1話
死因は、自殺に限りなく近い事故、だったと思う。
線路に落ちそうになった子供を見つけ、反射的に手を伸ばした。勢いよく引き戻した、その瞬間だ。体勢を崩した俺は、代わりに線路へと転落していた。
気づいた時には、電車のライトがすぐ目の前まで迫っていた。
確実に、死んだ。
そう確信したはずなのに、なぜか俺の意識は途切れていない。
視界いっぱいに映るのは、言葉を失うほどの美貌だった。
ルビーのように赤く輝く瞳が、こちらを覗き込み、吸い込まれそうなほどに揺れている。
彼女は大量の汗をかき、荒い息を整えながらも、必死に微笑んでいた。顔色は悪い。それでも、その笑顔だけはやけに優しい。
状況を理解する前に、部屋の扉の向こうから低い男の声が響いた。
「リーア!」
次の瞬間、扉が開く。
そこに立っていたのは、見上げるほど巨大で、筋骨隆々の男だった。荒々しい体躯とは裏腹に、顔立ちは驚くほど整っている。
リーア。
それが、この美人の名前なのだろうか。
「あっはっは! 目はお母さん譲りだな! 今日からお前の名前は、ウォルファだ!」
「ウォルファ。この人がヴァロンよ」
リーアはそう言って、誇らしげに微笑む。
続いて、ヴァロンが俺を軽々と持ち上げた。
その瞬間、胸の奥で燻っていた違和感が、確信へと変わる。
リーアの瞳に映る“俺”の姿。そこにいたのは、どう見ても生まれたての赤子だった。
なるほど。
これが、いわゆる転生というやつか。
両親の顔立ちを見る限り、日本人ではない。俺は死を迎え、新たな生を与えられたのだ。
⸻
生まれてから、約一週間。
楽しいことといえば、食事の時間くらいだ。
母の胸は豊満で、毎回うっかり感動してしまう。十八歳の自我を保ったまま母乳を飲む状況は、正直いろいろと危険だが、腹は容赦なく減る。
言葉は喋れない。排泄は制御できない。泣くか笑うか、それしかできない。
どうやら肉体の年齢には、精神も引きずられるらしい。
「もー、ほっぺもちもちで可愛いねぇ」
リーアがそう言って、俺の頬を指でつまむ。
相当溺愛されているようだ。正直うっとおしい……はずなのに、不思議と嫌ではない。
身内から向けられる無条件の愛情に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
親からの愛なんて、いつ以来だろう。
いや、今は考える必要はない。過去は過去だ。
一方で、父親のヴァロンも全力だった。
「ほら、高いたかーい!」
天井すれすれまで放り投げられ、床ぎりぎりでキャッチされる。
前世で色んなアスレチックに乗ったけど、これは別格に怖い。
「ヴァーローン! やめてっていつも言ってるでしょ!」
案の定、リーアに叱られるヴァロン。
苦笑しながら謝るその姿は、妙に人間味があって笑ってしまう。
そんな平穏な日々の中、俺はある会話を耳にした。
「そろそろ食料が尽きるな」
「ええ。雪の節も近いし……多めに蓄えないと」
雪の節。
おそらく冬のことだろう。
「じゃあ、久しぶりに狩りに行くか?」
「そうね。ウォルファも連れていきましょうか」
……狩り?
驚く間もなく、二人は服を脱ぎ始めた。
赤子なりの悲鳴めいた声が、思わず漏れる。
視界に映ったのは、傷だらけのヴァロンの身体だった。左肩には、斜めに大きな裂傷跡が走っている。
「久しぶりだと、ちょっと恥ずかしいわね」
リーアが照れたように身をくねらせた、その瞬間――
二人の身体から、灰色の毛が生え始めた。
腕も脚も、次第に人の形を失い、狼のそれへと変わっていく。
やがて、二人は完全な狼の姿になっていた。
やっぱり。薄々思ってはいたけど、ここは地球じゃない。
俺は、異世界に転生したのだ。
ヴァロンは俺の服を咥え、そのまま背中へと乗せる。
次の瞬間、魔法かなにかは知らないけど、父の背から植物の蔓のようなものが伸び、俺の身体をしっかり固定した。
準備完了。
二匹の狼は、一斉に駆け出す。
家を飛び出すと、黄金色に輝く草原が広がっていた。
ススキに似た植物が風に揺れ、冷たい空気が肌を撫でる。
走りながら、ヴァロンは何度も俺を確認する。大雑把に見えて、案外心配性らしい。
対照的に、リーアは迷いなく草原を駆け抜けていく。
俺は、狼の子供。その立場が何を意味するのかは分からない。
それでも、この景色を見て、後悔することはない。
たった一週間。
それでも両親は、俺に新しい世界を与えてくれた。
嬉しくて、温かくて。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
父と母は、山菜やキノコを採りながら、今日も大自然を駆けていく。
この時間が、ずっと続けばいい。
今は、心からそう願っている。




