16.鳩とオリーブ一号店3
かなたが店を構えた【蓮碧の町】は、その名の通り蓮が名物の町である。ぐるりと蓮池が町を囲っているのだ。
東西南北それぞれに門があり、門を出ると蓮池に渡してある石橋が町の外へと導いてくれる。町のなかにも水路が走り、季節を迎えればいたるところで蓮の花の姿を見ることができた。
水の都と人々に呼ばれる町は、石畳と水路、蓮の緑がとても綺麗だ。
「おーい、ゾムじいさーん」
顔なじみの店々に無事に開店を迎えたと挨拶して回ったかなたは、その足で東門の石橋へと向かった。
花の盛りを過ぎてくたびれてはいるが、その茂った緑をかきわけるしわくちゃの手が見える。じゃぼじゃぼと音を立てて小柄な老人が曲がった背を起こして顔を出した。
「おお、カナタかー! どうじゃ、蓮の根は!」
腰ほどまで水に浸かったゾムは、細くて小さな体を全部使ってよく通る声を出す。への字を描いている口と、ぎょろりとした大きな目。極めつけの大声。
小さな子供が初めてゾムを見ると大概泣き出す。するとゾムがあたふたしながら慣れないふうに機嫌を取って、その姿を見て町の人が腹をかかるのである。
気難しそうに見えるのに子供好きでお人好し。町の象徴である蓮の手入れもこなすのだから、歳だじじいだ偏屈だとばかにできない。
かなたは手にした包みに視線を受けて肩をすくめた。身を乗り出していた欄干から離れ、橋のたもとにある石段に腰かけ包みをほどく。
「ここよりはマシな蓮を見つけたから作ってみたよ。ゾムじいにも味見してもらおうと思って持ってきたけど、本当はもうちょっとやわらかくて、でもしゃりしゃりした歯ごたえがいいんだ」
「今行くぞ! ひょいっといくからまだ食べるなよ!」
「……ケットじゃないんだから待ちますよ。急いでないし、無理しないで」
「じじい扱いするな!」
「はいはい」
じゃぶじゃぶと水の音が大きくなって、池のなかまでおりている石段にたどり着いたゾムが駆け足で一番上まで来るので、かなたは苦笑しながらタオルと手拭きを用意する。
足袋のようなぴったりとした靴は防水性ではないから池の水が入って染みていた。ゾムの足跡が段にひとつずつついて、四角く切られた石とむした苔を濡らす。
ゾムが手を拭っているあいだに、かなたは竹かごを開けて被せていた紙をのける。衣をまとった丸い形がのぞくとゾムが手を止めて身を乗り出した。
レンコンを輪切りにして、たたいた豚肉を挟んであげたものである。つまり、レンコンのはさみ揚げ。
レンコン料理はかなたにとっては食卓や居酒屋などでたまにお目にかかるひと品だが、こちらではそもそも食の開拓が進められていないのであるわけがなく、むしろこんな根っこ食えるの! という衝撃がなによりも勝るようだった。
かなたがこの町に店を構えると決め【小鳩亭】の準備に追われていたのは今からふた月前。
スーランの工房や八百屋や肉屋に顔を出して町のあちこちを駆け回っていたとき、見事に咲き誇った蓮の花をかきわけてじゃぼじゃぼと池を歩くゾムを見た。
様子を見ていると、どうやら蓮の手入れをしているらしい。道ゆく人にあの人はと尋ねると、ロバをひいたおやじさんがありゃあゾムじいさんさ。うちの町の蓮はみんなじいさんが育ててんだ。なんて呆れた調子に言う。
ふーんとながめるかなたに、控えていたイルディークがどうかなさいましたかと背を屈ませたが、それも耳に入らずに蓮の花と老人を見比べた。そして池の淵からすみませーんと声をかける。
ぎょろりとした目を向けられたのに内心ではどきりとしたが、かまわずかなたは初対面の老人に手を振ってたずねることにした。
なにをって、簡単である。レンコンの入手ルートだ。
かなたはレンコンがほしかった。せっかく蓮がこの町の名物なのだから、それにちなんだ料理を振る舞いたいじゃないか。
迷いの森では栽培されていなかったし、他の町でも見た覚えがない。
ものは試しと、蓮の根を手に入れるにはどうすればいいかときいたかなたに、そんなもんどうするんだ! と大声が返されたのは言うまでもない。
なんだかんだとやりあって、こんなものが食えるのか! そんなに言うなら作ってもってこい! 渋々と、その割りには瞳を輝かせて蓮の根を掘り出したゾムに、それ以来かなたはレンコン料理を作っては食べさせている。
迷いの森に持ち帰ったレンコンや、その辺の池に自生しているレンコンを採ってきては魔術を駆使して増やす。
ゾムにもらった【蓮碧の町】の蓮はどうやら観賞用に近いものだったらしく、かなたが知っているレンコンよりも硬くて筋が多かった。
レンコンを土に埋めてば細い根が生えて芽が出て花が咲く。育ったレンコンを食べ比べて食用に近づけるため、やわらかい根を選び増やしていっているところだ。
「初めのやつよりは食べやすくなったはずなんだけど」
「ここのより太えなあ。今日は油であげたのか」
「そう。なかは豚肉」
はさみ揚げはわりとうまくできた。かなたはまだ硬いと思うが、あのしょりしょりした歯ごたえがここの人たちにはめずらしいらしく、あんな根っこが食べれるなんてねー! と言いながら揚げたそばからケットがつまんでいって大変だった。
小瓶から醤油を振りかけるとゾムのしわくちゃな手がむんずと掴んで裏に表にひっくり返す。どうぞと言えばぱくりとかぶりついた。
「もう少し、食べやすい根っこがあればおいしいはずなんだけど。ちょっとまだ口に残っちゃうでしょう」
「肉と合うなんてなあ、思いもしなかったぞ」
もぐもぐ、口を動かしながらのゾムは少し話しづらそうだ。けれどもふた口目で食べ終えたが早く、次のはさみ揚げに手をのばしているのだからかなたが思っているほど出来が悪いわけではないらしい。
塩を包んできた紙を開くと、かなたもひとつ口に運んだ。個人的には天ぷらなどの揚げものは塩が好きなのである。
醤油もうまいし、天つゆもよい。気分で変える贅沢もまたあると思っているので【小鳩亭】の従業員と居候が食べるときには各種用意して気に入った食べ方にしてもらっている。
ひと口含むと塩の辛さとほんの少しのあまさが、肉汁と合わさってほどよい味わいを口に広げた。しょりしょりとしたレンコンの歯ごたえも、初めよりは理想に近づいてはいるように思う。
「次はきんぴらにでもしてみようかなあ」
「まだうまくなるなら言うことねえけどよ、カナタが納得いったら絶対店で出せ。この町だからこその料理だから、嫌な顔なんでするやついねえはずだぞ」
「そうかな」
「それで、うまいレンコンがみつかったら持ってこい。わしがここで育ててやるから、時期になれば困らんじゃろ」
「いいの?」
驚いて声を上げたかなたに、よっつ目を飲み込んだゾムはくわっと大きく見開いて当然とうなずく。
「わしの育てた蓮が町で食えるようになるんじゃ、なにをためらうことがある。いいか、約束じゃ約束!」
「さすがゾムじい! じゃあ張り切ってレンコン開発――じゃなかった、見つけてくるから来年からはゾムじいから買うようするね」
最後のひとつであったむっつ目を平らげたゾムに、かなたはゆるむ頬を隠さずに請け負う。手際よく包みを片付けるが早く石段から腰を上げて尻の埃を払った。
レンコンの単価とゾムへの委託費の計算をしなければ。あとは、早く任せられるように食べやすい根を作らないと。
「もう行くのか?」
「うん、準備しないと。また作ったら持ってくるからね!」
おーう、頼むぞー! 立ち上がったゾムがずんぐりした手を大きく振るのにこたえながら、かなたは胸を弾ませて通りを駆けた。
ぱっと目の前が晴れるこのときは、何度目のことでも気持ちいいし力が湧いてくる気がする。初めての試みはつまづいてばかりだけれどこれだからやめられないのである。
「おかえりなさい、お嬢さん」
からんころんと鐘が揺れると受付けにいたサザレアが帳簿から顔を上げて迎えてくれた。
黒くて長い髪をゆったりと結わえているのと、厚ぼったい唇のそばにぽつんとほくろがあるのとで、いつもいつも色っぽいなあとかなたはサザレアに微笑まれるとため息をつきたくなる。
「ただいま。予約どう?」
「四人のひと組がさっき。朝食つきで」
「おお、なんとか連日」
「あと、うちの末から手紙がきてますよ」
少しよれた封筒をぺらりと示したサザレアにかなたは瞳を輝かせた。
「ありがとう。――そろそろ顔出したいところなんだけど、なんて書いてあるかなー」
頼んでいる酒一年分の大吟醸は、つつがなく作れているだろうか。
音を立てて開いた便箋には、丸っこい文字と、たまに間違えた文字を塗りつぶした黒い塊が列をなしていた。さっと目を走らせたかなたは思わずにっこり笑みをこぼす。
「ちゃんとやってるようです?」
「納得いかないけど、今現在の成果として試作品を送ってくれるって。あと、消毒用のアルコールも」
「ああ、それなら遠慮なくだめ出ししないと。ちょっと褒めるだけですぐに調子に乗るんですから」
手紙に視線を落としたままのかなたに、サザレアは呆れたようにため息をついて、そしてやわらかく微笑んだ。
サザレアは、迷いの森の酒屋である【大いなる恵】の長女である。
つまるところ、シルジルの姉だ。メイドとしてかなたの邸で働いていたのだが、かなたが声をかけて【小鳩亭】の従業員となった。
シルジルにとって、彼女の他に姉が三人、兄がひとり。末っ子がシルジルで、そんなあまったれが女将さんにどやされながらあの酒屋兼酒蔵を切り盛りしているのである。
それくらいさせないとただのヘタレ。
外の町にまで仕入れにいくなんてえらいよね、とシルジルのことを褒めたかなたに対して、そうこともなげにサザレアは言った。結構なスパルタである。
「配達は明日の昼くらいかな。全部終わったら試飲会しましょう」
「それじゃ、口直しの酒もいくつか持たせるように言っておきますね」
受付けのカウンターにあったメモ用のカードにさっと書きつけると、サザレアは視線をめぐらせたあとで魔力を込めた手でなでた。それにあわせてカードが消える。すでに【大いなる恵】に届いていることだろう。
人使いが荒い、と顔をしかめているシルジルが思い浮かんでかなたはくすくすと笑った。
明日届く日本酒もどきを楽しみにしながら、夕飯の支度をケットたちと打ち合わせなければ。あと、ゾムじいさんが育ててくれるようにレンコンの改良も急ごう。
腕まくりをして厨房に入ったかなたに、チーズのつまみ食いをしていたケットが慌てて口を押さえた。
すみませーん、蓮の根ってどうすれば手に入りますかー? 八百屋にもないし、みんな知らないみたいだから。
ああ? おめえ、根っこなんてどうすんだ。
食べようと思って。
食べる? なにを。
だから、蓮の根っこ。レンコン。
蓮の根っこを?
そう。煮たり、揚げたり、酢漬けにしたり。
……蓮の根っこだぞ。
そう、蓮の根っこを。
こんなもん食えるのか! おめえ、そんな生活困ってるってわけじゃねえだろう。こんなもん食うならパンでも食ってろ。腹壊すぞ。――にいちゃんも、娘っこが妙なことしねえようにしっかり見張ってろよ。
私はいつでもお嬢様から離れません。
イルディークのずれた答えを無視して、かなたはそのままゾムを見て言葉を重ねる。
パンもいいけど、わたしは今蓮の根っこがいいんです。食べられるかどうかは、蓮の種類によるみたいなんだけど、試してみたいから根っこがほしいんです。
……本当にこの根っこが食えるのか?
ものによるけど、食べられます。料理してみたいから、どうやったら手に入るか知ってたら教えてくれませんか。
しょうがねえなあ、ちょっと待ってろ。
一メートルのレンコンが、二本。
いいんですか!
そんなに言うなら持ってけ! そんでわしんとこに持ってこい!
ありがとう! おじさん、いつも池にいるの?
だいたいは池のどっかにいる。いいか、絶対持ってこいよ!
はーい! わたし、今度東門の近くで宿屋やることになってるかなたです。よろしくお願いします!




