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*1*
3月。夜、マニキュアを塗っていたら、高峰から電話が来て、これから映画に行くのだが一緒にどうかと言われた。私の右足の爪はちょうどサーモンピンクに染まったところで、着ているものといえば風呂上がりで珍しく汗が引かないので上下とも下着だけだった。
私は電話口に「行きたいけれど準備があるから12時まで待っていて」と言って通話を終了した。立って窓を開けると夕方から降っていた雨は止んで、あたたかい湿気を孕んだ夜風がのろのろと動いていた。
私は出掛ける支度を始めた。Tシャツを着て丈の短いスカートを穿き、髪を乾かし、薄く化粧をした。口紅はある中から一番赤いものを選んだ。
私は本来、外出が嫌いだった。友だちからの遊びの誘いも、一度は受けるが、当日の朝に急に面倒になって、適当な理由を付けてキャンセルしたりすることもある。
しかし。
高峰に会える日は壊れそうになる。
何を投げ打ってでもそちらを優先させてしまう。
私はとびきり奇麗な女になる。
*2*
待ち合わせの映画館は大通りに面していて、夜中までずっと開いている喫茶店の立ち並ぶ一角にあった。
高峰は、そこの暗くて奥の見えない入り口に立っていた。
「今日は何曜日だ」
私が駆け寄るやいなや、彼は私にそう訊いた。私は木曜と言いかけて、既に日付の変わっていることを思い出した。
「金曜よ」
金曜。魔物の棲む金曜。
「今日、学校か」
高峰は言った。私は黙って頷いた。高峰はきちんと、私の目を見て話してくれる。私は上手にその目を見返せない。
「行こう」
私は言った。往来する、タクシーと怪しげな黒い車たちを背にした。
「何を見るの」
「ニキータ」
高峰は窓口でチケットを買い、1枚を私に渡してくれた。私は喉が渇いていたのでひとりで売店のジンジャーエールを買った。そしてふたりで8番スクリーンの席に座った。私たちの他に誰もいなかった。
「いつもこの時間に、来てるの、映画?」
私は高峰に訊いてみた。
「仕事があんまり休めないから、まあ大体」
「ふうん」
ニキータ。私はその作品を良く知らなかった。名前だけ聞いたことのあるくらいだった。政府に殺し屋として雇われた美しい女の話だった。主演女優の名前を高峰に訊くと、「アンヌ=パリローだ」と教えてくれた。
「この女優さん、好きなの?」
私は訊いた。
「うん。女優は別にそんな……話の内容が好きなんだ」
「ふうん」
じりりりり、と、上映ベルが鳴った。主人公が、と高峰は言った。
「主人公が、良い女なんだよ」
私ははっとして彼を見た。彼は心なしか微笑しているようだった。得体の知れない、熱くてとろりとしたものが胸の奥にじわりと染んだ。
良い女。高峰にそんなことを言わせる、女のひと。
「……楽しみ」
私は言った。
暗くなる場内に合わせて語尾もフェードアウトした。
私は高峰が好きだった。私たちは町外れの寂れたビリヤード場で2年前に出会い、彼はそこで働いていた。英語とスペイン語を流暢に操ることを得意としていた。
高峰は