(閑話)首に手をかけるのは
「ねえ、カナタ。いつまで夢見心地でいるつもり?」
きれいに、瞳を細めて笑みを作ったエーデは指の長い大きな手をかなたの首に据えた。低い体温が直に伝わり、わずかにその指先に力がこもる。
邸の居間の大きな窓からは、遠目に町の人々が行きかう通りが見える。明日の天気の話をしながら、窓際でうららかな日の光を浴びていた、そんな穏やかな午後。
驚きに目を瞠ったかなたは、こくりと息をのみこむ。
咽喉が上下する動きが、相手の手がそこにあることで強く伝わって変な感じがした。
若草色の瞳はやわらかく細められているのに、宿った冷たさを容赦なく浴びせる。それでもかなたは、一拍の間を置くと片眉をあげて唇に弧を描いた。
「……こんな場面を見られたら、大好きなイルディークさんに嫌われてしまいますよ」
手には、力が込められていない。
指先が皮膚にかかっている感覚はあるが、呼吸を阻害するような力はない。ただそこに添えられているだけ。かなたの首を、とらえているだけ。
まっすぐと向けられる視線に、かなたは困ったように微笑む。
エーデの言いたいことはこれ以上ないほどわかっているのだ。意地悪く口の端をあげた顔をすぐに崩したかなたに、相手は静かに続きを待つ。
それにかなたは、やはり困り顔のまま笑った。
「知ってるよ、みんなが生きてることなんて。知っては、いるよ」
この絵本や小説のような、映画のような、かなたの現実から遠ざかっているこの世界。
帰れない、ここで生きるしかない。
その言葉を理解しているのに、実感を持てないでいた今まで。魔王様魔王様と声をかけてくれる周りに合わせることで、どうにかこうにか過ごした数か月だった。どこか他人事。中心になって動いているはずなのに、それとなく一歩引いてしまっていた。それを、このおとこは気づいていたし、こうして咎めているのだ。
「でもよくわからないんだ。わたしが誰なのか、ここがどこなのか」
ようやく、慣れてきた。
だからこそぼんやりとする時間も増えた。それだけだ。それだけのことなのだ。
毎日寝起きして、迷いの森の魔族たちと触れ合って、ようやく、彼らの温度を実感する。実感することができるようになってきた。それこそ、夢から覚めるかのように。
「だからただ、生きるだけだよ。エーデさん。わたしはここで生きるしかないから、自分がやりやすいようにするしかないんだよ。エーデさんから見たら夢見心地で千鳥足だろうけど」
もう、目は覚めている。たとえそれが、寝ぼけ眼であったとしても。
ゆっくりと離れていく手に、ほっとため息がこぼれる。首元にわずかに残った体温を自覚する前に、その手がかなたの頭をぽんと叩いた。




