六、事の絶望
再び四人を長い沈黙が包み込んだ。昇は膝を着いたままで、その正面で微笑む由美とそれを憎々しげに見る観月。そして困惑顔を浮かべた美保。その長い沈黙を破ったのは、意外にも美保だった。
「華紅夜玲子って誰よ……。私は正真正銘の地球で育った人間よ!」
由美に向かって大声をあげる。一方の由美は、肩を竦めて不敵に鼻を鳴らした。
「華紅夜、分からないのも無理ないわ。地球に送られた者は記憶を消される。でも、安心なさい」
由美は今度こそ静かに微笑むと、次の言葉を紡いだ。
「五十年の期限が来れば、あなたは記憶をすっかり取り戻すことになるから」
「え……」
美保はさらに困惑顔を歪めた。自分は地球で生まれたただの人間ではないのか。月でどんな犯罪を犯してしまったのか。疑問は次々と浮かんでくる。しかし、そんな美保の思考も由美の言葉に打ち壊された。
「その代わり、地球での記憶は全て消えるわ」
「……っ!」
一瞬、美保だけでなく昇の肩も跳ね上がった。観月は唇を噛み締め、拳をぎゅっと握っていた。
「美保は……」
「……?」
突然、黙ったままでいた昇が口を開いた。由美は改めて昇に向き直ると、昇の言葉を待った。
「美保は、どんな罪を犯したんだ……?」
今の昇には、その質問が精一杯だった。もっといろいろと聞きたいことはあるのに、本能に邪魔をされて言葉を紡ぐことができないでいる。
「あなたには関係ないわ」
しかし、その質問すら由美にばっさりと切り捨てられてしまった。
「邪魔するつもりかしら?」
由美は口の端をいやらしく吊り上げ、目だけを動かして観月の方を見た。
「うるさい……っ」
観月はキッと由美を睨みつけたが、その行動が肯定を示しているようであった。
「そう……。でもね、華紅夜は百五十年の刑期を終えようとしているの。故郷に帰る邪魔立てを、どうしてあなた達がする必要があるの?」
「っ……!」
由美の言うことは尤もだった。昇も観月も、それ以上は何も言うことができなかった。
「……ちょっと待ってよ」
今までその口を閉ざしていた美保が、途端に言葉を搾り出した。
「私は物心ついた頃にこっちに引っ越してきて、ちゃんと成長もしてる! それなのに、百五十年も地球に居たわけないじゃない!」
「え……」
そこで、声を漏らしたのは昇だった。昇は膝立ちから普通に立ち上がると、美保の方を振り返った。
「地球に居る期間は、五十年じゃないのか? なんで百五十年なんだよ?」
由美を見ると、いちいち説明しなくてはいけないのが煩わしいのか、由美は眉を潜めた。
「……華紅夜がそうさせたからよ」
「なに……?」
昇はまだ理解ができていない様子だった。観月の方を見て説明を求めるが、自分の口からは言えないといった様子で観月は顔を伏せた。
「解放期限の五十年が来る度に、華紅夜は罪を新たに犯して期間を延ばしていたのよ」
由美はそれを見兼ねて説明を付け加えた。それを聞いて、昇は信じられないといった表情で美保を見た。
「馬鹿なこと言わないで。百五十年も生きてるわけないじゃない……」
美保もだんだん自分のことに自信がなくなってきたのか、語尾が弱々しくなっていた。
「そう思うのも無理ないわ。橋田美保は華紅夜の容れ物にすぎないから」
「「……っ!?」」
由美の突然の言葉に、昇と美保は固まってしまった。観月だけが、悔しそうに握った拳にさらに力を入れていた。
それを一瞥しただけで、由美はさらに言葉を続けた。
「本来なら橋田美保という人物は別にいるの。そこに華紅夜という人物が入っているだけ」
わかった? と昇の方を見てニコリと微笑むと、由美は一歩前へ出て美保の手を掴んだ。
「さぁ、もう迎えは来てるわ。行くわよ華紅夜」
由美がグイとその手を引っ張ると、美保は由美の隣へと誘われてしまった。
「昇っ……」
月の住人の不思議な力のせいか、美保は抵抗が出来ずに目に涙を浮かべていた。由美は美保を引っ張りながら歩きだす。
「あぁ、それから」
由美はふと思い出したという仕種をして、振り返った。
「橋田美保の身体は返すわ。華紅夜が抜ければ人格は戻るから大丈夫よ」
不敵な笑みのままそうとだけ言うと、美保を連れて廊下の先の暗闇へ消えてしまった。
昇と観月だけが取り残された夜の校舎内。紫色に輝く光が辺りを不気味に照らし出し、同時に二人の心情までもを表しているようだった。
「観月、知ってたのか?」
「……ごめん」
昇が力無く質問をすると、観月もまた力無くそうとだけ答えた。再び沈黙が漂う。
「なんで言わなかった?」
昇は観月の方を見ようともせずに、ただただ力無く質問を続けた。観月は昇の顔を恐る恐る見つめて、なかなか口を開けないでいた。
「……ごめん」
やっと絞り出した答えは、先ほどと同じものだった。その態度が癪に障ったのか、昇は観月の両肩を掴んでそのまま壁に押し付けた。
「……っ」
突然の行動と痛みに観月は顔をしかめた。ふと昇の顔を見ると、観月は昇が怒ったのはそれが原因ではないとわかった。
「わるい……」
昇は肩を握った手の力を緩めると、ゆっくりとその場に膝をついた。観月は何も言うことが出来ずに、壁にもたれたまま昇を見下ろしていた。
またしても辺りに沈黙が訪れる。観月は唇を噛み締めながら、自分の所業を呪った。
「なぁ、観月……」
ふいに、昇が俯いたままで話し掛けてきた。観月はなぜかわからないが驚いて、昇の頭を見つめた。
「美保を……取り戻せないのか……?」
「……っ!」
観月は予想もしていなかった昇の言葉に、驚きを隠せない表情を浮かべた。
昇はそのままの格好で言葉をぽつりぽつりと紡いだ。観月はただ黙って聞くだけだった。
「今の美保は……俺達と過ごしてきた美保は……消えちまうんだよな……?」
昇の言葉は語尾が弱々しく、声が震えていた。観月は拳を握りしめた。
「もう……美保には会えないんだよな……?」
観月は胸が締め付けられたかのような錯覚に陥った。自分は分かっていたつもりのことであったが、改めてその事実を耳にするとなんとも拭い難い焦燥感が観月の頭を襲った。
昇はそれ以降何も言わな区なり、観月はしばらく黙っていたが、やがてその口を開いた。
「……行こう」
「え……」
観月の言葉が意外だったのが、昇は反射的に顔を上げた。その双眸には濡れた跡が見て取れたが、観月にはむしろそれが心地好かった。
歯を出して笑顔になり、昇を諭すように続ける。
「月に戻るためには船が必要なんだ。その船はかなり大きいし、地球の人間には視認できてしまう」
突然観月が専門的なことを語りだしたので昇は戸惑ったが、すぐに内容を理解する。
「つまり、船のある場所はあそこしかない」
観月は右手の人差し指を立てると、自分達の真上を指して自信ありげに言った。
「屋上だ」
「で、でも、さっき俺達がいた時にはそんなでかいもんなかったぞ?」
昇はやっと喋れるまでに回復し、観月の話の中で気になったことを聞いた。
「それは……」
観月もそこだけは合点がいかなかったのか、考え込んでしまった。しかし、すぐに弾かれたように顔をあげた。
「そうだ! 階段室の裏側にあったんだ!」
「なるほど!」
昇も観月の説明に納得がいき、その表情に笑顔が覗いた。
浜平学園の屋上は前述した通り、かなり広い。全校舎の屋上を繋ぎ合わせて広大なスペースを確保したために、屋上へと続く階段室はなんとも中途半端な場所に出来てしまった。階段室の裏には水道タンクやガスタンクなどの機材が設置されており、生徒が近付くこともなくその興味を示されることもない。
「よし、さっそく行こう!」
観月が屋上へ向かおうと階段に入りかけたところで、昇に動きがないことに気付く。
「どうした、昇?」
観月は不思議そうに昇の顔を見た。その表情は、今までにないほどに真剣な眼差しで、何かを決意したかのような力強さがあった。
昇は一度深呼吸をすると、真っ直ぐに観月を見据えた。
「なぁ、観月──」
屋上の階段室の裏側、タンクなどの機材が大量に設置されているその数メートル上空に、巨大な船が浮いていた。
そのフォルムは潜水艦を彷彿とさせるもので、尻すぼみした楕円形であった。
その側面の入口とおぼしき場所からは、地面へと光の階段が伸びていた。その階段へ促すための通路を作るように、スーツ姿にうさぎの被り物をした者達が蒼然と並んでいた。
「さぁ、華紅夜」
美保は、背中を由美に優しく押されて体が一瞬震えた。この程度の人数なら自分だけでもどうにかなると踏んでいたが、それは甘かった。
由美に掴まれた腕を振りほどけなかったのは恐怖による威圧感などではなく、何か不思議な力によるものだと先刻改めて感じた。
「そんなに怖がることないわ。時がくればあなたは華紅夜としての人格を思い出し、『橋田美保』であったことなどすぐに忘れるわ」
由美はニコリと微笑んだが、その笑みは美保の恐怖心を煽るだけだった。声を出そうと思っても、うまく出すことができないでいる。
美保は、目頭が熱くなるのを感じて、今さらながら自分を情けなく思った。
「大丈夫よ。あなたの人格が変わっても世界では『なかった』ことになるから。ただ、翁魅君には影響がないわ。私達と接触してしまったものね」
由美はくすくすと薄気味悪く笑い出した。美保はギュッと目を閉じ、心の中でひたすら助けを求め叫んだ。
その刹那──
「美保!」
「……っ!」
突然の自分を呼ぶ、求めていた声を聞いて美保の表情の曇りが薄れた。
振り返り、声の主を探す。その姿はすぐに見つかった。美保は声が出なかったことなど忘れ、その名を呼んだ。
「昇! 観月!」
「あら、早かったのね」
由美は相変わらずの不敵な笑みを崩さず、ゆっくりと昇と観月を見据えた。
「美保を返してもらうぞ」
昇はあくまで強気に、由美に訴えるように告げた。しかし、由美の笑顔は絶えない。
「くすくすくす……」
それどころか、由美の笑みはどんどん気味の悪いものに変わっていく。昇は一瞬たじろいでしまった。
「ここまで来れたのは大したものよ。まぁ、弓原看守官の入れ知恵かもしれないけど」
由美はどことなく妖艶で不気味な雰囲気を纏ったまま、楽しそうに話している。昇達は、その様子が意味するものが理解出来ず呆然としていた。そして、由美の口から衝撃の一言が告げられた。
「……時間ね」
「……っあ!」
美保の身体が一瞬跳ね上がり、その場に力無く座り込む。月の紫色の明かりは輝きを増し、美保の姿を闇夜の中に鮮明に映し出していた。
辺りが黙って見守る中、美保が口を開いた。
「なんの騒ぎじゃ……?」




