6話
よほど息が荒かったのか、父さんは俺のただならぬ様子を察し、落ち着いた声で言った。
「ウォルファ。今は深呼吸だ」
言われた通り、大きく吸って、吐く。
まだ混乱は残っているのに、大人たちの顔を見ているだけで、不思議と胸の圧が軽くなっていく。
「スノームーンが……鳥の化け物に連れ去られた」
フォードが勢いよく立ち上がり、俺へ詰め寄った。
「どこで! どこで連れていかれた!?」
両肩を掴む手が震えている。
気が気じゃないんだろう。いや、当然だ。
「フォードさん」
リーアの声が、鋭く切り込んだ。
いつもの柔らかい表情は消え、目つきは真剣そのものだ。
「私たち大人は、毅然としましょう」
「……そう、ですよね」
フォードが歯を食いしばり、なんとか息を整える。
「よし」
ヴァロンが短く頷く。
「まずは現場へ案内しろ。そこから俺たちでお嬢ちゃんを探す」
その一言で、全員の動きが揃った。
家の外へ向かう三人の背中を見て、俺は少しだけ安心してしまう。
――俺の判断は正しかった。多分。
でも、頼れるのが大人だけという現実が、狂おしいほど悔しかった。
⸻
俺は案内役として、ヴァロンたちを連れて川のそばへ向かった。
辺りは暗く、星と月のかすかな光だけが大地を照らしている。
「ここで拐われたのか?」
ヴァロンが、俺たちが消したばかりの焚き火跡を見ながら問う。
「うん。正確には、もう少しあっち。帰ろうとした時に、突然さらわれた」
「飛んでいった方角は?」
俺は北にある山を指した。
「……分かった。リーア、頼む」
それだけで、リーアは理解したように頷き、詠唱を始める。
簡単な魔法なら詠唱はいらない。
でも高度な魔法になると、言葉が“鍵”になる。
リーアの魔法が発動し、俺たちの身体がふわりと宙へ持ち上がった。
本来なら感動する場面だが、今は違う。
「行くぞ!」
ヴァロンの合図で、俺たちは山へ向けて一気に引っ張られる。
とてつもない速度なのに、冷気が頬を切らない。リーアの魔法が空気の抵抗すら調整しているのだろう。
山頂近くまで来たところで、先頭を行くヴァロンが急停止した。
「来るぞ!」
その叫びと同時に、下方から巨大な影が突き上がってきた。
吹雪で視界が悪い。
だが、その異形だけははっきり分かった。
ハゲワシに似た身体。
顔の中心には、巨大な目がひとつだけだ。蛇のようにうねる尾。瞳は赤い。
魔物は一直線に俺へ向かって飛んできた。
避けられない。
そう思った瞬間、ヴァロンが割り込み、片手に持つ剣で巨大な爪を弾き返した。
「俺の後ろにいろ」
ヴァロンが盾になる。
リーアは別の魔法を詠唱し始め、フォードはスノームーンを探すように山頂へ向かっていく。
俺は何もできない。
ここで勝手に動けば、足手まといになるだけだ。
標的をヴァロンに変えた魔物が、甲高い叫び声を上げる。
「ギェッ!」
滑空し、すれ違いざまに爪を振り下ろす。
ヴァロンは、なんと生身の腕でそれを受け止めた。
思わず目を閉じたが、次に見えた父は無傷だった。
……どうなってるんだ、その硬さ。
ヴァロンは魔物の脚を掴み、空いた手で剣を突き立てる。
狙いは、心臓。
「落ちろ」
短い命令と共に、魔物の巨体がバランスを失い、闇へ落下していった。
同時に、リーアの詠唱が終わる。
彼女が右手を空へ掲げた。
「クリアロード!」
次の瞬間、上空で渦巻いていた吹雪が、嘘みたいに止んだ。
曇り空には変わらないが、視界は驚くほどク綺麗になる。
「よし、俺たちもフォードを追うぞ」
ヴァロンの提案通り、山頂を目指す。
リーアの魔法のおかげで距離感がはっきる分かる。
魔法って、ここまで大掛かりなこともできるのか、と感心する余裕はないのに、思ってしまった。
⸻
十分ほどで、山頂に到着する。視線を落とすと、フォードが見えた。
彼は鳥の巣の中に立っている。そしてその足元にはスノームーンが倒れていた。
近くには小さな焚き火があり、どうやら介抱しているらしい。
「スノームーン!!」
俺は堪えきれず、すぐに下降した。
巣の中には卵が三つだ。あの魔物の子だろう。今のうちに壊す必要は……無い。ヴァロンは、狩人こそ無駄な殺生は控えるべきと言っていた。
こいつらも生き物なんだ。殺す必要はない。
そしてスノームーンは……多分、こいつらの餌になる予定だった。
「生きていますよ」
俺の心配している顔を見て察したのか、フォードが穏やかに言った。
「普通なら低体温で死んでいたはずです。ですが、これを見てください」
スノームーンの細い身体には、俺が渡したコートが巻かれていた。
「あなたがコートを渡したから、お嬢様は助かったのです」
「……違う」
俺は首を振った。
「そもそも俺が油断した。夜まで遊ぶべきじゃなかった。こうなったのは、俺のせいだ」
スノームーンの顔を直視できない。見たら、罪悪感に押し潰されそうだった。
⸻
リーアの飛行魔法で、俺たちは家へ戻る。
帰り道、フォードは何度もスノームーンの容態を確認していた。
家に着く頃には、疲れと緊張が一気に押し寄せた。
俺は自室へ戻るなり、倒れ込むように眠ってしまった。
リーアの天候を変える魔法は一時的だったのか、止んでいた吹雪が、また家の外で唸り始める。
風が戸を叩く音が、なぜか心地よかった。騒音が、胸の奥の靄を吹き飛ばしてくれる気がしたから。
⸻
翌日。腹を空かせた俺はリビングへ向かう。
そこにはすでにリーアとスノームーンがいた。
他の男たちは、昨晩酒でも飲んだのか、まだ眠っているらしい。
「……お、おはよう」
ぎこちなく挨拶すると、焼き魚とパンを食べていたリーアが軽く会釈する。
「ウォルファ、魚とお肉、どっちがいい?」
リーアがいつもの調子で尋ねてくる。
「肉で」
それから、リーアが台所へ向かい、朝食の準備を始める。
口の中のものを飲み込んだスノームーンが、俺を見て言った。
「昨日はありがとう。あなたから借りたコートで、なんとか寒さをしのげましたの」
「やめてくれよ……俺のせいで君が酷い目にあったんだ。感謝するなら、父さんたちにしてくれ」
その場にいるのが苦しくなって、俺は早足で外へ出た。
「そこは『どういたしまして』って言えよ」
空は、昨日の吹雪が嘘みたいに晴れていた。雲ひとつない青を見上げながら、俺は呟く。
「寒くないの?」
ボーッとしていると、後ろから声をかけられる。振り向くと、そこにいたのはリーアだった。




