5話
スノームーンとの不思議な生活は、楽しいだけじゃない。
なにせ彼女は国の内務卿の愛娘だ。ワガママの量が尋常じゃない。
これが、彼女と一か月過ごして学んだことだ。
「ウォルファ。今日も背中に乗せてくださる?」
「ねぇ、自分で歩いてよ」
「まあ。病人は丁寧に扱うものですわ」
そんな口論を繰り返していると、ヴァロンはいつも楽しそうに笑っている。
「はっはっは! お嬢様のお願いだ。せっかくだし叶えてやれ」
「父さんまで……」
これ以上言っても無駄だと悟り、俺は狼の姿になる。
そのままスノームーンの前に屈んだ。
「ほら、早く乗れって」
「ありがとうございますわ」
スノームーンは容赦なく体重を預けてくる。
日々走り回って鍛えているから筋力的には問題ない――問題ないが。
……落としたらどうしよう、なんて考えてしまうのが厄介だった。
その様子を見ていたリーアは、フォードに申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい。敬語、あんまり教えてなくて……」
「大丈夫ですよ」
フォードは柔らかく微笑む。
「お嬢様は元より、ああいうお方です。心置きなく話せる同年代が、どれだけ大切か……」
俺はスノームーンを乗せたまま、川へ向かって走り出す。
日差しが強くなって雪も溶け始め、地面はだいぶ走りやすい。まあ、いまだに雪は定期的に降るけど。だからこそ、今日はピクニック日和だ。
「ちょ、ちょっと! 速度を落としてください!」
「速い方が気持ちいいだろ?」
調子に乗った、その次の瞬間――隆起した地面に足を取られて、俺は派手に転んだ。
幸い、まだ残っていた雪の上だ。痛みはない。
背中から落ちたスノームーンも、仰向けで雪に埋もれている。
「うわ、ごめん!」
駆け寄った俺に、スノームーンは雪をひと握り投げつけた。
「だから言ったのに! お父様が見ていたら即、刑罰ですわ!」
「やってみろよー」
俺は後ろ足で雪を蹴り上げて、彼女に浴びせる。
「やりましたわね!」
スノームーンは雪玉を作って投げ返してくる。
俺も負けじと雪を跳ね上げる。
広大な大地で、ちっぽけな喧嘩。
精神年齢的にはどう考えても釣り合っていないのに、なぜか嫌じゃなかった。
⸻
小競り合いを終えたあと、俺たちは川辺で小さなキャンプをしていた。
狼から人に戻るのは、もちろんスノームーンの見えない場所で。
最近、母に荷物袋を作ってもらい、着替えなどを入れて持ち歩くようにしている。
この人生だけでも、火起こしは数百回やった。焚き火は手慣れたものだ。
スノームーンは焚き火の前で体育座りをし、ぼんやり炎を眺めている。
「お嬢様。お体、冷えますよ」
冗談まじりに、自分のコートを彼女の肩へかけた。
「寒くないんですの?」
「ううん。今は、本当に寒くない」
「そうですか……」
スノームーンはコートをぎゅっと巻きつけ、焚き火へ少し近づく。
「ウォルファは、将来の夢とかあるんですの?」
「なんだよ急に」
「いいから。答えてください」
俺は「うーん」と唸って、空を見上げた。
太陽は地平線の裏に沈みかけていて、昼と夜の境目がくっきりしている。
将来の夢。
前世でも、まともに考えたことがない。
親に敷かれたレールを歩くはずだった人生は、転生で崩れた。
今は、不思議なくらい満たされている。
でも、ふとした瞬間に好奇心が膨らむ。
この世界の先には、なにがあるんだろう、と。
悩んだ末、俺は答えを出した。
「この世界を冒険したいかな。さすがに死ぬまでここで過ごすのは、退屈だろうし」
「そうですか」
スノームーンは少しだけ真顔になって、俺を見る。
「ウォルファ。あなた、人狼じゃないですか」
「……うん」
「言い方が悪いかもしれませんが……あなたは、多くの人に疎まれる存在です。もし将来、道に迷うことがあれば、私のところへ来てください」
「スノームーンが優しい……明日は雷でも降るのかな」
「……っ!」
スノームーンは頬をぷくっと膨らませた。
「もう! 今のは忘れてください! ばーか!」
これがツンデレというやつか?
「ごめんって。でも、どうやって君に会いに行けばいい?」
するとスノームーンは首飾りを外し、俺の手に乗せた。
「え、こんなの貰っていいの?」
「ええ」
彼女はきっぱりと言い切る。
「帝国では、自分のネックレスを渡す行為に“友情”の意味がありますわ。これを帝国の兵や関係者に見せれば、きっと私に会えます」
「うん。分かった。いつか会いに行くよ」
それから俺たちは、国の話や食べ物の話、くだらない噂話を延々とした。
一か月も一緒にいるのに、ふとした瞬間、スノームーンが大人に見える時がある。
口調も、考え方も。
十歳とは思えないのは、内務卿の娘として鍛えられた結果なんだろう。
気づけば辺りはすっかり暗くなっていた。
「よし。そろそろ帰ろうか」
立ち上がると、スノームーンは大きな欠伸をして続く。
火の始末をして、道具を荷物袋に詰め、帰路についた――その時。
遠くから、羽ばたく音がした。
最初は鳥だと思った。
でも違う。音が、重い。
そして何より、近づき方が異常に速い。
「スノームーン、急ごう」
俺は彼女の手を強く握る。
「いきなりどうしましたの?」
「なにかが来てる。走って!」
次の瞬間、隣からスノームーンの気配が消えた。
「ウォルファ!!」
上空から叫び声。
見上げると、スノームーンは、全長三メートルはあろうかという巨鳥に掴まれていた。
……デカすぎる。
しかも、襲撃が“静か”だ。あんな巨体で、どうしてあんな静かに近づけるんだ。距離感がうまく掴めなかった。
頭が真っ白になる。
鼓動だけがうるさい。
まず深呼吸だ。助けるには大人を頼るしかない。
俺は狼の姿へ変わり、一目散に家へ走った。
くそっ、全部俺のせいだ。
外で過ごすのに慣れたと勘違いした。調子に乗った。だからスノームーンが……
必死に走ると、家の灯りが見えてくる。
俺はそのまま戸を蹴るように開け、家の中へ飛び込んだ。
大人たちが一斉にこちらを見る。
何かが起きたと、すぐに分かった顔で。




