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第1幕 3場続き
引き続きボルマンの部屋。
ゲッベルスと入れ違いにヒトラーの主治医のモレルが入ってくる。手には大きな医療カバンと木製のトランクケースを持っている。
モレル「おはようございますボルマン様」
ボルマン「おはようございますモレルさん」
モレル「実は頼まれていたものが昨日手に入りましたのでお持ちしました」
ボルマン「ああ、それはありがとうございます。早速お見せいただけますか」
モレル「はいボルマン様」
モレル、木製のトランクケースを床に置きその中から手のひら大の小さな小瓶を幾つか出してボルマンに渡す。
ボルマン「ほお、これがそうなのですね」
モレル「はい。言われたとおりちゃんと全員にいきわたる量を手配しました」
ボルマン「一人分は瓶ひとつなのですか」
モレル「はい」
ボルマン「効き目の程は?」
モレル「ユダヤ人で実験した結果、申し分ないかと」
ボルマン「結構」
ボルマン、机の中から封筒を出しモレルに渡す。
ボルマン「無理を聞いてくださったお礼として少し色を付けておきました。外貨建てはドルがよろしいでしょう」
モレル「ああ、ありがとうございいますボルマン様」
モレルはしゃがんで瓶を片づけ始める。ボルマンは立ってそれを見下ろしながら話す。
ボルマン「ところで、総統閣下のいつもの薬は持ってきておられますか?」
モレル「はい、有ることは有ります。しかし先日お渡しした分量でしばらくは持つはずですが?」
ボルマン「それがもう薬は無いのです、全て使ってしまいました」
モレル「え、この短期間であの量を使い切ったのですか」
ボルマン「はい」
モレル「総統閣下おひとりでですか」
ボルマン「はい」
モレル「そんな。あれはとても強い薬です、確かに効果はありますがいかに良薬と言えども適量を超えて使ってはかえって体の毒に」
ボルマン「総統閣下のご病状はそれほどまでに深刻なのです。既に普通の分量では効かなくなってしまっているのですよ」
モレル「だからと言ってそれはいけません。病気を治すどころかかえって健康を損なってしまいます」
ボルマン「総統閣下が薬を求められるのです、私としてもそうは思いますが、これは致し方ないことなのです」
モレル「お待ちくださいボルマン様。私は医師として総統閣下のお体を健やか保つという義務があります。一度総統閣下とよくお話をさせて下さい」
ボルマン「それは構いませんが、今はできかねます。お休み中は起こしてはならないという至上命令でございますので」
モレル「では日を改めてまた伺うことにします、薬はその時に」
モレルは片づけを再開する。
ボルマン「今お持ちの分の薬は頂けないのですか」
モレル「申し訳ありませんが」
ボルマン「どうしても薬は渡せないとおっしゃるのですね」
モレル「・・・はい」
双方しばし沈黙。
ボルマン「結構。では頼んだ物だけを受け取ることにしましょう」
モレル「申し訳ありません」
ボルマン「良いのです、あなたのお考えは医師として当然のことと言えるでしょう。立派なものでございますよ。ただ、いつもの薬と少し違う瓶薬を渡された総統閣下はどうお思いになるでしょうね」
モレル「それはどういうことですか」
ボルマン「この瓶の中身が何であるかについてはあなたと私しか知りません。仮に、モレルさんが来ていつもの薬が手に入らなかったので替わりにこれを置いていったと総統閣下にご説明してお渡ししたとしましょう。そこで総統閣下は何のお疑いもなくこの瓶薬を体に入れようとなさるでしょうか?いいえ、それはあり得ません。このところのご心労で疑心暗鬼になっておられる総統閣下は、ご自分で飲まれる前に先に誰かに飲ませます、必ずです。すると、どうなるでしょうか」
モレルは絶句する。その表情を見ながらボルマンは続ける。
ボルマン「犯人を捜すのは楽でしょうね、これほどまでに分かりやすい人物はモレルさん、あなたを於いてほかにありませんから。私が疑いを向けられることは有りません。総統閣下から全腹のご信頼を賜っている私は、総統閣下ともどもむしろ被害者の側になることでしょう。あなたがゲシュタポかSSに逮捕されてここでの会話を話したとしても、それは全く信頼されないでっち上げの嘘として扱われ、あなたは即刻銃殺刑になります。逃げることなどできません、どんなに声を大きくして叫んでも誰からも信用されません、真実はあなたの命とともに闇に消えることになるでしょう」
モレルは青ざめた表情で硬直している。ボルマンはしゃがんでモレルの肩に手を回す。
ボルマン「今言ったことは仮の話です。どうかご心配なさらないでくださいモレルさん、だた、あなたが薬をお渡しくださればこのようなことは決して起こらないのです」
モレル、震えながら医療カバンから薬を取出しボルマンに渡す。
モレル「・・・お渡しします、ボルマン様」
ボルマン「結構」
ボルマンは立ち上がり、机の引き出しに薬をしまう。その間モレルは慌ててカバンを片手に部屋から逃げていく。
モレルがいなくなった後、ボルマンは床に残されたトランクケースを目立たない位置に運ぶ。そして再び机に座って書類を見ながら一言。
ボルマン「遠からず始末しましょう。計画完遂は目前です、邪魔な者は消えて頂きます」
続く
3場はまだ続きます。
モレルというのはヒトラーの主治医のような立場の人物で、実在します。
ヒトラーが適量以上の薬を飲んでいたことも事実ですが、それがモレルの指示なのか、ヒトラーの意思だったのか、あるいは他にそのように仕向けた人物がいたのかどうかについてははっきりとわかっていません。
それを利用して、今作ではボルマンの意向ということにしました。
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