた部屋から片づけて、洗濯や買い物をすませるとひと息つける。
そのころにはエーデも起きているからそろって昼食をとり、夕方までは休憩。随時予約は取りながら夕食のしたくが始まって、お客の夕食のあとで小鳩亭の夕食をすませ、それからようやく一日が終わる。
初めのころはお客が少なかったから余裕がたくさんあったけれど、ふた月目からは定休日を設けることにした。
酒場でスーランがふれたように月の満ち欠けを目安にしたのは、この世界に曜日というものがないからである。
満月、新月、下弦の月、上弦の月。
ひと月に定休日が四日。労働基準法を違反しそう。この世界にないけど。
新月から満月でひと月と数えるため、日本とは暦が少しずれるわけだが困るというわけでもなく、お手製カレンダーを受付けに掲げてやりすごしている。
小さな宿屋であることと、ケットたちの目がないところでは魔術を使ってぱぱっと片づけているから実際の仕事量は軽減できる。
なんとかなっているし、この先もそれほど困ったことにはならないはず。問題が起きたらそのときにみんなで知恵をしぼることにしよう。
からんころんと鐘が鳴る。
いらっしゃいませとサザレアの応じる声が聞こえ、イルディークが受付けへ向かったのが食堂から見えた。さて、そちらは任せてそろそろ夕食の支度に取りかかろうか。
腕をまくって気合を入れたかなただったが。
ケットの調子のずれた鼻歌が響いているのに笑いつつ厨房を振り返ったところで、かなたは思わず足を止めてしまった。
「本日は満室でございます」
硬い、イルディークの声。
またたいて、一秒の間をはさむとかなたは踵を返す。
食堂を出た先の受付けに、帳簿を広げたサザレア。たった今入ってきたであろう四人の旅人。それをさえぎるイルディーク。
かなたはその顔を順繰りに眺めると、思わず苦笑を浮かべた。
「イルディークさん、わたしの記憶だとあとひと部屋空いているはずですよ」
「お嬢様」
イルディークは出てきたかなたを咎めるように視線を向けたが、それも一瞬のことでいつもの無表情を張り付ける。
「ただ今、使える状態になっておりません」
きっぱりと言い切ったのに、かなたはそれでも怯まない。
「それはそれは、めずらしいこともありますねえ。でも、優秀な店員さんは今からすぐに部屋を整えられますね?」
にっこり微笑んでの言葉に彼はぐっと眉を寄せる。しかし、かなたはそれを無視してお客に向き直った。
茶髪の少年がかなたをまっすぐと見つめている。ほんのわずかに見開かれた深緑の瞳は、やはり迷いの森のようにきれいな緑だ。
その視線を感じながら、かなたはお客に対する笑みを惜しまない。
「お待たせしてすみません。少しお時間いただきますが、四人ならお泊りできますよ」
じっと見つめてくる瞳はひどくまっすぐで、あのときと少しも変わわらないもの。背は伸びた。まるっきり少年だった体格も輪郭も、今では青年のそれに近づきつつある。
ああ、男らしくなった。
目を細めたかなたに、彼ははっと息をのんだ、ような気がした。首をかしげるかなたをさえぎるように、彼の横にいた銀髪の男がにやりと唇をあげる。
「あー、ならよかった。大通りの宿屋は満室だって言われたからさ、ここしかねえんだわ。そこの綺麗な兄ちゃん、よろしく頼むぜ」
銀の髪は結えられていて、ちょろっと尻尾みたいにたれている。彼は無言でいる少年のかわりにイルディークを見上げ、愛想よくひらひらと手を振った。
唇を引き結んだイルディークの腕を、かなたがなだめるようにぽんぽんとたたく。
「イルディークさん、お願いします」
「……かしこまりました」
きゅっと眉を下げて泣きそうな顔を垣間見せると、彼はさっと階段をあがっていく。
それを見送ってかなたはサザレアにうなずいた。にっこり笑んだ受付嬢は帳簿をそろえた指先でお客にしめした。
「ここは、少し変わった宿屋です。お部屋が整うまでご説明しますね」
銀髪の彼と、その横にやわらかそうな茶色の髪の少年がサザレアの言葉に顔を見合わせた。そのうしろには背の小さな少女と、金髪のエルフ。
まずお食事が、と始まった説明を受けている彼らをかなたはまじまじと眺めた。
一年前、砂塵の町で会った一行はひとり人数を増やしてかなたの前にやってきた。
明日は満月。十四夜のことである。
帳簿の代表者欄には【オーウィン】と記入がされた。
文字を書くのは基本的に小鳩亭の店員で、宿泊客には承認欄に丸を書いてもらう。字を書けない人が少なくないからだ。文字を書けと強制して恥をかかすわけにもいかない。冒頭で文字書けますかと訊くのもできず。考えた末の帳簿である。
オーウィンというのはリーダーのことであり、もちろん茶髪の少年勇者の名前と等しい。
ようやく名前を知ったなあと暢気に思いながら、かなたは四人部屋を男女二名ずつにわける旨をたずさえて階段を上った。
四階の一室が彼らの部屋となり、散らかっていないはずのそこからイルディークが出てくる。かなたを見ると、ばつの悪い顔をするので笑ってしまった。
「しきりを入れてふた部屋にしてくださいって」
「すでに」
「うん、さすがイルディークさん。――そんな心配しなくても大丈夫ですよ。いつもどおり、普通のお客さんとして相手するだけでしょ」
大丈夫大丈夫。さ、行きましょう。
砂塵の町で会ったときには、かなたたちの顔は見られていないのだ。アズにも言ったが、よっぽどのことがないかぎり面倒ごとにはならないはず。大丈夫。
白い手袋ごしにその手を取って笑うと、水色の瞳が伏せられてそっとかなたの手に唇を落とした。
「俺、両方ここで食う」
銀髪の男がへらりと相好をくずす。するとリカちゃん人形みたいなお嬢さんが小首をかしげた。
たぶん、魔王を相手にしたときに弓を構えた子だと思うが、くりっとした大きな瞳と小さめの口にピンクの頬という少女の理想型を兼ね備えていた。リカちゃんだ。リアルリカちゃんがいる。
めずらしいねえ、なんてリカちゃんがこぼすと、その隣のエルフが同意をしめしてうなずいた。彼女は彼女でバービー人形みたいだ。背は高めでグラマラス。背を流れる淡い金髪も見事で、ゆったりと波を打つそれは艶やかだった。
リカちゃんとバービー、両方持ってたなあ。かなたはどうでもいい記憶が脳裏をよぎってまじまじと彼女たちを眺めてしまう。
可愛い系と綺麗系女子が並んで立っているのは実に眼福である。目の保養、目の保養。
「それでは、夕食がひとり、朝食は四人てことで。最後にここに丸印をお願いします」
かなたがどうでもいいことを考えて感嘆の息をついているなんて思いもせずに、小鳩亭代表綺麗系がしっかりと務めを果たす。
うながすサザレアの声に、茶髪の少年――オーウィンが羽根ペンをさっとすべらせた。小鳩亭に勇者ご一行の宿泊が決まったのである。
宿屋を利用するときには、前払いで支払いをすませると部屋の鍵を渡される。
小鳩亭は初めの一ヶ月は宿代を後払いする形だったが、料理も馴染んだところで他の宿屋と同様前払いに変更した。
宿から出るとき、チェックアウトはもちろん町へ出かけるときには鍵を受付けに戻すのが常だ。それは日本のホテルなどと変わらない。
小鳩亭は四人部屋が六室あるが、それぞれ真ん中でしきりができるため、出入り口がふたつある。しきらないなら鍵はひとつ、しきるならふたつ、お客に鍵を渡して使ってもらっている。
アンティークな鍵には鳩と部屋番号の彫られた木札がぶらさがっていて、かなたのひそかなお気に入りだ。
勇者たちは十一番と十二番の鍵を手渡し、四階の東側ですと声をかけた。
さっそく荷物を置きに階段をあがっていくその姿を、イルディークがじっと見つめている。大丈夫大丈夫。かなたはその背中をなでてから食堂に戻った。
久しぶりに全部の部屋が埋まり、半数以上が食事を希望している。いい傾向だ。
注文で埋められた伝票を持って、かなたは厨房で仕込みをしているふたりに笑った。
「夕食十二名、朝食十八名。今日は忙しいよ」
「だんだん食事のお客さんが増えてきましたね」
れんこんの皮をむきながらココが微笑む。
夕食は温玉豆腐ハンバーグ、ボイルしたウインナー、大根サラダ、豆スープにれんこんチップス。あとはケットのバケットとかなたの日本米。
れんこんもようやく食べやすいものが栽培できるようになり、ちょっとずつメニューに混ぜるようにしている。もちろんゾムに声をかけて栽培の話も進めているから、蓮碧の町産のれんこんが食卓に上がるのもそう遠くないだろう。
小鳩亭の料理は基本的に洋風。そこに日本ならではの食材を入れて、その割合をじわじわとふやしていこうとかなたは計画中だ。
メニューを決めるときには小鳩亭従業員と居候を対象にご意見会を催して、味の感想はもちろん、浸透していない食材を前に抵抗があるか、なじみやすい味付けはなにか、なんてやっている。
好みで意見は分かれるが、なるべく食べやすいものをと日々試行錯誤である。
部屋にはもうお客が入っているから、受付けにサザレアはいるもののあとは食事の支度となる。
食堂を整えたイルディークには買い出しを頼んだので、もうそろそろ帰ってくるはずだ。出かけるのを渋った彼のことなので、一分の隙も作らずに用事をすませて帰ってくることだろう。
「今日の夕飯ってなに」
食堂にひょっこり顔を出した銀髪の男を、かなたは厨房から振り返る。
サザレアが受付けから視線をよこしたが、からんころんと鳴った鐘に振り返って苦笑を浮かべた。
荷物を抱えたイルディークが静かに扉を閉める。食堂の入り口にたたずんだかなたと男とを見比べ、彼はその整った顔をしかめた。
おかえりなさい。かなたが労うと恭しく頭を下げて、荷物を置くために足を進める。
厨房へ向かう彼がかなたの横を通るときに、ちらりとその薄い瞳を男に向けたけれど結局口をつぐんだまま歩みは止まらなかった。
愛想のない店員に、勇者の仲間である彼は怒ることはせずにおどけた調子で肩をすくめる。
かなたは苦笑をこぼすと、宙ぶらりんになったままの問いかけをようやく引っ張りだすことにした。
「今日はハンバーグですよ」
「よっしゃ! やっぱ酒場よりこっちだよな」
「お酒は出ませんけどね」
ガッツポーズを決めた相手にかなたは思わず笑ってしまう。
弾んだ声が届いたのだろう。厨房からココとケットが不思議そうな顔をのぞかせたのに、かなたは隣をちらりと見上げて手のひらを向けた。
「今晩泊まるお客さん」
「ウェールズっての。よろしくー」
気さくに答えた彼にココがぺこりと頭を下げて、ケットがよろしく~と請け負いながらパンの生地を伸ばした。遠目にそれを見やったウェールズはおもしろそうに瞳を細める。
すると、食材を定位置に収めたイルディークが音もなくかなたの横に控えた。眉を寄せて階段へ視線を向けるのに、かなたがまた大丈夫大丈夫と背中をなでる。
イルディークとウェールズが並ぶと、その背はだいたい同じくらいだった。
かなたはまじまじと眺めてしまう。背は同じくらいにしても、ずいぶんとタイプが違うふたりだ。
冒険者であろうウェールズの横だと、イルディークはやたらと貧相に見える。筋肉の量が明らかに違うのだろう。アズのような巨漢ではないが、無駄な肉はついておらず綺麗に筋が走って締まった体だ。さすがは冒険者である。
かなたは日に焼けた彼の顔をじっと見つめて、その紅蓮の瞳に行き着いた。これはまた、きれいな赤色だこと。
その紅蓮がぐるりと食堂を見渡すと、彼は入口にもたれさせていた背を起こした。かたわらのかなたを振り返る。
「何時に来たらいいの?」
「六時から八時くらいの好きな時間で」
「ん。じゃあ、またあとで来る」
「はーい、お願いします」
大盛りでよろしく。人懐っこくくしゃっと笑った彼に、かなたもつられて笑みをこぼした。そんなことを言ってくれたら、腕によりをかけるしかないじゃないか。
ひらひら手を振って出ていく彼を見送って、かなたはイルディークの手を引きながら足取りも軽く厨房へと戻る。
豆腐ハンバーグ、イルディークさん好きでしょ。
楽しみにしてくださいね。エプロンのひもをきゅっと結んで、包丁へと手を伸ばすかなたの横でイルディークが困ったように笑った。




