取り巻きAに転生しましたが、取り巻く令嬢がもういません。小物ですが、完璧な悪役令嬢を演じます。
私、エルヴィラ・ノーレンは、取り巻きAである。
正確には、取り巻きAになる予定だった。
乙女ゲーム『薔薇の学園と一輪の花』の悪役令嬢ロザリンド様の、いつも半歩後ろで「まあ素敵ですわ」と言う係。断罪イベントでは一緒に落ちる係でもある。
前世でこのゲームを全ルート攻略した私は、目が覚めた瞬間にその運命を理解して、真っ青になった。
ところが、いざ入学してみると、ロザリンド様はどこにもいなかった。
いや、いるにはいる。むしろ元気いっぱいだ。ゲームの攻略対象ではない幼なじみと、さっさと婚約して、毎日お花畑のような顔で笑っている。
(さすが、転生者。逃げ足が速い)
王太子殿下の婚約者になるはずだった彼女が、入学前に別の人と婚約を済ませてしまったのだ。おかげで王太子殿下には、今も婚約者がいない。
そして、悪役令嬢のいない学園で、取り巻きAの席は宙に浮いた。
つまり私は、ただの子爵令嬢になった。
こうなれば、目立たず、騒がず、そこそこ安全な縁談をいただいて、将来は少しだけ快適な屋敷で昼寝をして暮らす。
それが私の人生計画だ。
完璧だった。ヒロインが現れるまでは。
「クラウス様ぁ、今日も一緒にお昼を食べましょう?」
「ガイ様、お怪我はもう大丈夫ですか? 私、心配で……」
「ジェラルド様、今度魔法を教えてください!」
「殿下、次の週末はお出かけしたいです!」
中庭の真ん中で、ヒロインのリリアナ様が、攻略対象者たちに囲まれて笑っている。
ゲームでは、誰か一人を選ぶ物語のはずだった。
なのに今の彼女は、全員とにこにこ仲良し。
……ハーレムエンドを目指しているのだ。そんなエンド、このゲームには存在しないのに。
「悪役令嬢がいないだけで、そうなるの……?」
私は柱の陰で頭を抱えた。
しかも、被害は恋愛だけで済まなかった。
宰相の息子クラウス様の机には、期限の過ぎた報告書が積み上がっている。騎士団長の息子ガイ様は、最近ずっと訓練を休んでいる。魔術師団長の息子ジェラルド様の研究室は、鍵がかかったままだ。
全員、将来の国の中枢を担う人たちである。
このまま育ってしまったら、国はどうなるのか。
政治が傾く。治安が乱れる。税が上がる。
私の昼寝付き老後が、危うい。
「……困る」
つぶやいてから、はっとした。
別に、国を救いたいわけじゃない。正義の味方になりたいわけでもない。
ただ、私の安寧な生活が脅かされるのが嫌なだけだ。
「仕方ない。必要な範囲で、ちょっとだけ介入しましょう」
これは、あくまで自衛である。
方針は、すぐ決まった。
クラウス様、ガイ様、ジェラルド様の三人には、婚約者がいる。彼らがリリアナ様に夢中になったのは、婚約者との間が冷えていたところへ、ちょうど優しくされたからだ。ゲームのイベントがきっかけだと分かっているなら、同じ手を婚約者に使ってもらえばいい。
問題は王太子殿下だった。
婚約者がいない。奪い返す相手が、そもそもいないのだ。
それなら、話は簡単である。
(王太子殿下は、リリアナ様にお任せしましょう)
彼女には彼女の望む恋愛をしてもらう。私は平穏な生活を守る。お互いに損がない。
ただし、そのためには一つ、足りないものがあった。
ゲームの王太子ルートには、恋を燃え上がらせる最後の一押しがある。悪役令嬢の妨害イベントだ。
そして、悪役令嬢は、もういない。
誰もやらないのなら。
私が、やるしかない。
翌日の放課後。
私は廊下で、リリアナ様の前に立った。
背筋はぴん。扇は口元。視線は少し下向き。
前世で何十回も見返した、ロザリンド様の登場スチルを思い出す。あの角度、あの間。画面の中の彼女を、頭の中で丸ごと再生しながら、私は口を開いた。
「ごきげんよう、リリアナ様」
台詞回しも完璧に再現する。
「身分をわきまえない振る舞いは、お控えなさいな。殿下のお隣は、あなたの席ではありませんわ」
内心は、心臓が口から出そうだった。
(ひいいい、噛まなかった、噛まなかったわよね!?)
リリアナ様は、大きな瞳を見開いた。
そして、ぱっと顔を輝かせた。
「……やっぱり! 強制力、働いてるんだ!」
「はい?」
「ううん、こっちの話です! ありがとうございます、エルヴィラ様!」
ありがとう? 何が?
彼女は嬉しそうにスキップして去っていった。
残された私の肩を、後ろからぽんと叩く手があった。
「いい悪役令嬢っぷりだったわ」
振り向くと、廊下の曲がり角から、ロザリンド様がひょっこり顔を出していた。婚約者の腕に、しっかりぶら下がったまま。
「ロザリンド様!? 見ていたんですか! これはその、演じ……」
言いかけて、はっと口をつぐむ。
「……いえ、私は悪役令嬢なんかでは」
「私が抜けて、席が空いたものね。強制力って、やっぱりあるのね。頑張って」
「いえ、あの、違うんです!」
「大丈夫、応援してるわ」
全然、大丈夫じゃない。
ロザリンド様は婚約者と腕を組んだまま、手を振って去っていった。
演じているだけです、という一言が、喉の奥で行き場をなくしている。
強制力って、こんなに便利な言葉だっただろうか。
王太子ルートの下準備はできた。
さて、次は婚約者たちである。
私一人で全員を元に戻すのは無理がある。知識は私が持っているけれど、彼らに近づいて好感度を上げるのは、婚約者である令嬢たちのほうが適任だ。
幸い、学園は便利な場所だった。身分の違う令嬢でも、同じ教室、同じ食堂、同じ回廊を使う。子爵令嬢の私が、侯爵家や伯爵家のお嬢様に話しかけても、「同級生ですもの」で済む。
私は慎重に、三人の様子をうかがった。
クラウス様の婚約者、シャルロット様。燃えるような赤毛の侯爵令嬢で、最近は食堂の隅で、人を射殺しそうな目をしている。
ガイ様の婚約者、ベアトリス様。おっとりした伯爵令嬢だが、ここ数日は笑顔のまま紅茶を三杯おかわりしている。
ジェラルド様の婚約者、オフェリア様。口数の少ない魔術師団の縁戚で、図書室の隅で、同じページを一時間見つめていた。
三人とも、怒っている。
しかも、全員が怒りを隠しているところが、貴族の娘らしくて、とてもいい。
私は、お茶会の招待状を、三通書いた。
三人にそれぞれ、リリアナ様の話題には触れず「ゆっくりお話ししたいので」とだけ添えて。
サロンに集まった令嬢たちは、全員が完璧な笑顔だった。
完璧すぎて、空気が冷たい。
「ようこそお越しくださいました。今日は、皆様とゆっくりお話ししたくて」
私は優雅に紅茶を注いだ。
(お願い、こぼさないで、私の手!)
「単刀直入にお聞きします」
「皆様はリリアナ様について、どうお考えで?」
サロンの温度が、さらに三度下がった。
「率直に申し上げてもよろしいですの?」
最初に口を開いたのは、シャルロット様だった。
「大変、腹立たしいですわ」
「わたくしも」
「同じく」
三人の声がそろった。
素晴らしい。話が早い。
私は侍女に合図をして、革表紙の本を持ってこさせた。
中身は、私が前世の記憶から書き起こした攻略メモである。
「これは、予言の書ですわ」
ぴくり、と三人の眉が動いた。
「予言の書……?」
「皆様の婚約者様が、どのような言葉に心を動かされ、どのような場所で心を開くのか。それが記されています」
嘘ではない。ゲームのイベントと攻略条件だ。
オフェリア様が、おそるおそる尋ねた。
「それは、リリアナ様が使っている手が……全部分かる、ということですか?」
「ええ。ですが、ただの知識です。使うかどうかは、皆様次第」
私は、にっこり笑った。
背中は汗でびしょびしょである。
「これでリリアナ様が消えるとしたら、最初の一歩を踏み出す勇気のある方は?」
沈黙。
三人は顔を見合わせた。
最初に手を上げたのは、やはりシャルロット様だった。
「……やりますわ」
「さすがです」
「負けるのは、嫌いですの」
その気概、とても好ましい。
私は予言の書の一ページを開いた。
「クラウス様は、夕方、図書室の三階にいらっしゃいます。報告書に追われているはず。そこで、こうおっしゃってください」
シャルロット様の耳元で、台詞をささやく。
ベアトリス様とオフェリア様が、じっと見守っている。
翌日の夕方、私たちは図書室三階の書架の陰に、身を寄せ合って潜んでいた。
「気分はもう、悪巧みの共犯者ですわね」
ベアトリス様が、うきうきと囁く。
「しっ。来ます」
窓際の席では、クラウス様が書類の山の前で頭を抱えていた。
そこへ、シャルロット様が静かに歩み寄る。
「クラウス様」
「……シャルロットか。すまない、今は忙しくて」
「存じております。お邪魔はいたしません。ただ」
彼女は、小さな包みを机の端にそっと置いた。
「お昼を召し上がっていないでしょう? これだけ、置いていきます。クラウス様が、ずっと頑張っているのを、私は見ておりますから」
クラウス様の手が止まった。
「……見て、いた?」
「ええ。誰よりも早く来て、遅くまで残っていらっしゃること。報告書が遅れているのは、怠けているからではなく、完璧にしたいからだと」
ゲームでリリアナ様が、同じ場所で言った台詞とほぼ同じである。
効果は、てきめんだった。
クラウス様は、ぽかんと口を開けて、次第に顔を赤くした。
「……君は、僕のことを、本当にわかってくれるんだな」
(出た! 決め台詞!)
私は書架の陰で拳を握った。
クラウス様は、シャルロット様の手を握りしめ、長い悪夢から覚めたような顔をしている。
「すまなかった。僕は、最近、どうかしていた。君をないがしろにして……」
「分かっていただければ、いいのです」
シャルロット様は涼しい顔で微笑んだ。
ただし、書架の陰に向けて、小さくピースサインを送ってきた。
ベアトリス様とオフェリア様が、私の腕を両側から強く握る。
「エルヴィラ様……!」
「本当に、効くんですのね……!」
私は、優雅な微笑みを浮かべた。
内心では、こうである。
(所詮は子ども、ちょろくてよかった……)
顔にも口にも出さないけれど。
静かに予言の書を閉じる。
「では、次の予言の書を手にする方は?」
二人が、同時に手を上げた。
それから二週間。
ガイ様は訓練場に戻ってきた。ジェラルド様も、研究室の鍵を開けた。
ヒロインのハーレム計画は、あっさり崩れた。
「どうして……? 好感度、全員ちゃんと上がってたのに……」
廊下の隅で、リリアナ様が肩を落としている。
私が通りかかると、彼女ははっと顔を上げた。
「エルヴィラ様……やっぱり、悪役令嬢の力は強いんですね」
「何のことでしょう」
「ううん。仕方ないです。ハーレムは無理でも、まだ王太子ルートがありますから!」
涙目で、拳を握っている。
案外たくましい。
私は少しだけ良心が痛んだ。彼女は悪い人ではないのだ。ただ、自分の望みに素直なだけ。
「……頑張ってくださいませ」
「はい!」
ヒロインは、元気に去っていった。
なんだか応援してしまった。
それよりも、嬉しい誤算があった。
お茶会の三人が、すっかり仲良くなったのだ。
「エルヴィラ様! 今度は四人でお茶を!」
「うちの領のお菓子を持っていきますわ!」
「兄が、エルヴィラ様に興味があるそうですの!」
未来の宰相夫人。未来の騎士団長夫人。未来の魔術師団長夫人。
つまり、将来の重鎮の奥様たち。
(これは……老後の人脈として、最高では?)
友達ができて、将来の安全も確保できた。
完璧だ。
ただし、お茶会が定例になると、令嬢たちは家の話もするようになった。
「そういえば、父が愚痴をこぼしていましたの。今月、王太子殿下の孤児院視察が、また取りやめになったと」
「兄も言っていましたわ。殿下が代わりに、街へ出られたとか」
「しかも、リリアナ様への贈り物の支払いが、公費に回されたと聞きましたわ」
私は、紅茶を吹きそうになった。
「……それは、まずいのでは」
「ええ。殿下の公務の欠席は、今に始まったことではありませんもの」
シャルロット様が、きっぱりと言った。
「父の話では、半年前から、議会で問題になっているそうですわ」
初耳だった。
ゲームでは、ここまで深刻に描かれていなかった。
私は、頭の中の計算を、組み直した。
王太子殿下とリリアナ様の恋は、成就させればいい。ここまでは変わらない。
だが、公費の流用となると話が別だ。恋愛では済まない。
このまま王になれば、国の予算がリリアナ様のドレスに消える。貴族たちの不信が高まる。国が割れる。
私の老後が、危うい。
(まずい。非常に、まずい)
ゲームでは、王太子が王になれなくなるパターンがある。隠しルートの、王弟ルートだ。王弟が玉座に就き、ヒロインはその隣に立つ。
そして、王弟ユリウス殿下は実力主義の人だ。可愛いだけで中身のないヒロインは、好まないはず。
ならば、こうだ。
リリアナ様と王太子殿下の恋は、予定どおり成就させる。そこは変えない。ただ、国の舵取りだけは、殿下に任せられない。
王太子殿下に代わって、王弟殿下が国を治める。それなら国は安泰だ。リリアナ様は王太子殿下のおそばで幸せになれるし、王弟ルートに入る心配もない。
あとは念のため。リリアナ様が王弟殿下の目に留まる前に、王太子殿下の問題点だけを、まとめてお耳に入れておけばいい。
そうすれば、殿下は動く。
「よし。ユリウス殿下に、情報を持っていきましょう」
軽い気持ちだった。
とても、軽い気持ちだった。
とはいえ、子爵令嬢が王弟殿下に会うには、それなりの手順が必要だった。
そこで頼ったのが、お茶会の令嬢たちである。
シャルロット様のお父上は、宰相補佐。ベアトリス様のお兄様は、騎士団の事務方。オフェリア様の伯母様は、王宮の会計院に勤めている。
三人の家を通じて、公費の流れの噂と、視察の欠席記録の写しが、少しずつ私の手元に集まった。
私が自分で調べたものは、学園での殿下の素行と、リリアナ様の周辺の出費くらいである。
それらを突き合わせて、一枚の紙にまとめた。
面会の申し込みは、シャルロット様が、父上に頼んでくれた。
「娘の友人が、殿下にお見せしたい資料があるそうです」
それだけで、通った。
王弟ユリウス殿下の執務室は、静かだった。
壁一面の書棚。机の上には整理された書類の山。窓から差し込む光の中で、殿下は穏やかな笑みを浮かべていた。
三十歳を少し過ぎたくらい。黒髪に、深い青の瞳。
ゲームの隠しルート、攻略難易度最高の男。
(わあ、実物。立ち絵より、目の鋭さが三割増し……)
私は扇で口元を隠し、ロザリンド様直伝の角度で、お辞儀をした。
前世のゲーム画面で見た、あの角度である。
「お時間をいただき、ありがとうございます、殿下」
「構わないよ。ノーレン子爵令嬢だね。面白い話があると聞いたが」
私は、用意してきた紙を差し出した。
殿下は、紙に目を落とした。
そして、ゆっくり、一枚ずつめくっていった。
顔から、笑みが消えていく。
「……正確だね」
「恐れ入ります」
「正確すぎる」
殿下は紙から目を上げた。
ゆっくり、私を見つめる。
「この数字は、会計院の者でなければ知らないはずだ。学園の令嬢が、一人で集められるものではない」
(ひっ)
「急に動きだしたのも、知っているよ」
「は、はい?」
「お茶会を開いた。令嬢たちを集めた。婚約者たちが、次々と元の鞘に収まった。君が目立ち始めたのは、ここ一か月だ」
殿下は、机の上で指を組んだ。
「例えば、君が間者とか」
「か、間者……?」
「他国の諜報員とかね。こんな情報の集め方、普通じゃない」
(バレてる! 絶対にバレてる! 間者じゃなくて転生者だけど、似たようなものだから結局バレてる!)
私の心の中は、大嵐だった。
膝は笑っている。背中は冷や汗で冷たい。
でも、表情だけは、まったく動かなかった。前世の画面で、何百回と見たロザリンド様の微笑みを、全力で再現している。
殿下は、さらに続ける。
「大きな知識の源があるみたいだ。誰が君に教えているのかな」
これは、ブラフだ。
ゲームでも、王弟は相手の反応を見て、言葉を選ぶ人だった。
ここで焦ったら、負ける。
私は、ゆっくり紅茶を一口飲み、静かに微笑んだ。
「殿下」
「ん?」
「失礼などありませんわ。警戒しないような無能とは思ってませんよ」
(……あれ。私、今、何て言った?)
言ってから青ざめた。
「失礼なことを申しました」と言うつもりだったのに、混ざった。
違うんです。「殿下を無能と思ってません」って言いたかっただけなんです。殿下は警戒心の強い、有能な方だと褒めたかっただけなんです。
沈黙。
殿下の目が、少し見開かれた。
それから、ふっと口の端が上がった。
「……なるほど。僕が警戒することを、はじめから織り込み済みか」
「え」
「それでいて、わざわざ証拠を持って、僕の前に来たわけだ」
「いえ、あの」
「面白い」
殿下は立ち上がった。
机をまわり、私の前に立つ。
近い。背が高い。目が怖い。
「君のことは、完全には信用していない。何かを隠していることも分かる」
「は、はい……」
「だが、この情報は正確だ。しかも、どれも裏が取れる形で出されている。手元に置いて、情報源も目的も、ゆっくり確かめさせてもらおう」
殿下は、私に手を差し出した。
「僕の補佐官付きの書記官として、来てもらう。給金は出す。住まいも手配しよう。将来の安全も、保証する」
衣食住。
将来の安全。
その言葉に、私の頭の中で計算が働いた。
(監視されるのは怖い。でも、衣食住が保証されて、将来の安全も確保されるなら……許容範囲では?)
私は、震える手で殿下の手を取った。
「……喜んで、お受けいたしますわ」
微笑みは、まったく崩れなかった。
我ながら、完璧な演技である。
それからの数か月は、あっという間に過ぎた。
王弟殿下は、私の渡した資料をもとに、王宮の会計を洗い直した。
調べれば調べるほど、出てきた。
リリアナ様への贈り物。遊興費。公務を代わった者への口止め料。孤児院の視察の欠席は、この一年で十一回にのぼった。
そこに、もともとあった不安が重なった。
以前から、議会では「王太子殿下は公務への関心が薄い」と言われ続けていたのだ。会議への欠席、決裁書類の遅れ、宰相補佐が代わりに印を押す日々。
それでも、「若気の至り」で済まされていた。
今回の件で、それが済まなくなった。
「公費を私的に流用する者に、国庫を預けられるのか」
「王弟のユリウス殿下は、先の飢饉でも、財政の立て直しを担われた。実務の経験は十分だ」
「殿下ご自身は、王位に就く気は薄いとお聞きしたが」
「ならば、摂政ではなく、いっそ継承順位そのものを見直すべきでは」
貴族議会の長老たちは、ゆっくりと、しかし確実に、風向きを変えていった。
シャルロット様が、お茶会で小声で教えてくれた。
「父の話では、次の議会で、継承順位の見直しが議題に上がるそうですわ」
「まあ。思い切ったことをなさいますのね」
私は、できるだけ他人事の顔で、紅茶を飲んだ。
内心は、少しだけ違う。
(国が安定するなら、ありがたい。それだけなんだけど……)
王太子殿下ご本人は、事態をまったく理解していなかった。
学園の卒業パーティーで、彼はリリアナ様の手を取り、堂々と宣言した。
「リリアナ。僕は君を、未来の王妃にしたい!」
「殿下……!」
リリアナ様は、感極まって泣いている。
王太子ルートの、ゲーム通りのエンディングだ。
私は、その様子を、会場の隅で見ていた。
隣には、お茶会の令嬢たち。
シャルロット様、ベアトリス様、オフェリア様。そして私。
四人で、同じ角度にグラスを傾けている。
「あのお二人、お似合いですわね」
「ええ。本当に」
四人とも、にこにこ笑っている。
完璧だ。
私の計画は、完璧に進んでいる。
……ただ一点、リリアナ様が気づいていないことがある。
彼女がもうすぐ迎える王妃の座は、すでに王位継承の外にある。
王位は、議会の決議により、近いうちに王弟ユリウス殿下へ移る。
それを知っているのは、私と、王弟殿下と、議会の一部だけだ。
「……お幸せに、リリアナ様」
私は、小さくつぶやいた。
悪い人ではないのだ。ただ、ちょっと、未来が見えていなかっただけで。
完璧だったはずの私の計画に、穴が見つかったのは、卒業パーティーの翌日だった。
王弟殿下の執務室で、書類を整理していたときのことである。
窓の外をぼんやり眺めていて、ひらめいた。
(殿下が王になれば、国は安泰。……でも、王になるなら、お后が必要では?)
そう。ユリウス殿下は、まだ独身である。
国王が独身では、貴族たちが落ち着かない。後継ぎの問題も出る。そこから議会がまた揉めて、国が不安定になれば、私の老後が危うい。
穴だ。
これは、見過ごせない穴だ。
(国の安泰が、私の老後の安泰に直結するのだもの。ここまで来て、最後の最後で詰めを誤るわけにはいかない)
必要なのは、殿下に相応しいお嫁さんである。
優秀で、賢くて、殿下を支えられる、素敵な令嬢。
私が探すしかない!
「殿下!」
私は、勢いよく振り向いた。
「何かな、エルヴィラ」
殿下は、机で書類に目を通していた。
「殿下の将来のお嫁様、私が責任をもってお探しいたします!」
殿下の手が、ぴたりと止まった。
ゆっくり、顔を上げる。
「……お嫁様?」
「はい。殿下が国王になられた暁には、相応しい后が必要です。条件を教えてください。年齢、家柄、性格、好み。なんでも結構です」
殿下は、じっと私を見つめた。
数秒の沈黙のあと、肩を震わせて笑い出した。
「ははっ……そうか。君が、探してくれるのか」
「はい! お任せください!」
「君は、本当に面白いね」
殿下は立ち上がり、私の前まで歩いてきた。
そして、指先で、私の髪にそっと触れた。
「条件か。そうだな」
殿下の青い目が、すぐそばにある。
「頭がよくて、度胸があって、僕の警戒心を前にしても、涼しい顔でいられる人」
「まあ。ずいぶんと高い条件ですのね」
「それから、僕の隣にいても、逃げようとしない人かな」
「逃げる? 殿下のお隣から?」
私は首をかしげた。
そんな物好きな令嬢は、いないと思うけれど。
「そうだね。逃げようとしても、無駄だけれど」
殿下は、にこりと笑った。
「まあ、もう見つかっている気もするが」
「え、もう!? どなたですか!? 私に先に教えてくださいませ!」
「そのうち、分かるよ」
殿下は私の頭をぽんと撫でて、机へ戻っていった。
私は、ぽかんとその背中を見送った。
(……よく分からないけれど、殿下には、すでに心に決めた方がいらっしゃるのね。ならば、私の仕事は、その方の身辺調査かしら)
任務、追加。
私は、手帳を開いて、ペンを握りしめた。
背後で、殿下が小さく笑った気配がした。
けれど私は、手帳に夢中で、振り向かない。
知らないまま、今日も扇で口元を隠し、優雅に微笑む。
私の老後は、まだまだ遠そうだ。
「ああ、この演技はいつまで続くのだろう。
耐えれるか、私の小物のハート!」




