3話
初めての狩から、四年の月日が流れた。
あの日以来、俺は父と共に、ひたすら狩の訓練を続けてきた。
最初に教えられたのは、「比較的、罪悪感の少ない相手」を殺すことだった。
血に飢えた熊や猪、そしてゴブリン。
ゴブリンは、緑色の皮膚と長い鼻を持つ二足歩行の魔物で、亜人種に分類されている。
知恵は浅いが集団で行動し、人間や獣を見境なく襲う、厄介な存在だ。
そして今の俺は、鹿や兎も“ちゃんと”殺せるようになった。
大前提として、生き物を殺すことは、決して楽しくない。
ゴブリンを殺すのは、奴らがこちらを殺しに来るから。熊や猪、鹿を狩るのは、厳しい冬を越えるための食糧が必要だからだ。
俺は何度か、両親に聞いたことがある。近くに、食料を買える村はないのか、と。
だが俺たちの家は、山々に囲まれた草原の奥深くにあり、人里からはひどく離れているらしい。
なぜ、そんな場所に住んでいるのか。その理由は、今まで一度も教えてもらえなかった。
家族以外の人間に会いたい、という気持ちが湧くこともある。それでも、広大な自然の中で不自由なく暮らせているのが現状だ。
異世界に転生したからといって、魔王を倒したいとか、最強の冒険者になりたいとか。そういう願望が消えたのは随分前だと思う。
さて、今は氷の節の終わり頃。
いわゆる冬の終わりで、草原にはまだ雪が残っている。
吐く息は白く、狼の姿でなければ凍え死にそうな寒さだ。
今日も俺は、いつも通り狩をしている。
冬は獣たちの動きが鈍いため、川で魚を探すような地味な仕事が多い。
まあ、ぼんやり水面を眺めているのも、悪くはない。
山から流れてくる川の水は、底が見えるほど澄んでいる。深さを見誤って溺れかけたことがあるのは、苦い思い出だ。
そんなことを考えていると、鼻に、ツンとした匂いが絡みついた。
鉄の匂いが混じっている。
血だ。
しかも、今まで嗅いだことのない血。
鹿でも、ゴブリンでもない。複数のものが混ざったような、不快な匂いだ。
川を見ると、うっすらと赤が流れている。
俺は川を遡った。
未知の血の匂いは、警戒すべきだ――ヴァロンの教えだ。
この辺りの生態系は把握しているつもりだった。
まさか、十歳にして“新種”と出会うとは思わなかったが。
そして、血を流している正体を突き止めた瞬間……
「……え」
そこにいたのは、二人の人間だった。
一人は背が高く、洒落た眼鏡をかけた男。
もう一人は、銀髪の少女。
雪景色に映える白い肌。青い瞳と、銀色の髪。絵に描いたような美少女は、足から血を流していた。
「お嬢様! わ、私が薬草を探してきます!」
男は明らかに動揺している。お嬢様という口ぶりからして、彼女の従者なのだろうか。
隣には倒壊した馬車と、事切れた馬の死体。何かに襲われたのだろう。
「い、行かないで……」
少女は震える手で、男の腕を掴んだ。
この寒さだ。焚き火もなしに薬草探しなど、無謀すぎる。
俺は、無意識のうちに歩み寄っていた。
「お、狼だ!」
男は逃げずに、胸元から短剣を抜き、刃を向けてくる。
「敵じゃない」
狼の姿のまま、俺は言った。
「……え?」
男は完全に混乱している。この世界でも、喋る狼は珍しいらしい。
俺は少女の足に視線を落とす。傷口には、紫色の膿がある。
「毒だ。普通の薬草じゃ治らない。ついてきてくれたら、治療できる」
男は黙り込む。
数秒の沈黙の後、覚悟を決めたように頷いた。
「……分かった」
「じゃあ、その子を背中に乗せて」
俺は背を向ける。男は少女を抱き上げ、慎重に俺の背に乗せた。
――さて、修行の成果を見せる時だ。
この四年間、俺は狩だけでなく、魔法についても学んできた。
生き物には必ずマナがあり、それを形にして放出する力が魔法らしい。
母リーアは、どうやら相当な魔法使いだった。そんな彼女は、生活を便利にする魔法を、いくつも教えてくれた。
中でも便利なのが、体から蔓を生やす魔法だ。
狼の姿では運搬に限界がある。だがこの魔法なら、荷物や薪を背に固定できる。
いつもの要領で、少女を優しく蔓で固定する。もちろん、苦しくはならないように。
「……何かに襲われたのか?」
家へ向かう途中、俺は男に尋ねた。
「姿は見えなかった。一瞬だったよ。
寒いから馬車で夜を越そうとしたら、突然、吹き飛ばされた」
「大きさとか、特徴は?」
「多分……大きい。翼の音がした」
飛ぶ魔物……グリフォン?
いや、あれは温厚だし、冬は巣で大人しい。
考えながら走るうち、我が家に辿り着いた。
煙突から煙が出ている。リーアが夕飯の支度をしているのだろう。
「ただい――」
戸に手をかけた瞬間、
家の中から、ヴァロンが人の姿で飛び出してきた。
鉄剣を構え、一瞬で男を地面に押し倒す。
男の首元に突きつけられた刃は、鏡のように父の冷たい顔を映している。
「何者だ」
冷たい声。
こんな父の表情を見るのは、初めてだった。
「待って!」
俺は叫ぶ。
「俺が連れてきた人たちだ! 父さん、背中の子を見て。ひどい怪我だ、毒もある!」
ヴァロンはゆっくり立ち上がり、少女を確認する。
「ツキモドキの毒だ。急げ、家に入れるぞ」
そう言って、少女を抱え、家へ入っていった。
俺は男を助け起こす。
「ごめんなさい。父さんがあんな反応するとは……」
「いい。侵入者に見えたのだろう」
その落ち着いた態度に、思わずホッと息をつく。
「名前、聞いてもいいですか? 俺はウォルファです」
「フォードだ。お嬢様はスノームーン」
スノームーン? ……この世界でも、多分キラキラネームだ。
家に入ると、皆の視線がスノームーンに集まる。
俺はこっそり人の姿に戻り、服を着た。
「父さん、どう?」
フォードの隣で尋ねる。
「毒がかなり回っている。ほら、見てみろ」
ヴァロンが瞼を開く。
青かったはずの瞳は、紫に侵されていた。
「……治るんですか?」
震える声に、ヴァロンは力強く頷く。
「ああ、治る」
「勝手なお願いだとは承知しています。療養中、私もここに泊めていただけませんか?」
一瞬、嫌そうな顔をした後――
「……分かったよ」
ヴァロンはそう答えた。




