二、鬼ごっこ
昇はひた走っていた。彼の前には美保と観月が走っている。三人とも部活には所属していないが、美保と観月は学年でも取り分け運動神経が良かった。
「泥棒は西棟にいたから、俺と美保は昇降口、観月は南棟から行くぞ」
浜平学園の構造は簡単に言って、カタカナの『コの字』をしている。ちょうど『コ』の隙間がある方が北に属し、昇降口である。そこから校舎は東棟、南棟、西棟と分けられる。さらに渡り廊下を隔てて四棟の講義室校舎が存在する。本校舎は職員室や資料室などが点在しているだけだった。
「泥棒だから手加減はいらないわよねー」
美保は楽しそうな表情を浮かべながら両手をワサワサと動かした。
「殺さないようにな……」
昇は若干引きながらそう促した。観月も冷や汗をかきながら激しく頷いた。
「さすがにそんなことしないわよっ!」
「へいへい……。でも去年のこと忘れんなよ」
「あ、あははは……」
昇の何気ない一言に美保は苦笑いしてそっぽを向いた。
美保は中学校の頃から護身術として、合気道、柔道、空手など格闘技には端から手を出していた。その腕前は大人も舌を巻くほどである。
そして去年の出来事。美保は学校の帰り道、すっかり暗くなった時にナイフを持った不審者に襲われた。そして案の定その不審者は病院送りとなり、学校側からの示談で大事には届かなかった。しかし美保は過剰防衛として警察からかなり厳しい指導を受けていた。
「よし、ここから別れよう」
ちょうど西棟の正面に来たところで昇が告げた。二人ともそれに了承し、昇と美保、観月の二手に別れる。昇と美保は昇降口へ向かうために左へ、観月は南棟へ向かうために右へと駆け出した。
昇と美保は校舎の壁づたいに昇降口を目指して走っていた。今二人の右手にある校舎は職員室や資料室だけと言っても、端から端までは三百メートルはあった。
「ところでさ、昇」
昇のやや前方を走っている美保が顔を前へ向けたまま話しかけてきた。声の調子からして疲れてはなさそうだった。
「はぁっ……なん……だ?」
一方の昇はと言うと、美保についていくのがやっとというばかりにバテていた。
「まったく……体力なさすぎ。それでさ、どうやって校舎に入るの?」
美保は昇がついて来れないと判断したのか、ゆっくりとペースを落として歩き始めた。昇も歩き始めて肩で息をしていたが、美保の質問に固まった。美保の顔が眉間にシワを寄せる。
「まさか……」
昇は美保と顔を合わせないように明後日の方向に顔をやって頬を掻いた。
「……ごめん」
「まったくもう……」
美保はぼやきながらポーチを取り出し、いくつかの鍵が付いた束を取り出した。
「それ、何だ?」
昇が不思議そうにながめて手を出すと、美保は鍵を引っ込めて得意そうな顔になった。
「これが生徒会室。こっちが職員室でこっちは……」
美保は一つ一つの鍵を持ち上げながらどれが何の鍵なのか説明し始めた。
「お前、なんでそんなモン持ってるんだよ……?」
昇は呆れ半分、驚嘆した表情で美保に聞いた。美保は鍵を揺らしながらさらに得意そうな顔になって言った。
「こないだ先生や先輩にパシられた時にいちいち鍵の使用許可取るの面倒だったから」
「勝手に合い鍵作ったと?」
「違うよー! まぁ、違くはないけど、違う……」
美保の言い方がよく分からなかったので、昇はさらにまくし立てた。美保はまあいっか、と呟いて説明し始めた。
「ウチの学校って教室無駄に多いじゃん?」
「まぁ、そういう学校の造りじゃないとな」
浜平学園は本校舎だけでも約五十の教室が設けられている。その中に貯蔵された資料はもはや数えられないほどだった。
「だからさ、管理のために全部の部屋に鍵あるじゃん?」
美保の言う通り、中には表に出せない資料もあるため鍵等による管理は完璧だった。
「鍵使うには先生の使用許可が必要なんだけど、生徒会の仕事とかって資料室に何回も入るの。だから、何代も前の生徒会長が合い鍵を……」
「なんつー生徒会長だ……」
昇は美保の話を聞いて落胆した。まさか生徒会でそんなことが成されていたとは、誰も思わないだろうから。
ちなみに、美保は普段の姿こそおてんば娘と呼ぶに相応しいそれだったが、やることはキッチリやる奴だった。そのためなんだかんだで先生や先輩からの信頼は厚く、こうして生徒会の仕事を手伝わされることが少なくない。
「っと、着いたな」
昇と美保はものの五分とかかることなく昇降口に到着した。ガラス越しに見る薄暗い校内は不気味な雰囲気を醸し出していた。
「よーし、開けるわよ」
美保が鍵の束をジャラジャラとさせながら扉の下に付いた鍵穴を探り始める。昇は誰かが来ても大丈夫なように辺りを見回していた。「改めてこうして見ると、やっぱデカイんだな」
昇は少し感心したように声を漏らした。いくら大規模と言っても、普段は人混みでごった返している玄関広場。人の気配が感じられないからか、昇はいつもよりも広く寂しいように感じていた。
「あれ?」
「開いたわよー」
昇は校門の影に何かが見えたような気がしたところで、美保に声をかけられて振り向く。
「あ、あぁ……」
「さぁ、捕まえるわよ!」
勇んで中に進む美保の後を追いながら、昇はちらりと校門を振り返った。しかし、闇の中に異変は全く見られなかった。
「わー! 暗くてなんかドキドキするわね!」
校内に入ってから数分。美保は普段と違う雰囲気を楽しんであちこちを見回っていた。泥棒は見つかっていない。
「おい、美保。そんな声出したら泥棒に見つかるぞ」
「大丈夫よー! 昇は心配性すぎなの!」
昇の忠告も聞かずに美保は大声で答える。昇は半ば呆れながら美保の後を追った。
「しっかし、不気味だな」
例の紫色の月のせいで、校内は紫色に染められていた。その光景は本当に不気味そのものであった。さらに校内に誰も居ないというのが、また一段と不気味さを増していた。
「ねぇねぇ昇、ちょっとこれ見てよー!」
いつの間にかどんどん先に進んでいた美保が、一つの部屋の前で昇を呼んだ。何事かと、昇は足早に近付いた。
「どうしたんだ?」
「これよ、これ」
美保は少し屈んで、扉の鍵穴を指差した。昇も顔を近付けて鍵穴を見る。
「なんだこの傷跡?」
昇の言った通り、鍵穴には引っ掻いたような傷跡がいくつも付けられていた。まるで合わない鍵で無理矢理こじ開けようとしたかのようだった。
「ね、この部屋にそんな大したもの入ってないのに」
「何の部屋だ?」
扉の上部に取り付けられた札を見ても、『第二十五資料室』とだけ書かれていた。
「ここはねー、名簿とか生徒会の議案書とか、あとは学校行事のポスターもあったかなぁ」
美保は首を捻って、なんとか思い出したように言った。昇はそれを聞いた途端に思案顔になった。
「名簿やポスターはともかく、議案書には生徒会の出納も含まれる。さらに年間行事の情報も手に入れれば、効率良く一番高い金額を手に入れられるということかもしれない」
昇がそう言うと、美保はさらに首を捻った。
「でも、生徒会の出納帳は学校とは別の口座だし、大した金額じゃないような……?」
美保がそんなことを言ったので、昇は余計に混乱してしまった。泥棒の狙いはもっと別のところなのではないかとまで考え始めていた。
「とりあえず、観月と合流しなくちゃな。行こう」
昇がそう言って廊下の先を見た時だった。月明かりで紫色に染まった廊下の角で、何かが動いているのを捉えた。昇は美保に言おうとしたが、美保の方が反応が早かった。
「待て待て待てー!」
「ちょっ、待てよ!」
美保がいきなり駆け出したので、慌てて昇も追う。美保が角を曲がり、昇もそのすぐ後に曲がる。
今二人が入った東棟の廊下はかなり長い。少し目を懲らすと、走っている人影を見て取ることができた。
「昇っ、早く!」
「だぁあっ、早すぎ! 先行ってくれ!」
「まったく……っ」
美保のペースについて行けない昇はなんとかペースは上げているものの、美保を先に行かせることにした。
美保も昇がついて来れないと分かると、いっきにペースを上げて泥棒に追い縋る。瞬く間に背中に張り付き、捕まえようと手を伸ばした時だった。
「…………っ」
泥棒は素早いステップで身を後ろに投げた。美保の伸ばした腕が空を掻き、その腕が泥棒に掴まれる。
「嘘っ……」
そのまま泥棒が足一本を軸に時計回りに体を捻り、美保はその勢いで壁に叩き付けられてしまった。
「いったぁ……」
美保は腰を打ったらしく、その場に座り込んだまま泥棒を睨みつけた。泥棒はそんな美保を無視して先に進もうとする。
「待てっ!」
やっと二人のもとに駆け付けた昇が泥棒に手を伸ばすが、泥棒に半身で避けられてしまう。昇は重心に引っ張られて前につんのめり、廊下を転げた。
「いっつつ……」
昇は首だけを泥棒の方へ向けた。紫色の月明かりに照らされてその姿は曖昧に把握できた。思っていたよりも小柄ではあるが、立ち振る舞いは威厳あるそれであった。ローブのようなものを羽織っており、顔は確認することができない。
泥棒は二人を一瞥し、駆け足で昇降口の方へ向かった。
「待ちなさいよっ! アンタ、こんなことしてただで済むと思わないでよっ!」
座ったままの美保が大声で泥棒に悪態をつく。すると、泥棒は美保のもとへ歩み寄り、美保に手を伸ばす。
「なっ、何よ! 私とやるっていうの!?」
美保は腕をぶんぶん回して伸ばされた手を防ぐ。が、すぐに腕を掴まれてしまった。
「ちょっと……いやっ……」
「美保!」
その刹那──
──ガシャァアン
「……っ!」
美保の頭上の窓ガラスが割れ、観月が飛び込んできた。そのまま泥棒に飛び蹴りを喰らわせる。
「観月!」
泥棒は蹴られた衝撃で数歩後ろに下がり、美保との間に観月が立つ形になった。その姿は普段の落ち着いた物腰とは打って変わってとても頼りがいのある雰囲気だった。
「ありがとう、観月」
少し呆気に取られていた美保が我に返ってお礼を言った。観月はちらりと振り向くと、微笑を浮かべて頷いた。 と、その時泥棒がゆっくりと立ち上がり、観月を一瞥した。そのまま沈黙が続く。
「…………」
自然と昇と美保も言葉を失ってしまう。まるで世界が止まってしまったかのように辺りは静かだった。
「っ!」
しかしその均衡を破ったのは泥棒だった。ローブを翻し、一直線に廊下を走っていく。泥棒の姿が闇に消えた辺りで、観月がはっとして追い掛けた。
その場に残された二人は、それこそ呆気に取られてしまっていた。
「なんだったんだろうな」
「逃げるくらいならなんで向かって来たのよ……」
昇は美保が握りこぶしをギリギリとさせているのに気付いた。慌てて美保をなだめようとする。
「ま、まぁまぁ。怪我も無かったし、いいじゃんか」
「むー……」
美保はどうしても泥棒を捕まえたかったらしく、かなりふて腐れていた。
二人がしばらく話していると、観月が歩いて帰ってきた。その様子から察するに、逃げられたらしい。
「お疲れ、観月。泥棒は逃げたのか?」
観月は少し申し訳なさそうに首を縦に振った。
「そんな気にすんなって。何も盗られなかったらそれでいいじゃん」
「そうよ、観月。それに、さっきは助かったし」
二人にそう言われて、観月は感謝の念を浮かべた表情になった。
「とりあえず、今日は帰るとするか」
「そうね、来週からは学校だし」
三人は施錠を確認してから、学校を後にした。三人の背を照らす紫色の月明かりが、三人の未来を脅かす影になりつつあった。




