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地平線と彼方  作者:
本編
10/68

10.勇者の旅立ち、魔王の帰還2

 かなたのイメージでは、勇者というと熱血で白と黒をはっきりつけるような少年である。

 アズの話を聞いた限り高校生くらいの少年ということだから、ひとまずその人物像がくずれずにすみそうだ。これで実際に本人を前にしたら、ビール腹でメタボなおっさんだったとか、ストレスで胃をやられちゃっているようなサラリーマンみたいな人でショックを受けるなんてことは嫌だ。

 逆にボンキュッポンの美女だとか、天然系少女とか、はたまた人間じゃなくてドワーフとかエルフだったとか、そういう変化球なら歓迎なのだけれど。

 どんな人かなあー問答無用で殺されかけたりするのかなー

 のんきに物騒なことを思いながら荷造りしているかなたを、ちらちらとイルディークがうかがってくるが一切無視した。

 この小旅行が彼にとって不本意なことは言うまでもないが、そのわりにかなたの荷造りを手伝っているのだからまったく。

 いいですか、とまた始まった小言をはいはいと慣れた調子に聞き流した。


 どうやら勇者の卵はひと月前に【風車の町】を発ったらしい。

 今はいろんな町で情報を集め、周囲の森や山、洞窟などの奥深いところに踏み入っては魔族の姿を探しているとのことだ。町で魔族がうっかり鉢合わせてしまうと、問答無用で追い立てられているとも聞く。


 アズが新たに仕入れてきた情報をもとに、かなたたちは旅支度をして迷いの森を出た。

 最後まで気が進まない様子だったイルディークは、準備の間も隙あらばかなたの気をそらせないものかと手を尽くしたが、もちろんかなたの気がわかることはない。

 むしろ旅行の支度をするかのように楽しげなのであった。


 魔族たちには勇者現るのおふれを出し、外の町に出るときには魔力と耳を隠すこと、戦闘になったら無茶をしないで逃げること、逆恨みして直接関係のない他の種族に危害を加えないことなどを伝えた。

 かなたが勇者の顔を拝みにいくことも一緒に広がっていったようで、町に顔を出すとやたらと心配な顔で薬草やらパンや干し肉やらを渡される。

 イルディークとアズも付き添っているから、魔王様を頼むぞ! 無茶しないように目を離しちゃダメよ! なんて声もかけられていた。なんだろう、すでに無茶する前提な気がする。


 そういえばシルジルも外に行きたいと言ってたなと、かなたが酒屋である【大いなる恵み】を訪ねたところ、数日前に張り切って出かけて行ったと言われてしまった。

 シルジルの母親である女将は、気をつけていってらっしゃい! と恰幅のよい太い腕でかなたをばしばし叩いた。


「いいですか、耳を隠したといっても魔王様の魔力は尋常ではないことを忘れないでください。気を抜くと抑えきれずにこぼれてしまいますからね」

「うんうん」


 綿の長ズボンはポケットが側面にもついていて、そこにハンカチとリップクリームを入れる。裾はブーツに突っ込んだ。

 やわらかい生地のシャツの上にベスト。身軽で動きやすい恰好だ。こんな恰好をするのは初めてだから、よけいに気持ちが弾んでしまう。


「私かアズのどちらかと必ず一緒に行動をしてください。最悪、エーデでもいいです。間違っても、おもしろそうだからとおひとりではぐれないでくださいね」

「うんうん」

「すぐそこだから、もだめです。どれだけ近くても少しの間でも、おひとりでの行動は厳禁です。今の魔王様は魔術の扱いに慣れていらっしゃらないのですから、万が一にも危険な状況になった場合おひとりでは対処できません。なにかあってからでは遅いのです。念には念を入れてください」

「はいはい」


 着替え、タオル、歯ブラシ、財布、水の入った水筒。準備しておいたものをリュックに詰め込んで、最後に腕時計をはめる。


「体調が悪いときは――」

「エーデさんにすぐ声をかける。あとは、勇者らしき人を見つけても無闇に近づかない。わかってますとも」


 じいいいとファスナーを閉めて荷造りを締めくくると、かなたはイルディークをようやく振り返った。

 朝からずっと小言を並べられているが、どれもこれも三度はもう聞いた内容なので生返事である。はいはいと軽くあしらうと、イルディークはますます不満顔になった。

 もう一度旅の心得を復唱しようとでもしたのか、彼がまた口を開こうとしたのだが扉をノックする音がそれをさえぎる。かなたがこたえるとアズが顔を出した。

 さすが常識人。タイミングがよい。アズのポイントが加算される。


「魔王様。準備は」

「できてますよ」


 胸を張ってにっこり笑うと、うなずいたアズの後ろからエーデも顔を出した。

 彼らはすでに整っているらしい。あまりいつもと変わらない格好だが荷物と上着を手にしていた。


「それじゃ、まだ駄々こねてるイルは置いていくの?」

「エーデ、なにを馬鹿なことを。私も行くに決まっている」


 憮然としたイルディークはきっぱり言ったが、この場で一番支度ができていないのは間違いなく彼だ。


「イルディークさん、準備は?」

「すんでおります」


 ぐっと手を握るとその拳を中心に魔力が集まる。魔力を帯びた手のひらをかざして床に荷物を呼び出した。取りに行くのも惜しいのか。魔力の無駄遣いである。

 そんなに目を離すのが嫌なのかとエーデがものすごく呆れた顔をした。




 勇者は魔王の情報を探して各地を点々としているので、足取りを追って立ち寄るだろう町へ行くことにした。

 何日もかかる移動は避けて、魔術を駆使する。現在地からの方角と行く場所の座標がわかると移動できるそうだ。いろんな町を行き来しているアズが主に担当してくれた。


 迷いの森から出てみっつ目に訪れた町でようやく四人は腰を落ち着けることにする。

 この町が勇者の通り道になるのだという。大陸の南側にある【砂塵の町】は、砂漠に面したやたらと暑いところで、アフリカ大陸に海外旅行に来たような感覚に陥った。

 低い石造りの建物は屋根が平で凹凸が少ない。吹く風には細かい砂が混ざるので、町の人も旅人もみんなフードつきのマントを羽織っていた。サウジアラビアやエジプトなどの砂漠のある国の光景とよく似ている。


 勇者は最南端の【白夜の町】を目指しているらしく、その手前にある【砂塵の町】に必ず立ち寄るだろうということなのだが、もう少し涼しいところを目指しているときにすればよかったとほんの少しかなたは後悔した。

 それを口にするとイルディークが帰ろうと言い出すのも目に見えているので絶対に言わないが。


「ここでもやっぱりパンかあ」


 町が帯びるとろりとした暑さにぐったりとしながら、かなたは夕食の席で思わずこぼす。

 迷いの森にいたときから毎日のことだから今さらではあるが毎食毎食パンが主食として登場する。地域によってはイモ類というところもあるが、その他にはかろうじてたまにパスタが出てくるくらいだ。

 八割がパン。やわらかくてふわりとちぎれるもの、フランスパンのように硬いもの、ナンのようなもの。種類は豊富にあるがパンはパンだ。いい加減飽きた。


 【砂塵の町】はナンのようなパンが主流らしい。

 どこからどう見てもナンであるそれを、一緒に出されたスープやソースにつけて食べるか、具を混ぜ込んで焼くか、乗せて焼くか。

 野菜とチーズをのせて焼いたナンを食べながらため息をつくと、同じものをちぎって口に運んでいたアズが表情を変えずにうなずく。

 がたいがよく姿だけでは剛毅な印象を与えるアズだが、思いのほか上品な振る舞いをみせるので見ていると結構おもしろいなあなんてこっそりと思う。

 ちまちまとパンを口に運ぶ手を止めた琥珀色の瞳がかなたを映した。


「暑い地方だが、夜は逆に冷える。辛めのソースとスープ、それにひたしたパンがほとんどだ。酒もやたら強いものが多い」


 砂漠は温度差がすごいと学生のときに聞いてはいたが。そういえば気温は徐々に落ちている。

 かなたはマントの首もとをきちんと止めてからパンにかぶりついた。玉ねぎの上にとろけたチーズが伸びておいしい。おいしいのだけど。飽きたよ。ナンでピザを作ったようなもので、結局それはパンじゃないか。

 かなたはスパイスの効いたスープを睨んだ。


「魔王様、料理がお気に召さないのでしたら――」

「かなた」


 すかさず迷いの森に帰ろうと進言しようとしたイルディークをさえぎって、かなたはじっとりした視線をお見舞いした。

 お忍びだ気を抜くなとうるさい人が一番うかつなことをする。かなたはため息をついた。


「イルディークさん、呼び方を直さないと意味がないって言ってるでしょう。――減点」

「うわあ、今日で五点失ったねー。四日合計で十九点か。その調子で三十点まで頼むよイル」


 出発するときの決まりごととして、かなたが挙げたのは魔王様という呼び方を改めることだった。

 もともと魔王という自覚がないに等しいかなたは、自分のことを呼んでいるのはわかってはいるが他人事のような気持ちになってしかたがない。

 以前から名前呼びにしてもらおうと思っていて機会をうかがっていたので、正体がばれたらいけませんと口うるさく言われるこの旅は改める場としてちょうどよいのではないか。


 設定は旅人四人組ということなので、かなたより年上に見える彼らが敬語なのもおかしいだろうと、ついでにそこも直すよう言っておいた。

 想像するまでもなく難色を示したのは若干一名。他二名はすんなりと受け入れてくれて今に至る。

 苦虫を噛み潰したような顔で押し黙ったイルディークは、エーデをひと睨みすると眉を下げてかなたをうかがう。しゅんと肩を落として若干涙目だ。


 ちなみに、イルディークの減点については旅最後日の夕飯までの合計点を各々が予想している。エーデは三十点より高い、アズは二十五から三十点、かなたは二十から二十五点。最終日の夕食メニューを賭けたしょぼい内容だが、意外と三人のなかでは盛り上がっていた。

 けたけた笑うエーデを無視してかなたは真面目な顔で傍を見つめる。


「慣れないのはわかるけど、次に呼んだら返事しませんからね」

「魔王様っ」


 二十点~! これでカナタの分が悪くなってきたね。

 にやにや笑んだエーデが憎たらしい。うっかりやらかしたイルディークをまったく見ずに、かなたはテーブルの下でエーデの足を軽く踏んでやった。

 いい度胸じゃない、と笑みを深めたエーデがかなたの皿からデザートのマンゴーを奪っていく。ちょっと足を踏んだだけなのに! 代償の大きさにかなたが唇を噛む。俺のを食べろと、アズがかなたの皿にマンゴーを移してポイントを稼いだ。

 今いるのは宿屋の食堂で、宿泊客がテーブルごとで盛り上がっているのと強い風の音のおかげで、幸いにもイルディークの不用意な呼び方は周りに聞こえていない。けれども、念には念をと言ったのは誰だったか。


 聞こえない効果音を察しながら、かなたはご機嫌にマンゴーをフォークで刺す。気を抜くとエーデのフォークが伸びてきそうなので、そのまま素早く口に運んだ。

 いい加減イルも割り切らないと命取りなんじゃないの? 気だるげなエーデの声に恨めしそうな氷の視線が投げられた。


 それにしてもマンゴーはうまい。夜に寒くなる気候なのによく栽培できるなあとあまさを噛みしめながら思う。アズが言うには、町から離れたところから収穫してくるらしい。迷いの森では手に入ることがなさそうなので、これは買えるだけ買って帰ろう。ごくんと飲み下しながら、かなたは手持ちのお金とマンゴーの値段で計算を始めた。


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